第一章-5 バディの申し出
横浜の街のディスプレイがハロウィンからクリスマスのイルミネーションへと変わる。仲直りをして以降、倫との関係も落ち着いた。まるで専属のキュレーターのように彼女が提案してくれる漫画を時々読んでは、感想を交換している。その役目を担当することに、倫はとても満足そうだ。私を育ててくれているつもりなのだろう。相変わらず上から目線ではあるが、倫が選ぶ作品はどれも秀逸で、私はもう不満には感じていなかった。
まだまだ初心者に毛が生えたレベルでも、少しずつ確実に、私の意識とスキルがアートに染められていくのを実感している。その日も午後になると、選択授業のクラスに移動してフリーアドレスの一席に腰を下ろす。学ぶことそのものが楽しいと感じられ、毎日が充実していた。
しばらくすると、頭上から聞き慣れた声が聞こえる。
「隣、座っていい?」
顔を上げると岡倉が私の隣の空席を指差している。もちろん断る理由はない。上期の試験の後にデザイン談義をしてから、選択クラスが重なることが多い彼とは時々話をするようになっていた。
「今日の課題は何だろうね。受験に役立つかどうかはわからないけど、私は何気にこのクラス、好きなんだ」
「俺も。将来仕事してから役に立ちそうだよね」
このクラスの名前は『アートディレクション』で、毎回違うテーマを取りあげて、幅広い分野でディレクションをする訓練だ。ウェブサイトのユーザーインターフェースだったり、書籍のエディトリアルデザイン、ロゴやゆるキャラ作りと本当に多種多様だ。変わったところでは、タレントの衣装や髪型のデザインをしたこともある。とても実践的なクラスだが、多岐に渡る知識が必要で、人生経験が乏しい高校生にはなかなか難しい。今日は隣と二人一組になって、相手らしさが伝わるポーズのディレクションをしてスマホで撮影しろという課題が出された。
(ポージングかぁ。そんなこと、今の今まで考えたことすらなかった)
確かに撮影でディレクションをするとしたら、タレントやモデルにどのようなポーズを取ってもらうか決めるのはアートディレクターだ。だが、ファッション誌さえ読まない私は、ポージングに関する知識が皆無だ。その上、岡倉らしさとは何なのかもよくわからない。まずはそっちから探ろうと、腕を組んで彼を観察した。
「難しい顔してるけど、アイデアまだ出ない? なら、俺が先にやってもいい?」
「もう方向性が固まったんだ?」
「うん。俺が抱いてる木暮さんのイメージで撮ればいいんだろ? なら、もうバッチリ」
上期の期末試験もそうだったが、岡倉はグラフィック系学科の中で、他の生徒たちを頭ひとつ以上リードしている。父親の指導があるのかどうかは知らないが、何の課題を出されても上位の結果を叩き出している、間違いなく学年トップだ。今も参考にさせてもらおうと、まずはモデル役を引き受けて立ち上がった。
「こんな感じのポーズでお願い」
渡されたスマホの画面には、ファッションショーらしき画像が表示されている。ランウェイに立つモデルが、両手を腰に当てて片膝を僅かに折り、斜に構えて立っている。
「……これ?」
意外すぎたので確認してしまったが、岡倉はふざけているわけではなさそうだ。スマホを返して、見よう見まねで同じポーズを取ってみた。
「うんうん。思った通り、木暮さんにはモデル立ちが似合うよ。身長があるし、姿勢もいいし、細いし。あと、いつも無表情だしね」
最後のひとつは笑い声と一緒だったが、事実なので冗談としては成立しない。触れてもいいかと聞かれて了承すると、腕の位置や首の角度など、細かく修正がなされる。この細部へのこだわりが、彼の作品の完成度に繋がっているのだろう。
「クラスの男にあなたのことを話した時、『背が高くてショートカットでファッションモデルみたいな人』って言ったら、すぐ伝わったよ」
「えー、黒い服しか着てないって言った方が、特定率が上がりそうだけどなぁ」
人によって思い描くイメージが異なる伝え方よりも、私なら事実だけをチョイスしただろうと考える。だが同時に、だから私は岡倉に追いつけないのだと気づく。事実は誰にでも言えるが、他人からの共感を得る表現を的確に選び取るには、特別な能力が必要だ。
(あー、そういうことか)
自分よりレベルが上の人と話すのは、やはり刺激になるし気付きをくれる。倫とは違った意味で、岡倉はいつも私にヒントをくれる。
