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第一章-1

 荒漠こうばくとした大地に、一人の女が立っている。他には何もない。地平線の彼方からの光だけが、その痩躯そうくを照らしている。

 だが女には見えていた。ここでありながらここではない場所に、無数の影が蠢くのを。

 彼女はオーケストラの指揮者のように腕を振り上げた。その手には22枚のカードが握られている。1枚1枚を次々に空へと投げ打ちながら、女は朗々と声を響かせた。

 

「偽りの地平線の彼方。静謐せいひつの楽土に黒い翳が蠢く。長く生き、死を欲する者どもよ。汝らこそは征服の兵器なり。

 ああ。ああ。されども汝らは我が宮を取り囲む。我に向かいて香料を燃やす。故に我は去らねばならぬ。この輝かしき聖域を。

 我には見えぬ。ただ暗黒と、死と、無明むみょうとがある。時そのものが、かくのごとく軋み出す。夫も。娘も。同胞はらからも。民も。全ては我が喰らい尽くしたが故に。

 ああ。だがそれはそのようにあるべきだったのだ。然るに我が心には歓喜すらもが存在せぬ。

 我は論を待たぬ。我は地獄に落ちゆく。後達者こうだつしゃよ、火と血とをもって我に呪いをかけよ。立ち上がり、目覚め、高次へと至れ。

 とこしえに、かくのごとくあらんがために過酷な試練を超えよ。杖のわざと剣のわざとその身の業とをもちて歴史の総体を打ち崩せ。

 あたう限りの航跡を辿れ。

 森羅万象を結び上げろ。

 そしてやがて死が降り来たるならば。

 ああ、ああ。

 空よ、輝け」


 ◇


 ◇


 ◇


 ぱちり、と目が開いた。

 唐突な覚醒だった。

 まるで夢の世界から逃げ出してきたかのようだった。

 目覚めた英一は、すぐに自分が病院のベッドに寝かされていると悟った。

 それから、一度強く目を瞑って、その"現実"を噛み締めた。


 なぜ、病院にいるのかはわからなった。

 だがそんなことは後回しだった。

 ただ、

(良かった)

 と思った。

 薄暗く灯る蛍光灯の光に目を細めながら、良かった、こっちが現実だ、と思った。


 短い夢だった。

 夢だった、ように思えた。

 荒廃した地に立つ一人の女の姿。

 ひどく寒々しく、そのくせ紛れもない昂揚があった。

 それは悲劇的であり、喜劇的でもあった。

 だが問題なのは、女がそんな己に全く頓着とんちゃくする様子がなかったということ。

 それが、なぜか恐ろしく。

 ゆえに彼は、あの世界に一秒たりともいたくないと感じたのだった。

「英一……?」

 呼び声に首だけを起こして目を向けると、泣き腫らしたような顔がこちらを見ていた。そういえば、腹にはずっと僅かな重みがあった。理知的な切れ長の瞳を、いつになく見開いている葉月。ああ、なんか心配させてしまったみたいだな、とぼんやり思った次の瞬間には、首筋に思い切り抱きつかれていた。

「はづ、き。お前、貧血は?」

「そんなことより、お前のことだ!」

 耳元で怒鳴られ、一気に意識が覚醒する。同時に思い出される記憶。

「ああ、そうか。俺は、あの時……。俺は……どうなったんだ?」

「わからない……ただ、いきなり倒れて……!」

「……そっか」

 短く、嘆息する。少し喉が苦しいが、これも現実だからこそ感じられるものだ。英一は頬を擦り付けんばかりにしがみついてくる少女をどうなだめようか考えながら、ふと病室の入り口を見遣った。

(げ)

 目が合ってしまった。偶然、ではないと思う。わざと気付かれる位置にいたと考える方が妥当だ。

「……あー、諒子りょうこさん?」

「あら、ばれちゃった」

「何を白々しい」

「てへへ」

 可愛らしく舌を出しながら、諒子と呼ばれた部屋に入ってきた。不思議と似合った仕草だったが、外見はあくまでやり手のキャリアウーマンだ。英一も正確なところは教えてもらえていないが、アルコールを浴びるほど飲んで問題ない年齢なのは確かだった。

(これでも一応、上司様だしな)

