#06 詩的詠唱は厨二心をくすぐる男の浪漫ですしおすし
裏ボス部屋は既に一触即発の状態。
まるでギリギリまで酒を表面張力で満たしたグラスのように。
ほんのちょっと触れただけで、即座に均衡は崩れて暴発する。
みなが固唾を呑んで、開戦の号砲が鳴り響く瞬間を待っていた。
〔あ……あ……あ……〕
睨み合う助手くんと勇者一行という構図の中で──
血抜き作業で吊るされた豚のように、オークだけが怯えた顔で震えている。
もともと彼女は斥候や案内役として勇者に雇われたと思われる非戦闘員。
あの三人とのレベル差をふまえても、とてもついていけない状況下。
大型道具袋のショルダーベルト部分をギュッと握り締めながら、
漂う殺気に両脚をガクガク震わせ、張り詰めた空気に歯をガチガチ鳴らし、
ただただ、どうしていいのかも分からずに一人立ちすくんでいました。
ああ、これは可哀相だけど戦闘の余波に巻き込まれで死ぬな。
私は直感的にそう思いました。
まるで情のない残酷な言い方ですが、魔族の観念からすれば当然の感想。
しょせんダンジョンは弱肉強食。強きものは突破し、弱きものは死ぬ。
子豚の末路が悲劇と分かっていても、救いの手を差し伸べる気はありません。
「あのオーク、助けられませんでしたな」
「これも自然の摂理です。あの子はチャンスを見逃して退き際を誤りました」
ダンジョン建築士は他人のダンジョンでの生き死にの問題に干渉するなかれ。
まるで神様気取りで死ぬ運命にある冒険者の命を救ったりするのは御法度。
いま、やろうと思えば強制転送の措置くらいはできる。
けれどソレはダンジョン建築士の誇りにかけてやってはいけないこと。
「リッチーさんは彼女に救いの糸を垂らさないんですか?」
「いいや、わしは冒険者の選択を尊重する主義でな。甘やかしはせんよ」
そうですか。
なら、なおさらダンジョン建築士ごときが手を出すことは許されません。
魔術的に造りだされた存在ですが、ダンジョンとは自然環境のひとつ。
冒険者はその独自の生態系の一部になって、殺して狩ってを繰り返す。
それらの命運に触れることができるのは創造者ダンジョンマスターのみ。
そのダンジョンの支配者が不干渉を貫くのであれば話はソレでオワリ。
他人様の箱庭で全知全能の神の気分になって冒険者の運命を左右するなど。
それこそ神の領域を土足で穢す傲慢以外のなにものでもないのですから。
そのときだった。
──おい、そこでガタガタ震えているメスブタ──
〔ひっっっっっっっ!〕
助手くんが武器を構える三人から目を離してオークをギロリと睨んだ。
「メスブタときましたか」
「たしかにそのまんまですし、そのとおりなんですけど」
さすがに女の子を相手にその言い方はヒドイです! ><
──お前にはまだ聞いていなかったな。退くか戦うか、どちらを選ぶ?──
〔う……ぁ……〕
──野生のカンが働くなら従っておきな。身の程をわきまえないブタは──
〔まさか……あなたが……噂の……〕
──出荷だぜ──
〔ぶっ……〕
その一言が迷っていたオークの背中を蹴り飛ばした。
〔ぶひぃいいぃいいぃいぃぃいいっっっ!!!〕
オーク は にげだした!
