第6話:絹の声と風の声
ようやく開場の時間がおとずれて、ライブハウスの扉が開かれた。狭い扉の幅いっぱいに溢れる人だかり。るい達の後方の列まで加えると、300人は下らないようである。
そもそも田舎育ちのるいは、人の多さで少し気分が悪くなってきた。
「ふう、やっとだなぁ!待ちくたびれたよぉ・・・早くアイちゃんの《風の声》が聴きたいよ!」
廊下で折り返している長蛇の列で、ちょうどるい達と向かい合う位置にいた少年が、溜め息混じりで呟いた。少年は見るところ18才か19才位くらいだろうか、真面目でおとなしそうな風貌で、秋葉原が似合いそうな大きなリュックサックを背負っている。
「ほんまやなぁ。はよ聴きたいわぁ。オレなんか一ヵ月に一回、アイちゃんの生の歌声聴くのんだけを生き甲斐に、毎日おもろない仕事がんばってるねんからなぁ」
もうひとりの男は少年と呼ぶには少し無理があるだろうか。20代前半くらいで関西弁、とても声も体も大きな男である。
「《風の声》かぁ・・どんな歌声なんだろう?」
るいは少年達の会話に、あの青い髪の少女、神木アイになおさら興味が湧いてきた。
「ねぇねぇ!るいちゃんどうしてこの神木アイって知ってるの?そんなに有名なの?」
ひそひそ話のつもりでカスミは言ったが、もともと元気があり余ったような彼女の声は、周囲に内容が丸わかりなのであった。
その話に先ほどの関西弁の男がピクッと反応するのが、るいにはわかった。
「あれっ!?君らアイちゃんのこと何も知らんのにライブに来たん?変わった奴ちゃなぁ」
「あ、いや・・その・・」
気の弱いるいがおどおどしていると、カスミが角の立った声で言った。
「なによ!知らなきゃライブには来ちゃいけないって言うの?大体神木アイなんて全然聞かない名前なんだもん!テレビにでも出てるってわけ?」
るいが困った表情でカスミのTシャツをつまんで制止しようとしていたが、その効果はまるでなく、マシンガンの弾のようにカスミの発する単語たちは次々に飛んでいってしまった。
「いやいや、来るのはエエけど我らがアイちゃんのこと、少しは知っといて欲しいな! 神木アイ1991年東京生まれ。徳間楽器ティーンズポップスフェスティバルでグランプリ受賞。その爽やかな癒しの声は《風の声》と呼ばれている。テレビの歌番組にも多数出演してるでぇ!知らんかったん?家にテレビないんちゃう?」
大男はおどけた調子で二人に言った。
「そうなんですか?すごく有名な人なんですね!すみません何も知らなくて」
「おい!早く進めよ!」
るいたちの後方から怒鳴り声が聞こえた。ハッと気付くとるいたちの前が大きく空白になってしまっていた。
とりあえず見苦しかった言い争いにピリオドを打って、列に戻ったるいは慌てて前に進んだ。
開場されてから次々となだれ込む人波。ライブハウスの客席はそれほど広いスペースではなく、オールスタンディングでも、今日ほどの人数なら、ギュウギュウ詰めだろう。
るいとカスミは後ろから押されるように会場に進んだ。
「何よ!あの関西弁のデカ男!偉そうに。ホントムカつくよね!」
話しかけるカスミの声が何かのノイズにしか感じないほど、るいの頭の中は《風の声》というキーワードに占領されていた。 るいがうわの空で、自分の話をまるで聞いていないのに気付いたカスミは、アメリカンコメディのように、小さくその両肩をすくめて苦笑いした。
「るいちゃん、どうしたの?ボーッとしちゃって」
「え?う、ううん、何でもないよ」
るいは慌てて平静を装って返事をしたつもりだが、カスミからすればどう見ても挙動不審である。
「まさか!あいつらのどっちかに一目惚れ、なんかじゃないわよね?」
「バカ!何言ってんのよ!そんなのありえないよ!」
いったん我にかえったるい、今度はさっきとは打って変わって反応が早い。
「アハハ!そりゃそうだよね!」
二人の笑い声に重なるように、静かなピアノの旋律が鳴り響いた。
静まりかえる会場に、耳障りの良い歌声がそっと語りかけるように広がる。それはまさに《風》のようだった。
そしてその声はこれまで父に連れられて、数多くのアマチュアライブやプロのアーティストのコンサートに足を運んで来た星野るいが、これまでに聴いた声の中で最高に心地よいと確信した声だった・・・。