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翼の心音  作者: 松岡織


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第二章-1 岡倉家


 倫と私の距離はすっかり遠くなった。元々私たちの関係は全て倫からの誘いだったので、彼女が誘って来ないのであれば、自然と消滅した。二人きりで会えば、きっとまた同じ話題になるだろう。それを思うと関係を修復する気になれず、私から誘うこともしなかった。大人と子どもの境界線上に居る私たちは、まだ清濁併せ呑むほどの心の広さは身につけていないし、融通も効かない。それに疎遠になれば、絶対に受け取りたくない倫の命を押し付けられることも無くなるだろう。喜ばしいことだと、私はこの関係解消をむしろ歓迎していた。

 それを後押しするように、進級と共に行われたクラス変えで、倫と離れて岡倉と同じクラスになった。倫とは選択クラスが全く被っていなかったので、接点も消える。これで私の世界を揺らす雑音は消え、清澄な毎日を取り戻すことができた。

 それなのに、毎日欠かさず二つのことを続けてしまう。朝起きて一番にインスタを起動し、倫の投稿の有無を確認するのだ。私をモデルにしたキャラのイラストは止まってくれたが、本来の彼女の作風である、可憐な美少女のイラストが時々アップされるようになっていた。そして学校に着いてからは、廊下を歩きながら隣の教室をチラ見して、生きている倫がちゃんとそこに存在しているかを探してしまう。そのどちらに於いても、彼女の無事を知ることで胸を撫で下ろしているのだ。これは友人を心配しての行動なのか、それとも命などという重い物を渡されたくない保身なのか、どちらの理由で続けているのか、自分でもわからなかった。


 そして、二年の夏休みに美大予備校の夏期講習にデビューした。予備校の知識がない私は、岡倉が通う学校、選択するクラスと全て彼の指示通りに申し込んだ。この申し込みの前に、今後の進路について父に相談もし、美大に進みたいこと、第一希望は私大であること、予備校に通いたいことなどを説明した。今の高校を選んだ時から、彼の中では既定路線だったようで、あっさりと余裕のある様子で受け入れられた。父は商社勤務で、サラリーマンの中では年収が上位の勝ち組だと私は認識している。家の居心地は決して良くはないが、大学に進学する学生の半数が奨学金を借りる今の時代に、この返事を貰えた私はかなり経済的には恵まれているのだろう。彼が自分の家庭の現状をどう捉えているのか、今一つわからないと常々感じているが、子どもの教育に前向きな所はとてもありがたい。

 ただ、父からの要望も二点伝えられる。第一希望は国立の東京藝大にしてほしい点と、下宿の予算は想定していないので家から通えということ。藝大は合格するとは思えないのでまぁ良いとして、やはり隣接している神奈川と東京では、一人暮らしなど贅沢なのだろう。どちらも『まぁ、そうだろうな』と納得したが、母だった人から解放されるには、自分で稼げるようになれと言うことだ。倫とは逆に、私は一日でも早く大人になりたいと願い、そのためにも、どこでも良いから現役合格をもぎ取りたいと願っている。

 だがその願いは簡単ではないと、予備校では自分の立ち位置を痛感させられた。現役の三年生、そして浪人生たちのレベルの高さに、二人揃ってどの課題でも下位の順位しか取れない。毎日授業の後に、順位順に並べられた作品を眺めて二人で意見を交換するも、結局夏期講習の間に私たちが上位に食い込むことは一度もなかった。

 最終日に打ち上げと称して、横浜駅近くのファミレスに繰り出す。倫と出かけていた時は、馬車道や元町など横浜を代表する観光地の、雑誌に取り上げられるオシャレなカフェに連れて行かれることが多かったが、岡倉と私はそんな所には行かない。特に風情もない横浜駅の周辺で、インスタ映えよりもボリュームのある店を選ぶのが常だ。

 打ち上げ名目ではあったが、現役合格はとても無理そうな現実を突きつけられた後なので、達成感など全くない。私たちはさすがに意気消沈していた。

「木暮さんって、明後日の日曜はヒマ?」

 岡倉はスマホを手に、何か考えている様子で問い掛けてくる。遊びに行こうとでも言い出すのだろうか。

「予定はないけど、学校の夏休みの課題をやろうかと思ってる」

 夏休みも残り一週間しかない。予備校に通っている間はそれだけで手一杯だったので、学校の課題はこれからだ。遊びの誘いなら断ろうと思っていたが、岡倉は意外なことを言い出した。

