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1・奇妙な事件

 これは、アリアと東十無が出会ったある事件の話である。

「……どうもすっきりしない事件があってね」

 東十無の叔父、東俊介あずましゅんすけは、ため息をつきながら、「というか、事件にもならんのだがね」と言って、電話口で唸った。

「どういうことですか?」

 旭川東警察署刑事課課長である叔父は、その奇妙な事件を東十無に詳しく話してくれた。

 三週間ほど前、旭川市内で一件、窃盗事件の通報があった。

 パトカーが現場に急行すると、その家の主人が応対して、間違いだったと警官を引き取らせたという。通報者はその家の家政婦だった。

 念のため家政婦からも事情を聞きたいと申し出たのだが、夜も遅く、近所迷惑だから早く帰ってほしいという横柄な態度だったらしい。

 そして昨夜、同じように賊が入ったと年配の男から通報があり、その直後に再度若い男の声で、今のは見間違いだったと連絡してきたのだ。

どういうことか尋ねたところ、別荘の管理人が自分のことを泥棒だと思って早とちりして通報したのだという。   

その若い男は、別荘の持ち主の息子だと名乗った。電話口で管理人と代わって話しをしたが、年配の管理人は不振な様子もなく、すいませんでしたと誤報を認めたのだった。だが、それで終わらなかった。五分も経たないうちに、今度は怯えた様子の若い女性から、声を潜めて通報が入ったというのだ。

その女は、若い男――藤田和輝ふじたかずきは、嘘を言っているというのだ。人影を見た。だがすぐ逃げて行った。誰かに狙われているようだ、と。彼女は怖いので来てほしいと泣きそうな声で懇願し、早口で住所を告げて電話を一方的に切ったということだった。

