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第二章-6

 英一はピエレッタに向かって慎重に歩を進めていた。

 最後まで油断は出来なかった。自分の拳が捉えた感触は確かなものだったと思うが、相手は寸前まで場を支配し続けたあの道化師である。安易に近づけば思わぬ反撃を食らいかねない。

 そう思う間もあらばこそ。倒れ伏したままのピエレッタの姿にわけもなく予感を覚え、彼は腰溜めに体勢を整えた。すると、

「──残念」

 そう声を発するや否や、ピエレッタは起き上がって握っていたカードをひらひらと英一に見せつけた。

「『戦車』……やっぱりまだ使えるのか」

「当然よ。カードの効果とわたしのダメージは関係ないもの。でももう少し近づいてくれたらお見舞い出来たのに、すっかり疑り深くなっちゃってて。失敗したかしら」

「これまで散々ご教授されたからな。けどだいぶ効いたようだな?」

 平静を装いながらも、時折ピエレッタの体がふらつくのを英一は精確に見て取っていた。何より、額には脂汗が浮かんでいる。さすがにふりで汗までは掻けまい。

 自身の演技を悟られたのがわかったのだろう、ピエレッタは珍しく露骨に唇を噛み締めて悔しそうな顔をした。余裕が無くなってきている、と英一は思った。そしてそういう顔をされて改めて、この道化師の年齢が自分とさほど変わらないであろうことを思い出す。

「癪だけど、その通りね。でもここからは本気。持てる力全てを使う。そしてわたしはいつまでも塔を狙い続けるわ。今日のルールを破ることは誇りに賭けてしないけれど、殺されない限りは、いいえ、たとえ悪霊になってでも成し遂げてやる」

「……なぜそこまでして?」

「それは──」

 言いかけたところで、ピエレッタは不意に言葉を切った。

 英一がどうしたと尋ねるが、聞いている様子はない。英一が眉をひそめたその時、チャンネル越しに諒子の声が響いた。

 ちょうどこの時、アルタイル側では、諒子がフランスより得た情報を語り始めていたのである。ピエレッタがそちらに意識を割いているのだと察した英一は、自身も諒子の声に耳をそばだてる。

 諒子の語る内容は、核心的なものだった。ピエレッタの出生。ベータの正体。そして二人の関係性──だが、英一にはそれをどう受け止めて良いのかわからなかった。この戦闘においてどのように活かすことが出来るのか考えが及ばなかった。

 しかし、アルタイル側のピエレッタは諒子の発言に機嫌を損ねたようだ。やり取りを交わす三者の声がいっそう緊迫感を孕んだものに変わり、一触即発の空気が通信機越しにも伝わってくる。

 そして──声が途絶えた。変わりに耳に届くのは擦靴音とピエレッタの奇妙な笑い声。刃物同士が弾かれる音。斎川の驚いたような声と──諒子の悲鳴。

「諒子さん!?」

 思わず英一は通信機に呼びかけた。だが返事はない。荒い息遣いと呻くような声だけが返る。

「あは」

 英一同様アルタイルの状況を察知したのだろう、こちら側のピエレッタが無邪気とも言える声で笑った。拳を受けた腹を押さえている様子を見る限りでは苦痛は残っているのだろうが、一気に余裕を取り戻したような顔になる。

 彼女はいまだ汗を掻きながらも、英一にからかうような目を向けた。

「あっちのわたしは本気になったようね。ならこちらも遊びは一旦やめて、教えてあげようかしら」

「……教えるって、なにをだ」

「あら、だって知りたかったんでしょう? どうしてわたしがエイイチに付きまとうのか。どうして塔を狙うのか」

「それは……もちろんそうだが」

「でしょ。だから教えてあげるの」

 そう言って、ピエレッタは笑みを変化させた。子供のような害のないものから一転──にやりと嫌らしいそれへと。

 そして彼女は続けた。

「──塔に幽閉された人がどんな状態でいるか、貴方は知ってる?」と。


 ◇


 ピエレッタは続けた。

「きっと貴方は、誰かに教えられたことをそのまま信じてるのでしょうね。例えばコールドスリープのようなものだと思ってるんじゃないかしら。少なくとも、意識があるとは思ってないでしょう」

「でも本当は違う。いい? あれは生体装置なの。最低限ある部分だけは活動させなくては意味がないのよ。そして生贄に選ばれた人々に共通するのは、その精神の深み。……気付いたかしら。そう、脳だけは凍結されずに以前の状態を保たれているの。といっても、脳みそ丸ごと全部じゃないわ。精神でも感情でも情動でも何でもいいけど、それらを司る箇所だけ。逆に言えば、これらが『波』のようなものだから固定するわけにいかなかった、ってことでもあるけど」

「ここまで話したら、じゃあ装置から切り離せば無事に助け出せるんじゃないかと思うかもしれない。でも残念ながらそれも×。ポラリスのお偉方はそこで最悪の手段を選択した」

「奴らはバリアの効果を最大限にするために、『装置』の感情が最も強く放出される瞬間を維持することを企んだ。そして人間には喜・怒・哀・楽と色々な感情があるけれど、その中で一番簡単に引き出せるのは怒りか悲しみ。簡単な話よね。その人間が大切にしているものを壊せばいいんだから」

