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序章-4

 人類が宇宙を諦めたのは、西暦二一○○年頃だと言われている。当時の宇宙技術開発の世界的な権威が、『夢の技術』であったワープ航法が実現不可能であることを論理的に証明し、世界中のあらゆる科学者が絶望とともにそれを認めてしまった年のことだ。

 折りしも人口は100億を超え、一方で異常気象や大陸変動による居住可能地の減少が現実的な危機として捉えられていた時期のことである。以降、各国の科学技術の推進は、地中や海中、あるいはごく身近な星のプラネットフォーミングに人々の『逃げ場』を見出す方向へと大きく舵を切った。

 だがある年、そのどれもが実用段階に入る前に、意外な方向からの解決策が人類には提示された。

 それは、精神世界への脱却である。

 無論これは、宗教的な意味ではない。肉体的束縛から離れ、意識だけの存在となる──単なる脳波ではなく人の精神そのものを『波』として測定する技術の延長として、引き出した精神を飛散させることなく一定範囲に留め置く技術が開発されたのである。

 当初は荒唐無稽な話だと言われた。不可逆的な──『死』はたやすいが『蘇る』のが不可能であるように──技術であったことも多くの人の反感を買った。幽霊になるだけだろうという知識人の発言はまったく的外れではない。実際、その技術によって生まれた意識体──皮肉を込めて『星幽体』と呼ばれている──と幽霊との明確な差異はいまもって示されていないのだ。一般人には知覚すら出来なくなる点も同様だと言える。

 だが星幽体は、見方によっては不老不死の一形態と捉えることも出来た。幽霊とは異なり、過程で死の恐怖を味わう必要もない。また単に死亡した場合は意識の波が散逸してしまい、幽霊にすらならない場合が多いが、星幽体は確実な──ごく例外的な失敗はあれど──技術である。

 これに初めに賛意を示したのは幾つかのカルト教団だ。だがこのことはかえって星幽体を敬遠する風潮を生む。しかし西暦二二○○年が近づき、お定まりの終末思想が蔓延るにつれ、少しずつこの技術への理解の度は増していった。

 そしてある年、とうとう世界は暴発した。二一九七年のことである。『世界の敵』と評されていたある独裁国家が、示威のためにミサイルを発射。これはどの国土にも到達しなかったが、代わりに海を壊した。ミサイルの残骸から流れ出た汚染物質は、潮流に乗って驚くほど広範囲に渡ってプランクトンを死滅させ、生態系を崩し──海洋産業に世界的な大打撃を与えることとなった。発射した国も専門家も、当初は誰も予想し得なかった規模で。

 この時、人類は既に疲弊しきっていた。独裁国家の所業に対する怒りは想像するに難くない。各国は瞬く間に連合軍を形成して独裁国家へ侵攻、首都を占領して大統領を銃殺刑に処した。

 だが各国はこの後始末に苦慮した。トップを失った国家を再建に導くだけの体力がどこにもなかったのだ。世界は恐慌の真っ只中で治安も荒れに荒れている。いっそ国土ごと焼き払ってしまえ──との過激論までもが飛び出す中、連合国が選択したのは先の技術の使用である。

 すなわち、良い実験台だ、国民丸ごと精神世界へ追放してしまえ──ということであり。

 そしてこれが、人類がコロニーへと追い遣られることとなった、『ブレイク・アウェイ』と呼ばれる事件の発端であった。


 ◇


「葉月はさ」

「うん?」

「『例の事件』がもし起きていなかったら、って考えることは多いか?」

「子供の頃は多かったな。それこそ四六時中考えて、なぜ世界はこんななのかと神様を恨んだりしていた」

「そうなのか? あんまり凹んでるところを見た覚えはないんだけど」

「英一の前では元気に振舞っていたからな」

「なんだよそりゃ」

「ふふ」

 葉月は英一の背中に頬をつけて、目を閉じた。二人は、良くも悪くも『ブレイク・アウェイ』の後に生まれた世代だ。コロニー暮らしもそれが当たり前なのであって、そうでない生活というものを想像することに意味を見出せない。子供であれば、無意味に想像して一喜一憂することも出来たが、もうそんな年齢も過ぎてしまっている。

