表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/7

2・予告状

「刑事さん、和輝さんは何故予告状をあんなに細かく千切ってしまったのでしょうか。普通、捨てる時はくしゃくしゃに丸めるくらいで、あんなに千切りませんよね。ということは、誰にも見られたくなかったということですよね」

「そうかもしれませんね」

「だとしたら、予告上にあったとおり、ダイヤは本当にここにあるのではないでしょうか」

「さあ、それだけでは何とも言いえませんが」

 北山留美は部屋を案内しながら、目を輝かせて好奇心一杯の顔で、東十無に次々と質問を浴びせてきた。

さっきまで怖がっていたくせに、随分と推理小説かぶれのお嬢様だ。それとも、単に刺激を求めているのか。

口数の少ない、静かな女性だと勝手に想像していた東十無は、いささか閉口していた。

「でも、ダイヤがあったとして、和輝さんは何故警察に警備を頼もうとしないのかしら。私が何度言っても、相手にしてくれなかったの。でも、刑事さんが来てくれたので良かったわ」

 留美は声を潜めて十無に話しかけながら、二階の真っ直ぐな廊下を進み、突き当りにあるドアの前で足を止めた。

「こちらの部屋をどうぞ」

 そう言って、留美がドアを開けてくれた。

我が家同然に使わせてもらっているのか、留美はずっとここの住人だったかのように振舞っている。

「ゆっくり休んでくださいね」

「ありがとう。では、夕食までの時間、夜に備えて仮眠をとらせてもらいます。もし、何か不信な物音などがあれば、直ぐに呼んでください」

「わかりました。心強いわ」

 留美は笑顔で部屋のドアを閉めた。

部屋はよく整えられ、まるでホテルの客室の様だった。十無は壁際のシングルベッドに体を横たえると、腕時計で時間を確認してから、目を瞑った。

四時か。二時間程度は眠れる。……藤田和輝は何故予告状を細かく破り捨てたのか。確かに留美さんが言っていたことは一理ある。やはり、藤田は警察にかかわってほしくなかったのだろう。予告状はDの物ではないように思うが……。Dとは別の奴なのか?

 あれこれ考えているうちに、十無は眠りの海に沈んだのだった。

「刑事さん!」

 留美の叫び声で、十無は跳ね起きて階段を駆け下りた。

「何かありましたか!」

「そこの窓に人影が……」

 留美が青ざめながら指差した窓に、十無は一目散に駆け寄った。窓を勢いよく開けて身を乗り出し、不振な人物を捜した。すでに外は薄暗くなっていたが、目を凝らしてみても静かな住宅街には人影はなかった。だが、窓の下に積もっている雪には、くっきりと足跡が残っていたのだ。

