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第二章-2

 一方、アルタイル側。ベガと時を前後して放たれた『戦車』だが、こちらの被害は甚大だった。

 防護スーツを身に纏っていたため即死は免れたものの、直撃を受けた2名は全身に重度の火傷を負った。スーツは治療に全エネルギーを傾注させており、当人達も無論のこと指一本動かせる状態ではない。

 一撃でいきなり半数近くの戦力が削られたのだ。諒子の額を伝った汗は、決して残り火の熱気だけが理由ではない。

 加えて、相手に銃器類がまるで通用しないことが次第に明らかになっていた。スコープの自動照準がまるで機能しないだけでなく、アサルトライフルの連続弾であろうとショットガンの散弾であろうと、ピエレッタの肌に届く寸前であらぬ方角へ屈曲させられてしまうのだ。基地の連中がなすすべもなく壊滅したのはこのためなのだろう。ミサイルでも撃ち込めば可能性はあるが、自分の基地に向けて発射できる者はまずいない。

(こんな形でお鉢が回ってくるなんてね)

 諒子は腰に下げたナイフから2本を選び、両手にそれぞれ構えた。

 彼女の得意とする武器は、このやや刀身が長めのナイフだった。しかし軍標準の銃は無反動・自動照準のものであり、素人ですらある程度の戦力とさせることが可能な代物だ。原始的な近接武器の出る幕はない。儀礼的な意味合いでなんとか生き長らえているというのが現状だった。

 だが、軍にもひそかに刀剣を好む者は存在していた。諒子もその一人であり、また、実のところ斎川もそうであることを彼女は知っている。幕僚となる過程でその嗜好は影をひそめたが、政治的な都合でそう振舞ったに過ぎず、きっと内心では今でも思うところがあるはずだ。

「少尉」

 斎川が腰に差した軍刀を抜き放った。

「はい」

 かつての階級で呼ばれ、だがそれに何の抵抗もなく応えられる。

「──いけるか?」

 その時、斎川が笑った。なんと、あの堅物が!

 呆気にとられた諒子は、しかし次の瞬間笑みを弾けさせた。

「はい!」

 諒子は言いようのない懐かしさを覚えていた。ああ、この感覚だ。『これ』があれば、自分は軍を離れることもなかったのに。

 残った部下は援護射撃に徹するよう命じた。いまやアルタイルを守るのは刀とナイフのみ。なんて馬鹿げたシチュエーションだろう。だが達成出来ればこれほど痛快な話もない。

 下段に刀を落とした構えで、斎川が先駆けた。諒子がその半歩後を追う。フレンドリーファイアを避け、銃撃は途絶えた。

 斎川のすれ違いざまの一刀。振り上げたその勢いを借りるかのように、ピエレッタは後方へ大きく跳躍して避ける。道化師らしい大げさな動き。その隙を狙って諒子が距離を詰める。着地間際に右の一撃・左の二撃。両手にそれぞれ構えたナイフを交差させる勢いで切りつける。

「やるわね」

 だがその時にはピエレッタも剣を取り出していた。諒子と同じく二刀だ。レイピアに見えるほどの細身だが、ナイフを受け流すには足る。勢いを殺さず刃を上方へ滑らせたピエレッタは、そのまま腰を落として諒子の膝に蹴りを放つ。飛び退る諒子の代わりに斎川が踏み込んだ。が、横殴りの一刀は空を切る。ピエレッタはもう一度飛び退っていた。追撃するか僅かに悩み、それが斎川達の足を止める。

 束の間、諒子は己の有利を感じた。その目に飛び込む『戦車』のカード。銃口を眼前に突きつけられたと同等の恐怖を覚え、斎川ともども横へ飛び退く。

 轟音。熱気。生じたのは迫撃砲の一撃のようなカタストロフ。地を走った『戦車』は、アルタイルに隣接する木々を焼き尽くしてなお突き進み、彼方の岩壁を大きく抉ってようやくその行進を止める。