 英一は女性が近づいてくる前に上半身を起こし、居住まいを正した。気付いた葉月も急いで身を離す。

「どうしたんですか? 直接来てくれるなんて。まさかベッドの住人を飲みに連れ出そうってんじゃないでしょうし」

「未成年がナマ言わないの」

 言いながら諒子は葉月とは反対側の椅子に腰を下ろし、ふむ、と英一の顔を覗き込んできた。胸元からペンライトを取り出し、瞼に指を添えて開く。

 石動いするぎ諒子。若くしてポラリスの市長──実質的な最高権力者である──の直属となったことで知られる才女である。現在は英一達のような星幽体と対峙する人間を管理する任を帯びているが、同時にカウンセラーとして心のケアまで担当する役をこなし、更には彼女自身もSPとしての実績を残している。

「案外平気そうね。脳波に異常がないのは確認済みだったけど、葉月ちゃんの取り乱しっぷりが凄かったからこっちも引きずられちゃったかしら」

 諒子はからかうような視線を葉月に向けた。が、葉月は動じない。済まし顔で枕元の果物かごからリンゴを手に取り、ナイフで皮を剥き始める。

「む、つまんないわね。まあいいわ、本題に入りましょ」

「そういえば別の用事があったんですよね」

 先刻は、英一が目覚めてすぐ諒子が部屋に入ってきた。つまり、ずっと病室の前で彼の目覚めを待っていたということだ。多忙な彼女のことである。心配はしてくれただろうが、それだけで彼を何時間も待ったりはしないはずだ。

「……っていうか、今何時だ?」

 英一は今更ながらに窓の外の様子に気付き、愕然とした。暗い。市街地から離れた病院の周囲は闇に沈んでおり、遠くの送電タワーが放つ夜間照明が一直線に彼の目に飛び込んでくる。

「時計を見なさい時計を。23時よ。貴方はほぼ半日意識を取り戻さなかったってわけ。で、その間にこっちでも色々あったという話」

「……伺います」

「よろしい。では時系列で話すわ。まず、貴方が倒れたという連絡を、葉月ちゃんが病院にした。救急隊が到着した時には、葉月ちゃんも貧血で昏倒。現場には他に誰もいなかった」

「てことは、あの女は?」

 英一の問いに、葉月がふるふると首を振る。済まなそうな顔をされたので、英一はその頭にぽんと手を乗せた。

「続けるわね。その後すぐに葉月ちゃんは目を覚ましたから、病院経由で連絡を受けてた私が電話で状況を確認。君の容態と、その謎の女とのやり取りを聞き出した。で、電話は一旦おしまい。もちろん君は心配だったけど、私は自分の仕事に戻った」

「でしょうね」

「けど、その後突然、私に古巣から連絡が入った」

「古巣?」

「話したことなかったっけ? ほら、あの丘沿いにある寺啄てらつつき駐屯地。あそこにいたことあるのよ、私」

「軍属時代もあったんですか、諒子さん……」

「所属上は情報仕官だけどね。それもスパイとかじゃなくて、あくまで事務屋名義」

 諒子はさらりとそう口にしたが、英一達は顔を見合わせた。どうせ他の仕事も色々こなしていたんだろうなと目で会話する。

 それを見て取った諒子がこほんと咳払いした。

「ま、それはそれとして。どんな連絡だったかっていうと、まあ、ぶっちゃけると」

「はい」

「基地、壊滅したそうよ」

「は?」

「もうあっという間だったらしいわ。他から軍を移動させる暇もなし。だからかえって目立たないで済んで、緘口令かんこうれいも効いてるわけだけれど」

「ちょ、ちょっと待ってください、だってあそこって」

「ポラリスの戦力のおよそ3割が集まった西方の要。今は計画が途絶したけれど、環太平洋防衛構想ではコロニー『ハイドラス』と連携して副幕僚室が置かれる予定だった。人口に比しての戦力コストが高すぎるとして各種市民団体からの反発も根強い。鬼軍曹と呼ばれる高田大尉の名前で押さえ込んではいたけれどね」

