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序章-6

「あんまり無茶してくれるなよ」

「すまない」

 そんな、背中越しの会話。だが今は先ほどのように自転車に二人乗りしているわけではない。あの後、葉月が貧血を起こして倒れてしまったため、英一が負ぶって戻る最中なのだ。

「で、どういうことだったんだ?」

 言いたいことは色々あるが、まずはさっきの老婆たちの件だった。

「まず、幽霊のお婆さん──早紀さんというらしい──の夫の方だが」

「ああ」

「早紀さんは、彼からずっと暴力を受けていたようだ」

「……まじか」

 絶句した。情けなく泡を吹いて倒れていた老爺の姿を思い返すが、あの老人が妻に日々手を上げているイメージがどうにも浮かばない。

「じ、じゃあ、あの婆さんが実は良い奴なのか?」

「それも少し違う。姉妹仲は良くなかったようだし、あの男性の言っていたことも本当なのだと」

 たしか、老爺のもとへ渡るはずだった遺産をかなり強引なやり方で奪い取ったのだったか。それに相当金をつぎ込んだことも事実らしい。もしかしたらマイナスになるほどだと。つまり、老爺への単なる嫌がらせでやったのだろうか。

「ここからはもう話してもらえなかったのだが……」

 たぶん、と前置きして葉月は言う。

「あのご婦人は、姉が大事だったのだと思う」

 それは、終わった後だから言える表現だった。偽善的だな、と葉月は自分でも思う。嘘ではないが、婦人が姉に抱いていた感情はもう少し湿ったもののように思えた。

 たとえばそれは、執着と呼ぶようなたぐいの。──自分が彼に抱いているのと、どこか似ている感情だ。

 婦人にとって、老爺はどうでも良い存在だったのだろう。ただ、姉のものが他人に渡るのが許せなかった。姉の全てを、自分のものにしたかった。

 そして、老婆から流れ込んできた感情の中には、そんな妹を嫌う一方で、どこかその歪んだ愛情を受け入れているような気持ちが混じっていた。

 だから、「やれるもんならやってみな」だったのだろう。あれは挑発であると同時に叱咤でもあったように葉月には思えるのだ。

「わかんないもんだな」

 そんな葉月の内面を全て理解したわけではないだろうが、英一も大きく嘆息した。彼にも彼なりの力があり、それは葉月のものよりもずっと直接的なものであったが、今回のような場合は何の役にも立たなかったはずだ。幽霊を見る能力を見鬼の力と呼ぶ場合があるが、あの老爺のように生きている側が鬼と化している場合もある。自分の仕事の範疇ではないと言えばそれまでだが──簡単に割り切れるものでもない。

 そうやって、二人それぞれに先ほどの出来事を反芻するうちに、墓地の入り口が見えてきた。しかし貧血の葉月を二人乗りさせるわけにもいかない。英一は葉月を背負ったまま門を通過し、そのまま帰途に着く。自転車は後で取りに来ればそれで良いだろう。

「すまない」

「いいさ」

 墓参りはふいになってしまったが、英一は気にしていなかった。今日が命日──『処置日』だと聞かされはいるものの、死んだ時のこと以前に、彼には母親の記憶そのものがない。

 何より──あの墓の下に母がいないことは十分に理解しているのだ。

「あそこだと、『塔』がよく見えるってだけの話だったしな。本当は、ここからだっていいんだ」

 彼は立ち止まり、墓地を振り返った。正確には、墓地の西側、陸地に海が深く切り込んだ、幾つもの崖が連なるエリアを。

 あの区画は、立ち入り禁止になっている。地形が危険だからではない。コロニーにとって極めて重要なものが設置されているがゆえだ。

 崖の合間より屹立する、白磁はくじの塔。デネブと呼ばれるそれは、コロニーを守る3つの『核』の1つであり、そして、英一の母が眠る場所でもあった。

 

 ◇


 避難所としてコロニーを建造したとはいえ、それで星幽体からの攻撃が止んだわけでははない。徐々に追い詰められていった人類は、壊滅的状況下で1つの対抗策を生み出した。それは多分に倫理性を欠くものでありながら、窮余の一策としてろくに議論もないまま強行されたらしい。

 滅亡から逃れるための最後の手段。それは、つまるところは──人身御供ひとみごくうだ。

 人々は停滞を望んだが、一部の研究者たちは星幽体についての研究を密かに続けていた。その過程で、人の精神の様々な側面を数値化する試みも一定の成果を挙げていた。そしてそのうちの1つ、一般的には『深さ』と形容される領域において、異常な値を叩き出す者たちの存在が明らかにされていた。彼らの心は、深いがゆえに精神体に対して耐性があった。いくら狂ったところで精神体も元は普通の人間だ。その影響範囲は一定の深さに留まるため、彼らの心を浸食しきれないのだ。