「カカカカカ……丸めた尻尾をさらに丸めて逃げましたなぁ」
「これ以上ない全力疾走で【とんずら】しましたね」
ブタのような悲鳴とは、まさにこのことなのでしょう。
失禁しながら、恥も外聞もなく、脇目もふらず真っ直ぐに逃走。
それはそれはもう、シーフ職らしい見事な逃げっぷりでした。
助手くん、今のはちょっと規約違反スレスレの意識誘導ですよ。
きみの目的は侵入者の排除であって、お情けで逃がすのは本来ならアウト。
まぁ、彼女は害獣たちと違って工事区画への不法侵入に否定的でしたし、
最終的に自分の意思で逃走したからギリギリセーフとしておきますけど。
「もうっ。助手くんったら」
普段はワルぶってるくせに変なトコロで甘いんですから。
「はてさて、はてさて」
彼女のいる場所は地下六階。
逃走経路にはまだ彼女を殺せるゴーレムがいくらか配備されています。
リッチーさんがその気になら、まだいくらでも迎撃や追撃は可能です。
「彼女にはルール違反のリスクをギルドに伝えてもらいましょうか喃」
「ええ、私もそれが最適解だと思います」
ですが、ダンジョンの利を考えてオークは逃がすことにしたようです。
全滅必至の冒険者パーティーをあえて一人だけ生かして脱出させる。
これは生還者に冒険者ギルドまで逃げ帰ってもらい、自分のダンジョンの
クオリティーの高さを宣伝してもらってアピールする一種の広報手段です。
さすがに大湿地帯を無事に抜けられるかどうかまでは関知しませんが。
つまるところ。
これでダンジョン荒らしの害獣を生かしておく理由もなくなりました。
〔ちょっと! なに逃げ出してんのよ! 帰ってきなさいブタ女!〕
〔勇者様、よろしいので?〕
〔構わない。彼女は湿地帯とダンジョンの案内役で雇った子だ。それに……〕
勇者さま(笑)はギンッと光の剣の切っ先を助手くんに向けて一言、
〔この男は、足手まといの彼女を守りながら戦えるような甘い相手じゃない〕
わぉ、かっこいい。
──……ハッ。ハハハハ! 三下なりには理解してるようだな。俺のつよ……──
〔喰らえ! ジャスティス・クラッシュッ!〕
セリフの途中でいきなり必殺技がきた。
〔でましたわ! 勇者様の正義の鉄槌!〕
〔これをまともに受けて無事だった闇のモノはいないわよ!〕
たしかに太鼓持ち二人が言うだけのことはあります。
光属性をのせた真一文字の強撃。真っ直ぐで無骨で素直な勇者らしい斬撃。
これに破邪の力を備えていると思われる光の剣の性質と攻撃力を加えれば。
「うわっ……ワシいかなくてよかったわ……」
と、不死王であるリッチーさんでさえゾッとするくらいの破壊力。
いかにもアンデッド関係に特攻効果持ちっぽい必殺技ですものね。
お客様の身の安全の確保も仕事のうち、加勢にいくのを止めて正解でした。
あれは光属性を抜いても物理的にかなり重い一撃です。
光の剣はカテゴリー的には巨漢戦士が両手で持つグレートソードの部類。
勇者という人種は得てして優男なのに見ため以上の腕力に長けている。
恐るべき重量からくる衝撃と、常軌を逸した怪力から生まれる膂力。
こんなもの常人がまともに食らえば兜ごと頭蓋骨が粉々に砕け散る。
それほどの威力の必殺剣を──
ぱしっ。
助手くんに軽く左手で受け止められた。
〔な……ッ!?〕
──ほう? すげえじゃねえか、お前……──
それでも剣から吹き出す衝撃の余波までは抑えきれない。
飛び散る研究機器。破ける書物の数々。倒れては割れていく硝子瓶や陶器。
裏ボス部屋で荒れ狂う光属性の衝撃波。これだけでもダメージは避けられない。
──今の必殺技で──
必殺技を受け止めた助手くんの感想は。
──俺の髪の毛が三本ばかり抜けたぜオイ──
嘗めくさっているとしか思えない心からの不敵な賞賛!
