名前で呼んで
人がまばらになった放課後の教室で、霧香は二人の女子に話しかけられていた。
「すっごくインパクトある自己紹介だったよ洲本さん! 十夜のやつがバカみたいな顔になっててすっごく面白かった!」
霧香の右前から話しかけているのは大河内舞。
「まあ、朝来くんは真っ先に覚えたかな」
霧香は苦笑いになりながら言った。
「十夜くんは多分……洲本さんの苦手なタイプだよ……」
机を挟んで霧香の正面から呟くのは城崎沙那。
「うん、確かにそんな感じがするね」
「あいつはダメだよ。女子ならとりあえず手を出そうとするからさ。霧香ちゃんも気をつけなよ」
舞はそう言ってから、「あっ!」と口を押さえた。
「ごめん洲本さん! 勝手に名前で呼んじゃった……」
「え? ああ、いいよいいよ。むしろ『霧香』って呼んでくれるほうがうれしいよ」
「あ、そう? じゃあ、あたしと沙那も名前で呼んでね」
舞は沙那を引き寄せて言った。
「いいの?」
「ノープロブレム……」
沙那は控えめに親指を立てた。
「じゃあ、今度から名前で呼ぶね」
すると舞が突然「えーっ!」と大声をあげた。
「えっ、ダメなの?」
霧香が少し不安そうな顔になる。
「こういう時ってすぐに名前を呼ぶのが定番でしょ! ほら呼んでみなよ」
それを聞いた霧香は沙那のほうを向いた。
「じゃあよろしくね、沙那」
「うん……よろしく……霧香さん……」
沙那は微笑んだ。
「ん~? あたしのことは忘れちゃったのかなぁ~?」
「機会があったら、ね」
霧香はいたずらっぽく笑った。
「うわ~ん! 霧香のドSぅ~!」
霧香は笑うばかりだ。
「そういえば今朝……憶人くんが『霧香のことをよろしく』って言ってたんだけど……霧香さんは憶人くんと知り合いなの……?」
沙那が舞を無視して霧香に尋ねる。
「まあ、一応ね」
その言葉に反応して、舞がガバッと起き上がった。
「えっ、どういう知り合い!?」
「うーん……お手伝いさん、かな?」
舞が目を見張る。
「憶人って霧香の下僕だったの!?」
「あっ、いや、そういう意味じゃなくて……」
舞と沙那は霧香のわずかな焦りを見逃さなかった。
「霧香さんって……やっぱりドS……」
「違うよ!」
「じゃあ女王様?」
「違うんだってば!」
「見かけによらない……」
「ああもうやめてよ~!」
霧香の思わぬ失敗に舞と沙那が面白がってからかっていると、憶人と十夜が教室に入ってきた。
「おい帰ろうぜ」
憶人は目の前でじゃれている三人に声をかけた。
「あ、霧香の下僕じゃん」
舞が憶人に向かって言った。
「はい?」
「だからやめてよ舞~!」
「あ! やった! 霧香があたしを名前で呼んだ!」
霧香は必死に止めようとするが、舞はその手を踊るようにかわす。
「よく分からないけどさ、とりあえず憶人は霧香ちゃんに踏まれてるってことだろ?」
十夜の頭にすかさず憶人の手が振り下ろされた。
「いいから帰るぞ」
憶人が促すと、舞が「は~い」と元気よく返事をした。
五人は一緒に教室を出た。すべての生徒を送り出した教室にその日最後のチャイムが響き、その音は瞬く間に消えていった。