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第二章-3

 ベガ側とは異なり、斎川たちの戦闘は静かとも言える均衡状態にあった。

 響くのは、互いの武器がぶつかって生じる金属音だけ。あれ以来ピエレッタは『戦車』を使用せず、ひたすら刃と刃を打ち交わす鬩ぎ合いが続いていた。

 とはいえいつ『切札』を持ち出してくるかしれたものではないため、行動は大きく制限されている。そんな中でピエレッタと互角に競り合っている斎川の腕は、やはり流石という他ないだろう。

(もう少し耐えてください、大尉)

 諒子は今、一人戦列から離れて軍部と忙しく通信を交わしていた。同時に、近くの車両に置いておいた愛用のノートPCを部下に持ってこさせて、キーを絶え間なく叩いている。

 調べているのはピエレッタの出自だった。ベガ側でのやり取りは諒子の通信機にも入っている。石倉崇とクロエの娘。それが事実なら、どこかに情報が残ってしかるべきだと考えたのだ。

 だが調査は思った以上に難航している。石倉とクロエの間にはたしかに子がいたとする記録があるが、どうやらそれはフランス時代の話のようなのだ。二人の婚姻は渡日してからであり、クロエが娘を産んだ時点では法的な関係は成立していない。つまりピエレッタは私生児ないし庶子──父親に認知された私生児のことをいう──だったのだろう。

 だが、なぜこのような経緯を辿ったのかについては不明である。少なくともポラリスのデータベースにはピエレッタの本名すら登録されていない。一方、残念ながら現在ポラリスとフランス軍部との関係は冷え切っており、照会が通る状況ではない。結果、諒子はこうして先方に非公式にアクセスを仕掛ける破目に陥っているのである。

(本業じゃないのになあ)

 では何が本業なのかと問われると難しいところなのだが、強いて言うなら諒子は斎川と共に戦いたかった。別に惚れてるわけじゃないけどと益体もない台詞を呟きながら、指は凄まじい速度でノートPC上を走っている。

 フランスへのアクセスには衛星を介して行なっていた。多くの衛星は星幽体の干渉を受けて機能不全に陥っているため、残り僅かのリソースの一部を諒子が拝借している格好だ。軍時代の友人に頼み込んでなんとか回線を分けてもらったはいいものの、制限事項は笑えるほど多い。だというのに本番はデータベースにアクセスしてからだというのが泣けてくる。

 悪戦苦闘を続ける諒子とは対照的に、斎川は気勢をほとばしらせていた。普段の彼しか知らない者が見れば目を疑っただろう。要所に取り付けていた防護パーツが意味をなさないとわかったとはいえ、全て脱ぎ捨てて更地の軍服一つで戦う姿は大胆不敵という他ない。すり足で移動するさまは侍のそれに近く、眺めているとこれが現実で起こっている戦闘であることを忘れてしまいそうになる。

 斎川は地面に転がっていた諒子のナイフを拾い上げ、ピエレッタに投げつけた。だが刺さる前にその姿がふっと掻き消える。軽く目を見張るがそれで動きを止める愚は犯さない。直感だけで飛び退いた後、地面すれすれを道化師の剣が薙ぎ払った。身を腰より低くしていただけだが長身の斎川の目には一瞬消えたように映る。言うは容易いが、間合いと呼吸を完全に掌握して初めて有効な技だ。

(やはり、やる)

 加えて相手は二刀なのだ。今の斬撃とて避け方を誤れば二の太刀に切り裂かれていただろう。思考がどこまでも冴えていき、冷静に彼我ひがの実力差を分析する。斎川の目に細い光が宿った。互角、互角なのだ、自分とこの年端もいかない少女は。そうと認めたことで、なお一層静かな昂揚を覚える。それは相手も同様だったようで──

「愉しみましょう」

 今度はピエレッタが先手を取った。弾かれたように奔り、凶刃を向けてくる。斎川は牽制の一太刀。切り上げたそれをピエレッタは器用に受け流し、刃の下をくぐるように滑り込んでから足を蹴り上げてくる。

 狙いは顎だった。斎川はのけぞってかわす。不安定な姿勢ながら強引に刀を振り下げて第2の斬撃。届いたと思ったが、ピエレッタは蹴り上げの勢いのまま後方へ反転してこれを回避した。

