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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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カマキリを殺すもの

作者: カピバラ
掲載日:2026/10/10


 アスファルトの歩道をカマキリが彷徨っていた。

 その様子を、まだ年端も行かぬ子供が眺める。


「坊主、カマキリ好きなのか?」


 やさぐれた声がしたのでそちらの方を振り向いてみると、いかにも浮浪人の風貌をした初老の男が立っていた。


「知らない人とお話したらいけないとお母さんに言われています」


「なんだよ、最近のガキは偉いねぇ。そんなお前におもしれーもん見せてやろうか?」


 そう言うと男は地面を歩いているカマキリを持ち上げて、ついてこいと子供に言う。

 素直についてくる子供に先ほどの問答はなんだったんだと、男は半ば呆れていた。


「ハラビロカマキリってのはな、樹上性の虫なんだよ」


 はらびろかまきり。正式名称を言われて一瞬何を指しているのかわからなかったが、カマキリという最後の響きを聞いて、男が持っているカマキリのことなのだろうと少年は気づいた。


「じゅじょうせい?」


「木とか草の上でしか生活しない虫のことだ」


 それなら話が矛盾している。子供は先ほどのアスファルトの上を歩いていたカマキリを思い出す。


「でもおじさんの持ってるカマキリは地面を歩いてた」


「そう。お前なかなか鋭いじゃねえか」


 子供は男の言葉に少しだけ嬉しくなった。


「その答えを今から坊主に見せてやる」


 たどり着いたのはすぐそこの河川敷の川のほとりだった。流れ着いた砂礫と石の上に男はそのカマキリをそっと置いた。


「見てみろ」


 促され、子供は素直にカマキリのほうをじっと見つめる。

 地面に立ったカマキリは、まず初めに自身の鎌を舐めて手入れを行う。


 そして、誘われるようにして川が流れる方へとその足を運んだ。


「あっ...」


 まだまだ浅瀬だが、カマキリは自身の体が水に浸かる所まで進んでしまっていた。奇怪な行動に子供は不思議に思う。

 生き物はすべからく、生きたいと思っていると考えていたから。その正反対な行動に戸惑う。

 水の中は苦しいのに。少年の胸中にその言葉が自然とわいた。


「これだこれ。ほらお尻のほうを見てみろ」


「うわぁ、なにこれ」


 気持ち悪い。子供の感想はそれに尽きる。

 カマキリの下腹部から、黒い糸状のものが生えるようにしてうねっていた。


「お前これが何か知っているか?」


 子供が顔を青くしながら首を横に振った。


「ははは、苦手だったか、こういうの。これはなハリガネムシっていうんだよ」


 針金。確かに見た目はさびた針金に見える。けれどこれが虫、生き物だとは子供には思えなかった。


「寄生虫だよ、寄生虫。しっているか寄生虫?」


 子供は静かに頷いた。その表情にどこか陰りがあるのを初老の男は少し気になりながらも説明を続けた。


「今の変な行動はな、尻からでたハリガネムシに操られてたんだ。カマキリに寄生して、水に帰るために操ったんだ」


「なんで、ハリガネムシはそんなことするの?」


「なんで、か。俺も詳しいことはわかんねぇけど、そうやったらうまく生きれたからとしか言えねぇな。図書館に行きな、坊主。そういうのは自分で調べてみるのが一番だ」


 その話を聞きながらも、子供は水に入ってしまったカマキリとついぞ這い出てきたハリガネムシを見ていた。


「カマキリはこの後どうなるの?」


 どこか苦しそうなカマキリの様子を眺めて、聞かずにはいられなかった。


「ああ、かわいそうだけどな死ぬんだよ。寄生されてしまったカマキリはそう長くは生きられないんだ」


 その話を聞いて、少年は少し悲しくなった。何かカマキリにできることはないかと思案した瞬間、カマキリはさらに歩みを進め、とうとう川に流されて行ってしまった。


「もう魚の餌だな。ありゃ」


 流されるカマキリをただじっと見つめて、とうとう見えなくなる。 

 ハリガネムシは気持ちよさそうに川の中でうねっていた。


 カマキリに寄生して、最終的には殺す。

 なんで、殺すんだろう。子供は心の中で呟いた。


 それから子供は初老の男に色々教えてもらった。トンボの捕まえ方。ザリガニの釣り方。よく飛ぶ紙飛行機の折り方。そのどれもが子供の知らないことばかりで、目を輝かせては男に倣って遊んでいた。