 まあそれも過去の話になっちゃったわけ、と諒子が肩を竦める。

「嫌味なものよ。明らかにわざと建物や武器・弾薬類だけを破壊していった。人的被害はたったの1名。落ちてきたコンクリで頭打ったとかの怪我人はいるけど、ベッドに寝かされて治療が必要なレベルなのは、攻撃してきた相手に果敢なのか無謀なのか単独で立ち向かったオジサマだけ」

「……その1名っていうのはもしかして」

「そ。例の鬼軍曹。そして実は私の元上官。私がここにいるのって、大尉のお見舞いも兼ねてたりするのよ、これが」

 なぜかレーダーでも捉えられなかった侵入者に追い縋ることが出来たのは、高田大尉だけだったらしい。相手は積極的な殺人こそしなかったが、立ち塞がる相手には容赦なかったようで、結果として彼は瀕死の重傷を負ってICUに叩き込まれている。

「あの人が死ぬとは思えないけど、ていうか早速再戦させろと喚いてるけど、とりあえずその話は置いておくとして」

 諒子は葉月が切ったリンゴを指で摘まみ、ぱくりと飲み込んだ。

「信じ難いことだけど、敵が複数いた形跡はなかった。そして軍曹は侵入者の姿を間近で確認している。その特徴は、ブルーの瞳と金の髪、だったそうよ」

「たった一人で……しかもあの女が?」

 およそ常識外の話だ。だが諒子に冗談を言っている様子はない。

「ということで、君たちが会った女と基地襲撃犯がイコールだと仮定すると、そいつの今日の行動が見えてくる。つまり、そいつは君を何らかの手段で昏倒させた後、基地を襲って立ち去った」

「なぜそんなことを……」

「一つ仮説があるわ。こう言ってはなんだけど、君たちと基地丸ごと1つじゃコロニーにとっての価値が違いすぎるもの。単なる気紛れっていう可能性を除外した場合、この2つを順に襲う理由がないのよ」

「それはそうですね」

 別に異論はなかった。ただの──ではないが、未成年者2人と戦略上重要な基地拠点1つ。比べるのも馬鹿らしい話だ。

「でも消去法的に考えていくと、まさかなと思う接点が一つだけあった」

「それは?」

「うん。つまり、私がこうして君たちに話をしていること。これが理由」

「どういうことです?」

「さっきも言ったとおり、私はあの基地の出身者。そして今は──」

 諒子はそう言って、英一の眉間に指をすっと突きつけた。

「君たち異能者と市長との間を繋ぐ秘密の敏腕エージェント」

「秘密ってわけじゃないと思いますけど」

 積極的に公にしていないだけで、特に秘匿されているわけではない。ついでに敏腕という表現についても触れないでおく。

 施設の出身者は皆異能を持つ。逆に言えば、そうした者を集めたのがあの施設だったということだ。そして様々な訓練を経て『卒業』した者は、正式に政府の管理下に置かれて公務員となり、その能力を公のために役立てる義務を負う。葉月は多少特別扱いされており明示的な義務は課されていないが、施設出身者は殆どが同様の責務を果たしているはずだ。

「でも軍からは嫌われてるからね。あちらさんは声が大きくて困るわ」

「自分もいた場所でしょうに」

「だから、よ。どうして私が今こんな仕事をしていると思ってるのよ。……まあそれはさておき、話を戻すわ。ここまでの話で予想ついたかもしれないけれど、基地と君たちの共通項、それはすなわち──私」

「諒子さんが? 狙われているということですか?」

「残念ながら違うと思うわ。私はただのパイプ役だもの。そして規模は違えど基地は壊滅し、君たちは見逃された。この違いは何? 壊滅させた相手にこれ以上用なんかないはずよね? そうやって考えていくと、結論は一つしか残らないの」

「……何か嫌な予感が」

「ご名答」

 顔をひくつかせる英一に向けて、諒子は殊更に大きくため息をついてみせた。

「彼女の目的はおそらく君たち。寺啄を攻撃したのは単純な力の誇示であると同時に、両者の接点である私をこうして君たちへのメッセンジャーに仕立て上げ、昨日の接触が偶然でもなければ遊びでもないことを伝えるため。……軍曹にはとてもこんなこと言えないわね。自分達がただの挑発の材料として使われたなんて知ったら、全身に爆薬巻いてあの女のとこ向かいかねない」

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