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第二章-4

 斎川がピエレッタと切り結ぶ傍らで、諒子は悪戦苦闘を続けていた。ハッキングのためにお手製のトロイを大量にデータベース内に放流したはいいものの、行く先々でスキャンに検知されて手動での緊急回避を余儀なくされているのだ。汎用性を出すために──なんでもぶっ壊すために──定型に陥りやすい自動修復機能を外していたのが裏目に出たとも言えるが、秒単位でキーボードを叩くこの瞬間を彼女はしっかり楽しんでもいた。

 今日びのハッカーは本来キーを忙しく叩く必要がない。ただ丹精込めた自身の分身プログラムを流し、推移を見守るだけだ。だが諒子はそれが気に食わなかった。昔ながらの映画にあるようにキーボードと格闘しながら壁を突き破りたい。いっそ最後に叩き壊してオールクリア、なんて展開なら最高だ。

 あらゆることに興味を持つ節操の無さと、その一つ一つに対する過剰かつ特異なこだわり。これが諒子の真骨頂ではあるが、仮に一つに注力していた場合にどれだけ成果を上げていたかを見せることが出来たなら、本人は大層悶え苦しんだことだろう。

 さておき紆余曲折を経ながらも、ハック作業は佳境に差し掛かっていた。画面上の自機──作成者の趣味で羽を生やした少女の姿を模している──の前には、3D描写された最終防壁が轟然とそびえたち、銃眼に据え付けられた幾つもの砲台が絶え間なく弾幕を張り巡らせている。

 これがゲームであればいずれは突破口が見つかるのであろうが、残念ながら敵は外国籍軍のセキュリティ部隊だ。ここまで辿り着いただけでも奇跡だし、もはや後戻りが出来ない段階まで進んでいる。国際指名手配されるのは確実として、市長がどこまで踏ん張ってくれるか──考え出したら怖くなったので目の前に集中することにする。

 実際、この期に及んで迷っている暇はなかった。斎川は顔に出さないでいるが、互角の相手との剣闘を長々と続けられるわけがないのだ。ピエレッタの疲労がどの程度かは不明だが、早晩決着がついてしまうことは避けられない。出来ればその前に、ハッキングを終えてしまいたい。

(──よし)

 指がるようなキータッチで弾幕を避けながら、諒子は一つの決断をした。最終手段の発動である。手持ちのボムは使い切っているが、この機体には特別な機能を搭載させている。諒子の得意技、すなわち、自爆。

「ぽち」

 瞬間、画面をフラッシュが覆い尽くした。まともに見てしまい眼球の裏が激痛で疼く。だが目を閉じるわけにはいかない。この数秒が大事なのだ。

 諒子は自爆直後に現在の回線を別のそれにバイパスさせた。このルートには自機は一つもいない。だが既に道は開けている。盛大な目晦ましを浴びた敵が復活する前に、ノートPCから直接データベースを覗く。

 アクセス出来た時間はまさしく数秒。その間にサーチし移動し拾い上げる。いちいちリプライを待つ時間も勿論ないので、全て予測で行なう。中身を確認する暇など勿論なかった。だが確かに、1キロバイトにも満たない情報の抽出に彼女は成功していた。

「JackPot!」

 快哉を上げる。飛び上がりたくなるのを堪えて、諒子は勝ち取ったばかりのテキストデータを開いた。

 その中身はと言うと、

「……あらら」

 どうしましょ、とおばさんじみた声が漏れた。別にハッキングに失敗したわけではない。画面には欲しかった情報そのものが表示されている。ただその内容が、予想はすれどもあまり楽しくはない事柄だっただけで──

(まあ仕方ない、か)

 もとより、個人の隠された経歴を洗い出そうとしていたのだから当然の帰結ではあるのだ。諒子は気を取り直すと、得た情報の更なる掘り下げを開始する。その作業過程は一転して地味なものだ。ひたすらに検索、検索、検索。当然諒子も好きな工程ではない。だがこれが思わぬ拾い物を釣り上げた。もしかしたら先ほど以上の大当たりかもしれない。

 さてさてそれではと彼女はノートPCを閉じ、立ち上がった。気分は刑事である。解決のために犯人の家庭の事情に踏みこみ、暴き立てる損な役回り。よれよれのコードなどに憧れる面もあるが、いざ実践するとなると話は違う。

 だが、その程度で躊躇うことをしないのも彼女という人間である。

「ピエレッタ! いいえ、アレクシア!」

 大声で呼ばわると、斎川とピエレッタはぴたりと剣戟を止めた。

「へえ。もう調べをつけたんだ?」

 嘲るような口調とは裏腹に、噛み付くような目で問いかける道化師に、諒子は殊更に気軽い調子で答えた。

「見てたんだから察しはつくでしょう? フランスの『箱』に情報があったのを掻っ攫ってきたのよ」

「向こうのデータは全て消したはずだけど?」

「ブラフを掴まされたんじゃない? 機密ラインの更に裏まで確かめないとダメよ。まあ軍が絡んで秘匿扱いされたのは貴方の両親がポラリスへ来てからだから、向こうさんのデータベースは細かくチェックしなかったのでしょうけど」