いずれも通報後、被害者が事件を否定している。本当に誤報だったのか。

二件目の通報後の若い娘の助けを求める声。これはもしかして、都内で起きている、あの件と同じなのか。

十無は管内で耳にしたある噂が頭に浮かんだ。

「D、でしょうか?」

 話を一通り聞き終えた十無は、あまり口にしたくない名前を言った。

「やはり、そう思うか?」

 叔父も同じことを考えていたようだ。

「こんな地方でも、その可能性があるだろうか」

 叔父の声は自信がなさそうだ。

「東京から飛行機で約一時間半ほどでしたね。遠いようで近いかもしれません」

「十無、旭川へ来て手伝ってくれないか。Dの事件にかかわっているのだろう?」

「かかわっているというほどではないですが」

 つかみ所のない泥棒が暗躍しているようだ。

被害届けの出ない事件。被害者が公にしたくない金。そんな金が闇から闇へと盗み去られているのではないか。

旭川にいる叔父に、十無が何気なく電話口でそのことを話題にしたのは、一週間前のことだった。 

東京と旭川という離れた場所に住んでいて、顔を合わすのは年に数回程度だが、十無はこの四十八才になる叔父を信頼し、気にかかることがあると電話でよく相談していた。

当初、この事件にもならない奇妙な出来事は都内で確認された。

始めは誰も気づかなかったのだが、署内で奇妙な噂話として流れていたのを、たまたま小耳に挟んだ十無が捜査対象でもないのに、興味を持ったのだった。

悪戯や誤報自体、かなりの件数がある。不振な誤報だと見分けるのは難しい。だが、その中でも担当者がこれは変だと感じる通報がここ数年のうちに何件かあったらしい。

「何か水面下で、掴みきれない事件が起きている。ガイシャが、隠したがるような事件。怪盗が暗躍しているのではないか」

次第にそれは都市伝説のような、奇妙な噂話として所轄の警官達に広まっていたのだった。

それらにはいくつかの共通点があった。

第一通報者は、使用人、またはその家の財産管理状況をよく把握していない者。そして、その後、誤報だったと連絡してくるのは決まってその家の主だった。

いずれも資産家ばかりというのが、十無には引っかかっていた。

噂されているように、何かが水面下で起きている。皆は噂に過ぎないと言って一笑に付し、真面目に取り上げようとしなかったのだが、十無は違っていた。

そんな噂に十無が興味を持った頃、管内で白昼に窃盗事件が発生したのだった。

十無が同僚と駆けつけてみると、不動産会社社長は自宅寝室の床下にある開いたままになった空の隠し金庫の前で、警官がいる中、座り込んでいた。

「Dだ。奴が俺のところにまで……」

 放心状態の社長はそう口走って呆けていた。

 通報者は、買い物から帰宅したばかりの家政婦だった。

連絡を受けて会社から真っ先に飛んできた社長は、空の隠し金庫を見て愕然としていた。

警官が先に到着してしまい、隠し金庫の存在を隠しようもなく、社長は諦めきった情けない顔をしていた。

「いや、その、あまり金は入っていなかったんです。本当です」

「だから、一体いくらあったんですか?」

「五百万、いや、百万かな?」

 それにしては、頑強な隠し金庫だった。

「Dって、誰です?」

「え……いや、そんなこと言ったかな?」

丸々とした体格の社長は、広がりつつある額に脂汗を流しながら、十無の質問にしどろもどろに答えた。

「現金だけですか?」

「いや、いえ。――はい」

 どうも要領を得ない。

 鑑識係が辺りを調べたのだが、手掛かりとなるようなめぼしい物証は出てこなかった。

「こりゃ、プロですね」

 鑑識係が十無に耳打ちした。

 同僚のベテラン刑事、天宮あまみやは、汗だくになっている社長を落ち着かせるため、別室に移動させた。

 十無は警察に連絡した家政婦に事情を訊いた。

「いえね、帰って来たら、ちゃんと玄関の鍵は閉まっていたんですよ。それで、部屋を掃除しようと思ったら、こんなことになっていて。そりゃぁ、驚きましたよ。で、慌てて通報したんです」

 五十代位の人の良さそうな小太りのその家政婦は、興奮冷めやらず、十無に向かって一気に話した。

「そのあと、旦那様にも連絡したら、それが凄い剣幕で怒られて。でも、泥棒に入られたのは私のせいじゃないでしょう? 鍵もかけ忘れちゃいないし。ねえ、刑事さん」

 家政婦は自分は悪くないということを、しきりに繰り返し訴えていた。

あの社長は泥棒に入られたことを責めたのだろうか。もしかしたら、通報したことを怒ったのではないか。

十無はふとそう思った。

 緊急配備もしかれたが、夜になっても何も手がかりもなく、被疑者は捜査網にかすりもせず、まんまと逃げられてしまった。

結局、その社長は当初言っていた金額より遥かに少ない、現金二十万円の盗難届けを出して、手掛かりがない状態で二ヶ月が過ぎ、今日まできたのだった。

手口から割り出そうとしても、該当する常習犯はいなかった。全くのノーマーク。しかも、かなりのプロのようだった。

そして、今回の旭川での不振な通報。叔父からの勧めもあったのだが、十無はいても立ってもいられず、上司に相談して出張を願い出たのだった。

これは広域窃盗犯。それもグループでの犯行かもしれない。となると、所轄刑事の出る幕ではないのだが、ここまで情報を掴んでおきながら、本庁に持っていかれるのは尺に触る。

税金になるはずだった金。裏金や脱税の金品をよく狙う泥棒。通称、Dという泥棒の存在。被害者はDに狙われたことが公になれば、脱税の疑いをかけられるという理由で、ほとんどが盗難届けを出さないという困った現象が起きているのではないか。

今ならまだ、『現金二十万円の空き巣』だ。

旭川の通報も、もしかしたらただの偶然かもしれない。

十無は軽く考えていた。

東京は春一番が吹いて暖かい陽気が続いているが、旭川はまだ雪が残っているのだろうか。この薄手のコートでは張り込みには寒かったかもしれない。

十無は機上で、これからの捜査のことを考えて意欲をたぎらせて胸躍らせていた。

この事件が、十無を追い込むような顛末になるとも知らずに。

 

