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01.

 温めたカップに深紅色の紅茶を注ぐと、部屋中に華やかな香りが満ちた。彼が気に入ってくれた日から、紅茶を淹れるのは私の仕事の一つとなっている。


「ああ、やっぱりリディの淹れた紅茶が一番美味しいな」

「ありがとうございます」


 紅茶が好きな彼の為に、美味しい淹れ方を調べて練習して、忙しい時間の中のほんの一瞬の安らぎになるようにと色んな味を揃えて……喜んでほしいと、そう願って。今日も丁寧に、彼だけの為に心を込める。


 ゆったりとした空気が包む中、不意に彼が顔を上げて目を輝かせた。こういう目をする時、彼は大抵楽しいことを――私にとっては一概にそうとは言えないのだけれど――思いついているのだ。


「ねえ、リディ。街の方に出来た新しいレストランが美味しいって評判なんだ。今夜は早く仕事を片付けるから、一緒に行かないか?」


 ああほら、また始まった。彼は時々私を友人のように扱って、遊びや食事に誘う。しかし私達の関係はあくまで主人とメイド。そんな事が許される訳ないのだから、私にはお断りする以外の選択肢はないというのに……本当は嬉しくてたまらない、なんて。絶対に気付かれてはいけない感情を押し戻すようにグッと奥歯を噛むと、ポケットに入れてあるスケジュール帳を取り出して今日の日付を確認した。


「ノア様、まさかお忘れでないとは思いますが、今夜は社交パーティーのご予定ですよ?」

「……すまない、今夜は仕事の打ち合わせがあったのをすっかり忘れていたよ」

「残念ですが、今更その手には乗りませんよ」


 わかりやすくがっくりと項垂れる彼は、社交パーティーのような場所が嫌いだった。ダンスが不得手な訳ではないし、愛想も良く、その端正な顔立ちから女性には人気が高い彼だ。他の男性なら喜び勇んで参加するであろうパーティーも、何かにつけては断っていた。


「今夜のパーティーはキャンベル家主催のものです。這ってでも行っていただかなくては困ります」

「わかったよ……ああ、面倒だな」


 眉尻を下げてぶつぶつと文句を言う彼の機嫌を取る為に、紅茶のおかわりを淹れた。





 エヴァンス伯爵家とキャンベル伯爵家は、古くから親交の深い間柄だった。

 エヴァンス家に長男であるノア様が、その数年後にキャンベル家にエレナ様がお生まれになった際には、将来結婚させようという話で大変盛り上がったそうだ。もっとも、私はその時まだ生まれてすらいなかったし、たとえ生まれていたとしても代々エヴァンス家に仕えるスペンサー家の私がいたところで何かが変えられる話でもないのだけれど。


 まるで結ばれることが運命だったような二人は、正式な婚約こそまだされてはいなかったが、将来が約束されたようなものだった。だというのに、肝心のノア様はエレナ様に対してはあまりご興味がない様子で、もう20歳を過ぎたというのに未だにこうして自由と仕事を満喫している。


 もしも彼らがお互いに惹かれあっていたとしたら、私のこの気持ちにも諦めはついていたのだろうか? 考えたって答えは見つからないし、想像したところで気分は重くなるだけだ。今は自分に出来ることを精一杯やろう。それだけが私に出来る唯一の、彼の側にいられる方法なのだから……。


 ぱちんと頬を軽く叩いて気合を入れなおすと、今夜のパーティーの衣装を準備する為に衣装室に向かった。



***



「リディ……」

「ダメです」

「まだ何も言ってないだろ……!」


 馬車に乗り込んだ彼が、縋るような瞳でこちらを見つめる。正装に身を包んだ彼は息が止まりそうな程素敵だと言うのに、こちらを見つめる瞳は切ない。この滾った気持ちがどんな願いでも叶えてあげられるんじゃないかと本気で思うけれど、立場上許される訳がなかった。私も鬼になるしかないらしい。


「行きたくない、ですよね?」

「ぐっ……!」

「わかりやすいんですよ、ノア様は」

 悔し気に眉を顰めた彼は一度口を開閉させると、睨むように強い瞳で私の腕を掴んだ。


「わかった、ならリディも一緒なら行く」

「行けるわけないじゃないですか。もう、遅れてしまいますから。本当に。早く」


言い聞かせるように一言一言を区切って、負けないくらい強い瞳で見つめ返す。大きな溜息を一つ溢した彼はようやく諦めてくれたらしく、そっと腕を離してくれた。


「じゃあ、俺が帰ってくるまで待っててくれるかい?」

「そうすれば行ってくれますか?」

「すごく嫌だけど、行く」

「わかりました。では、必ずお帰りをお待ちしております」


 丁寧に頭を下げると、やっと馬車はキャンベル邸へと走り出した。


 私だって、彼が行かなくても良いのなら行ってほしくなかった。側にいてくれるのならその方がいいし、エレナ様のところに行ってほしくないのが本音だ。でも、私がいくらそう願ったってこの立場は変わらない。だから私は、一番彼の近くにいられるこの場所を守り通すと決めた。この想いは心の奥底で鍵をかけて、ただ彼の有益になる存在となる事を選んだ。そんな私が、行かないでなんて言えるわけがないのだ。


「ノア様……」


 せめて、一秒でも早く帰ってきてください。

 言えなかった言葉の続きは、夜空にそっと溶かしこんだ。



***



 遠くから馬車が近付く音が聞こえ、読んでいた本を閉じた。思っていたよりも早い帰りが嬉しくて走り出しそうになったけれど、気付かれないようになるべくゆっくりと玄関に向かう。


「おかえりなさいませ、ノア様」

「ただいま、リディ」


 少し疲れた顔の彼は、馬車から降りて私を見付けると安心したように頬を緩ませた。この表情を私が引き出しているんだと思うと、自然と私の頬も緩んでしまう。


「今日は君にお土産があるんだ」

「お土産……?」


 悪戯を企む子供のような笑顔を向けられ、首を傾げる。貰っても良いのだろかと戸惑う私をよそに、彼は背中に隠していたらしい小さな花束を差し出した。


「わあ……可愛い……!」


 薄い桃色の小さな花をいくつも咲かせた、愛らしい花。どうしよう、なんて迷いはすぐに消えて、思わず受け取ってしまった。


「リナリアって言うんだ」

「リナリア……?」

「こんなに可愛らしい花をたくさん咲かせて、まるで君みたいだなあと思って」


 思わず買ってしまったんだ。そう言って笑う彼に、胸の奥がぎゅっと掴まれたように苦しくなった。頬が熱くなるのがわかる。いつものように流さなければいけない、何か言わなきゃ、頭ではそう思うのに都合の良い言葉は何も出てこなかった。


「ありがとう、ございます……」

「どういたしまして。気に入ってもらえて良かったよ」

「本当にありがとうございます、大切にしますね。それでは今夜は失礼致します」


 溢れそうな想いを口に出してしまう前に、急いで自室に戻った。


 諦めなくてはいけないとか、隠し通さないといけないとか、私の中のルールはたくさんあるのに、彼はいつも簡単に私の心を引き寄せて離さない。たとえこの想いが伝えられなくても、あなたには約束された相手がいても、今夜のように他の女性の香りを身に纏って帰って来られる日があったとしても。

好きです、大好きです、ノア様。あなたをずっとお慕いしています。


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