(神様を気楽に恨めれば良かったのだけど──)

 葉月は英一の胴に回した腕に力をこめた。自分のとても狭い世界の中で、これだけは手放したくないと思ったもの。そのために神を無駄に憎むのをやめた時、自分の子供時代は終わったのだと少女は思っている。

 二人乗りの自転車が走る道は海辺の堤防の前で大きくカーブし、コロニー外周の環状路に合流した。堤防の上には釣り人が竿を担いで歩いており、いかにものんびりとした風情だ。──その僅か数十メートル先に『敵』が溢れているという現実を、つい忘れてしまいそうになるほどに。

 前方に、墓地が見えてきた。

 英一はペダルを強く踏んだ。

 

 ◇

 

 『ブレイク・アウェイ』について、以降は簡略して語ろう。

 独裁国家の当時の人口はせいぜいが数百万程度だった。彼らは意外なほど従順に星幽体になることを受け入れた。単一思想で構成された国であったため、誘導しやすかったというのはあるだろう。『我らは不死の存在となるのだ』と指導者クラスの者に言わせ、あたかも素晴らしいことであるような風潮を作り出した。

 そして──数年がかりでの『処置』の実施。

 はじめの10年程度は何も問題は起きなかった。そのため、自ら望んで星幽体になろうとする者も現れ始め、世界もまたそれを奨励した。一人では怖くとも愛する者と共にいられるなら──と集団で希望する人々すら現れるに至って、やがては人口増加問題に解決の道筋が立つかもしれないと一部の人間が希望を抱いた矢先──事件は起きた。

 それこそが『ブレイク・アウェイ』。事件という言葉から受ける局地的な印象とはかけ離れた、大いなるカタストロフ。

 すなわちこの時──星幽体のことごとくが、一斉に発狂したのだ。

 その原因は、いまだもってまったくの不明。発狂から免れたものがいなかったとの話も、被害の大きさからそう推測されたに過ぎない。

 そう、被害である。人類は星幽体から攻撃を受けた。それは物質的なものではなく──ただ、彼らに触れられると人は発狂してしまうのである。英一達が病院で見た女性のように。

 この『ブレイク・アウェイ』以降、人類は数百万の星幽体に蹂躙された。比率で言えば数千人に1人程度だが、相手は不可視の存在だ。そして宙を自由に飛びまわる。人類になすすべはなかった。広範囲に渡って迎撃するような技術もなく、ゲリラのようにあちこちに出現する星幽体によって、少しずつ、だが確実に狂わされていった。

 その上、突然周りが狂っていく、という恐怖は尋常なものではなかった。絶望と諦念が支配的となり、人類は発展しすぎたために過ちを犯したのだという悔恨の念が人々の間に深く根を下ろした。そして、以降は過度の発展を避け、地上の隅で細々と永らえていこうとする風潮が生まれた。今日まで続く停滞主義の始まりである。

 

 そうした状況の中、残された人間によって避難所としてのコロニーが構築された。このような経緯を経たため、その設計思想はやや歪だ。当時の最新技術を駆使しつつも、生活空間としては一定の快適さと自然との融和を両立していた時代を再現したのだ。具体的には、『ポラリス』の場合は西暦にして二○○○年頃の日本の地方都市がサンプルとされた。加えて、これ以降大きく文明的に発展しないよう、コロニー間で監視し合う枠組みが制定された。

 それゆえ、『ブレイク・アウェイ』直前には根絶していた墓地や墓参りという概念も、ここでは息づいていた。コロニーのスペースは決して潤沢とは言えないのだが、狂気に取り囲まれた世界で住民の精神的安寧は非常に重要視されている。心の拠り所を奪うわけにはいかないのだ。