 改めて、ぞっとした。もし、今のが塔に直撃していたら──。

 幸いピエレッタにその心算は無いようだが、相手が相手だ、フェイクの可能性もある。

 そしてそう考えさせることが、ピエレッタの狙いだったのかもしれない。

 諒子も斎川も、言葉を失っている。『戦車』の攻撃は、二人の精神に深い楔を打ち込んだ。先ほどまでの勢いを根こそぎ奪われた二人に向けて、道化師は三日月のような笑みを浮かべた。


 ◇


 タロットのカードは、22枚の大アルカナと56枚の小アルカナとで構成される。そして大アルカナは全てが『切札』である。単独で場を支配する力を持つそれらは、各々が惑星との繋がりを持ち、精神的・物質的な力を描いて再生する。

 ピエレッタは『戦車』を幾度となく繰り出し続けた。単調なのではない、他の攻撃が不要だからなのだと英一は痛感する。この大アルカナ7番目のカードは火星の影響を受け、大いなるエネルギーと猛烈な力をもたらす。そこでは情熱と暴力が混じり合っており、ただ一つのことを表わす。すなわち、道化師の怒り──。

 肌が焦げ付くようだ、と彼は思った。漂う塵芥じんかいは灼熱を帯び、吸い込む度に喉も焼けていく。眼球は噴煙に染みて涙を作り出すが、拭う暇も瞼を閉ざす暇もない。

 『切札』の暴威は留まるところを知らないようだった。白磁の塔を抱く閑静な森は、僅かの間に焼け野原と化していた。太陽神の使者たる鉄騎はいななきと共に火炎を吐き、天蓋付き馬車を駆る『王子』の剣は斬鉄の鋭さを持つ。大木であろうと何らの障害になりえず、一切合切の樹木が地面と並行に両断され、倒れる前に炭化し崩れ落ちていく。

 生命に溢れた森の風景が見る間に平らになっていくさまに、英一は焼けるような焦燥と凍るような戦慄を同時に感じた。この暴虐の全てが、その怒りが、自分に向けられているということに言いようのない居心地の悪さを覚える。

「くそ、いったい俺をどうしようってんだ!」

「そんな程度の低い苛立ちはいらないの。ヒントは与えているのよ、デネブの息子。わからないのなら、そこの女を焼き殺してあげようかしら? それなら腑抜けた貴方でも怒り狂うでしょう」

 ピエレッタが粘つく視線を葉月に向けた。一瞬で血が逆流するかのような怒りを覚えた英一は、葉月に向けてカードを振りかざそうとしたピエレッタに突撃に拳を撃ち込む。

 だが道化師が切ったカードは『戦車』ではなかった。『塔』の効果を受け、英一の肉体は再び地に沈んだ。

「ほんと単純。そんなだから何も知らずに官憲の犬などやっていられるのでしょうね」

 起き上がろうとする前に、後頭部にピエレッタのブーツが乗せられる。いつ踏み砕かれてもおかしくない状況に、英一は身動ぎ一つ出来ない。

 しかしピエレッタにその意思はないようだった。葉月の血を受けて回復していたハクが雷を放つと、あっさりと身を翻して英一を解放する。

 ようやく身を起こした彼の耳に、葉月からの通信が飛び込んだ。

[英一、一つ思い出したことがある]

[なんだ?]

[Pierrettaはピエロの女性名。フランス語だ。ありさが言うには、彼女が使っているタロットもマルセイユ版らしい。そしてポラリスの塔に幽閉された3人の男女の名前はそれぞれ、森岡・透子とうこ、石倉・たかし、それと、石倉クロエ──日本人である石倉崇と結婚したフランス人女性だったはずだ]

[それってつまり──]

[彼女はクロエ氏の関係者なのだろう。その点では英一と彼女の立場は近い。なのになぜ敵対するのかはわからないが。クロエ氏に個人的な恨みでもあるのかもしれないが]

「──恨み、ですって?」

 突如、ピエレッタがけたたましく笑い声を上げた。英一と葉月はしまった、と顔を見合わせる。通信機越しの小声にも関わらず、ピエレッタはその内容をすべて聞き取っていたようだった。あるいは読唇術の類かもしれないが──。