「おじさんは賢いです。いろいろ知っています」


 次は何かないかと期待のまなざしを向けられ、初老の男はこそばゆいと思いながらも、夕暮れが来たのを子供に告げる。


「もういい子は帰らないとな。お母さんが心配しているぞ」


「そうなんですか?」


「そうなんですかってお前なぁ」


 帰ります。子供は言った。

 おじさんのいう通りだ。家に帰ればお母さんは心配してくれていて、帰らないと悪い子になってしまう。

 おじさんは賢いから、きっとそうなのだ。

 子供はおじさんに手を振りながら帰路についた。その様子を初老の男はじっと見つめていた。


「最近の親ってのはあんな小さい子供を朝から夕方まで放置するもんなのかねぇ。体も細かったし、髪ものばしっぱな。...はっ、人の心配できる立場じゃねぇな。俺は」


 烏は遠く泣き、西日は赤く燃え、影は嘘みたいに伸びていた。










 子供は団地に帰り着くと、そっと玄関を開ける。窓からさす赤い西日だけが、廊下を静かに照らしていた。

 足を静かに進めて居間に入ると母親の姿が見えた。椅子に座り、机にうなだれていた。やはり周りは、酒ばかりが転がっている。

 起こさないようにと子供は台所をあさる。

 おなかがすいて仕方がなかった。


「ん、あれぇ、帰ってたんだ」


 ドキリとする。

 目をこすりながら母親が据えた瞳を子供に向けていた。


「帰らなくてもいいのに。...子供ってやっぱり寄生虫みたいよねぇ」


 今日のあの光景を思い出す。

 腹から這い出てきたハリガネムシ。

 僕はあれと同じなのだろうか。胸中から出てきた言葉は気持ちの悪い泥濘ぬかるみのようなものを心に作り出し、足を取られるような感覚に陥っていた。


 その日の夜ご飯は、母が家から出る前に置いて行った三百円で買った菓子パンだった。 

 子供は満足しながらも、散らかり切った部屋の中、乱雑に敷かれた布団の上で瞼が重くなる。

 今日はとても楽しかった。だというのに一番印象に残っていたのはあのカマキリとハリガネムシの出来事たった。


 そう言えば何処かに行ってしまったお父さんはお母さんのことをカマキリみたいな奴だと言っていたっけ。

 なぜ、父がそんなことを言ったのか子供には理解できなかった。

 少し考えてみたが答えには辿り着かずにすぐに眠りにつくのだった。

 子供が目を覚ましたのは、時計が三時を指すころだった。






 玄関から粗雑に扉を開ける音が聞こえ、不意に目を覚ます。

 母が帰った来たのだとすぐに察した。

 凡そ、母はまだ部屋が暗いこんな時間帯に帰ってくる。その日も帰宅の時間に変わりはなかった。

 母はよく感情がころころ変わる人だった。悪態を付きながら帰ってくることもあるし、鼻歌を歌いながら帰ってくることもある。


 ただその日はどこかが変だった。

 子供は少なくともそう感じた。

 いつもより静かだったのだ。


「起きて」


 静かな母の声に、自分が話しかけられたのだと気づくのにそんなに時間はかからなかった。

 母の言うとおりに、起き上がり「どうしたの」と問いかける。部屋は暗くて、母の表情はわからないままだった。

 ただ自分をじっと見つめていることはわかる。

 少しの沈黙が続くと、母はすぐそばのの紐を引いて蛍光灯の光を付ける。

 何度かの点滅を繰り返しながら、照らされた母の目元は先ほどまで泣いていたのか赤くはれていた。


 突然に、床に膝を付けて子供を抱擁する。


 子供はいきなりの出来事に混乱を来した。母の腕の中にいたのは一体いつぶりだろうか。というか、一度でもそんなことはあっただろうか。

 子供はどうすればいいのかわからずにただ、母のなすがままにされ状況を整理するしかなかった。


「ねぇ、ついてきてよ」


 抱擁を終え、母は電気をつけたまま子供の手を引いて、有無を言わせずに外に出た。

 どこに行くのだろうか。聞いてしまったらきっと母は不機嫌になり、状況がややこしくなる。だから黙ってその足取りをついてくしかない。

 母の握る力が強く少し痛い。あたりはしんと静まり返っていた。

 足を進めていくうちに子供は怖くなる。

 子供が母とどこかにいく時は大抵車だ。歩いてどこかに行くということは滅多になく、近くのコンビニでさえも車を使う。