「これは女の足だ」

 歩幅は大股だが、足跡は小振りで細かった。

 まだ付近にいるかもしれない。十無は玄関に走って外へ走り出た。住宅街の四方を角まで走り、辺りを見回したが誰もいない。

 十無が肩を落として玄関に戻ると、郵便受けに一枚のカードが挟まっていた。

 十無は手袋をはめてカードを取った。

『二十五日、深夜二時にダイヤを頂きます』

 葉書大の白いカードの中央には、ワ―プロ打ちされた文面があり、宛名も差出人の記載もなかった。

「さっきの女が置いていったのか? また、予告状とは。今度は日時指定まである」

「どうかしたのか?」

 姿のなかった藤田和輝が玄関へ出て来た。

「藤田さん、どちらにいたんですか?」

「ちょっとトイレに行っていただけだ」

「今、女の人が家の中を覗いていたのよ」

 不安そうな顔をした留美が、和輝の後ろで両手を胸に当てて立っている。

でもまさか女の人が泥棒だなんて、ね。と留美は呟き、半信半疑という顔をして首をひねった。

「そんなはずない。あれは悪戯なんだから。きっと、ただの通行人だろう」と、和輝は留美のほうに振り向いて声を荒げて否定した。

「しかし、足跡がありました。通行人であれば、窓の真下まで入って来ないでしょう? それに、これが郵便受けにありました」

 十無は和輝にカードを差し出した。

それを見た途端、藤田和輝は一瞬目を見開き、まさか、と、口唇を僅かに動かして呟いた。

「……北山さん、どんな奴でした?」

「それが、髪が長い女の人でした」

和輝は留美の一言で、見る見るうちに顔色が変わった。

こいつはホシについて何かを知っている。

十無はそう確信し、揺さぶりをかける切り札を口にした。

「……Dという泥棒の噂を聞いたことがありますか? これは、奴の仕業かもしれません」

 藤田和輝の目に、動揺の色が見て取れた。

「警官を何人かよこします。いいですね?」

「いや、でも……」

 それでも和輝はおどおどした態度でなかなか煮え切らず、混乱しているようだった。

とりあえず、居間のソファに和輝を座らせて落ちつかせることにした。

ダイヤがここにあるのは間違いない。しかし、藤田和輝は何を迷っているのだろう。やはり、藤田の父親が所得隠しでもしているのだろうか。

もし、そうだとしたら、藤田は噂になっているDの存在を、父親から聞いているのかもしれない。そして、その中には、Dは女だという情報もあったのだろう。だから、賊が女だと聞いただけで、慌てたのではないか。

藤田和輝は、Dについての噂や情報を少なからず知っている。なんとしてでも訊きだしたい。これはDについて知る、絶好のチャンスだ。

和輝は落ち着きなく目を宙に泳がせている。

十無は腕組をして立って、和輝を観察しながらそんな憶測をめぐらせ、どう協力を取り付けようかと思案した。

「留美、紅茶を淹れてくれないか」

和輝の指示に、留美は頷いてキッチンへ行った。

留美の姿が見えなくなったのを確認してから、和輝は体を十無のほうへ乗り出して小声で話した。

「刑事さん、あれは悪戯だったんだ。まさか本当に予告状が届くなんて」

「どういうことです?」

「始めのあれは、俺が作った。留美が推理小説好きだと知って、ちょっと怖がらせてやろうと思って。それなのに、留美が警察に連絡すると言い出したから、慌てて破り捨てたんだ」

 なるほど。彼女を怖がらせて自分が守ってやるという筋書きを作っていたのか。どうしようもない奴だ。

 顔には出さなかったが、十無は内心、ため息をついていた。

「では、こちらは藤田さんが作ったものではないのですね?」

 もう一度、カードを見せながら確認した。

「これは、俺じゃない」

「ダイヤは、ここにありますね?」

「……」

 和輝はうんと言わなかった。なかなか、しぶとい。

「Dの被害は計り知れません。今までの被害額は警察でも把握しきれていない。何故だと思いますか? 自分にもやましいことがあるのか、皆さん、被害届けを出そうとしないからです。東京だけの事件ではありません。最近、旭川でも同様の被害があったと思われます。全てを話していただけませんか? 財産を根こそぎ持っていかれないうちに。怯えて過ごすより良いと思いますが。賊の一人が女だとしても、グループの犯行という可能性が高いと思います。何をされるかわかりませんよ」

 十無は和輝の横に屈み込み、優しい口調の中にも、やんわりと恐怖心を煽るように事実を伝え、協力を取り付けるように誘導した。

「親父に知れたら……」

和輝がとうとう口を開いた。もう、ここにダイヤがあると言ったも同然だった。

「カードにははっきりとダイヤと書かれています。ダイヤがここにあると知っているのは、他に誰がいますか」

「それが……かなり、いる。俺、こっそりダイヤを持ち出していて……普段は家の金庫に保管してあるんだけれど。女の子を連れて来たときに、あれを見せると凄く効果があって……」