「ああ、なんてひどい発想でしょう! どれだけ恥を知らなければそんなことが言えるのかしら!」

 ピエレッタは天を仰ぎ、心底おかしくて仕方がないというように笑い続けた。狂ったかにすら見えるその様子に全員が声を失っていると、不意にぴたりとその笑いを止め、一足飛びに跳躍して葉月のすぐ手前に立った。英一もハクも、咄嗟のことに反応出来ない。

 そしてピエレッタは、憎悪に溢れた目で葉月を見た。

「──もう少し教えてあげる。わたしはクロエの娘。そして石倉崇の娘でもある。白人と黄色人種の間の子には後者の影響が色濃く出易いらしいけど、それはあくまで傾向的な話。これでもハーフなのよ」

「……なら、塔を狙うのは、両親を救うためなのか?」

「救う? そうかもしれない。決して間違いじゃあ、ない。でも言ったはずよ、わたしは塔をぶっ壊しにきた、と。──パパとママはまとめて、殺す。そのためにわたしは生きてきた」

「……意味が、わからない」

 葉月はふるふると首を振った。ピエレッタはそんな彼女を嘲りの目で見る。

「そう、お前たちにはわからない。今更わかるはずがない。わかろうとしてこなかった奴らには、所詮無理な話なの。……だからもういい、どうでもいい」

 刹那、空気が一気に冷え込んだ。

「死ね」

 宣告したピエレッタの横に、『戦車』が降り立った。だがすぐに放たれる様子はない。二頭の馬がひづめを鳴らして嘶くたびに、周囲の温度が下がる一方で鉄騎が赤熱の輝きを増していく。

 見ただけで明白だった。次の突撃は層倍の威力を有したものになるということは。

 だがピエレッタも見逃していたことがある。あるいは認めようとしなかっただけなのかもしれないが、この時、英一の裡ではかつてない怒りが渦巻き始めていたのである。

(ふざけるな)

 相手の事情はわからない。だが彼とて母親の解放を望まないはずがなかった。ただ強引な手段ではポラリスが星幽体に蹂躙されてしまうため、公の、それも市長直轄の部隊に身を置いて内側から対応策を見出そうとしてきたのだ。

 それを全て否定するような言動を繰り返し、あまつさえポラリスを見捨てて破滅に走らせるような振る舞い──許せるはずがないのだ。

 彼は全身に力を行き渡らせながら状況を見据えた。『戦車』は依然熱を溜めている。だが臨界点が見えず、いつ放たれても不思議ではない。余程癇に障ったのか、ピエレッタの目は葉月に向けられており、逃すつもりはないように思える。束の間の主である彼女をハクも助け出そうとしているらしく、後ろ足に筋肉の盛り上がりが見て取れるが、動いた途端『戦車』を使われればはたして間に合うかどうか。

[すまない、英一]

[いや]

 危機を招いたことを詫びる葉月に、英一は静かに首を振った。ハクを戦力化させるためには彼女がある程度近くにいる必要があったし、木の影程度でピエレッタの目から隠しおおせるとも思えない。そうである以上、こうした危機に陥るのは自明だ。

 だから、今はこの状況を利用する。英一は沸騰しそうな感情を四肢に流すようにイメージした。冷静に、けれど根は熱く。自らを銃弾に喩えて瞬時に距離を詰め、葉月に気をとられている道化師の頬を、横合いから思い切り殴り飛ばす。

 『戦車』の熱が一定ラインを越え、放射される光が白く変化した。ピエレッタが手にしたカードを高く持ち上げる。今までにない動作。威力を上げるために必要なのか、あるいは葉月に恐怖を植えつけるためか──だがいずれにせよ。

 ふ、と息をついた直後、英一は脚部に溜め込んだ力を爆発させた。軸足の下の地面が抉れ、小石が後方へ散る。彼の肉体は弾丸と等速度でピエレッタに向かい、拳を振るうまでもなく体当たりで相手を破壊するエネルギーをその身に宿した。

 だがそれでも、英一は拳を突き出していた。それは怒りの発露だった。不可解な点は残る、だが構わない。道化師の頭部を一撃で粉砕し、馬鹿げた茶番を終わらせる。でなければ、この憤りは抑えられそうもなかった。

