第一章-3
二人が黒猫に案内された先は、人気のない丘の上だった。東の市街地を見下ろす位置にあり、遠景にはアルタイルとベガも視界に収まる。
時は夕暮れだ。町並みは一様に橙に染まり、両脇の塔に庇護されて眠りにつく準備を始めている。
そして『彼女』はそこにいた。丘の頂上付近の斜面。腰を下ろし、吹き降ろしの風に金髪を靡かせながら、幼子のように膝を抱えて眼下に広がる街を眺めている。
黒猫は最後に彼女の頬に顔をこすり付けると、その胸の中に飛び込むようにして姿を消した。だが、彼女はその間も視線をずっと前に固定していた。英一達が来たことに気付いていないはずはないが、無言で夕日に照らされるがままのその顔は、昨日から様々な挑発を繰り返してきた人物という実像とかけ離れて見える。
英一と葉月は、戸惑い気味に目配せを交わした。本当に彼女が、昨日英一を昏倒させた女と同一人物なんだろうか──。
だが、彼らがそう困惑していられたのはごく一時のことだった。
彼女はおもむろに立ち上がって腰をぱんぱんとはたき、英一と正面から目を合わせた。逆光の中、どこか儚げに笑う彼女は、なぜかそのブルーの瞳にかすかに涙を湛えていたように見えて二人の目を奪うが──次の瞬間には、表情を一変させた。
飼い猫が先刻見せたように、にたりと──邪悪に。
「こんばんは。まだこんにちは、かしら?」
寸刻前までのどこか儚げな印象は、一息に吹き飛んでいた。夕暮れが運んだ幻想だったのかと疑いたくなるほどの豹変振り。はっと気付いて遅まきながら身構えた二人だが、幸いにして相手に攻撃してくる気配はなかった。
「招待が遅れてごめんね。これでも色々ある身なの。さっきまでは待ち時間だったから、あなたたちの通う学校を見物させてもらってたわ」
「いつのまに……」
葉月が底冷えのする声で呻いた。図書室に篭りきりだったとはいえ、同じ構内で好きにさせていたのかと思うと忸怩たるものがあるのだろう。
「そんな睨まないでよ。良い学校よね。活気があって、おおらかで。制服を拝借してたからって、この髪と瞳じゃ大目立ちなのに誰も疑わないし。ナンパもされちゃった。僕と星間飛行で人種と大気の壁を飛び越えてみないか、とか。あれ、これってプロポーズだったのかしら」
「……そういうこと言いそうな奴に一人心当たりはあるが」
英一は眉根を押し揉んだ。むしろ他にありえない。ありさの兄の奇行ぶりは、表に出てくるぶん妹よりもタチが悪い。
「奴は変人だから相手するのはやめておけ」
「うん、そうする」
英一の忠告に彼女はけらけらと笑って、
「でも楽しかったな。生徒として通ってみたいかも」
「ふざけるな!」
そこで葉月が爆発した。英一を手で制して、相手に一歩迫る。
「お前は昨日英一に何をしたと思ってるんだ!」
「何をした?」
「──え」
その隙に。相手は数歩を詰めていた。
「あなたは、私が彼に何をしたか、わかったの?」
予期せぬ状況に、葉月は硬直している。その頬に女の指が触れた。息がかかるほどの、距離。
「不思議だわ。本当に不思議。あれは常人だとまず理解できないものなはずなのだけど。──ねえあなた。ハヅキだっけ。本当の本当に、あれが何かわかったの?」
「く!」
ねっとりと、まとわりつくように頬を撫ぜられた葉月が、大きく腕を振り払う。女は身軽に飛び退ってそれを避け、再び距離を置いて相対する形となった。
「……お前は一体何者だ。なぜ英一を襲う」
底冷えのする声で葉月が質す。英一でも滅多に耳にしない調子。本格的に怒り始めた証拠だった。
「あら怖い。意外とあなたの方が直情的なのね」
「敵と言葉遊びをする趣味はないからな」
「残念ね。私は道化師だから、遊びこそが本領なのに」
「道化師?」
英一が問い返すと、彼女は芝居がかった調子で一礼して見せた。
「そう。道化師──ピエレッタ。周りの人間は私のことをそう呼ぶ。もちろん本名じゃあ、ない。でも生まれ持った名前はとっくに捨ててるから、他に呼び名はないわ」
「……ピエレッタ」
英一はその名を舌に乗せて呟いてみた。響きからすれば、ピエロの女性形なのだろう。らしくはあるが、人を食った名だった。
(だが、それでも──)
英一は視線で葉月を見た。通り名でどこまで身元が特定出来るか怪しいが、試す価値はある。目で頷いた少女は彼の背後に回り、諒子との通信を取り始めた。
だが続くピエレッタの言葉で、その行為は中断させられることとなった。
「ああ、あのお姉さんに連絡する必要ないわよ。あっちにも『私』が行ってるから」
「……どういうことだ?」
「つまりこういうこと。ではここで中継を繋げましょう。市庁舎のピエレッタさーん?」