ポーズを変えて三カットほど撮り、役割を交代する。自分が撮られている間に考えてみたが、岡倉らしさは人懐こい笑顔だ。座ってもらって、肩まである長い髪を後ろで結ぼうと両手を後頭部に回し、唇に髪ゴムを挟んで上目遣いで笑っているポーズを頼む。倫が描くイラストに凝縮された『映え』が参考になった。スマホで出来栄えを確認すると、悪くないと自画自賛する。
「撮ってみた。どうかな」
岡倉にスマホを差し出すと、ポーズを解いて凝視している。まんざらでもない様子に見える。
「俺って可愛いじゃん。男の色気もあるし」
「ははは……」
力なく笑ってスルーした後に、ポーズづけが楽しくなってきた私は、続けて別案の指示を出す。岡倉はノリノリで注文に応えてくれた。
その日はそのまま一緒に下校して、誘われるままに駅前のハンバーガーショップに入る。教室以外で会話をするのは、この日が初めてだった。
「木暮さんは、予備校の冬期講習って行く人?」
「予備校は二年の夏から行こうと思ってるけど、まだいいかなぁ。この学校が予備校みたいなものだし、私は今まで基礎もちゃんとやって来なかったから、まだ授業だけでも得るものが多いんだ」
「そうかぁ。行くなら同じところに誘いたかったんだけど、残念」
その言い方から判断するに、彼が予備校に通うことは確定しているようだ。グラフィック志望の他の生徒で、予備校に通っている話は、私の周りではまだ聞いたことがない。
「もう通うんだ。学年トップなのに」
「んー……だって俺、東京藝大一本だからさ」
「えっ、藝大しか受けないの?」
これにはさすがに驚いてしまった。美大受験の倍率はどこもかなり高く、大型校の多摩美や武蔵美でさえ、デザイン系の学部は六倍前後。だがこれが東京藝大ともなると、一気に十四倍まで跳ね上がる。しかも現役の合格率は毎年たったの二十%という、難関中の難関だ。驚いた声を出した私を見て、岡倉は力なく笑った。
「だってさ、聞いてくれよ。うちは、爺ちゃん、両親、姉貴と兄貴、そして従兄弟二人までもが東京藝大という、藝大一族なんだよ。藝大以外は美大に在らずって雰囲気があるし、他は受けられないかなぁ」
憂いているような、それでいてどこか楽しんでいるようにも見える表情で、岡倉は家庭の事情を語っている。家族や親族がどこの大学でも関係ないだろうと思ったが、彼には彼の価値観があるのか。
「木暮さんも藝大は受けるよね?」
「記念受験はするだろうけど、私の第一志望は武蔵美。次が多摩美。天才肌に高い点数を付ける藝大は私には合ってないし、私学の方が就職のフォローにも熱心で、大手に就職しやすいからね」
どこの美大だろうと現役合格は厳しいが、私は少しでも早く人生のコマを進めて、サッサとあの家を出たいのだ。だからこの選択に迷いはなかった。
「わぁ。まだ高一なのに、現実を見据えた人生計画が立てられてる。木暮さんっていつも明解だよね」
「そうかな。一族の掟で藝大受験一本の方が、よほどシンプルで明解だと思うけど」
揶揄って笑いかけると、彼も笑みを返してドリンクに刺したストローに口をつけている。飲んでいる様子を眺めていると、飲み終えたのか、カップが置かれた。
「突然話が変わるけどさ、木暮さんって渡会倫にロックオンされてるんだってね」
「……ロック、オン?」
岡倉が選んだ単語に棘を感じ、私はそのまま繰り返してしまう。どう解釈しても、彼は良い意味で使ったのではないだろう。批判的な話が続きそうだと容易く推察できた。
「俺さ、渡会と中学が一緒だったんだよね。生徒数が多い学校だったし、渡会は当時から有名人で、向こうは俺のことなんて認識してないと思うけど」
「あー、ちょっと待った」
岡倉が何を話そうとしているのかは知らないが、私は手を伸ばして会話を遮る。
「多分それ、聞く必要がなさそうだから、言わなくていいよ」
こんな形で過去話なんか聞きたくない。確かに倫の行動は『ロックオン』と表現されてもおかしくはなかったし、あの性格なのだから、過去に多少の痛い事件も起こしたかもしれない。だがそれを、岡倉の口から聞くのは違うと思うし、倫との付き合いの中で自分で判断したい。唇を閉ざした岡倉は、じっと私を見ていた。
「わかった。そういうところも木暮さんらしいね。じゃあ別の話を聞いてくれる? 世の中には『構ってちゃん』と言われる人種が居るじゃん? そいつらは自分を構ってくれる人を嗅ぎ分ける能力があるんだ。そしてあなたは、構ってちゃんにロックオンされるタイプだと思うんだよね」