〔な、なんてヤツですのッ〕
〔勇者様のジャスティスクラッシュを受けて微動だにしないなんて〕
あ、こういうとき便利ですね。実況解説をこなせる仲間がいると。
〔翼竜くらいなら属性付与なしでも両断の一撃だったんですが。
ジャスティスクラッシュが通用しない相手では、しかたありません……〕
しかし勇者さま(笑)も負けてはいない。
パチン。パチン。パチン。
彼の着る鎧の接合部から留め金が外れる音がして……
ドスン。ドスン。ドスン。
一拍の間をおいて、石畳の上に鎧のパーツが次々と転がった。
〔どうやら、封印していた真の力を解放しないとどうにもならないようです〕
いま、パーツが床に落ちるときにすごい異音がしましたよ。
落下地点のタイルもひび割れたり凹んだりしてるし、あれかなりの重量では。
〔勇者様が自身に架していた『封我の鎧の拘束』を解いた!?〕
〔あの影騎士……それほどの強敵だって言うの……!?〕
〔自分でも制御がままならない竜の力。なるべく使いたくはなかったのですが。
ここからは本気でいきます。もう手加減はできませんので悪しからず〕
──ハッ。やっぱ勇者はそうでなくちゃな。序盤の舐めプは主人公の様式美だ──
「カカカカ……なんとなんと。いままで重い拘束具を纏って戦っていたとは」
「リッチーさん、ノリいいですね」
私も魔王の端くれですから、こういうベタベタなノリは嫌いではありません。
──だがな、そんだけドラゴニックなオーラをビンビンされると周囲に迷惑だ。
さっきのジャスティスなんたらの余波で部屋がえらいことになってるしよ。
このボス部屋は宝物庫も兼ねているんでな、ちぃとばかり場所をズラすぜ──
場所を変える……とは言わなかった。
〔ズラす?〕
勇者さま(笑)が助手くんの言葉の中にある違和感に気付いたとき。
その答えを導き出す、異世界言語による秘術展開の詠唱が始まった。
── Was weisst du von ihm! Du bist sein Kind…… ──
(あなたはあの方のことを分かっていない。あなたはあの方の子供なのに)
── und hast dich gegeben in Menschenhand ──
(あなたは大切な御身を卑しき下賎の手に引渡し)
─ und dein Herz vergeudet an einen von den Verwesenden ─
(死のさだめにも抗えぬ、ちっぽけな一人の人間にその心を委ねてしまった)
─ Fürchterlich straft er dich,wenn du fällst in seine Hand. ─
(嗚呼、あなたはあの方の手に落ちて、大いなる裁きを受けるでしょう)
── Denn er kennt kein Greuel über diesem, ──
(なぜならあなたは、あってはならない罪を背負おうとしているのだから)
── dass eines spiele mit den Verhassten ──
(高潔なる血族のものでありながら、醜悪なるモノどもと混ざり合い)
── und sich mische mit den Verfluchten! ──
(穢れたモノたちと同じ世界に堕ちる道をあなたは選んでしまった)
── Weh über sie, die dich gebar, ──
(呪われよ。愛しくも罪深きあなたを造った者たちよ)
── und Menschensehnsucht dir flösste ins Blut! ──
(そして、愛しきあなたの血の中に潜み続ける人間への憧れよ……)
── Weh über dich! ──
(永劫の彼方まで呪われよ!)
── Es bringt dich ins Jenseits. ──
( 【冥府顕界】 )
── 『Die Frau ohne Schatten』 ──
(『影なし女の無明地獄』)
〔これはッッッ!〕
〔周囲の空間の位相が……暗転して切り替わる!?〕
〔強制テレポートの高等術式!? でもこんな詠唱は聞いた事も……〕
助手くんの術式の完成と同時に、裏ボス部屋が暗黒に包まれた。
ううん、表現をもっと正確にするなら、世界の『色』が暗転した。
「なにが起こったんじゃ? そこにいるのにそこにおらんぞ」
「助手くんが彼らを自分の遊び場に強制転移したんですよ」
たしかにみんなは裏ボス部屋に存在しています。
けれど彼らの姿は白と黒のフレームと化して現実と乖離していました。
これは彼らが立っている次元の位相が変わってしまったことを表す姿。
つまり助手くんと勇者一行は裏ボス部屋にいながら別次元に引き込まれた。
これで両者がどんなに暴れても周囲の調度品に影響はありません。
「まるで高位魔族のみが使えるという魔王空間じゃな。人の身でこれほどとは」
「ある意味、それよりもっとやばいとこですよ」
我を過ぐれば憂ひの都あり。
我を過ぐれば永遠の苦患あり。
我を過ぐれば滅亡の民あり。
義は尊きわが造り主を動かし、
聖なる威力、比類なき智慧、
第一の愛、それら我を造れり。
永遠なる物のほか、物として我より先に造られしはなし。
しかして我、永遠に立つ。
「汝等、この門をくぐるならば一切の望みを棄てよ」
究極の闇の迷宮【地獄】へようこそ──