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序章-5

 老人たちから見えない位置に屈みこんだ英一は、葉月の怪我の手当てを始めた。自分用に持っていた包帯を細い手に巻きつけていく。

「揃いになってしまったな」

「笑い事じゃねえよ。ああ、もう滲んできてる。ちょっとは躊躇しろ」

 英一も手首に包帯を巻いているため、二人並んだ姿はなんとも痛々しい。墓場、幽霊、包帯と、こちらはこちらで青空の下にはそぐわないものばかりだ。

「消毒液も持ってくれば良かったな」

「英一が舐めてくれるとか」

「ばか」

 軽口を叩き合うのは、気晴らしのためだ。しかし貧血気味の葉月の顔は、青褪めて今にも倒れそうに見える。ただ、それでも彼女は、老人たちの顛末てんまつを見届けるまでここを離れようとはしないだろう。

「やっこさんはどうだ?」

「そろそろ始めるって言ってる。脅かすだけのつもりのようだ」

「そりゃお優しいことで」

 葉月が代弁しているのは、老婆の幽霊の言葉だ。施設出身の人間は、ただ幽霊を見ることが出来るだけでなく、たいていは何か別の力を持つ。中には見ることに特化した人間もいたが──葉月の場合は、血を媒介に幽霊と『リンク』を結ぶ力を有していた。

 この場合、繋いだ相手とは声を出さずに意思の疎通が行えるし、多少は存在の力を強めることも出来る。今の老婆であれば、相手に自身の姿を見せることも、あの場に質量を持つ存在として実体化することも出来るはずだった。

 そのため、おそらくは墓場から蘇った死人のふりをして性悪な妹を追い払うのだと英一は予測したのだが──

「……おい、ちょっと待て」

「ええと、うん。皆にも協力してもらう、だそうだ」

「……前言撤回だ。全然優しくねえ」

 老婆一人でやるのかと思いきや。次の瞬間辺り一帯から浮かび上がる幽霊、あやかし、腐乱死体の群れ。全て、老婆が葉月から受けた力を、更に分け与えて顕現したものたちだ。ゆえに彼らに実体はない。分散されてしまったため、個々にそこまでの力はなかった。だが──とにもかくにも数が多い。

「よっぽど恨んでいたのか、単に悪ノリしてるだけなのか」

 さすがに英一も顔を引きつらせていた。いつしか太陽は中天を横切ろうとしている。昼真っ盛りの海沿いの地。近くの林では蝉がやかましく鳴き喚いている。だというのに、彼の周辺ではおどろおどろしい幽霊たちの大運動会だ。何かの冗談に思えてくる。

 しかし冗談どころではないのは老人たちの方だろう。寸前まで続けていた口論はぴたりと止み、幽霊に取り囲まれて声を失っていた。

 比較的気丈なのは婦人の方だ。震えを抑えるように自らの両肩に腕を回し、歯を食いしばって周囲を睨み付けている。一方の老爺はみっともなくへたりこみ、喧嘩相手である婦人の腰に縋っていた。

「あーあ、可哀想に」

 婦人はともかく、老爺はとんだとばっちりだった。葉月にもこの展開は予想外だっただろうから、英一に咎めるつもりはないが。ただ、気弱そうなあの男性がショックでどうにかなってしまわないか多少心配だった。

 そうこうするうちに幽霊たちの輪は狭まり、老婆の復讐劇も佳境に差し掛かろうとしていた。あまり長引かせるつもりはないのだろう、老婆が腕を振って合図らしきことをすると、老人たちの一番近くいた幽霊数人が一気に距離を詰めた。

「ひっ」

 これにはさすがに婦人も耐え切れなくなり、縋りついていた老爺を振り解いて蹴飛ばし、無我夢中で輪の中から逃れた。後には泣きっ面で尻餅をついた老爺のみが残されてしまう。

 英一は、てっきりすぐに幽霊たちが婦人の方へ向かうと思ったのだが──

「……おや?」

 なぜか幽霊たちは輪の形を保ち続けていた。それどころか更に輪を狭めて、殆ど互いに接せんばかりの距離になる。中心にいる老爺はとうに声一つ出せない。やがてその震えが尋常でないものに変わると、口元からぶくぶくと泡を吹きながら白目を剥いて倒れてしまった。

「おいおい、まずくないか」

「待て」

 救助に向かおうと立ち上がりかけた英一を、葉月の声が制した。

「『彼女』は、あれでいいんだって言ってる」

「どういうことだ?」

「わからないが」

 ふるふると首を振られ、仕方なく英一は引き続き見守ることにする。この僅かな間に状況はまた変化し、今はもう殆どの幽霊たちが姿を消していた。残ったのは、気絶した老爺と、二人の姉妹。幽霊の老婆と、その妹である婦人が向き合っていた。

 元々気の強い性格なのだろう、幽霊の集団が消えたことで婦人はすぐに混乱から立ち戻ったようだった。天晴れな胆力の持ち主だ。そして残っているのが自分の姉であることに、ここに来てようやく気付いたのだろう。動揺は隠しきれていないが、取り乱す風もない。

「幽霊の婆さん、今は実体化してるな」

「殴り合いの喧嘩とか始めないといいが……」

 仲間たちから力を返してもらったため、今の老婆は質量を伴うまで存在が強くなっている。物理的には不可能な話ではないが、しかし、どうやらそのような雰囲気でもない。

「会話してるみたいだが」

 声を荒げて口論しているわけではないので、英一にはいまひとつ何を言っているのか聞き取れない。

「葉月、わかるか?」

「ああ。でも少し……説明し辛い」

 『リンク』している間は思考の読み取りも出来るが、人の意識というものは常に統制が取れているものではない。まして老婆は今、妹と駆け引きめいたやり取りをしているかもしれないのだ。散在する複雑な思考の切れ端を、上手く言葉に載せる自信が葉月にはなかった。

 そうこうするうちに、老婆たちの会話は終わりに近づいていた。英一にはさっぱり内容がわからないままだ。後で葉月に聞けばいいかと諦めたところで、少し強く口にしたのだろう、老婆たちの声が初めて耳に届いた。

「あんたのもんは全部わたしが貰ってやる!」

「やれるもんならやってみな」

 結局、英一が把握できたのはこの二つの台詞だけだった。

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