 だが──

「tres stupide.(とても愚か)」

 彼は自分の敵が道化師であることを失念していた。ピエロは常に笑っている。蔑まれようと物を投げつけられようと、瞳の下に描かれた一粒の涙模様に哀しみを残し、笑顔を決して絶やさない。

 だから、そんな彼女が万一他の表情を見せることがあるのとしたら、それは全く逆の意味となる。すなわち、憤怒をその面にみなぎらせていたピエレッタは──この時、内心で高らかに笑い声を上げていたのだろう。

 英一の目論みは全て読まれていた。ピエレッタがカードを掲げたことに意味などない。カードは取り出せばそれだけで効果を発する。『戦車』を放つ方角に向ける必要すらない。

 英一が知覚した時には既に、『戦車』は正面から彼に向き合っていた。いまや巨大な火球と化した鉄騎は、膨大な熱量を宿して夜闇に浮かび上がっている。まるで小さな太陽が突如出現したかのようだった。

 ダメージを受けるどころの話ではない。突っ込めば一瞬で蒸発するかもしれなかった。最早イカロスの無謀を笑えはしまい。

 だが──英一の足は止まらなかった。不意に訪れた極限の状況に、しかし彼は一瞬であらゆることを判断していた。

 たとえこちらが軌道修正しても、目の前の『戦車』は合わせてくる。踏みとどまれば、容赦なく葉月に向かい焼き尽くすだろう。事ここに至って、英一には避けることなど出来はしない。否──少し違う。避ける必要などないのだ。

 奇妙な万能感だった。ただ根拠もなく、やれる、と思った。『戦車』に対抗することだけではない。ピエレッタを打ち倒すことも、アルタイル側の諒子達を助けることも、そればかりかデネブにいる母親を救うことだって、あまつさえ天空を舞う一千万の星幽体全てを滅ぼすことすらも──自分には可能だと思えたのだ。

 普段なら、何を馬鹿なことを、と自戒する思考が働いただろう。夢見る子供ではないのだから。だがこの時ばかりは、そうした声はなりを顰めていた。むしろ理性が後押ししてくる矛盾だ。わけもわからないのに、冷静に、自分には可能だと判断してしまえるのだ。

 そうして英一は、僅かたりとも勢いを緩めることなく『戦車』と衝突した。蓄積されたエネルギーの爆発に、眩いばかりの光が生じて周囲を埋め尽くす。

「──!」

 葉月が近くで叫んだ。いや、その叫びは声にはならなかった。ただ一杯に目を見開いて、すぐ近くで生じた光の源を凝視している。眼球表面の水分が失われて激しい痛みを生むが、ショックで瞼を閉ざすことすら出来ない。

 一瞬の出来事だった。文字通り瞬きの間に、英一が光に飲み込まれてしまった。あまりのことに葉月の思考は麻痺した。火傷しそうなほどの熱風を全身に受けても構う余裕がない。遅れて巻き起こった土煙が視界を遮っても、身動みじろぎ一つ出来ない。状況が理解出来ないし、してはいけないと本能的に悟って立ち尽くすばかりだった。

 一方ピエレッタは距離を置き、注意深く状況の推移を見守っていた。特段の理由はない。何かがおかしい、と直感的に思ったのだ。そして次の瞬間、手にしていた『戦車』のカードに目を遣って呆然とする。

「どういう、こと……?」

 彼女のタロットは、ただの紙で出来たものではない。図柄こそ標準的なマルセイユ版だが、サンザシの神木から個別に切り出したものに金箔と銀の装飾を施し、全てに魔術的な護印を記した特別製と言えるものだ。破くことも燃やすことも出来ないし、仮に落書きでもしようものなら相応の報いが跳ね返る。

 だが今、そのカードには大きな傷が走っていた。左端付近を、上から下に一直線。ちょうど二頭馬のうち一方の頭を切り落とすかのように。

 こんなことは今までに一度もなかった。完全を意味する数である、第7のカードが傷つくなど。

 一体、何が起きたというのか。

 二の句が継げずに注視するピエレッタの前で、やがて土煙が収まり、後に残った何かが月明かりの下に浮かび上がった。

 それは、全身に傷を負って血を流しながらも、たしかに二本の足で立つ英一の姿だった。

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