「……そういうことね。ちょっと迂闊だったわ」

「でね、シア」

「その名前は嫌いだからやめて」

「わかったわ」

 諒子は両手を肩の高さに上げて承諾した。

 そのまま、ピエレッタに向かって歩を進める。

「アレクシア。入手した貴方のデータの中には、名前以外の記載もあったわ。さっきベガで自分はフランス人と日本人のハーフだ、なんて言っていたけど、あれは嘘ね。可能性はゼロじゃないけど、いくらなんでも日本人っぽくなさすぎるから違和感はあったのよ。そしたら案の定だった。貴方の本当の父親は石倉崇じゃない。エイブラハム・ファースというイギリス人だわ」

「……ふうん。それで?」

「ではこのエイブラハムという人物はどこへ行ったのか? これについても情報があった。彼はクロエとの間に娘を──つまり貴方をもうけたのち、失踪している。原因ははっきりしていない。ただ一説には、魔術にのめりこんだ末に発狂し、海に飛び込んだ、とあった。元々才能のあった彼がクロエの『未来』を予知したことで、より魔術に傾倒するようになったのだろう、と綴られているわ」

 滔滔とうとうと語りながら、諒子は一つの想像をしていた。

 もしエイブラハムが予知にのみ長けていたとしたら──。

 その時彼は、自分の伴侶に待ち受ける苦難を知ってしまったのだろう。そしてどうあっても自分にはそれを回避出来ないと理解してしまったのだとしたら。

 胃の底に重たいものが沈む気持ちを覚えながら、諒子は続ける。

「その後、傷心のクロエは石倉と出会った。この頃は『塔』の計画は始まっていなかったはずだけれど、同じような精神性を持っていたのでしょうね。二人はすぐに愛し合うようになった。そしてアレクシアを石倉が認知し、現在の家族構成となった──と、ここまでがフランスから得た情報。加えてもう一つ、可能性として浮上した話がある」

 諒子は畳み掛けるように言葉を継いだ。

「貴方の父親、エイブラハム・ファースはイギリスの魔術師だった。そして歴史上、ファースという姓の魔術師はもう一人存在する。ウェールズ出身の『彼女』の名は、ヴァイオレット・メアリー・ファース。かのアレイスター・クロウリー同様、結社『黄金の夜明け』に在籍し、のちに自身の組織を立ち上げて19世紀半ばまで活躍したという女傑。そして彼女にはもう一つの名前があった。すなわち──ダイアン・フォーチュン。これは、貴方が会議室で挙げた5人の化け物のうちの一人だったはず。……ここまで言えばもう十分よね。とてもシンプルな話なわけだから。貴方とベータには血の繋がりがある。そして彼女──でいいのよね──は、子孫に力を貸しているというだけの構図だわ」

 以上よ、と告げて、諒子は話を終えた。

 チャンネルは開っきぱなしにしていたので、今の内容はベガの英一達のみならず比嘉市長やありさの耳にも届いている。彼らであれば有効に活用してくれるかもしれないという期待があったのだ。

 だが、肝心の『彼女』については──。

「ふふ」

 諒子が話している間、ピエレッタは終始薄い笑みを顔に貼り付けていた。ポーカーフェイスは自家薬籠中のものなのだろうが、それにしても動揺した様子がない。この程度の情報が暴露されることは織り込み済みだったのだろうか──いや。

 いや、違う。ピエレッタはたしかに表情を動かさないでいる。だがそれは道化師の笑み。仮面の笑みだった。彼女は笑っているのではない。表情を消しているのだ。

 そして秘密を暴かれた者が表情を消す時、大抵の場合その人物は裏では怒りを秘めているものであって──

「merveilleux.(悪くないわ)」

 ピエレッタは、顔の横でぱちぱちと手を叩いた。

「この短時間にそこまで突き止めるなんて、正直予想していなかった。保障してあげる。貴方が言ったことは全て正解。嘘じゃないわ。──でもね」

 彼女は二振りの剣をだらりと脇に下げた。薄笑いの顔は何一つ変わっていないのに、どこか底冷えする光がその目に宿ったようで、諒子は唾を飲み込む。

「一つ気に食わないことがあったの。どうしても許せないこと。石倉崇は本当の父親じゃない? いいえ、それはまったく違うわ。私のパパは石倉崇。ママと私を守ってくれたあの人こそが本当の父親。それは揺るぎないの。……パパを偽者呼ばわりされて、ちょっと腹が立ってきちゃった。ねえ、この気持ち、どうしようか? 本気を出してもいい?」

