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たとえば、僕たちが  作者: 滝沢美月
second half
19/28

19.雨時々恋模様 side優



「そこにあるタオル適当に使って」


 奥の方から山科先輩の声だけが聞こえて、私は壁沿いに置かれているパイプラックに視線を向ける。

 そこには論文のファイルに交じってコーヒーの粉やマグカップなどの生活用品が置かれていて、真ん中の段にフェイスタオルを見つけて一番上のタオルを引き出した。

 温泉宿で貰って帰る温泉マークつきのフェイスタオルだ。


「タオル見つかった?」

「あっ、はい」


 奥から出てきた山科先輩は前髪から雫をしたたらせて、慌ててフェイスタオルを一枚引き出してざっと髪をふきあげた。

 ここは山科先輩の所属している理学部の研究室。二年生で研究室とはまだ縁のない私は、物珍しくて研究室内をぐるっと見回した。

 壁際にパイプラックやスチールラックが並び、論文ファイルや資料、分厚い文献などが並んでいる。中央には大きな一枚板のテーブルがあり、奥の窓側と右側の壁には机がいくつも並び、机ごとにデスクトップ型のパソコンが並んでいる。


「適当に座っていいよ」

「はい、ありがとうございます」


 私は言われるままに中央のテーブルと並んだ長椅子に腰かけようとして、山科先輩がパイプラックからコーヒーの粉とマグカップを二つ取り出しているのに気づいて、慌てて駆け寄った。


「私がやります」

「大丈夫だから座ってて」


 柔和な笑顔を浮かべているけれど有無を言わさぬ光が瞳に浮かんで、私はすみませんと言って渋々椅子に座った。

 慣れた手つきでコーヒーを入れた山科先輩が、私の座る斜め横の椅子に座った。


「どうぞ。コーヒーしかなくてごめんね」

「コーヒー好きなので大丈夫です」

「優さんって、なんでも好きだね」


 瞳を細めて微笑まれて、困ってしまう。


「だって、好きなものが多い方が楽しいですよ」

「そういうふうに考えられるのがすごいと思うよ」


 複雑な笑みを浮かべて言われて、私は山科先輩をじっとみつめた。

 なんだか寂しそうな表情に見えて気になってしまう。


「ん? なに?」


 あまりに見つめすぎてしまっただろうか、山科先輩に聞かれて私は話題を探した。


「今更ですけど、研究室に部外者がはいって大丈夫ですか?」

「はは、ほんと今更だね。この時間は誰も来ないし、来たとしても大丈夫だよ、別に」

「研究室ってなんか新鮮です。それに、実は二十一時過ぎても校門が開いているなんて知らなかったです」


 そうなのだ。

 校門は二十一時で閉まると思っていたら、二十一時に閉まるのは正門だけで車両門側は人が通れる小さい門は開いているらしい。

 二十一時までには絶対に大学を出なくてはいけないと思っていたから、この土砂降りの中も傘なしで駅まで行くつもりだったけど。


「――提案なんだけど、雨がやむまでうちの研究室で雨宿りするっていうのはどうかな? 研究室はすぐそこだから駅に行くよりは二人で傘にはいっても濡れないと思うけど。まあ、遅くなっても大丈夫ならだけど」


 首を傾げてそう言われて私はきょとんとする。


「でも、二十一時になったら門しまっちゃいますよね?」

「門? ああ、正門はね。車両門側に通用門があって、そこは二十四時間あいているからいつでも出入りできるんだよ。卒論とか三日間ぶっ通しの実験とかで大学に泊まるやつもいるからね」