不可解な呼びかけと共にピエレッタが腕を振ると、突然その場に大きな映像が浮かび上がった。
横に長い楕円形のそのビジョンの中には、どこかの会議室が映されているようだ。大きな円卓を、ちょうど手前から撮影しているかのようなアングル。そのテーブルの、向かって左端に諒子。正面奥にはマスコミでよく見かける中年の男性が座り、右側には軍属らしき制服を着込んだ男が苦々しく顔をしかめている。
そしてテーブルの手前。円卓に座した彼らに記者会見でも申し込みそうな位置に、今すぐ目の前に立っているはずの──ピエレッタがいた。
「記録映像? ……じゃあないよな」
「もちろん。この映像は現在の市庁舎会議室をそのまま映してるわ。まあ大した手品じゃないから種明かしすると、あちらの私はただの幻影よ。そしてあっちはあっちで色々お話させて頂いちゃってるってわけ」
機材を使っている様子もないことから、手品どころか途轍もない能力に思えたのだが、英一は口を噤んでいた。おそらく、この映像は双方向だ。向こうからもこちらの様子が見えるに違いない。そして、だとしたら自分達は、中間職を飛ばして一番上の上司の目の前に立たされているようなものなのだった。
テーブルの真ん中に座る男性は、比嘉宗平という。肩書きは市長。すなわちポラリスの現行政府体制における最高権力者である。先々代市長の嫡男にあたり、若い頃は典型的な放蕩息子っぷりで政敵やマスコミの格好の攻撃の的となっていた人物だ。しかし、10年ほど前の父の突然の死去より人が変わったように政治的才覚を見せ始め、後釜に納まっていた先代市長を僅かな期間で更迭、自ら市長にのし上がる、という立志伝的な経歴を持つ。その甘いマスクと辛辣な弁舌は主婦層からの支持を多く勝ち取り、若き時分のやんちゃぶりすらもが古き良きヒーロー像に結び付けられ、今と張っては名実ともにポラリスの顔といえる存在だ。
だが英一はこの男が好きではなかった。上からの指示は全て諒子が間に入っているため直接やり取りしたことはないが、映像で見るだけでもわかる。切れ者なのは間違いなく、実際ポラリスの発展に寄与した功績は数えるのも億劫になるほどなのだが、その一つ一つの所作がどこか演技めいていて距離を感じさせるのだ。
さておき、この遠隔通信の口火を切ったのは市長自らだった。円卓に肘を付いた彼は、両の手を顔の前で組みながら口を開いた。
「それで、この茶番はいつ終わるのかな」
落ち着いた、遊びを許さないその問いを、しかし2人のピエレッタは軽く受け流した。
「時間を取らせて悪いけど、これからが本番よ、市長。私は一介の道化師。そして312番目の小惑星。宇宙にはもっともっと巨大で素敵な星が溢れているのだから」
「どういう意味だね?」
「それはまた後で。まずは、私からの要求を告げましょう」
二人のピエレッタはそう言って、先ほどのように腕を一振りした。途端、それぞれの手に1本の杖が現れる。
彼女らは杖をくるくると回してから、やがてその先端でぴたりと一つの方向を指し示した。
「え」
2つの位置から指定されたため、見間違えようがなかった。誰の目から見ても、彼女らは──英一に杖を向けているのだ。
「私の目的は、彼。彼と勝負をさせてもらうこと」
「……なぜ俺なんだ?」
そう問いつつも、英一にはさほどの驚きはなかった。ある程度は予測できていたことではある。ただなぜこの場で、市長達を巻き込んで話す必要があるのかがわからない。
それもここで明らかになるのだろうか──との淡い期待を、ピエレッタはあっさり裏切った。
「それはもちろん、ひ・み・つ。よろしくー」
少女は、友人に接するように気安く英一にしなだれかかってきた。まさに茶番染みた空気が流れる。
円卓右に座した軍人風の男が刺すような眼差しを向けた。
「貴様は何を考えている? 乳繰り合いたいのならどこぞで勝手にやっておればよかろう」
「あらいいの? この勝負の賞品は、あの塔なんだけど」
そう言って、軽い調子でこちら側の彼女が順に指差したのは、アルタイルとベガだった。
会議室のピエレッタは無動作だが、塔という単語だけで市長達は察したようだ。比嘉が伏せていた瞼をつと持ち上げて問う。
「どういうことかね?」
「わからない? 勝負はアルタイルとベガを賭けて行なわれる。賞品と言ったけど、実際はもっと直接的なもの」
二人のピエレッタは、そこで同時に、大きな笑みを浮かべた。
「今夜行なわれるのは、アルタイルとベガを破壊しに現れた私をエイイチ達が阻止する、そういう勝負。──わかるでしょ?」
それは道化師よりも、悪魔と呼ぶに相応しい笑み。
「私はね、このポラリスをぶっ潰しにきたのよ」