 和輝はばつが悪そうに、両手で指をいじりながら、もごもごと話した。

何を考えているんだこいつは。金に物言わせて女を口説いたって、何が楽しいのか。空しいだけだろう。

拳骨を張りたい気持ちを辛うじて思いとどまらせ、十無は冷静な口調を保って、耳元で話しを続けた。

「それは、泥棒に来てくれといっているようなものですね。お父さんに黙って持ち出しているのであれば、盗まれたとなったら大変なことになるのでは?」

「そうよ、和輝さん。刑事さんにお任せしましょう」

 不意に背後から留美の声がして、十無は驚いて振り返った。

 トレイにティーカップを乗せて、ソファの直ぐ後ろに留美が立っていた。

厚手の絨毯が敷いてあるとはいえ、北山留美の足音は全くしなかった。それどころか、気配すらわからなかった。猫のようだなと、十無はふと思った。

「お父様は海外旅行中なのでしょう? あなたが決めなきゃ」

艶やかな花の模様をあしらった、ウエッジウッドのカップをテーブルに置きながら、留美は和輝に促すように言った。

「……わかったよ。でも、制服のおまわりがうろつくのは勘弁してくれ」

「わかりました」

「できれば、あんたと、もう一人くらいで、何とか警備ができないか?」

「二人、ですか。それはちょっと、厳しいですね」

「Dって奴、予告状なんか出したことないんだろう? まだ悪戯ってことも考えられるじゃないか」

 往生際が悪く、和輝がごねている。

「何かやましいことでもあるの?」

 単刀直入に留美が言った。

「いや、そんなことはないが……」

 留美はDのことを説明しているところから聞いていたのだろうか。だとすれば、藤田がダイヤで女を釣っていたことも聞かれたはずだ。藤田の奴、気の毒に。このお嬢様は素直というか、思ったことを真っ直ぐに投げかけてくる。