「明後日さ、俺、親父に時間貰っててね。この夏期講習で描いた作品の評価とアドバイスを頼んでるんだよね。それって興味ある? あるなら、あなたも一緒に見てもらえないか相談してみるけど」

「えっ!」

 岡倉と話すようになって、彼の父親であるアートディレクターの岡倉健一についても詳しくなった。四十歳を超えて第一線で活躍するのは難しいと言われるクリエーターの中で、彼は五十を超えた今も、話題になる広告を作り続けている。

「それはぜひお願いしたい。聞いてもらってもいいかな」

「だよね。俺たち、毎日かなり考えたし意見交換もしたけど、結局下位止まりだったし。アドバイスが欲しいよね」

 笑みを浮かべる岡倉だが、さすがに今日はその笑顔に元気はない。早速頼んでくれているのか、肘をついてスマホを持ち替え、両手の親指を使って文字入力を始めたようだ。

「でも、友達まで面倒見てくれそうな人?」

「うーん。素直に頼んだら断られると思う。仕事以外は面倒くさがり屋なんだよね。……だからさ」

 岡倉の意識は会話よりもスマホに向けられているようだ。言葉が途切れがちになったので待っていると、やがて送信が終わったのか、スマホを下げてへらっと笑う。その表情にはいつもの彼らしさが戻ってきていた。

「俺の好きな人だから、お願い、協力して! 自宅に呼ぶ口実になるし! って送っておいた。これなら引き受けるんじゃないかな」

 笑っている岡倉だが、きっと私はポカンとした表情を浮かべていたに違いない。まず、親とそんな会話をする関係であることに衝撃を受けていたし、その割には、父親と話すのにアポが要るという距離もまた謎だ。そして、そんな前振りをされた家に、一体どんな顔をして赴けばいいのか。

「……めっちゃ、行き辛くなったんだが」

「あはは、ごめん。でも、そのくらい言わないと見てもらえないと思うんだよね。どっちみち、家に女の子を呼んだら、うちの親父は好きな子だなって考えるだろうから、言うか言わないかの違いだけだよ。木暮さんは、そんな俺の下心には気づいてませんよって顔で来てくれればいいよ」

 元気を取り戻した岡倉は楽しそうに話しているが、これは父親の許可を得るための小芝居なのか、それとも本心が混ざっているのか。今の話し方ではどちらなのかわからない。この頃の岡倉は、恋愛的なニュアンスが増していると、会話の端々から感じている。私たちの関係は受験のためのバディだと念を押そうかとも思ったが、藪蛇になりそうなので止めておく。性別が異なるというだけで煩わしいんだなと感じていた。


 作戦が功を奏したのかどうかは不明だが、一緒に作品を見てもらえることになり、岡倉家がある私鉄の駅で落ち合う。友人宅を訪ねるのはこれが初めてで、まさか好きな人ポジションで男子の家に行くことになるとは思わなかった。それしか持ってないので、いつも通りの半袖シャツとデニムの真っ黒な服装で、案内に沿って進む道は、ずっと勾配が急な上り坂だった。

「毎日ここを登るの大変だね」

「あー、うん。でも慣れた。登るより、雪が降った翌朝に降るのがヤバイ。横浜に住んでると足腰が鍛えられるよね」

 海の近くは平地でも、少し奥に入るとアップダウンが厳しいのがこの街の特徴のひとつだ。十分ほど坂を登って到着した自宅は、小高い丘の上にある一軒家だった。

 決して豪邸ではないが、門を彩る花がすごい。その門を入って、玄関までの約十歩の距離から見える庭も、まるで映画にでも出てきそうにセンスが良い。洋風の造りで、芝とその周りに植えられた草花たちは、一見自然に伸びるに任せているようで、裏に計算を感じさせる。

「庭がすごいね」

「え、わかるんだ。イギリスで勉強してきたガーデナーの人にデザインしてもらったんだってさ。俺は興味ないけど、うちの親たちは自慢にしてるみたいだよ。時々夜に二人で庭に出てビールを飲んでるよ」

 庭の良し悪しなど全くわからないし、ガーデナーなんて言葉も今生まれて初めて聞いた。だが、この庭が発しているデザイン力だけは、間違いなく感じ取ることはできる。そして、庭を一緒に愛でるとは、随分と心に余裕があり、夫婦仲も良い親なんだなと、岡倉が人懐こい性格である理由がわかった気がした。