旭川へ着いた東十無は、真っ先に東警察署を訪れた。

といっても、慣れないバス利用に手間取り、たどり着いたのは昼だった。

「ご苦労さん、まず飯でも食うか」

 気さくな十無の叔父、東俊介は快活な笑顔で迎えてくれた。

 三月の北国。旭川は暖かい日差しがさしているものの、まだ雪の中だった。

道路はところどころ雪のない部分が見え、気温が上昇したせいで雪が溶け出していたが、道路脇にはうず高く積まれた雪の山がどんと居座っている。

 解けてシャーベット状のざくざくとした雪道は、真冬よりも遥かに最悪の道路状況だった。

 車が通る度、車道から跳ねる泥雪に気をつけながら、五分ばかり歩いて十無と俊介は料理屋に行った。

 俊介は定食を二つ頼み、グラスの水をがぶりと一気に飲み干して、フウと一息ついた。

「今朝、捜査員を例の家に――それは別荘だったのだがね。早速、行かせてみた」

 十無は相槌を打ちながら、黙って話の先を促した。

「だが、藤田和輝に何も変わったことはありませんと、追い返されてしまった」

「女性は?」

「玄関先には出てこなかったらしい。女からの通報のことも話したのだが、何かの間違いだと言い張って、女とは会わせてくれそうもなかったようだ」

「何か、ありますね」

「向こうさんも、警察沙汰は困るようなことがあるのだろう」

「とりあえず、張り込むしかないですね」

「捜査員を一人、十無に同行させよう。何か出てきたら直ぐ私に連絡をしてくれ」

「わかりました」

「ところで、十無。まだ身を固める気はないのか」

 東俊介がさばの塩焼きをつつきながら、ちらりと十無に目をやった。

嫌な話題になった。十無は一瞬言葉を詰まらせたが、「今は仕事が楽しいですから」と答えた。

「そうか、その気になったらいつでも紹介するぞ」

 十無は叩き上げの刑事である叔父のことを尊敬していたが、家庭を持って一人前だという昔気質の持論には閉口していた。何かというとこの話が持ち上がる。

「まず、足元を固めろ。しっかりした女房を持たなければ、刑事としても伸びないぞ」

「はあ……」

十無は生返事をした。

 家庭と仕事は別だと思うが。

だが、十無はそんなことは口が裂けても言えなかった。

意味もなく愛想笑いを浮かべながら、十無はただ頷いていた。

女性は苦手だった。今までいい思いをした記憶はない。刑事を選んだのも、男職場で女性とのかかわりが少ないのではという理由が、僅かばかりあった。勿論それだけではないのだが。

ところが実際は、婦警との見合い結婚が多く、早くから縁談の話が飛び交う世界だった。上司はこぞって見合いを勧めてくるのだ。

それは十無が将来有望と見込まれる優秀な警官だということに他ならないのだが。

今の生活に満足しているし、仕事も楽しい。女性と付き合うなど、煩わしくて面倒なだけだ。これ以上何がいるというのだ。

叔父、東俊介の家庭円満の秘訣を聞かされながら、十無はそんなことを思っていた。

 

話し好きな叔父と、少し長めの昼休みを過ごした後、叔父は刑事課課長の顔になり、捜査員を一人、十無に紹介した。

「じゃ、頼むぞ」

 十無は課長に軽く敬礼すると、その捜査員を連れ立って、例の別荘へ車で向かった。

 運転は同行してくれた捜査員が行ってくれた。

「こっちは初めてかい?」

「いえ、生まれはここなんです。でも直ぐ引っ越しをして。祖母がこちらに住んでいますが、滅多に来ることはありませんし、冬は初めてですね」

「ほお。そういや、課長の甥っ子だもんなあ」

 道中、人懐っこい話しかけに、十無は少し戸惑いながら答えた。

車は解けた雪をジャブジャブいわせて悪路を走った。これが夜になるとまた氷点下に冷え込んで解けた雪はつるつるの氷となって、道路はアイスバーンになるという。

丸山岩雄まるやまいわおという盗犯係のその刑事は、厳つい名前に似つかわしくない柔和な笑顔で、別荘へ着くまでの間、始終、十無に話しかけた。

「俺のことは、『丸さん』でいい。みなそう呼んでいる。あんたのことはなんて呼べばいい? 課長と同じ苗字だしなあ。……トムでいいか」

 そのまんまだ。

丸さんのペースに乗せられ、十無はつい苦笑し、「いいですよ」と言った。

叔父の話だと、これでなかなかのやり手だという。歳は五十代前半か。警官にしては小柄で、四角い顔に白髪混じりの角刈り頭。細い目は笑うとなくなってしまう。

「ほら、着いたぞ」

 そこは住宅街だった。別荘といっても市内にあり、セカンドハウスといったところか。  

高台にあるそのログハウス風の邸宅は、一目で普通の住宅ではないことがわかる凝った造りだった。

高台のすぐ下に走る道路を通る時、建物を見上げると、市内を一望できる窓が大きく取られているのが見えた。

十無達は、その邸宅から数メートル程しか離れていない、住宅街の一角に車を止めて様子を伺った。

「――藤田和輝ですがね、現在二十二才で、東京の大学を今年卒業する予定で、その後は父親の会社に就職が決まっているそうだ。藤田の父親は、地元では中堅企業の藤田建設の社長ですがね、一人息子は我が儘し放題らしい。管理人の話によれば、今ここに滞在しているのは数人の大学の友人らしいな」