 彼らの存在は、このような特性から、当時すでに一縷の希望として期待されていた。中には──無論数値のことは公にしていないが──宗教家として成功を収めていた者もいる。研究者の一人であった英一の父が母と知り合ったのもこの頃だったと、英一は聞かされている。

 だがそれは、まだ人類に余力があった時の話だ。時間があるならば、彼らの人格を損ねぬまま、その強く健常な精神を系統立てて分析出来たかもしれない。そしてやがては、たとえば他の人間を同じ『深さ』にして、耐性を付与するようなシステムを構築出来たかもしれない。

 しかし、研究者たちが考えていたよりも状況の悪化は速く進行した。悠長に研究などしている間に、人類は滅亡してしまう。そんな状況下に置かれてしまったのだ。

 後のなくなった研究者たちは、そこで一つの決断をした。これまでの成果を公にし、残された者の命を守るため、彼ら特異な精神性を持つ者を犠牲に差し出すことを提案したのだ。

 無論、そこに救いの手などあるはずもない。先の宗教家ですら信徒に裏切られた。そのことごとくは捕らえられ、世界の各地に少数ずつ割り振って移送された。ここポラリスへは3人だ。そして、英一の母を含む彼女らは、10km程度の距離を置いて三角形に配置された塔に幽閉され、生体機構の殆どを凍結されながら、その精神のみを増幅器に連結させられている。そこで増幅した精神は、一定の深度を維持しながら半径数kmの範囲に渡って放射状に広がり、コロニーを守っている。いわば密度の低いバリアだ。星幽体はコロニーに侵入しようとしてこのバリアを攻撃しても、効果がないと悟るやすぐに諦める。彼らの内面は支離滅裂の極みであり、およそ1つの物事に拘泥することを知らないから、ちょっと壁を設けてやればそれを越えようとはしない。本当は攻撃しようとしなければ弾かれるものではないのに、それに気付かず帰っていく。思考力がないもの限定の張りぼてバリアというわけだ。

 もっとも──何にでも例外があるように、バリアを超えてしまう星幽体もいる。あくまで張りぼてゆえに致し方ないのだが、そうした存在を処理する仕組みも幾つか構築されている。英一が所属する部門も、その一つである。


 ともあれ、そのようにして生贄となった3人の男女。ポラリス──北極星を導く星として、それぞれを収容した塔は夏の大三角になぞらえられた。英一の母は白鳥座であるデネブ。他2人は夫婦であったこともあり、織姫と彦星──ベガとアルタイルと呼ばれている。実態を思えばそれは悪趣味という他ない話だ。英一の父親などは強く反発したのだろう、この件を境に研究から手を退き、いずこへともなく失踪した。息子であるはずの英一ですら連絡の取れない状態となっているのだ。

「……行こうか」

 英一はデネブから視線を外し、葉月を背負い直した。後ろ髪を引かれる思いはあるが、今は葉月が優先だ。海からの風は涼やかとはいえ、夏場にいつまでもうろついているのは体に良くない。

 そう思って歩みを再開した直後のことだった。


「──呆れたものね、デネブの息子」


 横合いからの突然の声。英一は虚を突かれて咄嗟に振り向いた。

 その時点では、『彼女』との距離はまだ開いていた。

 その嘲弄するような青い瞳に身構える余裕はあったはずだった。

 だというのに、時間を止められたかのように体が動かない。思考すらもがまともに働かない。ただ、目を合わせた瞬間理由もなくやばいと思った。言えるのはそれだけだ。

 『彼女』はその間も距離を詰めてきた。青の瞳。蜂蜜色の髪。長い四肢。いずれも、他コロニーとの交流が殆どない現在のポラリスでは非常に珍しい特徴だ。だがそれがどうした。今は外見など気にしている場合ではないだろう。見鬼の力が反応している。そもそも、その時点でおかしいのだ。彼は自問する。──あれはなんだ?

 後ろで葉月が何か言っている。珍しく狼狽した声だ。体を大きく揺さぶられているような気もする。地震が起きたみたいだが、そのくせ妙に時間の流れが遅いような。

 不意に、日差しが瞼を射抜いた。痛いほどの強烈な光に英一は顔を伏せ、目をしばたたかせる。そして視界が戻ったと思った次の瞬間、「────」と間近で誰かの声が聞こえ、顔を上げたら、目の前には手が。

 手が、あって。

 5本の指が、蛇のように伸びて、目を、鼻を、耳を、舌を、噛みちぎろうとして──。

 そして、暗転。

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