「まるでサーカスだな」

 表情を動かさずの呟きに、道化師が吹き出した。

「それってもしかしてジョークのつもり?」

 斎川はぴたりと視線を固定したまま、正眼に刀を構えた。

「無論だ」


 ◇


 自分に何が起こったのか、英一は理解できずにいた。

 数瞬前の記憶が、気味が悪いほどにあやふやだ。何かに操られていたようでもあったし、単に死を目前にして我を失っていただけのような気もする。

 なぜ、あの状況から死なずに済んでいるのだろうか。

 拳を強く握りこんでみる。腕に走った傷が悲鳴を上げるが、反応に問題はない。足も、首も、五感も、異常は見られない。

 では相手側で何か起きたのかと思いを巡らせた瞬間、嫌な予感を覚えて咄嗟に横へ転げた。

 その脇を、炎を龍のように纏わせた熱の塊が貫いていく。

 英一は戦慄に首筋を泡立てる一方、今の攻撃が『戦車』によるものだと即座に悟った。何が起こったのかはわからず仕舞いだが、いまだ敵のカードは生きている。

 だが、身を起こして鉄騎の行く末に目を向けると、やや様子が異なっていることに気付いた。

 幾度もの蹂躙を経て、既に森は切り開かれている。遮るもののない視界の先で、『戦車』はその突進を止めた。次いで、その輪郭が揺らいで掻き消える。こうしてカードの中へ戻っていくのだ。

 そして強化された英一の目は、その消える前の姿を克明に捉えていた。

 今までと違う点がある。馬の数が足りないのだ。二頭馬仕立ての馬車にも関わらず、一頭引きとなっていた。そのアンバランスさが、彼に違いを気付かせる要因となったのだ。

 どういうことなのかとピエレッタに首を向けると、彼女も険しい目で『戦車』の消えた位置を見つめていた。

「やっぱり駄目ね……」

 呟き、悲しげに目を伏せた直後──その手にもう一度『戦車』のカードが現れる。

 ピエレッタから表情が消えた。そして灰暗い眼差しでひたと英一を見据える。

「一頭なれどその威は衰えず。剣の王子よ、弔旗ちょうきを掲げ薄弱はくじゃくなる者を蹂躙せしめよ。其は強者なり。其は法なり。疾く疾く裁きを与え書を閉じよ。さすれば夜に似たとばりが一切合切を包むであろう。しこうして曰く、それこそが死なり」

 そうして場に現れたのは、一頭引きの鉄騎。だが趣を異にするのは、それが黒一色に染まっていること。影が実体化したかのような漆黒の中、馬と人の眼だけが白く光を放っている。

 熱量はこれまでほどではないが、重圧は明らかに増している。巨大な砲弾を向けられているようだった。直撃すればたやすく五体の骨が砕け散る。

 分析できたのはそこまでだった。ピエレッタは仮借なく鉄騎を解き放つ。突進を避けたつもりでいても、王子の剣も見た目以上に届く。腕や足を切り裂かれながら、致命傷だけは受けぬように英一は決死で立ち回る。

 その頃になってようやく、葉月もショックから立ち直っていた。英一が火に包まれた時、彼女には一瞬で蒸発してしまったように見えたのだ。その後どうしてか無事に立つ彼の姿を確認出来たとはいえ、全身の震えはいまだ収まらない。

 彼女は自分の役立たずさ加減に唇を噛んだ。ハクのために必要とはいえ実際に戦っているわけではなく、隠れていることしか出来ない。自分もポラリスを守りたいと英一に告げたのに、なぜこんなところで震えているだけなのだろう。

 果てない思考に葉月が苛まれていると、通信機からありさの声が響いた。

[葉月、聞こえますか?]

[……ああ]

 気持ちを奮い立たせて頷く。

[今は念のため、貴方との専用チャンネルに切り替えています。絶対に敵に聞かれないようにしてください]

[何かわかったのか?]

[あくまで推測ですが。先ほどまで敵の声にもずっと注意を払っていたのですが、彼女は破損した『戦車』を今も使い続けていますね?]

[あ、ああ。だがそれがどうした?]

[仮説を立ててみたのです。22種ものカードを持ちながら、壊れたものを使い続ける理由。それは、タロットとしての場の制限なのではないかと]

[場の制限?]

[はい。敵はおそらく、この戦いを一つのタロットテーブルに見立てています。そこで出されたカード全てを合わせて一つの意味を示すように]

[それにどんな意味が?]

[順に説明します。まず、敵がこれまでに使用したカードは『戦車』、『塔』、『月』、の3種。これら大アルカナカードにはそれぞれ数が割り当てられています。『戦車』は7、『塔』は16、『月』は18です。これらを足し合わせると41。そしてタロットではさらに、この合計の各位を足し合わせます。この場合は4+1で5です。そしてこの数に対応するカードが全体の意味を示します。複数のタロットを足し合わせて、1枚のタロットを導くのです。ですのでこの場合、5番目のカードが結論となります。すなわち『法王《Le Pape》』で、『教示』や『訓示』を意味します]


 『戦車』7+『塔』16+『月』18=41 / 4+1=『法王』5


[説明は理解出来るが、教示と言われてもピンと来ないな]

[ええ。私もそこで引っかかっていました。ですが見落としがあったのです。敵はもう一枚カードを使っている。それはまさにこの場にあるに相応しいカードでした]

[──あ]

[お気づきになりましたか。そうです、道化師が使ってしかるべきカード、それはそのまま『奇術師《Le Bateleur》』です。ベガとアルタイルのどちらなのかはわかりませんが、敵はこのカードの力で自身の複製を作り出していると考えました。そしてこの場には塔があり──敵は『塔』のカードを頻繁に使用している。つまり、『塔』と『奇術師』の組み合わせはまさに今の戦いそのもの。このようにして敵は効力を高めていたのではないでしょうか]