「数人って?」

「出入りが激しくて、一体何人いるのかわからないそうだ」

「やれやれ。で、その中に、通報した女の子もいるんでしょうか」

「多分ね。しかし、今時の娘は男の家に平気で泊まるもんですかねえ。もし、私の娘がそんなことをしでかしたら、びしっと言ってやるんですがねえ」

「さあ、どうでしょうか」

 十無は今時の娘の事情を知らないので、そう答えるしかなかった。

 どうしようか。車が滅多に通らないようなこんな住宅街で、長時間停車していたら、目立ちすぎて張り込みには無理がある。

「……もう一度、訪ねてみますか」

「それしかないでしょうな」

 丸さんも同じことを考えていたのだろう。直ぐにそう返事をして頷いた。

 二人はその邸宅の大きな玄関ドアの前に立って、顔を見合わせてからインターホンを押した。

「はい」

 男の無愛想な声がインターホンから返ってきた。

「警察の者ですが、こちらに若い女性が……」

「女? どいつのことだ?」

 十無の話しを遮り、男はそう切り返してきた。

「名前はわかりませんが、何人かいるのであれば、皆さんにお聞きしたいのですが」

「今はいない。出直してくれ」

 そう言い捨てて、男はインターホンを一方的に切った。

 二人はその場で顔を見合わせた。

「インターホンじゃ、取り付く島もない」

丸さんは顔をしかめて角刈り頭をかいている。

「困りましたね。夜に出直しましょうか」

「刑事さん、待って!」

二人が引き返そうとした時、玄関扉が勢いよく開き、長い髪の若い女性が飛び出して来た。

「おい、余計なことを言うな!」

 先ほどの声の主がそれに続き、彼女の腕を掴んで家へ引き戻そうとした。

「君、乱暴はよしなさい」

「あんたは黙ってろ」

 背丈が百八十センチ以上はありそうなその若い男は、女の腕をしっかりと掴んで、十無に鋭い目を向けて凄んだ。

「彼女は我々に用があるようだ」

「用はない! さっさと帰れ」

 男は間に入った十無の肩を軽く小突いた。

 よし、いいぞと、十無は内心ほくそえんだ。早速、常套手段を使った。

「公務執行妨害で署まで同行してもらおうか」

「何だと?」

「警官に手を出したら、どうなるかわかっているのかね?」

 丸さんも穏やかな笑みを浮かべながら、追い討ちをかける。

 男はその一言で怯んで女から手を離し、肩を落として急におとなしくなった。

「わかったよ。親父に知れたら、俺……」

 彼が藤田和輝だった。まだ学生気分の抜け切らない子供臭さを残している藤田は、情けない声を上げてうなだれた。

「ここで話しを伺っていいですか? お邪魔しますよ」

 有無を言わさず、十無は玄関へ進んで丸さんもそれに続いた。

 若い女は慌ててその先に立ち、居間へ案内してくれた。

 居間は吹き抜け天井になっており、カット硝子がきらびやかに輝く豪華なシャンデリアがつるされて、その側に幅の広いゆったりとした螺旋状の階段が場所をとっている。

壁は木目が美しく、大きな暖炉を囲むようにどっしりとした重厚感のあるソファが置かれ、足元には毛皮が敷かれている。ログハウスの雰囲気もありながら、貴族趣味の感じられる室内だった。

 外から目立って見えた大きな窓からは、市内が一望できた。遠くにパルプ工場の煙がたなびいている。

 十無は丸さんと並んでソファに腰掛けたのだが、体が沈み込んで居心地が悪く、何度か座り直した。丸さんの方を見ると、同じことをしていたので十無は思わず苦笑してしまった。