十無は戸惑っている藤田和輝を見て苦笑した。

早速、十無は応援を呼び、とりあえず丸さん他、私服警官二名に来てもらうことにし、足形を取るために鑑識も要請した。

「藤田さん、狙われているダイヤは何処に保管していますか?」

「一階の俺が使っている寝室の金庫に入っている」

「見せていただけますか」

 和輝は渋々頷くと、十無と留美を部屋に案内した。

和輝はベッド横に屈んで、壁の一部をコンと拳で叩き、大学ノートを二つ並べた程度の大きさがある壁板をはずした。

「まあ、すごい。隠し金庫になっているの?」

 留美が感嘆の声を上げた。

その隠し扉は、木目の壁のため境目がわからず、一見したところでは見つからないようになっていた。

和輝は緊張した面持ちで金庫のダイヤルを回し、小ぶりだが重そうな扉を開けた。

「これです」

 金庫の中にあるビロードの袋に入っている石を取り出し、和輝は二人の目の前に、手のひらを広げてダイヤを乗せて見せた。

「それにしても、すごく大きいダイヤ。綺麗ねえ」

 留美がため息を漏らし、うっとりしている。

「これは、家宝なんだ。いずれ、俺が受け継ぐ。そして、俺の妻になる女がこれを見につけることになる」

 そう言いながら、和輝はそれを留美の手のひらにぽんと乗せた。

留美の手の平で、見事な大粒のダイヤが怪しい光を放っていた。

「和輝さん、こんな大切なもの、軽々しく他人に触らせてはいけないわ」

「留美はいいんだ」

 そう言って、和輝は熱い眼差しで留美を見つめ、留美はその視線に戸惑ったのか、俯いて頬を紅潮させた。

 おいおい、こんなときに女を口説くな。それに、このお嬢様もまんざらでもないのか。それとも、他の女と同様、ダイヤに目がくらんだのか。俺の存在を忘れるな。

 目の前で愛の世界に浸っている二人に、十無は眉を寄せていたが、丁度、玄関チャイムが鳴ってラブシーンは中断することになった。

「きっと、相棒が着いたんでしょう」

 やれやれと、この場から離れることにほっとしながら、十無は玄関へ向かった。

「丸さん、待っていました」

「どうした? 何かあったのかね」

「いや、あの二人に当てられて」

 十無はそう言って肩をすくめた。

「一人身には辛いな」

 少し遅れて、藤田和輝が玄関にやって来た。その後ろに、頬を上気させた留美が静々とついてきた。藤田がキスでも迫っていたのではないか。

 彼女みたいな女性が、何故こんなにやけた野郎と……。

そう思うと、十無は面白くなかった。

苛々した感情を抑え、丸さんと二人の若い私服警官を居間に通して、藤田から聞いた話と、予告状のことを話した。

「……まるで、怪盗気取りだ。こりゃ、Dという奴は愉快犯かもしれんな」

 丸さんが唸った。

「二十五日って、明日の夜中だわ」

「明日は、昼過ぎにはサークルの連中も戻って来るけれど」

「事件に巻き込まれる可能性がある。本当に現れるのかわからないが、念のため、悪いがその人達には引き取ってもらった方がいいだろう」

「仕方ない、わかった」

 十無に言われて、和輝は面倒そうに返事をした。

二人の私服警官には、外の車に待機してもらい、張り込みを頼んだ。丸さんは二階の部屋から外の様子を伺い、十無は一階の隠し金庫のある部屋で警備をすることにした。

鑑識は窓下の足型を採取して署へ戻った。

足のサイズは二十五センチ、大柄だがやはり女性のものだった。

「刑事さん、ご苦労様です。夕食、食べそびれてしまいましたね。良かったらサンドイッチをどうぞ」

 二十時をまわった頃、北山留美が十無のところへ皿に盛ったサンドイッチを持ってきた。

「ありがとう」

「今夜は休まれたら? 明日の夜来るんでしょう?」

「泥棒の言うことなんか当てになりません。こちらを欺く、陽動策戦かもしれませんから」

「そうですね。ごめんなさい、素人が口出しして」

「いや、そういうつもりで言ったわけでは……それに、途中で交代して仮眠をとらせて頂きますから」

「そう、良かった」

 留美は優しく微笑んだ。心底、体を心配してくれているようだった。

「留美さん、あなたも何処か他の所に泊まった方がいい」

「足手まといでしょうか」

「いや、そうではなくて。危険ですから」

「私、少しわくわくしているんです。推理小説も好きですし。だって、こんなこと滅多にないでしょう? 不謹慎かしら」

 やはり、十無の想像通り、留美は相当の推理小説かぶれのようだった。

「しかし、これは現実です。何が起こるかわかりません。貴女の身を守りきれないかもしれない」

