表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
翼の心音  作者: 松岡織


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

24/24

終章


 入社五年目を迎えた春に、メンターをやってくれと依頼が舞い込む。まだ十分な経験を積んだとは思えず、人の手本となるには未熟なのでと断ったのに、吉田師匠からのトスだったらしく、ゴリ押しされる。

「もうメンターやるの? 早くない? 面倒見とは真逆な性格なのに」

 岡倉は私をディスりながら笑っている。年を重ねる毎に安定感を増している彼は、大きな仕事も任されるようになっているし、競合プレゼンに勝って仕事をもぎ取ることも増えている。一度それを話題に出した時には『男は成長が遅いから、社会人になってから伸びると言われています。もっと褒めて』と、相変わらず冗談半分に自画自賛をしていた。

「まだ無理だって一回断ったんだけど、この前営業局の編成替えがあったせいで、クリエーティブも大移動したじゃん。それでうちの局の、メンター世代が足りなくなったらしいんだよね。吉田さんに、木暮がもうできるって押し付けられたよ」

「師匠の命令なら逆らえないね。事前に面倒な研修があるらしいよ。頑張って。あと、弟子が男だったら、ソッコーで紹介して」

 笑い話として伝えられたが、ちゃんとやらないと絶対に怒られる要望だ。彼の囲い込みたがる行動は今も健在で、これは過保護なのではなく、私の行動を制限して自由を与えないようにしているのだと、ある時気がついた。本人が自覚してやっているのかどうかはわからないが、今もまだ、私は彼に安心を与えられていないと言うことなのだろう。

 岡倉の情報通りメンター研修に呼ばれる。新人との接し方、やるべきではないことなど、人事からの説明を受けた後に、外部講師によるコーチングの講義が続く。あれだけコミュニケーション能力が低かった私がコーチングを学ぶ日が来るとは笑い話だ。

 そして研修の一番最後に、産業医からメンタルヘルスの講義があった。管理職の人たちが受けている研修と同じ内容を、メンターにも学んでもらうと説明がなされる。労働時間が長く、高ストレスな仕事ばかりのこの業界はメンタルを壊す人が多く、業界全体の課題なのだそうだ。そうは言ってもクリエーティブ局は、好きなこと、楽しいことを仕事にしている部署なので、発生件数はさほど多くはない。私は気楽な気持ちで、産業医の話に耳を傾けていた。

 だが、どうしても触れなくてはならない話題として『自殺』『自ら命を断つ』『飛び降り』などの単語が、繰り返し耳に届く。もう克服できたと思っていたのに、不安が徐々に私の心を覆い始める。これを聴き続けると、またフラッシュバックしてしまうのではないか。体調不良を理由に中座すべきか迷っていると、男性産業医の低くてやわらかい声が届いた。

「自殺する人の多くは、死ぬ前に警告サインを出します。このサインは『死にたい』とストレートに伝えてくれることもあれば、もっととても間接的で、一見そうだとはわからないこともよくあるんです。見守る立場の皆さんは、まずはこれに気づいてほしい。本人はサインを出していることに無自覚かも知れませんが、これは助けてほしいと命が叫んでいるんです。この警告サインを見逃さないように、そして放置しないように気をつけてください。それが命を守ることに繋がるんです」

 頭の中で、何かが弾けた気がした。私をずっと包んでいた霧が静かに晴れて、封印していた倫の記憶がゆっくりと蘇ってくる。彼女が死を匂わせた言葉は全て、独特の世界観を創り出すための構成要素なのだと私は思い込んでいた。死と隣合わせの、いつ消えてもおかしくない演出があったからこそ、倫は儚くて、そして他人には真似できない空気を纏っていたのではないか。

 それはいつも私を不安にして大嫌いだったが、私に向けて発せられたSOSだったと言うのだろうか。もしあの時私がそれに気づいて誰か大人に相談していたら、倫は飛ぶことなく、今も可愛く笑っている世界線に辿り着けたのか。

 思い返せば、警告サインだと取れるものはいくつもあった。彼女が語った死生観はもちろんのこと、他にも『私の姿を見るのは卒業式が最後』と言われたこと。贈られた作品集だって、死ぬつもりだからこそ、生きた証として出版したのではないか。

 そして何よりも、あの四季展の絵。あれを見た時、私ははっきりと不安を感じたのに放置した。自分への言い訳程度のコメントをSNSに書いただけで、それ以上何もしなかった。もう会わないと言われていても、ツマラナイことを言うなと蔑まれても、強引に家に押し掛けて話をしていたら、この結末は変わってくれたのか。

