第2話:業界の匂い
煙っぽい小さな居酒屋の一番奥の席。白っぽいスーツに黒シャツ。ノーネクタイでその襟は大きく開いている。
真壁新一は、個人レッスンのボイストレーナーをしている、45歳の男だ。
「ねえ真壁さん!そろそろドカーン!と一発当てましょうよ。こんなしみったれたところで飲んでるの、もう飽きましたよ」
ややれろつが回らなくなっているのは、イベンターの三室和也だ。三室は真壁より10歳年下で、いつも彼と飲みに行くと酔い潰れてしまう。
真壁を兄のように慕っている甘えからだろうか。
「フッ、そうは言ってもなぁ。なかなかいいのがいねえんだよ!まっ、それに俺の歌唱力指導じゃ、そこまで育たないがな」
真壁は左の口角を上げてニヤリと笑った。
「じゃ、どっかの社長令嬢でもたぶらかしましょうよ」
「ああ、そうだな。じゃセレブ雑誌のコネでも探しておくよ」
「ハハハハッ!」
ふたりは大声で笑った。
次の瞬間派手な時代劇風の着信音が鳴り響いた。
「ん!?誰だろ?」
真壁は面倒臭そうな表情をしながら、ジャケットの内ポケットから携帯電話を取り出すと、すぐに通話ボタンを押した。
「もしもし!真壁センセー?」
電話の声はやたらと元気な若い女の声で、そばにいる三室にも会話が十分聞き取れるくらいに大きな声だった。
「おお!ミキちゃんか。どうしたの?」
「もぉ!どうしたじゃないでしょ!今晩来てくれるんじゃなかったの?ミキの誕生日に!」
「あっ、ああ。そうだったね・・・ごめんごめんちょっと打ち合せが長引いちゃってね。も、もうすぐ終わるから」
「じゃ、センセー、すぐに来てよ。待ってるから」
「あっ、ああわかった。わかったよ」
会話が途切れるかどうかのタイミングで電話を切った。
「また真壁さんの日替わりが始まった」
生徒から高額な授業料を受け取るだけではなく、何人もの生徒と淡い関係だった。
こうして真壁はそそくさとミキの元へと消えてしまったのだった。