「自分の身くらい自分で守れます。こうみえても、柔道の心得もありますから」

 やれやれ、これだから暇をもてあましている人種は困る。

 十無はそうですかと、愛想笑いを浮かべるしかなかった。

「でも、お若いのに刑事だなんてすごいですね。刑事になるって大変なんでしょう?」

 留美は瞳を輝かせながら、十無に羨望の眼差しを向けた。

「い、いえ、ただの公務員です」

 十無は五十センチと離れていない彼女から、逃げ出したい衝動に駆られていた。

若い女性と二人きりで、それもこんなに身近で話しをするのは、かなり不得手だった。

意識するまいと思えば思うほど、十無は自分で赤面していくのがわかった。

「留美、ここにいたのか。こっちでワインを飲まないか?」

「ええ、今行くわ。お仕事、頑張ってくださいね」

 和輝が部屋に顔を出して留美を呼んだので、十無はほっとした。

 ワインか。賊が来るかもしれないのに余裕だな。

 十無はサンドイッチにかぶりついた。

 じっとしていると眠くなる、十無は時折、部屋の中を歩き回って窓から外を窺った。

 今夜は大丈夫だろう。いや、裏をかかれるかもしれない。そう思って気持ちを引き締めた。

 時計は二十二時を過ぎた。

「刑事さん……」

 留美がドアからそっと顔を出した。

「どうかしましたか」

「あの、居間にいていただけません? 和輝さんがちょっと……」

 藤田にも困ったものだ、嫌がる留美さんに言い寄ってくるのか。

 留美の困ったような表情を見て、十無は勝手にそう解釈してため息をついた。

「ここを離れるわけに行かないので、丸さん……丸山に行ってもらいますから」

 十無は二階にいる丸さんに無線で伝えようとしたのだが、留美はそれを遮った。

「あなたではだめなの? だって歳が近いほうがお話ししやすいんですもの」

 懇願する留美に負けた十無が「わかりました。今行きます」と返事をすると、留美はにっこり微笑んで、待っていますと言って居間へ戻った。

若い女の子の相手は避けたいというのが十無の本音だったが、仕方なく丸さんを無線で呼んで、金庫の部屋に来てもらった。

「今夜は何も起こりそうにないですね」

「明日もそうだといいが」

「俺は現れてほしいですけれどね。捕まえられるから」

「若いってのはいいねえ、血気盛んで。私みたいになっちゃ、平穏無事なのが一番って思うようになる」

 丸さんはそう言って笑った。

 金庫のある部屋を丸さんに任せて十無が居間へ行くと、留美がソファにちょこんと腰掛けて待っていた。

 その向かいに和輝が座っている。というか、寝そべっていた。

「藤田さん?」

「和輝さんは寝てしまったんです。ワインを飲みすぎたのかしら」

 留美の顔も暖炉の火に照らされているだけではない、紅潮した頬をしていることに十無は気がついた。だが、全く酔っていないようだった。

 テーブルには空になったワインボトルが一本と、半分も入っていない飲みかけのワインボトルが置いてあった。

 留美さんを酔い潰そうとして、先に自分がダウンしてしまったのか。情けない男だ。お嬢様はお酒に強いらしい。

 十無はいいざまだと鼻で笑った。

「一人だと、ちょっと怖くて」

 お嬢様のさっきの勢いは何処へやら。しおらしく、ここにいてほしいと十無に懇願した。留美は不安そうにじっと十無を見つめている。

 十無は女性が嫌いなわけではないのだが、今まで酷い目に合っているお陰で臆病になり、女性を避ける癖がついていた。

 しかし、十無は留美に多少好感を抱いていた。

大人しい女性。でも何処か芯があって、自分を持っている。そんな風に感じていた。

「刑事さんは、やっぱりワインは飲んではいけないのかしら」

「勿論」と、十無が返事をした。すると、留美は紅茶をマグカップに並々と淹れてくれた。

 向かい合わせのソファは和輝が寝そべって占領しているため、十無は仕方なく彼女の隣に座った。

「今夜は興奮して寝付けないわ。子供みたいね」

 留美は肩をすくめて、悪戯っぽく笑った。黒髪がさらりと揺れる。

彼女の一つ一つの仕草が、なんとも可愛らしい。華やかさはないが、可憐な櫻の花弁に包まれているような、優しい印象を受ける。

 十無もその笑顔に引き込まれ、自然と笑みがこぼれた。

「よほど推理小説が好きなんですね」

「そうね、わくわくするお話が好きなの。恋愛小説って、退屈で。だって、相手の行動に一喜一憂するなんて、私、苛々しちゃって。その点、謎解きって最後はすっきりするでしょう?」