十無は一般庶民には縁遠い世界に足を踏み入れた気がした。

「紅茶ですけれど、口に合うかしら」

目の前に、二客のブルーオニオンのティーカップが置かれた。

先ほどの若い女が、柔らかい物腰でティーポットに手を添えて、並々と紅茶を注いだ。

 彼女は地味なグレーのワンピースを着ているが、艶やかな長い黒髪にうまく調和して、それが一層彼女の美しさを際立たせていた。

 日本人形のようだな。

十無はつい、彼女に魅入ってしまった。

何処か優雅な雰囲気を漂わせている彼女は、藤田の幼さが残る荒っぽい態度とは対照的で、落ち着きがあり、彼より年上に感じられた。

 この二人は恋人なのか。確かに藤田和輝の外見は、女にもてそうな容姿の整った好青年だ。しかし、どう見ても体育会系の和輝と、大人しい雰囲気で落ち着き払った彼女とは、ちぐはぐな印象をぬぐえず、接点がないように十無は感じた。

彼女が刑事達と向かい合わせにソファに座ると、ふわっとオレンジベルガモットのエキゾチックな香りが漂った。

「ほう、変わった香りだ」

 丸さんはカップに鼻を近づけて匂いをかいでから、一口飲んだ。

「アールグレイです。最近は紅茶もペットボトルで売っていますけれど、香りがなくて」

 丸さんは、「うん、いい香りだ」と言って飲んでいる。

 十無も口にしたが、紅茶といえばたまに飲む缶入りの甘い紅茶しか飲んだことがなく、砂糖が入っていない渋めのアールグレイは苦いだけのように感じられた。

「お砂糖入れますか?」

 彼女はそれを察したのか、口に手を当ててくすっと笑った。

十無は子ども扱いされた気がして、面白くなさそうに「いえ、いいです」と無表情で答えた。

「で、用件は何ですか? 刑事さん」

 さっきから落ち着きなく居間をうろうろしていた和輝が、苛ついた口調で話しを促すように言った。

「ああ、そうでした。まず、こちらのお嬢さんから話しを伺いましょう。私らに言いたいことがあるんでしょう?」

 丸さんが愛想よく言った。

「ええ……」

 彼女は和輝の顔を窺い、同意を求めているようだった。

留美るみ、さっさと話せ」

 そう言って和輝はぷいと窓の外を向いた。

藤田にそう言われ、彼女は恐ろしい出来事を思い出したのか、緊張からなのか、色白の美しい顔を少し青ざめさせて話し始めた。

「今朝、こんなものがあったんです。私、怖くて。和輝さんは悪戯だって言うけれど」

彼女はビニール袋を取り出し、テーブルの上でそれを注意深く逆さにして、その中に入っている細かく千切られた紙を出した。

 十無と丸さんは白い手袋をはめると、その三十片余りある紙の、文字が印字してある部分だけをつなぎ合わせて覗き込んだ。

『貴殿の所有する、ダイヤを頂きたい』

 手紙の中ほどに、ワープロ打ちされた文面が読み取れた。

その手紙は宛名もなく、無造作に四つ折りにされて、今朝、郵便受けに入っていたのを和輝が見つけたのだという。

「予告状か。一昔前の小説に出てくる怪盗気取りだな」

 手紙を細かく千切ったのは和輝だった。警察に届けようと彼女が言ったのだが、塵箱に捨ててしまったのだという。

「俺が捨てたものを留美がわざわざ拾い集めたんだ。それも箸で」

 和輝は嘲るように笑った。

「だって、こういうものって指紋をとったりするんでしょう? 刑事さん。だから、手紙は和輝さんしか触っていませんから」

 彼女は真剣な眼差しを、二人の刑事に向けた。

 今までDが予告状を用いたことはない。とすると、これはやはり悪戯なのか。それに、こんなに小さく千切られては、多分、藤田和輝の指紋しか出ないだろう。

彼女は推理小説好きなのかと、十無は苦笑しそうになるのを堪えた。

「馬鹿らしい。留美があんまり怖がるから、誰かが悪戯したんだ」

「誰かとは?」

 すかさず、十無が質問した。

「私の他に、和輝さんのサークル仲間がここへ泊まっているんです。今日は今朝早くに春山スキーへ行っています」

「あいつらの悪戯さ。きっと、俺のことを妬んでいるんだ」

「どういうことですか?」

「俺が留美と出会って、連れてきたから……」

 和輝の歯切れが悪く、ばつが悪そうに右手で顎をさすっている。

「失礼ですが、お二人はどういう関係ですかな?」

