主役は誰だ?
「女子ってこう、ダンスの時にグッとくる動きするよなぁ……」
「どこ見てんだよお前……」
他のグループの発表を見ながら夢心地で呟く十夜に、憶人が呆れる。
くじ引きの結果、憶人たちのグループの発表は最後になった。そのことを、憶人は密かに心配していた。振り付けはほとんど自由とはいえ、どのグループも同じ課題曲を基にするため、そう大きく変わり映えすることのないダンスがいくつも続く。霧香が今日は“目立つこと”を目標にしていることを考慮すると、すっかり飽きられてしまっているであろう最終発表というのは状況が悪いのではないかと、そう考えていたのだ。
憶人と十夜から見て前方のやや離れたところで、霧香は舞と沙那と並んで発表を観ている。時折、三人で笑いあっている様子を見ると、憶人の目には、霧香が発表順についてまったく心配をしていないように見えた。
本人が心配していないことを心配しても無駄だと割り切って、憶人は舞台上の発表に視線を戻した。十夜の言った“グッとくる動き”に関して特に異論はないが、男子の見事に制御された力強さにも目を見張るものがあると憶人は感じた。そう感じさせるほどに、誰もがやる気に満ちている。課題曲の選曲は体育教師がすると聞いた時の不満は相当なものだったが、結局はこうもやる気にさせるものだったということなのだろう、と憶人は考えた。憶人自身も、課題曲をかなり気に入っていた。
巧拙への恥じらいを捨てる勇気くらいは出させてしまうほど、課題曲には十分な魅力が備わっている。その力を借り、あるいは増幅して、霧香はどんな姿を見せ、この体育館にいる人たちの記憶に刻まれるのか。憶人はそんな期待に自分の感情が昂ってゆくのを感じた。いつの間にか心配は消えてしまっていた。
とうとう憶人たちのグループに順番が回ってきた。
始まる前に、五人は舞台袖で手を合わせた。
「そんじゃあ、洲本さんの転入祝いってことで、ド派手にかましてやるぞ!」
十夜の掛け声とともに、五人は「おお~っ!」と声を揃えた。声は抑えていたが。
舞台袖から出て、五人がそれぞれ予定どおりの位置につく。幕は上げたままなので、その様子は丸見えだった。
イントロと同時に舞台上に入る構成でいいのではないかと提案した時のことを、憶人は思い出した。“主役は私たちなんだよ”と言ってその提案に反対したのは、霧香だった。
イントロが流れ始める一瞬前。憶人はその言葉の持つ意味が霧香の中で変わっていることに気づいた。観る者の視線が思わず惹きつけられてしまうほどの、霧香のきれいな立ち姿を目の当たりにして。
“主役は私だ”と言ってのける覚悟が、霧香にはあった。
イントロが始まると同時に、何度も身体にすり込んだ動きがなめらかに出た。その瞬間に、霧香は曖昧だった自信を確信に変えた。
絶対に残ってやるんだという決意とともに。
イントロを抜け、五人それぞれの見せ場になる。先陣を切った舞が、元気よくステップを踏む。そこからなめらかに交代して十夜が前に出ると、普段の軽々しさとはまるで違うクールな表情で華麗に踊ってみせた。その流れを汲んで、次を受けた沙那のシンプルな振り付けがまた見事に雰囲気を演出する。サビ前の区間を受け持った憶人は、徐々に動きも雰囲気も激しく盛り上げていった。
そして、サビに入り、センターの霧香がそれまでのすべての流れを受けて、輝き始めた。
オフボーカル版だから歌はない。それほど激しいわけでもない。だからこそ、霧香は観る者にありのままのメッセージを届けることができた。
振り付けを理想の位置にぴたりとはめ込んでゆく。足さばき。腰。姿勢。腕の振り。視線。緩急。身体のすべてを調和させ、霧香は踊る。
鮮やかに、美しく、観る者すべての記憶に映り込んでゆく。その途方もない手応えが、霧香に伝わる。震えそうになる身体を、霧香は懸命に抑えた。
サビを抜け、アウトロの儚げなピアノの旋律が、霧香のソロの余韻を心地よく引き伸ばす。そのまますうっと消え入るようにして、霧香たちの発表は終わりを迎えた。
“今、みんなの中に私は確かにいる”と、そう霧香は確信していた。今までにないほどの達成感があった。たとえわずかな間でもこれほど強く残ることができるのだという、紛れもない証明だった。
大きな歓声に浸る霧香の姿は、長い旅路の果てに願いをひとつだけ遂げた旅人の姿に重なった。それは憶人の目から見たものだったが、他の者もほとんど同じように感じていた。
消えることにばかり目を向けることはない。一瞬でもなにかを残せるのなら。霧香にとって、そんな考え方を見つけたことは、まるで霧の中で導きを得たような、素晴らしい経験だった。
九月四日。その日最後の授業の終わりを告げるチャイムを、霧香はこの上なく清々しい気持ちで聴いた。