(いや、だってそんなの、全然わからなかった)

 会議室のテーブルに置いた両手が強く拳を握る。そして今もまた、逃げて言い訳をしていることに気づいて、唇を噛む。他人と深く関わりたくない、理解できないものはただ激しく拒絶する。それが自分勝手な私のどうしようもない正体だ。倫の自殺願望と一度も正面から向き合わず、頭がおかしいと切り捨てていただけではなかったか。倫が私を壊そうとしたのではない。私が倫を見捨て続けたのだ。

 もう産業医の言葉は私の耳には入って来ない。研修が終わっても、すぐには立ち上がることができなかった。


 その夜、部屋に帰った私は、まるで呼ばれたかのように本棚から倫の作品集を引き出した。本棚を背にフローリングの床に直接腰を下ろす。そして高校時代に彼女が描いた作品、主に私をモデルにした鴎馨シリーズ、そして夏休みにインスタで送り合った絵を眺める。結局なぜ、倫が死に取り憑かれていたのか、今となってはもう、その理由(わけ)を知る手立てはない。あの時向き合わなかったせいで、彼女の心は永遠にわからなくなってしまった。

 ページを捲る私の心は静かだ。そしてゆっくりと、あの照明室の中に作られた異世界へと入って行く。もう二度と入らないと決めていた、感覚だけの世界。入り方を忘れてしまったのではないかと思っていたが、倫の作品が連れて行ってくれる。

 意地悪だった倫が作った世界なのに、あの空間は愛情と善意で溢れていた。そして、私を助けようと差し伸べてくれた手がそこにはあったのだ。大人と子どもの境界線上だった私は未熟で愚かで、自分のことしか考えていなかった。倫は支え合いたかったのかもしれないのに。『探していた人』とは命を押し付ける相手ではなく、彼女の魂を救ってくれる人を指していたのか。

「だとしたら、馬鹿だなぁ。完全に人選を間違えてるよ。人の心がわからない冷たい私じゃなくて、もっとあなたに寄り添える、心の温かい人を選ばなきゃ。自分だけ助けてもらったくせに、私は何もしなかったよね」

 作品集に向かって話し掛け、そして微笑み掛ける。視界がぼやけてよく見えないと思ったら、双眸から涙が溢れて頬を濡らしている。物心ついてから一度も泣いたことがなかった私は、その慣れない感覚に戸惑っている。瞬きをしても、上を向いても下を向いても、涙はどんどん零れ続けて、頬から首を伝って服を濡らしている。初めて泣いたのだから、止める方法なんてわからない。

「うわぁあああああんっ」

 小さな子どもが泣いている声が聞こえる。それは大きく開かれた私の口から迸り出ていた。


 少しずつ心の整理をつけて、ひと月近く経った週末の夜、岡倉の部屋で宅配サービスが運んでくれたタコライスを夕食に摂っている。この頃は、食べ物に興味がない私が今までに食べたことがないメニューを宅配してもらうという、謎の遊びが彼のお気に入りだ。もしかして大人の食育をされているのだろうか。だが、初めて食べたタコライスと言う料理を美味しいと思った。

「相談したいことがあるんだけど、今、話してもいいかな?」

 食べ終わるのを待って、私は切り出す。『どうぞ』と促された。

「絵を描きたいと思って。デザインじゃなくて絵画。を、アナログで。だから、アトリエがある家に引っ越したいんだ。ネットで調べたけど、アトリエって検索の条件になくて、どうやって借りたらいいのか、もしくは建てないといけないのかな?」

 贈られた翼を、私は受け取ることにした。何もしなかった自分を責める後悔は消えていないが、過去には戻れないのだ。それならば、彼女から託された想いと向き合うことが、残された私のやるべきことだろう。受け取った翼で飛ぼうと考えた時、私にできることは一つしかなかった。

 倫のように人々を惹きつける作品は描けないだろう。それでも、託された私は描き続けなくてはいけない。最期の手紙に書かれた言葉を思い出しても、倫は私の作品の話しかしていなかったではないか。描け、創れと言われていたのだと思う。岡倉は意外そうな表情を浮かべた後に、私の顔をじっと見つめながら、考える時間を取った。

