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霧の中の記憶  作者: 雪原たかし
霧中の試行
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沙那との帰路

 六時きっかり。沙那は校門の横で待つ憶人と沙那のもとへたったっと走ってきた。

「お待たせ……洲本さん……憶人……」

 沙那の息は切れていなかった。

「洲本さんの家って……どの辺りにあるの……?」

「ああ、俺の家の近くだってよ」

 憶人が霧香の代わりに答える。

「そう……ちょっと待って……」

 忘れ物だろうかという霧香の予想は、実際と異なっていた。

「な、なに?」

「……」

 沙那が霧香の顔を、もっと細かく言えば目元をじいっと見つめている。

「なにやってんだ?」

 憶人の問いには答えず、沙那は霧香に訊いた。

「洲本さん……泣いてたの……?」

「えっ? あっ……」

 涙をたくさん流したことで、霧香の目元は赤くなっていた。

「えっと、これはその――――」

「憶人……泣かせた……?」

「あ~……」

 間違いとは言い切れないと思ってしまったせいで、憶人は言葉に詰まった。その反応が余計に沙那を不信へと誘う。

 だが、そんな微妙な誤解を、霧香はきちんと察していた。

「『霧の中の記憶』を読んだのですよ。それで感動してしまいまして……」

 恥じらい方が絶妙だった。

「あぁ……あれはなかなか……確かにそれなら……」

 うまく納得を引き出せたようで、憶人は安堵した。

「じゃあ……帰ろっか……」

 沙那の言葉を合図に、憶人が先行し、その後ろに霧香と沙那が続いた。




「ということは、城崎さんは芦屋さんの小説の編集者さんでもあるということですか?」

「憶人は……いつも文法から間違えるから……わたしが拾ってるの……」

 背後の会話に傾注するか否か、憶人は悩みながら歩いた。そんなふうに悩んでいる間にも、その会話は耳に入ってきていた。

「それは知りませんでした。あの整った文章は城崎さんと協力して作られていたのですね」

「お手伝い……みたいなものだよ……」

「では、ストーリーにもなにかアドバイスをすることはあるのですか?」

「いや……わたしだと憶人の想像力に敵わないの……」

「そうなのですか?」

「たぶんだけど……いつかわたしの手伝いが要らなくなったら……その頃には作家になってるかもね……」

「それほどの才能が……いえ、確かに十分考えられますね」

「読んだのは……『霧の中の記憶』だけ……?」

「えっと……そうですね」

「だったら……すごく見る目があるね……洲本さんは……」

「そうですか? それはうれしいことですね」

 結局、憶人は聴こえてくる会話に成す術がなかった。

 折よく、三人は丁字路にたどり着いた。

「ここで別れることになるな」

「洲本さんは……そっちなんだね……」

 沙那は左、憶人と霧香は右へ曲がることになる。名残惜しいのか、沙那は自然とカーブミラーの下へと歩み寄り、憶人と霧香も沙那についていった。

「まあ、俺は別に要らなかったな」

 校門から丁字路に着くまでの道中で、憶人は一度も口を開いていなかった。

「そうだね……予想外……」

 長年の経験がなければ分からないほどのわずかな笑みを、沙那は浮かべた。

「初めてのことを知るのは、やはり楽しいですね」

「楽しかった……わたしも……」

 沙那がしみじみと呟く。

「明日も一緒に帰りませんか?」

「もちろん……いいよ……」

 霧香と沙那が微笑みを交わす。

「不思議……なんだか初めてじゃないみたい……」

 憶人は沙那の言葉に大きく反応しそうになった自分を必死で抑えた。

「そうでしたか。実は――――」

 その瞬間、話の流れが危険な方向に変わる予感が憶人の思考に閃いた。憶人はとっさに霧香の言葉を遮ろうと身構え――――

「私もそう感じていました。不思議ですね」

 霧香の言葉を聴くとともに、杞憂の安堵が憶人の身体から素早く緊張を打ち消した。

「では、また明日お会いしましょう」

「バイバイ……すも……霧香さん……憶人……」

 照れ隠しに自分の名前を使われ、憶人が苦笑いになる。沙那は憶人と霧香に背を向け、歩き去っていった。

「かわいいですね」

 沙那が角を曲がって見えなくなってから、霧香はそう言った。

「口調戻ってないぞ」

「……流してくれてもいいじゃない」

 ささやかにむくれた霧香を少しかわいいと思ってしまったことを、憶人は言わないでおこうと決めた。

「さあ、これでどうなるかなぁ……」

 その答えは時間が経たなければ分からないものであるということを、二人は理解していた。

「また明日……」

 霧香が沙那の去っていった方へ手をかざす。指の間からはなにが見えているのか、憶人は知りたいと思った。だが、その仕草をしたのはほんの一瞬だけで、霧香はすぐに振り返ってまた歩き始めた。

 公園には立ち寄らなかった。“静かな転校生”が戻ってきたかのように、霧香はなにも話さず、憶人も黙ったままだった。

 霧香と憶人がそれぞれの家へ分かれてゆく曲がり角へやってきても、霧香は憶人になにも言葉をかけることなく、自分の家のほうへ歩き去っていった。

 憶人はふと空を見上げた。星がいくつか瞬き始めていた。それらの間を満たす黒を眺めているうちに、憶人はその空間に得体の知れない恐怖を感じた。

 得体は知れずとも、憶人はその恐怖の理由を知っていた。




 霧香の九月三日は、静かに終わりを迎えた。

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