11.シュガー&スパイス side優
深い眠りから覚ますように、なにかのメロディーが聞こえてふっと覚醒した。
徹夜して朝食を食べてから数時間仮眠をとるつもりでベッドにもぐりこんで本気で寝入ってしまったみたいだ。
窓の外は夕焼けでだいだい色に染まっている。
まだぼんやりとした思考のまま、机の上に置きっぱなしの携帯に手を伸ばす。
「うー、もしもし……?」
『やっとでた!』
「美笛ちゃん……?」
耳によく通る声に、私は美笛ちゃんの名前をつぶやく。
『さっきから何度も電話したんだよ~、いまどこにいるの? 今日は予定ないっていってたよね?』
「うん、いま家だよ」
『もしかして寝てた?』
訝しげな声で尋ねられ、わかった? って聞くと、声がちょっと掠れてるからと笑われてしまった。
『いま理緒と一緒でね、これからカラオケ行こうって話してるんだ。優もおいでよ』
答えようとした時、コンコンっと控えめなノックが聞こえる。
「ちょっと待ってて、はいっ」
前半を受話器越しに美笛ちゃんに言い、後半は携帯の通話口に手をあてて扉に向かって言った。
ガチャっとドアノブが回って開いた扉の隙間から顔をのぞかせたのは勇兄だった。
「夕飯作ったけど食うか?」
そう言えば朝、今日は休日出勤だから早めに帰って来るって勇兄が言ってたな。
カラオケに誘われたけど、せっかく作ってくれた夕飯食べないのは申し訳ないし。夕飯くらい食べる時間ならあるかな。
「うん、食べる。いま電話中だから、少ししたら下に降りるね」
「おう」
ドアが閉まったのを確認してから、美笛ちゃんに夕飯を食べてから行くと伝える。ちょうど美笛ちゃんと理緒ちゃんもファミレスでお茶してるとこだからこのまま夕飯食べてから合流することになった。
九時に大学の最寄駅と言われて通話を切って、携帯のディスプレイで時間を確認すると六時半を過ぎたところだった。
あっ、美笛ちゃんから着信履歴とメールがきてた。何度も電話したって言ってたもんね。
私は部屋着のタオル地素材の短パンとタンクトップを脱いで、袖の部分がレースになった紺色のTシャツと水色の小花柄のサロペットに着替えて、リビングに向かった。
勇兄の作った鮭とほうれん草のクリームパスタを食べて、簡単にメイクと髪の毛をとかして時間を持って家を出たのだけど……
道を尋ねてきたお婆さんを案内していたら、待ち合わせ時間ギリギリになってしまった。
私は電車を降りると、列をなすエスカレーターではなく階段を駆け上がり、人込みの中をなるべく早足で抜けて改札を出た。
「遅くなってごめーん……」
改札を出て少し先の柱の前に美笛ちゃんの姿を見つけて声をかけたのだけど、私の言葉は最後まで声にならなかった。
美笛ちゃんのそばには理緒ちゃんと、理緒ちゃんのバンドメンバーの澤ちゃん、のほかに男子が四人もいて私は瞠目する。
ええっと……
状況が把握できなくて思考が停止する。
ううん、本当はなんとなくわかる。
美笛ちゃんも理緒ちゃんも澤ちゃんもいつもと変わらない格好だけど、いつもより気合いが入っているのが伝わってくる。
これっていわゆる合コン……?
心の中で首を傾げた私に、理緒ちゃんに軽音部の先輩だよって教えてもらって、違うのかなって思ったんだけど。
「優っ、どうせまた変なことに首突っ込んでたんでしょっ」
頭の整理がつく前に美笛ちゃんにすごい剣幕で歩み寄られて、私は何度も頭を下げて遅れたことを謝って、変なことに首を突っ込んだんじゃなくて、道に迷ったお婆さんを案内していただけだと説明してなんとか誤解を解くことができた。
※
カラオケに着くと、男女で向かい合って座って自己紹介をして。これってやっぱり……って思ったけど、同じ大学で理緒ちゃんの部活の先輩ならまったくの知らない人ではないし、同じ軽音部の澤ちゃんがいるってことは同じ部活で仲良くてそれで一緒にカラオケ行こうって話になったという可能性のほうが大きい。
その証拠に、理緒ちゃんと澤ちゃんは近森先輩と浪江先輩と楽しそうに話しているし、美笛ちゃんも城崎先輩と話で盛り上がっている。
必然的に私は山科先輩の隣に座ることになる。
山科先輩はバイトを終えてから合流したため、夕飯がまだで大盛りパスタを頼んで食べていた。食事中に話しかけるのも邪魔になると思い、みんなの歌を聞いたり、新曲案内を見ていたら、次の曲を予約した美笛ちゃんに無言でデンモクを渡された。
これをどうしろと……?
沈黙してデンモクを見下ろしていた私はちらっと美笛ちゃんの方を見るが、美笛ちゃんはすでにこっちを見てなくて城崎先輩とのお喋りに戻っていた。
反対側にちらっと視線を向けると、山科先輩は大盛りパスタを食べ終えたところだった。
私は体ごと山科先輩の方へ振り向き、声をかける。
「山科先輩まだ歌ってないですよね、どうぞ」
言いながらデンモクを差し出した。
みんながそれぞれ二、三曲歌っている中、山科先輩はパスタを食べていたからまだ一曲も歌っていない。ちょうどパスタを食べ終えたところだし、そのまま素直に受け取ってもらえるだろうと思った。なのに。
「ユタカさんだってまだ歌ってないでしょう? なにか一曲歌ったら、俺も歌うよ」
甘い微笑みを浮かべて言われ、不覚にもどきっとしてしまった。
山科先輩はデンモクを受け取らないというサインのようにデンモクにそっと片手を添える。
正直、私はあまり歌が上手じゃない。
歌うことは好きだし、カラオケも好きだから美笛ちゃんとはよく一緒に行くんだけど。
仲が良くて私があまり歌が上手じゃないって知ってる友達の前でならぜんぜん平気で歌えるんだけど、同じ大学の先輩とはいえほとんど初対面の人達の前で歌うのは緊張する。
だから今日は歌わないで聞き役に徹しようと思っていたから、美笛ちゃんからデンモクが回ってきた時もそのままスルーして山科先輩に渡しちゃえって思った。
でも、一曲も歌わないなんて態度悪いかな。
「私、あんまり歌上手じゃないんですけど、笑わないでくださいね」
苦笑を浮かべながら言い、デンモクを受け取って膝の上に載せてタッチペンで操作する。
みんな最新の曲でノリのいい歌ばかり歌っている。私は最新の曲は歌えないけど、なるべくみんなが知っているような曲にしようと選んだのは数年前に大ヒットしたドラマの主題歌のラブソング。
前奏が始まって私の番かと思っただけで体中に緊張が走る。気を利かせてマイクをとってくれた山科先輩からマイクを受け取る。みんなの視線が一気に私に集まって心臓が飛び出しそうだったけど。
「おっ、懐かしぃ~ね~」
浪江先輩がぴゅ~っと口笛を吹くような口調で言って、みんなが知っている曲を選べてほっとした。
歌っている間、浪江先輩と近森先輩があいのてを入れて盛り上げてくれて、緊張せずに歌うことができた。