「……ピエロが怒ったりしたら、子供が泣くわよ」

 諒子はそう返しながらも、ピエレッタの様子に常ならぬものを感じて斎川に目配せした。だが、彼は短く首を振る。虚勢だと判断したのだ。実際、彼ほどの実力となれば、相手の筋肉のつき方などからある程度は身体能力を推し量れる。そして、ピエレッタがこれまで以上の力を発揮出来るようには見えないという彼のその目利きは、事実誤りではなかった。

 だが──つまるところはそれが、彼らの敗因となった。

「ふふ、ふふふ」

 ピエレッタは剣を構え直し、二人を正面に捉えた。笑みは変わらず、しかし何かがおかしい。だがそれがどこかはわからない──そんな違和感。

 と、ゆらりとその姿が霞んだ、ように見えた。曲芸を旨とする者の特殊な歩法。だがもう幾度も見ている。予想通りピエレッタは突進に転じた。狙われたのは──斎川。彼は油断なく、突き込まれてきたピエレッタの刃を弾き返した。そのまま返す刀で外側から持ち手の腕を狙う。

 だが──

「──なに!?」

 だが敵の足は止まらなかった。斎川の刃が道化師の腕に深く食い込む。引き締まっているが女の腕である、骨に達し一気に切断、脇腹に刺さる──かに見えたが、ピエレッタは腕を切られながら、畳んでいたそれを強引に引き伸ばした。結果、刃は僅かに軌道を逸らされ腰に当たる。既に勢いが半ば殺されている上に血のぬめりが仇となり、腰骨を切るまでには至らない。

 一方ピエレッタは、委細気にせぬ様子で斎川に剣先を突き立てていた。このような状況下でも致命傷を避け得たのは彼の技量ゆえだろう。だが犠牲になったのは肩口である。それも、利き腕の、だ。彼は激しく歯軋りした。痛みのためではない。自身の戦力の低下を十分に理解してしまったからこその悔恨だった。

「大尉!」

 あまりの展開に、諒子のフォローは間に合わなかった。斎川の腕を信じきっていたせいではあるが、何の慰めにもなりはしない。悔しさを押し殺して腰からナイフを数本取り出し、思い切り投擲とうてきする。

 ピエレッタは斎川の膝を強く踏んで身を離した。ずるりと互いの肉体から刃が抜け、その付近をナイフが通過する。諒子はピエレッタが避けた先にもナイフを投げていたが、結局は『月』のカードによって防がれた。

「痛い、痛い。痛い?」

 いかなる理由か、一瞬の攻防を経てピエレッタの言動は意味不明なものに変わっていた。その合間合間に、引き攣れたような不快な笑い声を残す。壊れた機械のようだと思った諒子は、ここに来てようやく一つの解を得る。

 まさか、と思った。とても信じられるものではなかった。

 だが──事実なのだろう。

 諒子は血が出そうなほど強く唇を噛んだ。斎川の傷は深い。絶対安静、放置すれば死にすら至ると彼女は見立てている。だが彼女のナイフだけで敵に対抗し得るとは思えない。そもそもが、フォローに回ってこそ真価を発揮する武器なのだ。かと言って、残った部下1名を参戦させても無駄死にが関の山だろう。

 そして諒子の分析を補完するかのように、相手は余裕を持って遊び始めた。胸元から掌サイズの球を取り出すと、甲高く笑い声を上げながら地面に投げつけたのだ。

 見る間に、周囲に白煙が満ちる。ピエレッタの姿がその中に溶け込んだ。霧に隠れ、突如間近に出現し敵を刺す──戦いの常套手段ではあるし条件は同じだが、これは明らかに敵の得意分野だ。煙の先で気味悪くほくそ笑んでいる道化師の姿を思い浮かべて、諒子は暗澹たる気分になる。

 無論、相手も重傷なのだから本来は悲観的になるには早いはずだ。しかし、違うのだ。相手は傷を意にも介さないばかりか、血をいくら流しても、疲労がどれほど蓄積しても問題にならないかもしれないのだ。

「……悪夢ね」

 まだ世界が平和だった頃に作られたという、そんなホラー映画を思い出した。それは霧の中で、いくら傷つけても死なない怪物と戦うストーリーだったはずだ。無論、結末は言うまでもない。

 自分の悪趣味が原因なのだとしたら神様にでも謝ろうと思った。それでも、これはあんまりな話だ、と諒子は嘆いた。

 ああ。本当に酷い。

 斎川と自分が二人がかりでずっと戦っていた相手が──ただの偽者だったなんて。

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