[……たしか『奇術師』は1番目だったな]

[はい。そうすると、先ほどの合計値も変化します。『奇術師』、『戦車』、『塔』、『月』の4種で42。合計は6。6番目のカードは『恋人《L'Amoureux》』です。


 『奇術師』1+『戦車』7+『塔』16+『月』18=42 / 4+2=『恋人』6


[『恋人』の意味はマルセイユタロットの中でも版によって様々ですが、図書室で英一さんが書いて下さったサンプルによると、彼女が使用しているのはウェールズの画家ジェラルダスの手によるもの。この版における意味は『苦難』です。そしてジェラルダス版において、このようなネガティブな意味しか持たないカードは『恋人』のみなのです]

[つまり、ピエレッタはカード単体の力を使うだけでなく、その組み合わせで私達に『苦難』が降りかかるよう仕向けている、と]

[そういうことです。逆に言えば、他のカードを使ってしまえばこちらに有利な数になってしまいます。……私が推測したのはここまでですが、役に立ちますでしょうか?]

 立て板に水を流すような説明だったというのに、終わった途端ありさの声音は自信なさげなものに変わる。

 葉月は苦笑した。分析はこれからだが、ありさの情報はこの状況を打開する突破口の一つになるだろうという予感があった。自分はこの後、どれだけ彼女の情報に助けられることか──。いくら礼を言っても足りないが、今は短く「十分だ」と言うに留める。落ち着いたらありさの好きな暗黒詩の朗読会に何時間でも付き合ってやろうと思う。彼女の朗読は下手な怪談よりもよほど恐ろしいが、英一も道連れにすれば耐えられる。そしてそれは、きっと、とても楽しいはずだ。

 埒もないことを夢想する傍らで、葉月の思考は目まぐるしく変転していく。ありさから受けた情報を咀嚼し、応用を加えて式とし、この場の要素を代入して解を導く。さほど複雑なものではない。もとより、敵はただ一人なのだ。だが、

(足りない)

 単純ゆえに明白なことがあった。どうしてもあと一つ、手持ちの駒が足りないのだ。いくら考え直してみても行き着く先は同じ。諒子達がこちらにいれば話は変わったのかもしれないが──つまり戦う前から結果は見えていたということか。

 悔しかった。せっかく『策』を見出せたのに、あと一歩が届かないのだ。指の間から砂が零れ落ちていくような喪失感だ。このままでは為すすべもなく、やがてゼロになる。

 その時のことだ。葉月の前に、小さな影が降り立った。思わぬ姿を見とめて彼女は目を見開く。

「……れん?」

 呟きに、幽霊の少女がコクリと頷いた。

 れんは戦いが始まってすぐ、木の上に退避していた。だが『戦車』が次々と焼き払っていったので、逃げ先は限られていく。必然的に、木陰に隠れた葉月の近くに居合わせる形となり、様子を見てこうして姿を現したのだろう。

 だが何のために、と葉月が問いかける前に、幼い声がその口から発せられた。

「はづきは、こわいのか?」

「! れん……お前、言葉が?」

「うん。すこし、にがてだけど」

 その口調はひどくたどたどしい。だが確かに聞き取れるし、意味も通じた。そもそもなぜ喋れないのかも知らなかったことに気付いた葉月だが、今は尋ねている場合でないことを思い出す。──質問されているのはこちらなのだ。

「ああ……怖い。このままだと、何もかもが消えてしまう。そうして無為に死ぬのがとても怖い」

「……はづきと、えいいちには、なにが、たりない?」

「それは」

 束の間躊躇ったが、結局葉月は状況を説明した。れんの真っ直ぐな目にあてられたせいかもしれない。あるいは、一縷の望み、という気持ちが働いたか。

 やがて、一通りの説明を終えた葉月が俯くと、おもむろにれんが口を開いた。

「それなら、わたしが、たすけられる」

「……どういうことだ?」

 葉月は顔を上げた。実体のない幽霊がどうやって──いや、違った。この距離ですら見落としがちになるが、今のれんは実体を持っている。英一が昨日言っていたではないか、れんに傷を舐めさせたと。それがどうして実体化させることに繋がるのかは英一も知らないが──葉月は知っているのだ。何もかもを。

 だがそれでも、れんが幼い少女であることに変わりはない。その矮躯わいくで何が出来るというのだろう。訝る葉月の前で──しかしそのとき、突如れんの姿が"ぶれた"。

「──な」

 葉月は声を失った。れんの輪郭が揺らいでいるのだ。そして見ている間もぶれは広がり続け、ある点を境に一転、今度は収縮に向かう。

 やがて揺らぎが全て収まると、れんは『その姿』で葉月に語りかけた。

「えいいちには、ないしょに、してほしい」

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