 丸さんが単刀直入に訊いた。

「お友達です。最近知り合って……」

「留美は美瑛の風景写真を撮りに来ていたんだ。で、俺がナンパして……」

「ナンパだなんて。私、財布を失くしてしまって途方に暮れていたんです。そうしたら、和輝さんがご親切に大勢で泊まっているから、どうぞって誘ってくださって」

 和輝が彼女に気があるのは見え見えだ。はっきりとナンパだと言っている。それなのに、このお嬢様は旅先で出会った見ず知らずの男の家に泊まるという、なかなか大胆な行動をとっている。それとも世間知らずなだけなのか。

彼女は北山留美きたやまるみといい、都内の女子大生で、歳は十九歳! とのことだった。大学名を訊くと、十無の予想通り、お嬢様学校だった。

「彼女美人だろ? だから、あいつら……」

「なるほど」

 丸さんが大きく頷いた。

 留美はそう言われ慣れているのか、あからさまな和輝の言葉に何のリアクションも示さず、ただじっと十無の顔を不安そうに見つめている。

 今時、あまり見かけない純和風なお嬢様のつぶらな瞳に見つめられ、十無は顔を赤くして、千切られた手紙の方へ目を移した。

「念のため、この手紙はお預かりします」

「そんなもの、調べても時間の無駄だ。ここにはダイヤなんてないんだから」

「まあ、悪戯ということも考えられますが。皆さんが帰ってきたら、そこのところを訊いてみて下さい」

「北山さん、こちらにはいつまで?」

「あと、一週間はいる予定です」

「それでは、我々も今夜、もう一度お伺いします」

 そう言って十無が立ち上がると、和輝は慌てて近寄り、言いづらそうに声を潜めて耳打ちした。

「刑事さん達、また来るのか? ……今夜はあいつら、帰ってこないけれど」

「あら、和輝さん、そうだったの?」

 留美は初耳だったようだ。

「うん、急にあっちに泊まってくるって、さっき電話があったんだ」

 和輝は愛想笑いをして、右手で顎をさすっている。

困ったときにそういう仕草をするのがこの男の癖らしい。

 和輝は留美さんと二人っきりになるように、初めから仕組んでいたようだ。それはサ―クルの連中も面白くないだろう。悪戯の一つもしたくなるというものだ。

「じゃあ、今夜は和輝さんと二人なの? 私、怖いわ」

 北山留美は賊を怖がっているようだったが、十無には藤田和輝の方がよほど危険な気がした。

「二人って言っても、管理人夫婦もこの建物内の部屋にいるし、大丈夫だよ」

「でも……刑事さん、泊まっていただくことはできないんですか?」

「無理を言うな。そんなことできるわけがないだろう」

「いえ、いいですよ。私が泊まりましょう」

 十無は即答した。もし事件性がないにしても、この魂胆がみえみえの藤田和輝と、世間知らずの北山留美を二人きりにするのは、忍びないと思ったのだ。

「トム、あんまり余計なことに首を突っ込むなよ。面倒なことになるぞ」

「わかっています」

 丸さんが二人に聞こえないように、十無に短く忠告した後、「どうもおじゃましました」と言って軽く会釈をし、十無を残して邸宅を後にした。

 十無が泊まることになり、落胆の色を隠しきれない和輝は、顔が引きつっていた。

「私、管理人さんに夕食は三人分になったと伝えてきます」

 なんとなく、その場に居づらく感じたのか、留美はそう言って居間を出た。

「刑事さん、事件でもないのにこんなことをしていいんスか?」

「今のところ、あの予告状が悪戯だとは断定できませんから」

「僅かな可能性でも警備してくれるってわけか。随分親切な刑事だな」

和輝は嫌味を言った。

「刑事さん、まさか留美に気があるんじゃないだろうな」

 和輝は探る様な目を十無に向けた。

「きみ、何を馬鹿なことを」

「いや、刑事だって男だからな。念のため言っておいた。あいつは俺の女だ」

 いけ好かない野郎だ。こいつ、もう彼氏気取りか。留美さんのような女性がこんな男を好きになるはずがない。

 十無は知らず知らずのうちに藤田和輝に煽られ、賊を捕まえるという当初の目的から外れて、是が非でも北山留美をこの男から守ってやらなければという思いに支配されていた。


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