 そう言って留美は、ワイングラスをくいっと飲み干した。

 人は見かけによらないというのは本当だ。留美はおしとやかなお嬢様そのものという印象を受けるが、冒険好きな嬢様のようだ。

「でも現実は、そうすっきり終わることばかりではないですよ」

「やっぱり、そうよね。刑事さんは何の担当なの? 泥棒?」

「まあ、そうです」

 十無はまだ熱い紅茶をごくりと飲んだ。昼間飲んだ渋い紅茶と違い、体の芯から温まっていくような感じがした。

「刑事さん、地元の人じゃないでしょう?」

「わかりますか?」

「ええ、言葉が違うもの。北海道って方言らしいものはあまりないけれど、ちょっと乱暴で、容赦ない言い方をするでしょう?」

「ああ、そういえばそうかもしれませんね」

 十無はふと、丸さんの話し方を思い浮かべた。親しみを込めて話しているのだろうが、初対面の人は、少し面食らうかもしれない。

「旭川にはまだ来て間もないのかしら」

「ある事件を追っての出張です」

「あら、じゃあ東京から?」

「はい」

「どんな事件ですか?」

「それは、言えません。守秘義務がありますから」

「そうよね。ごめんなさい」

 留美は少しがっかりしたように肩をすくめた。

 と、その時、部屋の明かりが突然消えた。

「え? 停電?」

「違う、他の家は明かりがついたままだ」

 十無は素早く窓から外を覗いた。

「じゃあ……」

 明るく燃え上がっている暖炉の火が、部屋を辛うじて照らしていた。

「留美さんはここでじっとしていて下さい」

「いや、一人にしないで!」

 薄暗い中、窓辺にいる十無に駆け寄って、留美がしがみついてきた。

「しかし……」

 藤田は全く起きる気配がない。これでは身動きが取れない。

 十無は無線で丸さんに応答した。

「こっちは、何も起こっちゃいないよ」

 暢気な丸さんの返答があった。

 車で張り込んでいる二人にも連絡したが、人影は全くないという。

 そうしているうちに、明かりがついた。

年配の管理人の男が、居間に顔を出した。

「ブレーカーが落ちたんですよ。今、スイッチを入れたんで、大丈夫。この建物は見かけより古くてよく落ちるんです」

「あーもう、驚いた」

「あのう、手を離してもらえませんか」

「あっ、ごめんなさい」

 留美は慌てて十無から離れたのだが、十無は心臓が飛び出そうなほど動悸して、耳まで赤くなっていた。

 暗がりでは、賊が来たのではという緊張もあって、何も感じなかったのだが、明かりがついて自分に抱きついている留美を目の当たりにした十無は、一気に彼女を意識してしまった。

「刑事さん?」

 留美が訝しげに十無の顔を覗き込んでいる。

「何でもありません」

 どう見ても何でもないようには見えないだろうと自覚していたが、十無はそれしか言えなかった。

仕事中に何をやっているんだ。

自分にそう言い聞かせたが、直ぐに赤面が治まるはずもなく、顔を隠すように、右手を額に当てて俯いた。

 再び、すうっとジャンデリアの明かりが消えた。だが、今度は壁際にあるランプ型ライトはついたままだ。

「刑事さん、部屋を暗くすると、ここから夜景が見えるのよ」

 どうやら、留美が明かりを消したらしい。彼女は大きな出窓のカーテンを開けて、手招きをした。

「ほら、素敵でしょ?」

 十無は彼女に言われるままに、隣に立った。

ぎらぎらした高層ビルの明かりとはまた違った夜景だった。柔らかな街の明かりと目前のアーチ状の橋のライトアップが優しい光を作り上げて美しかった。

いつの間にか、火が出そうなほど紅潮していた顔の火照りは、治まっていた。

留美さんは俺のことを気遣って、明かりを消してくれたのか。いや、まさか。

「刑事さん、お名前はなんていうの?」

「東ですが」

「下のお名前は?」

「……十無、です」

「十無さん……」

 自然な感じで留美は十無にもたれかかった。彼女の長い黒髪が十無の胸元で揺れる。

「留美さん?」

「少し、酔ったかしら」

 黒髪から覗く、留美の白いうなじが暖炉の揺れる朱色の明かりに照らされて、十無の目に妖艶に映った。彼女の体が触っている部分だけ、じんじんと火照って体温が伝わってくる。

 あまり女性に免疫のない十無には、それは即効性の猛毒のようだった。

 東十無は瞬く間に恋に落ちたのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