何を言わんとしているのかよく理解できない。話の流れからして、構ってちゃんとは倫を指しているのだろうか。結局悪口を聞かされた気がして、私は不愉快な気持ちになっていた。
「あ。ソースは、度会じゃなくて俺ね」
岡倉は一言付け足して、人懐こい笑みを浮かべる。それを見た私はますます意味がわからなくなり、眉間に皺を寄せた。
「俺も構ってちゃんの一人だからさ。渡会がどうしてあなたを選んだのか、なんとなくわかるんだよね。渡会も俺も、構ってくれれば誰でもいいわけじゃなくて、人を選んでロックオンするタイプ。まぁ言わば、一種の恋愛だよね」
岡倉は一体何の話をしているのだろうか。そんなことを言われても、私の理解力では、彼が言わんとする主題がわからない。眉間に皺を寄せたまま黙っていると、岡倉の笑みは深まった。
「そういうわけでさ、俺ともっと仲良くしてよ」
結論として告げられた言葉がこれまた予想外だ。デザイン談義をしている時の岡倉の印象とは異なり、今日初めて個人的な会話をしてみたら、色々とビミョーな臭いがする。『一種の恋愛』と言われた後の申し出を、どう解釈すればいいのか。
「仲良く……とは。これって、男女交際的なニュアンスが入ってる話?」
一応確認してみようと問い掛ける。仮想カレシの経験はあっても、女子扱いされたことなどない私は混乱している。岡倉は笑顔のまま、私の反応を楽しんでいるようだ。
「そうだね、あわよくば。それなら俺は嬉しいけど。でも、あなたはそういうことには興味が全くなさそうなのがわかるから、今はあくまでも友達としての誘い」
「うん、興味ない。恋愛する機能は、私には搭載されていないんだ」
「あはは、やっぱりロボットだったのか」
面倒になったので雑な返事をしたが、岡倉は話題に乗ってくる。断ってしまおうかと渋い表情を浮かべていると、それを察したのか、岡倉が先を続けた。
「でさ、これから受験までの二年間、俺とバディを組まない?」
「バディって? 受験対策チームのようなイメージ?」
「チームというよりコンビかな。他の人を誘うつもりはないから。ねぇ、協力しようよ。色々と情報交換したり、切磋琢磨したり、励ましあったり、あとお互いに批評し合う。そんな関係になれたら良いって思ってるよ。美大受験は本当に厳しいし、俺は性格が弱いから助け合うパートナーが欲しいんだ。そして、ぜひあなたと組みたいんだよね。どう? アートディレクターの息子は、色々と情報を持ってますよ?」
最後に自分を指差して、首を傾げて私の返事を待っている。さっきまではよく理解できないと感じたが、ここに来て岡倉は随分と現実的な提案にシフトしている。確かに私には多くのメリットがあるだろう。だが、情報量もデザイン力も大きく劣る私と組んで、岡倉に何の得があるのか。
「私から提供できるものがないんだけど」
「そんなことないよ。木暮さんの揺るがない明解さに触れる度に、俺は頻繁にヘタるメンタルを立て直せてる。あなたに構ってもらうと精神的に落ち着いて元気が出るんだよ。と言うわけで、さっきの構ってちゃんの話に戻るわけだ」
やっと今日の会話のロジックが繋がり、私の心が納得する。そして、今聞いた提案について考えた。香川と漫画の話をしただけであれだけ不機嫌になった倫は、隣のクラスの男子とバディを組むと知ったら、どんな反応をするのだろうか。また怒るのか、それとも学年トップの実力者の岡倉なら、ツマラナイ相手ではないと認めるのだろうか。
そこまで考えたところで、なぜ私が倫の機嫌を考慮しなくてはいけないのかと、冷静になる。倫と私は付き合っているわけでも、専属の友達契約を結んだわけでもない。浪人している場合ではない私は、この岡倉の提案に前向きだ。受けようと心が決まった。
「学年トップとバディを組むには力が足りてないけど。まずは岡倉くんにとって有益なアドバイスができるように頑張るよ」
「やった。念願叶ってバディ成立。よろしくお願いします」
安堵の表情を浮かべた岡倉が、スマホに手を伸ばしてラインを起動する。私もその動作を真似て、連絡先の交換が行われる。送られてきた岡倉の情報を目で追いながら、私は倫に友達になろうと誘われて、同じようにラインを交換した時のことを思い出していた。