 リビングのソファに座っていると、冷やした緑茶のグラスを乗せた盆を持つ岡倉と一緒に、父親が登場する。私は立ち上がって、頭を下げた。

「初めまして、木暮です。よろしくお願いします」

 プロフィール写真や、専門誌のインタビュー記事などで何度も見たことがある岡倉健一は、私を一目見て、なぜか驚いた表情を浮かべている。そして慌てて息子を振り返った。

「ん? 何?」

 (いぶか)しげに息子が問い掛ける中、岡倉父はまだ動揺した表情で向かいのソファに腰を下ろす。それに(なら)って、私たち二人も着席した。

「いや、何でもない。えっと……息子がいつもお世話になってます」

 岡倉父はもう一度私に顔を向け、戸惑った様子ながらも丁寧に挨拶をしてくれる。だが、まだその表情は固く、私は何がこの場の問題点なのか理解できないままだ。

「いえ、お世話になっているのは、圧倒的に私の方で。いつも岡倉くんには助けてもらってます」

 何だかわからないが、教えを乞う立場なので、私も頑張って大人みたいな返事をする。突然岡倉父の双眸が大きく開かれた。

「えっ、『私』? あれっ、もしか……しなくても、女の子?」

「ちょっ! 初対面でいきなりそんな失礼なこと言うなよっ!」

 私が返事をするよりも先に、岡倉が大慌てで口を挟む。私の視界には、安堵の笑みを浮かべる父親が映っている。そして、やっと彼の表情が強張っていた理由(わけ)を理解した。

「申し訳ない! 落ち着いて良く見れば女の子なのに、パッと見、完全に男だと勘違いしました。背も高いし声も低いよねぇ。好きな子を連れて来ると聞いていたのに、え、なんで男? うちの末っ子はゲイだったのか? これはカミングアウトなのか? と、親心が暴走した結果、大変お見苦しいところをお見せしました」

 まるでテレビの中のタレントのように、岡倉父は演技と顔芸を交え、そしてユーモアのある言葉を選びながら謝罪らしきものをしている。隣の岡倉も一緒になってへこへこと頭を下げているのが面白かった。

「申し遅れましたが、晃司の父の岡倉健一です。男女の区別もつかないのに、アートディレクターをやっております。美大を目指していらっしゃるのなら、俺のことはご存じですよね?」

 もう謝罪モードは終わったのか、岡倉父は完全にふざけ始めている。テーブルの下で息子が父親の足を蹴ったのが見えた。

「こちらこそ紛らわしくてすみません。よく間違われるのに、女の人らしい格好が苦手で」

 岡倉父は私の返事を聞いた後に、にこっと微笑む。笑うタイミングと笑顔そのものが、この親子はそっくりだ。

「言い訳するとさ、人間の脳って、まずは全体をぼんやりと認知するんだよね。道を歩いてる時に、前から来る人の細部までいきなりフォーカス合わせて観察しないじゃない? 子どもが良い例で、『子どもだ』とはすぐ把握するけど、イチイチ顔までしっかりと見ないのがそれ」

 だから男子と誤解したと言いたいのだろうか。だが、こういうロジック自体は面白いので、私は喜んで耳を傾けている。これはもう、ほぼ視覚伝達論だなと考えていた。

「さて、出だしで(つまず)きましたが、本題に入って君たちの夏期講習の成果を見せてもらおうか」

 面白い父親からアートディレクターの顔に変化した岡倉健一は、両手を上向きに浮かせて、来い来いと指を踊らせた。


 テーブルに置かれた二人の作品ファイルを、岡倉父はすごい速度で確認している。時々手を止めて一秒程度じっと見ることはあったが、それ以外、彼は捲る手を止めない。岡倉と私は無言でその様子を見守った。

「結構な量を描かされたね。ハードな夏期講習お疲れさん」

 三分も掛からずに見終えた岡倉父は、二人に視線を向けながらまずは労う。そしてすぐに順位はどうだったのかと確認した。

「二人揃って、全作品下位だった。毎日帰る前に、上位と俺たちの何が違うのかを二人で意見交換して、課題を見つけながら翌日に挑んだけど、最後まで順位は上がらなかった……です」