「わかったでしょうけど、そうしてわたしは狙われた。でもママが何とか逃がしてくれたの。その頃にはわたしに魔術の才能も芽生えてたしね」

「けれど、奴らは方針を転換することはしなかった。大筋は同じやり方を選んだの。つまり、次の悲劇を演出した。──さてここで質問です。日本人のパパと結婚したとはいえ、ママは生粋のフランス人。いくらでも理由は作れたのに、フランスのコロニーにとって貴重な『装置』であるママを、どうしてあっちの国はみすみすポラリスに渡したのかしら?」


 ◇


 ピエレッタの問いかけに、英一は全く言葉を返せなかった。

 普段であれば、推測くらいは出来たのかもしれない。しかし今は動揺の方が勝っており、道化師の問いに意識を傾ける余裕がなかった。

 無論、盲目的にポラリス政府を信じていたわけではなく、母親がどんな状態かを一切想像しなかったわけでもない。しかしピエレッタにはっきりと言葉にされ、曖昧だった像が一つの形を結ぶと、その真偽を質す前に漠然とした疑念が鎌首をもたげてしまうのだ。

 すなわち──自分がやっていることは本当に正しいのか、という疑念が。

 それはひどく落ち着かない問いだった。自分とて、いつかは母親を救い出すつもりでいた。だが少なくともピエレッタはこちらより先にいる。その彼女を今妨害するのが正しいことなのか、わからなくなる。

 ただ、一つだけ腑に落ちた点がある。それは、だから彼女は俺に怒っていたんだ、ということだ。彼女の目には、自分はどうしようもない人間に映っていたのだろう。同じ境遇にありながら真実を知ろうともせず、敵の下で能天気に働く愚か者のように。無論そんなつもりはなかったのだが、口にして信じてもらえるとは思えない。

 そしてそれを証明するかのように、狼狽する英一の様子を見たピエレッタはまなじりを吊り上げた。

「そうね、貴方には──お前には問うだけ無駄な話だったのかもしれない。だからもう答えは求めない。こちらから言ってあげる。どうしてママはフランスのコロニーに幽閉されなかったのか? 理由は簡単。ポラリス政府が強引にママを『処理』してしまったからよ。フランスから交渉を求める声が上がっていたにも関わらず、一切を無視して強行した。なぜなら──ママはここで、パパと一緒に悲劇の役を演じさせられたから」

 ピエレッタはそこで、空の一方に目を向けた。その方角には、昨日彼女が壊滅させた軍の基地があったはずだ。

「舞台はあの基地だった。そこに連行された二人は、お互いに銃を持たされて殺し合いを強要されたの。わたしを監禁しているという嘘の情報を与えられて。

 パパとママは泣きながら撃ち合ったらしいわ。結果は予定通り致命傷──に見せかけた重傷。渡した銃は本当は遠隔で軍が制御していたんだもの、当然よね。そして二人は自分の愛する人が死に掛けているのを間近で見ながら『処置』された。肉体を凍結され、唯一活動を許された脳には、たった今流れたシナプスの信号を記録した装置から強制的に同じものを流し込まれながら、引き離されて2つの塔にそれぞれ収容された。

 今も二人は、お互いの死ぬ瞬間を見せられ続けているはずよ。この10年以上もの間、ずっと。だからもう、手遅れなの。肉体は勿論、心の方も保つわけがない。とっくに狂ってしまっているはず」

 そうしてピエレッタは、英一に向き直った。その表情は、奇妙なほど穏やかなように彼の目には映る。そう、穏やかに彼女は告げているのだ。だから自分は両親を殺すのだと。

「け、けど! 心が壊れたら、バリアも効果なくなるんじゃないのか? 今も機能しているのは、中の人間がまだ正気だからじゃないのか?」

 縋るような思いで英一は訊いた。認めたくなかったのだ。自分の母親がそんな地獄のような状況下に置かれているなどということは。

 だがピエレッタは無情にも首を振る。

「残念だけど、知性の方向性と精神の深さは別ものなの。狂ってしまった人間でも、深さは保てるわ。皮肉だけど、アルファやベータの存在がそれを証明してる。狂気に彩られながらも、深淵を有すその精神性。……わたしはそれも怖いの。いつかパパやママが『あいつら』みたいになってしまうんじゃないかって。だったらいっそのこと──」

 そこで一旦言葉を切ってから、ピエレッタは視線を落とす。

 だが再び顔を上げた時には、先ほどまでの嘲弄めいた眼差しが戻っていた。その目まぐるしく変わる表情に、英一は彼女の不安定さを感じ取って戦慄する。

 しかしピエレッタはそれ以上に苛烈だった。執拗に彼を追い詰めた。

「ねえエイイチ。わかった? これがベガとアルタイルのあらまし。美しくもなんともない彦星と織姫の物語なの。──でもそれじゃあ、もう一つは? デネブではどうだったのかしら?」

「……それは──」

 英一には二の句が継げられなかった。既に半ばまで想像出来てしまっていたからだ。

 母はデネブとなった。では──父は? 希代の天才科学者だったという彼。その研究分野は主として星幽体。つまり、本来ならばあの『塔』の建設に深く携わっていて然るべき存在だったのに──10数年前、彼は謎の失踪を遂げている。

 英一はその身が震えるのを自覚した。歯の根が合わない。価値観が崩されていくような恐怖に、しかし道化師は三日月の笑みでねっとりした声を紡ぐ。

 ねえ。

 エイイチ。


 ──それは本当に失踪だったのかしら?


 その次の刹那、一条の閃光が戦いの場を貫いた。

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