 とはいえ、勿論それで住まう者全てが善良になるという都合の良い話はなく──。


「……鬱陶しいのがいるな」

 墓地の入り口に自転車を止め、歩くこと数分。前方より流れ聞こえてくるいさかいの声に、英一は歩を止めて隣の葉月を見遣った。

「どうすっか」

「様子を見て、問題なさそうなら通り抜けよう」

 順当な意見だった。二人は手近な墓の関係者を装って、しばし口論の行く末を見守る。

 一人は恰幅の良い体に仕立ての良い服を着込んだ、いかにもな格好の老婦人だ。それが、線の細い、気弱そうな風貌の老爺ろうやを追い立てている。

「ですから、いくらあなたが早紀さんの旦那であってもねえ。ほれこの通り、証書の名義は全部妹のわたしに移っているんです。遺産自体が存在しないのだから、いくらごねても無駄というものですよ」

「それはお前が盗んだ上に改竄かいざんしただけだろう。役人まで抱きこんで、いったいいくら使ったというのだ。差し引きすれば大して残らないだろうに、どれだけ強欲なんだ……」

「勝手に賄賂を払ったことにしないで下さいな。わたしは正当な手段しかとっていませんからねえ。ええ、足し算だけですので、結構な額を頂戴しましたよ」

 婦人の言葉の端々には、嫌みたらしさが満ちていた。明らかに意図的に相手を嘲弄している。対する老爺は、自分が不利であることを重々理解しているのだろう。言い返しはするものの、どうにも声に力がない。

「こんな青空の下で何やってんだか」

 だいたいの状況は察したものの、死者の眠る墓の前で話す内容ではない。呆れ返って肩を竦めた英一の横で、葉月が一歩前に出た。

「だが、巻き込まれる心配はなさそうだ。隣の道から先に進むとしよう」

「そうだな」

 老爺に肩入れしたい気持ちはあるが、所詮自分たちは当事者ではない。安易にお節介を焼くものでもないだろうと、二人は渦中となっている墓の裏手の道を通り抜けようとした。

 と、そこで英一は、その墓の上に何かがいることに気付く。老婆の姿をしたそれは、半透明の体を陽光に透かしながら、激しい視線で口論を続ける老人たちを睨み付けていた。

 ──なんだ、『当事者』がいるんじゃないか。

 れんと同じだった。余人には瞳に捉えることが適わない存在。人にあらざる者。空を飛び交う狂人たちとはまた違う、便宜的には鬼とも幽霊とも呼び習わされている、意識体の一形態。

 葉月も老婆に気付いたようだ。施設の出身者は誰もが星幽体や幽霊を見ることが出来る。そして多かれ少なかれこうした存在との関わりを余儀なくされている。たとえば──英一が学生の身にしてポラリス政府の対幽体警護部門に籍を置いているように。

 さて、どうするか。何気ない風を装って歩きながら、英一は考えた。幽霊絡みとなると多少事情が違ってくる。介入する『建前』を自分たちは持っているのだ。

 だが英一の思考は彼のパートナーによって中断させられた。もしかしたら彼女はとっくに老婆の姿を認めていたのかもしれない。それほどに流れるような所作で、葉月はポケットからカッターを取り出した。

「おい、はづ……!」

 呼び止めようとして、英一は咄嗟に口を噤んだ。今、強引に彼女を止めようとすれば、老人たちに気付かれてしまう。だがその逡巡が失敗だった。葉月はその間も歩みを止めず、老婆の背後を通り過ぎようとする刹那、カッターを自らの掌にあてがって躊躇いなく引き切った。

 ぼとぼとと血が流れ出る。葉月はその手を老婆の幽霊に向けて振った。そして雫の幾つかが老婆に降りかかるのを横目で見て取ると、英一に目配せする。

 ──行こう。

 既に事は成されてしまった。英一は唇をへの字に歪めたものの、この場は彼女に従うほかなかった。

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