バイトの朝
ザーッと言うノイズが不意に大きくなる、そして複数の人の声が混じったかと思うと、また静かになる。そんなドアの内側の世界。
—— 珈琲処Sato ——、
珈琲処、と言っても本当にコーヒーを飲みに来る人は少ない。
実際私がバイトに決まった時も「気持ちでコーヒーを淹れてあげてね」と言われたくらいだ。
むしろ、そう言う雰囲気が大切なのかもしれないと私は思う。
そして、私はバイトとしてここにいさせてもらっている。
「自分のいるところに自分はいるんでしょ?」そう言う人もいるけれど、私はここにいさせてもらっている、と思う気持ちが強いなぁ。
マスターは私と親と子ほど年が離れているし、なんか、とりあえずそんな感じ。深く感じているわけではなく、なんとなくなのだ。
「お嬢ちゃん、お嬢ちゃんが好きなブレンド、下さらない?」
お歳は80になるだろうか? 私から見ても、とても素敵な女性なこの方は、私の淹れたコーヒーをとても好んでくださる。
白い髪を淡くシルバーに染めている。「女性は髪を黒くしたい」と言うけど、私はどうかと思う。確かに色が抜けた白は嫌だとしても、100のお婆ちゃんが真っ黒だったらそれはそれで大問題だと思うのだ。
―― 人それぞれだけどね ——
心の中で、一瞬想像した木綿の繊維のような「白い髪」を蹴飛ばしながら、絹のようなシルバーの髪(ほんの少し白に黒が混じった髪)や、一部の隙もなく乱れることのない服装に襟を正して、アルコールランプに灯をつける。
私はふと、気が付いた。
「今日はハムエッグ、お気に召しませんですか」
決して語尾を上げず、息を吐くようにフレーズの最後は歌を歌い終えるようにデクレッシェンドする。
そんな私にくすぐったそうに答えは返ってくる。
「いえいえ、少し、ね」
彼女が残したプレートには、ソースがかけてある目玉焼きと、ハムには少し醤油がかけてあった。
私は感性の赴くまま、手元にあった箱から、コーヒーカップへ粉末を入れた。
私の手元には何種類かの箱があったけど、他の箱は私の気持ちが許さなかった。
コポ、コポ、とガラス管を伝わり、水が温まっていく。
その流れが、たゆたうように二人を包んでいく。
ドアの向こうでは、近くにあるバス停から人が乗り、降り、繰り返しながら日常が繰り返す。
この時間の違いは何だろう。
20年くらいしか生きていない私は、本来ならバス停側の世界にいるはず。
このお婆さんは、スロ-ライフなんだろうなあ。
そんな場所を繋ぎ留めるこの場所は、私が落ち着ける場所だ。
私も、雑念を捨てて、この場所にいられるから好き。
30分後、お婆さんは食事代を払い、帰っていった。
仕入れから戻ってきたマスターがレジスターに立ち、「うちのがご無理をさせました」と頭を下げると、
「いいえ、渋みとコクは独特でしたよ」と”いなせ風”にはっきりと言い、日傘を開いて、店を後にしました。
マスターは、私の手元にあった箱を見て、指を刺します。
私は、はっきりと首を振り、隣を指さします。
「塩は入れませんでしたよ。ココアです。」
私が誤解されたことを残念に少し下を向くと、
「そう言うのを、豆のブレンドでもやってほしいんだけどなあ」と、マスターはため息交じりに言います。
「ごめんなさい。」精一杯の申し訳なさで謝る私に、
「いや、今の若い子が豆を見るのは無理だよ、『塩』を使わなかったことは満点だよ」、と謝ってくれた。
マスターはしょっぱいのを食べたくなかった彼女のコーヒーに塩を入れたのかと心配だったのだ。
さあ、私も明日は学校に行かなきゃな。
明日はこの店のドアの外のバス停に並ぶだろう。
あのお婆さんに、マスターはどんなコーヒーを淹れるのだろう―― 私は他人の技を盗むのが苦手、と言うか自分で挑戦したことしかわからない。
だから、自分で得とくするしかない。
私は、自分の家の本棚がコーヒー関係の書籍で埋まることを想像し、苦々しく首を振った。