「…どこに行くの?」


 怖くなって、聞いてしまった。いや、恐怖に駆られるだけではなく、母に止まって欲しくて声をかけたのかもしれない。

 梨の礫で歩を進める母に何故かアスファルトを彷徨うカマキリを想起させる。


「ねぇ、怖いよ」


 母が怖いのか、自分が怖いのか、何を指して怖いと言ったのか子供自身でさえも理解できてはいなかった。

 そのまま20分は経っただろうか。

 ただただ歩いてたどり着いたのは、すぐ近くの海辺だった。

 荘厳なさざなみが聞こえる。潮の匂いが肌を包む。夜の海は飲み込まれそうなほどに暗かった。

 逃げ出したい気持ちでいっぱいになっても、子供は手を振り解くことはできなかった。


 母の歩みは止まることなく、波打つ海のほうへと進む。

 手を握る力が強いということもあったが様子のおかしい母親を一人にはできなかった。


「...帰ろうよ」


 絞り出した声は少しだけ掠れていた。


「帰ろうよ!!」


 母の手を強く引っ張っても、非力な子供の力では歩みを止めることが関の山で、海から引き離すことは出来なかった。

 抵抗を示す息子に振り返った母親の顔はいつもより憔悴しており、子供も抵抗を止めてしまう。


「...寄生虫なんだからさ、最後くらい一緒についてきてよ」


 生まなければよかった。母親から、言われた言葉を思い出す。あんたのせいで私は何もできない。過去に言われて一番傷ついた言葉だ。

 多分僕は、母親にとってのハリガネムシなのだ。


 ならば、母親を殺してしまうのは






















『先日、20代から30代と思われる身元不明の女性の遺体が○○海岸にて発見されました。明朝に海岸付近で散歩をしているご夫妻に発見されたとのことです。身元や死因は現在調査中とのことです。また、女性の手の中には子供の靴が握られており、現在女性が発見された付近を今なお捜索活動が行われています。』




 ラジオからは嫌なニュースが流れていた。




「○○海岸っていやぁ、すぐそこじゃねぇか」




 子供の靴と聞いて、初老の男はあの子供のことを思い出していた。もしかしたら、と。


 首を振り、いやな考えをやめた。




「今日も行くか」




 最低限の金を得るため、本日も缶拾いの旅が始まる。


 


 何個か空き缶を広い、次のめぼしい場所に行こうとする。


 だのに、一つも缶が見つからなかったもう二度と行かないと決めていた場所へと足が進んでいた。  




 あの子供が、カマキリを観察していた場所だ。




 いないとは思いつつも、今朝のラジオのニュースがちらついて仕方がなかったからだ。




「あっ...。」




 確か、あの場所らへんだった。この前の子供と思しきものがそこにしゃがみ込んでいた。


 どうやら今日はカマキリはいないらしい。




 足は自然と子供のほうに向かっていた。


 近づくとともに、初老の男は子供が泣いているということに気が付いてしまった。




 話しかけるかかけまいか逡巡するが、さすがに見過ごすことはできなかった。




「おい坊主。なんで泣いてんだ」




 声は相変わらずやさぐれていた。


 振り向いた子供の目元は赤くはれていた。




「...おじさん。僕はハリガネムシなんでしょうか」




 唐突かつ素っ頓狂な質問に、思わず男は吹き出してしまった。




「んなわけねぇだろ。おめーはどう見たってただの坊主だよ」




「...ありがとうございます」




 なぜ、感謝されたのかよくわからなかったが久しく聞いたありがとうに男は目をそらしてしまった。


 これが照れ隠しなのだと自覚したとき、ばつが悪い顔になりながらももう一度子供のほうを見た。




「あ?、あの坊主どこにいったんだ」




 あたりを見渡しても、どこにもいない。


 少し周りを見歩いたがやはりいなかった。


 帰ったのだろうか。




 まぁ、悪い予感は悪い予感のままで終わってよかった。


 男は少しすっとした心持になりなら、その日の空き缶を集めていた。


 


 その日は陽気な日差しが世界を照らしていた。




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