 というわけで、山科先輩の思いがけない提案でいまこうして山科先輩の研究室にいる。


「まあ、二年生だったら普通は知らないよ。二十一時過ぎまで大学にいる必要もないし」


 コーヒーを一口飲んで、山科先輩が言った。

 それから、山科先輩がいまやってる実験のこと、バンドの練習のこと、お互いの好きなものの話。つきることのない話題にあっという間に時間が過ぎてしまった。


「雨、やんできたね」


 そう言って、窓の外に視線をうつした山科先輩につられて私も窓に視線を向ける。

 ばしゃばしゃと地面や建物の壁に打ちつけていた雨音が小さくなっていた。


「そろそろ帰ろうか、あまり遅くなると家の人が心配するだろ」

「家には連絡したので大丈夫ですけど、そうですね。やんできたので今のうちに帰るのがいいかもしれないですね」


 すぐやむと思った豪雨は予想外に長い時間振り続けていた。

 食堂の前に屋根があるといっても、長時間土砂降りの中にいれば体も冷えてしまっていただろう。

 山科先輩が通りかかって、研究室での雨宿りを提案してくれて本当によかった。

 荷物をまとめて廊下に出ると、古びた廊下に二個飛ばしについている電球は切れかかってチカチカ点滅していて薄暗い。

 研究室の鍵を閉め一号館を出ると雨は上がっていたが、地面は土砂降りの雨の名残で大きな水たまりができ、激流となって道路の傾斜を排水溝に向かって流れていた。


「足元に気をつけて」


 そう言ってゆっくり歩きだした山科先輩の隣を歩くのはなんだか不思議な気分だった。

 山科先輩と知り合ったのはほんの四ヵ月くらい前なのに、もっと前から知り合いだったみたいに思ってしまうほど山科先輩とは自然と親しくなっていた。

 大学内でも頻繁に会うし、学外でも偶然会うことが多い気がする。

 もしかしたら、知り合う前からあちこちですれ違っていたのかな。

 そう考えて、なんだか運命みたいなものを感じてしまって――、慌てて頭をふって思考を追い払った。

 四ヵ月前――……

 その単語に、チクンっと胸に小さな痛みが走る。

 ふっと、脳裏に思い出された顔に、私は唇を小さくかみしめる。

 あの日も、雨が降っていた。


「なんだか雨が降ると思い出しちゃうんですよね……」

「ん? なにが?」


 唐突に言った言葉を、山科先輩が拾ってくれた。


「振られた日のことです」

「…………っ」


 私の言葉に言葉を失って困ったように私を見下ろす山科先輩に、私は苦笑する。


「七月に、二年間付き合っていた彼氏に振られたんです。しかも、友達伝いとか間抜けですよね」


 自嘲気味に言って笑ってみせるが、口元が情けなく下がってしまう。

 もう吹っ切れたと思ってたのに、笑い話にしたかったのに、胸が苦しくて目の奥が熱くなる。

 ふにゃふにゃになりそうな口元をきゅっと引き結んで、溢れそうになる何かを必死にこらえる。

 あの日。

 上代に振られて、美笛ちゃんと飲み屋さんに行って酔いつぶれた帰り道、地下鉄の駅を出て地上に上がったら、小雨が降っていた。

 灰色の空からぽつぽつと舞い落ちる雨が涙のように見えて、自分が泣いているってその時になって気づいた。

 好きだった――

 あんなやつって強がって見せたけど、上代のこと好きだった。

 大学に進学して学部が違ってなかなか会えなくても、会えた日は、上代のことでいっぱいになって、上代が笑ったら私も笑顔になって、側にいるだけで幸せで。

 でも、上代は違ったのかな。

 会えないからって、友達伝いで別れるとか言われるのは、切なすぎる。

 上代と私の想いはいつからすれ違ったのだろう。

 カラオケ屋で上代は同校の女の子と一緒だった。上代の腕に胸を押し付けるように自分の腕を絡ませ女の子はやけに色っぽい眼差しを上代に向けていたなぁ。

 別れると言われてから二週間しか経っていなかったのに、上代はその子と彼女みたいに親しげに腕を組んでいた。それに、私に気づきもしなかった。

 まあ、今思えば、気づかなかったのはイメチェンしていたから仕方ないのかなとも思うけど。

 もやもやした気持ちが胸に降り積もって、雨の降る夜には上代のことを思い出してしまう。


「これからも、雨が降るたびに思い出すのかな……」


 ぽそっと漏らした言葉は一人言だったのに、山科先輩は私を痛ましそうな眼差しで私を見つめてくる。

 自然に私も山科先輩も立ち止まり、静寂が辺りを包み込む。

 山科先輩は体ごと私に向き直り、私をじっと見つめた。気品が香りたつような瞳の中に、やりきれないほど切なげな一筋の光を帯びていて、見つめられているだけなのに、言い知れぬ想いが胸に込み上げてきて、ぽろっと瞳から涙が一筋こぼれおちた。

 おもむろに伸びてきた手が、優しく手の甲で涙をぬぐってくれた。瞬間。

 二の腕を引き寄せられて、痛いほど強く包み込まれていた。


「…………っ」

「君がそんなふうに泣くのをもう見たくない――」


 山科先輩の方が泣きそうな悲痛な声で言い、喘ぐように息をついた。


「あの日も君はそうやって声を押し殺して一人で泣いていた。その時、俺は何もできなくて、今だって涙をぬぐうことしかできない。涙の原因を取り除いてあげることは出来ない自分が恨めしいよ。こんなに君のことが好きなのに……」


 鮮やかなその眼差しを一瞬うるませて、愛おしげに囁いた言葉に息もできなくて。

 心の中に激しい波が押し寄せてきて、身動きも出来なかった。




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