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霧の中の記憶  作者: 雪原たかし
洲本霧香、転校生
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落差の自己紹介

 大丈夫だ。私はできる。彼女はそう自分に言い聞かせた。

 教師の後ろについて廊下を歩く彼女は、転校生だ。

 新しく彼女のクラスメイトになる者たちは、誰も彼女のことを知らない。それが当たり前なのだということを彼女は知っている。ただ、彼女にとってそれは当たり前だと思いたくないことだ。

 教室の近くに着き、教師に少し待っておくよう言われ、彼女はこくりと頷いた。教師は廊下を曲がって去り、まもなくチャイムが鳴った。

 彼女は廊下の壁に触れた。冷たいコンクリートの壁の向こうには彼女のクラスがある。少しだが声が響いてくる。彼女はそのまましばらく、そのわずかな音に耳を傾けていた。

 九月六日。月曜日。夏休みが明けてからおよそ一週間。そんな時期に彼女が『転校生』になった理由は――――




 始業前の教室、南側の窓際の後方の席で、周囲の騒がしさをよそにひとりの男子が本を読んでいる。やや背が曲がっていて、綺麗な姿勢とは言えないが、ページめくりなどの所作は不思議と様になっている。クラスメイトは誰もが談笑していて、本を読んでいるのは彼だけだ。

 まもなく始業のチャイムが鳴り、担任が教室に入ってきた。これから朝のホームルームだ。

 すると、「セーフセーフ!」と言いながら、彼の後ろの席にひとりの男子が慌ててやって来て、前の席に座る彼に話しかけた。

「おっはよう憶人~ってなんだよお前、昨日にもまして雰囲気が死んでるな。大丈夫か?」

 憶人と呼ばれた彼はパタッと本を閉じ、机の中にしまった。

「十夜からどう見えたのか知らねえけど、俺はただ本を読んでいただけだぞ?」

「まあ、なんでもねえんならいいや」

 十夜と呼ばれた男子が憶人のほうへ体を乗り出して声量を落とす。

「てか、そんなことより、実は今日、このクラスに転校生が来るらしいぞ」

「ああ、知ってる」

「えっ、お前ストーキングやって――痛っ!」

 憶人が十夜の頭をはたいた。

「人聞きの悪いことを言うなバカ」

「冗談冗談。ハハハハ」

 十夜は明るく笑った。

「おい朝来。お前の冗談とやらはいつになったら終わるんだ?」

 十夜に皮肉を飛ばした担任は、二人が話をしている間にもう転校生の話を終えていた。

「まぁまぁ先生。今の時代、急げば誰もが待たされる時代ですよ」

 十夜が人差し指を振りながら言った。

「お前は自分が待たないだろうがッ!」

「ウイッスすいませ~ん」

「なんて態度をッ……」

「せんせぇ~、俺たち早く転校生に会いたいんですけどぉ~」

「お前が黙れば済む話だろッ!!」

 教室に笑い声が満ちる。十夜がふざけ、担任がいきり立つという一連の流れは、このクラスではいつものことだ。

 そんな騒がしい教室に、ひとりの女子が入ってきた。

 だが、クラスメイトは皆、後ろの十夜のほうを向いて笑っていて彼女に気づいていない。

 最初に気づいたのは担任だった。

「あっ、おい……」

 担任は彼女に声をかけたが、彼女は担任を押しのけるようにして教卓へと真っ直ぐに進み、クラスメイトたちのほうへ正対すると、板のように薄型化したカバンを教卓へ強かに叩きつけた。その大きな音は皆を振り向かせ、同じ高校の制服を着て、同じ二年の学年章を着けていながら、まったく記憶にない彼女の姿をようやく皆に気づかせた。

 一目見るだけでいつまでも忘れられなくなるような、彼女の美しくも可憐なその姿を。

「洲本霧香です。私個人の都合でこの学校に転校してきました。私は待つのが嫌いです。あまり待たせないでください」

 右手をカバンに、左手を腰に当て、一瞬たりとも十夜から目を逸らさずに、霧香は言った。そして十夜から目を離して直立すると、「これからよろしくお願いします」と礼をした。

 顔を上げた霧香はクラスメイトに微笑んだ。厳しい言葉と、優しい雰囲気。さらには完璧なまでに魅力に満ちている容姿。その差に誰もが振り回され、同時に魅了されてしまっていた。

 どれくらいの間が空いたか、十夜が苦笑いしながら「マジかよ……」と呟いた。

 憶人は霧香が教室に入ってきてからずっとクラスメイトの様子を眺めていた。

 担任は言葉を無くしていた。

 そして霧香は――――変わらずに微笑んでいた。

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