序章-2
英一の症状は"職業病"のようなもので、類似の事例も多く報告されている。それらと照らし合わせて見る限りは、決して危うい状況というわけではないらしい。ただし今朝のような夢を見た日は、念のためカウンセラーに掛かることになっている。
だが病院を訪れてみれば担当医の女性は急用で不在。最近とみに多忙なようだ。サボリの可能性もあったが。
仕方なく所定の薬のみ処方して貰った英一は、予期せず空いた時間を潰すため、受付前の長椅子でぼんやりTVのニュースを見ることにする。
だが、流れてくる報道は彼の心を陰鬱にさせるものばかりだった。ここ数日は治まっているものの、半月ほど前に起きた集団発狂事件の傷跡は未だ癒えない。"特定範囲内に居合わせた者が、ある時突然軒並み狂う"というこの現象は、原因ははっきりしているものの打つ手には乏しく、不定期に発生してはこの都市の住民を不安に陥れている。"乏しい打つ手"の一人である英一には、先日の一件に直接関わってはいなかったとはいえ、歯痒い気持ちになることは避けられない。
と、そんな彼の前に人影が立った。
「英一。来ていたんだな」
見上げれば、目の前には一人の少女。意思の強さを感じさせる瞳と、すっと通った鼻梁に聡明さを宿す、整った顔立ちがそこにあった。
だが少女は英一の包帯を巻いた手首に視線を落として、すぐにその顔を曇らせた。そうすると彼女の場合はやや目付きが悪くなってしまい、付き合いの長い人間でないと怒っているように見えてしまう。無造作に背中に流した色素の薄い癖っ毛も同様だが、彼女はあまり人目を気にしない。友人などはそれを非常に勿体無く思っているようだが、長すぎる付き合いの中でそれが当たり前になっていた英一には気にならない話だった。
友人は、そんな英一と少女とを並べて「お似合いだよ」とよく口にする。
少女──神楽木葉月と英一は、いわゆる幼馴染であった。同じ施設で育った仲間という関係であり、他にも同年代の者はいたわけだが、二人以外は施設から出た際に遠方に居住地を変えていた。無論、周囲に触れて回るような過去でもないため、結果としてあたかも二人だけが昔からの知己だったかのように思われている。
「……今朝は酷かったのか?」
「あぁ、いや」
葉月にはあらかた事情を知られていたが、さりとてあまり口にしたい話題ではない。英一は、大したことないと軽く流して逆に問い返すことにする。
「そっちこそ貧血か?」
「う。そ、そうだが」
立場があっさりと逆転した。律儀に反応してしまうのは彼女の美点であり欠点でもある。だが葉月は腕を組んで語気強く言った。
「だが、大したことなかったんだぞ。私は元気一杯だ」
結局同じ言葉+αで返されてしまった。更には多少は鍛えているらしき二の腕を晒してほれほれと見せ付けてくる。子供かよと英一は呆れたが、たしかに貧血体質の彼女にしてはそれほど顔色は悪くないように見える。
(だったら──)
「葉月。この後暇か?」
「うん? 特段の予定はないが」
「なら付き合ってくれ。久しぶりの休日だしな、行っておきたい場所があるんだ」
「どこへ行くんだ?」
「ちょっと、墓参りにな」
「……ああ、なるほど。了解した。付き合おう」
「サンキュ」
「礼には及ばない。そもそも私が英一の誘いを断ると思ったのか」
「そこで怒るな、わけわからん」
そんな軽口を交わしつつ、二人は連れ立って出口へと向かった。だがその時、受付フロアに若い女性の金切り声が響き渡り、同時にぴたりと足を止める。
その女性は明らかに普通でない様子だった。表情らしい表情はなく、ただ目の前の一点を見つめていたかと思うと不意に大声で叫ぶ。両脇を係官に押さえられながら、しかし意に介す風はまるでない。単に精神に異常をきたしているというよりは──トランス状態。叫ぶその言葉は、無意味というよりは何かの呪文を唱えているようにも聞こえる。
「あの人は──」
英一には女性の様子に心当たりがあった。いや、彼だけではない。その証拠に、フロアに居合わせた全ての人間が、女性の声に一度は驚くも今は見て見ぬふりをしている。
この都市に住む者であれば、あれは『奴ら』に襲われたのだと誰もが理解する──そういう類の現象なのだ。
「……」
「気に病むなよ、英一」
黙り込んだ彼の腕に、葉月の手が触れた。
「お前は今日は非番だったはずだろう」
目を向けると、強い口調で諭される。
「私たちに出来ることは限られている。なんでも責任を負おうとするな」
「……わかったよ」
英一は少女の気遣いに頷きを返しながらも、処置室へと連れられていく女性の後姿を厳しい目で見つめ続けた。