 岡倉の答に何の過不足も感じなかった私は、隣で無言で頷く。岡倉父は『うーん』と唸った後に、もう一度作品ファイルをパラパラと捲った。

「二年の夏に、三年生や浪人生と張り合おうとしても難しいから、今の順位は気にするな。一般大学の入試だってそうだろう? 三年の夏に向けて、これからの一年間でどれだけ上げられるかが大事だよ。二人共、技術面がまだまだ甘い。学校で習ってる基礎を大切に、もっとスキルを磨け。で、それに追加して……」

 二人揃って『はい』と返事をしたところで、岡倉父は私のファイルにもう一度目を通している。

「木暮さんは色のセンスと構図がいいね。そこは君の長所だ。だけど、愛が感じられないのが最大の欠点だな。君は描いている間、このりんごとか花瓶とか布とか石膏像を、夢中になって愛していたか?」

 全く予想していなかった方向のダメ出しが来て、彼が伝えたいことの意味がわからず首を傾げる。

「いえ……そういう感情は全く持ってなかったです」

「だろうね。それが伝わる絵だ。君は頭でだけ描いていて、心で描いていないんだ。対象物に愛を感じていたら違う表現になっただろう作品がいくつもあった。俺はむしろ、愛を感じていないものをなぜ描けるんだと思っているけど。君も将来は広告に進みたいんだよね?」

「はい。そうです」

 対象物を愛していないと的確に言い当てられ、私は面食らっている。そしてそれが将来の進路とどう結びつくのかと、話の続きが気になった。

「広告クリエーターってさ、担当してる商品を本気で好きになって、その良さを日本中の人に伝えたくてしょうがないって熱量で作品を作るんだよね。アートディレクターはどう見せれば、その商品が一番輝くのかを考え尽くし、カメラマンはベストショットを探してシャッターを切り続ける。コピーライターは最高の一文を見つけるまで百でも二百でもコピーを書いてくる。それって全部愛だよね? 作り手に愛がないと、見る人の心を動かす作品は作れないんじゃないかなぁ」

 岡倉父の表情と声はやわらかいが、指摘している内容は辛辣だ。つまり私の作品には気持ちが入っていないから、人の心を動かせないと言っているのだ。そしてそれは、感情を捨ててロジックを拠り所にしている私の生き方そのものが、アートを続けるには向いていないと言われているのと同じだ。作品を見ただけでそこまで読み取られてしまうのかと驚く一方で、捨て去った様々な感情を今更甦らせようとは思えない。

「ありがとうございます。確かにロジックで表現しています。対象物に限らずですが、そもそも愛情を持つって一体どういう感情なのかが、私はよくわかっていないです」

 今の気持ちを正直に伝えると、岡倉父は大人が子どもを見守る表情を浮かべる。そして私の作品ファイルをパタンと閉じた。

「感情を育てるなら今のうちだよ。たくさん泣いて笑って、喧嘩して仲直りして、ドス黒い僻みや敗北感、俺すげぇって有頂天になっては現実を知って挫折して。どれもアートを表現するには、知っておくべき要素だ。ありとあらゆる感情を経験して、自分のものにするといいよ」

 私の選択とは真逆な生き方を勧められる。心の中で『マジかぁ』と天を仰ぐしかない。続いて岡倉へのダメ出しがなされたので、隣で聞く。私へのアドバイスとは対照的に、感情が先走っているから落ち着いて俯瞰的に物事を捉えるようにとの指摘だった。岡倉と私の作品に、真逆のアドバイスがなされるほどの違いがあるとは感じ取れない。彼の作品を改めて眺めても解らず、眉間に皺が寄ってしまった。

 一通り論評が終わると、岡倉父は『お茶のおかわり持ってきて』と息子を追い出す。 足音が遠ざかって行くと、ガバッと勢いよく私に振り返った。

晃司(こうじ)と付き合ってんの?」

 明らかに興味津々な様子でぐいぐい来られる。どうやらこの親子は、まるで仲の良い兄弟か友達のように関係が近いのだろう。私が生まれ育った家庭とは全く違う環境だ。話し方や反応の返し方が似ている点から考えても、きっと岡倉はこの厳しくも愉快な父親が好きなのだ。私は力の抜けた笑みを浮かべるしかなかった。

「友達です。愛がわかってないので」

「あはは、そうだったね。晃司の片思いか」

 私が一番苦手とする方向に話が転んだので、笑顔のままで返事を濁す。息子の恋愛事情に首を突っ込む親ってどうなんだと、ビミョーな気持ちになっているし、岡倉家の距離の近さは苦手だなと感じてしまった。


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