「予想外な相談が来たなぁ。まぁ、あなたの本質はアーティスト様だから、描きたがる日が来るかもしれないとは思ってたけど。会社の仕事がつまらなくなってきた?」

「ううん、仕事は楽しいよ。お金を貰って作品を作れるなんて、恵まれて贅沢な毎日だと思ってるよ。でも、仕事で作ってるのは、私個人の作品とは違うから。片方だけじゃなくて、両方やりたい……やらなくちゃって思ったんだ」

 倫に応えるためだと伝えるつもりはない。供養のために描くのではない。空を飛び続けるために、私自身が描きたいのだ。

 岡倉は『なるほど』と呟いた後に、随分と長い熟考の時間を取った。

「お父さんへの借金は返し終わったって話してたよね? それなら、買ってリフォームするのが妥当かもね。兄貴の奥さんが建築家だから、相談に乗ってもらえると思う。でも、その前に……」

 そこで言葉を区切り、テーブルの向こうから手が伸びて来る。それに応えて指先を添えると、繋ぐのではなく手首が握られる。岡倉の無自覚な力の強さは、伝えてからは気をつけてくれていたが、今はまた、痛めてしまうと感じるほど力が入っている。

「俺はこの話を、一体どの立ち位置から聞けばいいわけ? あなたの計画の中に俺は入ってるの? それとも……」

 表情と声が強張っているのが伝わる。彼が全てを言い終える前に、私は口を挟んだ。

「あ、うん。良かったら、そこに一緒に住まない? って思って。岡倉くんも描きたい時が来たら……ううん、来なくても。絶対に描くのを止めちゃダメだと思う。また並んで絵を描こうよ」

 岡倉の表情と手から、力が抜けたのが伝わる。それに続いて声を伴う吐息が聞こえた。

「あなたのことだから、どうせ俺のことなんて一ミリも考えてないだろうけど、取り乱すな、怒るなって、最悪に備えてものすごく身構えてた。ら、まさかあなたの方から言ってくれるとは」

 私の信頼度は今も最低レベルに位置しているようだ。彼の安堵が伝わって、肯定する意味で笑い掛けると、岡倉にも人懐こい笑みが戻ってくる。そしてその笑顔のまま、しばらく私の顔を眺めていた。

「ねぇ、結婚してくれない?」

「えっ」

 そんな形式的なことは何も考えていなかった。それ以前に、岡倉は結婚したいのかと、意外にすら思っている。今と同じように一緒に居るだけでは足りず、別の保証もほしいのだろうか。結婚なんて話になると、一生関わり合いたくない実家も絡んでくるし、育った家の違いを見れば、彼が思い描く結婚と言う形は、私と相当ズレているだろう。今でもまだ、岡倉は私と離れた方が幸せだと思ってすらいる。

 だが、それで彼が抱き続ける不安が解消され、もっと高く自由に飛べるようになるのなら、私の戸籍なんて、大事に取っておく価値はないのだから、使ってしまえば良いとも考える。他人に対する拒絶反応が強い私なのに、岡倉を遠ざけようとしたことは今まで一度だってない。それが答なのだろうと感じた。

「うん、しようか」

 じっと答を待っていた岡倉は、一瞬真顔で固まった後に、長い時間を掛けてゆっくりと息を吐き出す。見てわかるほどハッキリと、身体の力が抜けていた。

「俺の病的執念深さの大勝利……」

 久しぶりに壊れた呟きが聞こえたと思ったら、続いて両手の拳を握って高く振り上げ、『っしゃああっ!』と叫んでいる。せっかく落ち着いた大人になったと思っていたのに、本質はさほど変わっていないことが、なんだか嬉しい。

 共にアートを目指したこと以外、価値観や人生の優先順位が一度だって一致したことがない私たちが、それでも一緒に生きていこうとしている。何もしないで逃げ出して、そのせいで手遅れになる失敗は、もう二度と犯したくないから。今度こそ、私が何も返せていない大切な人と、ちゃんと正面から向き合おう。

 これが、わからないと言い続けた愛なのかどうかは不明だが、ロジックで定義する必要なんてないのかもしれない。雑で不器用な私に相応しく、イビツな形だろうと、それも悪くないではないか。


 翼が折れる日まで、飛んでみようと思った。(了)



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

いつもはムーンライトノベルズに生息しているのですが、初めて文学っぽい作品に挑戦してみました。一人称形式も女性主人公もほぼ書いてこなかったので、新鮮な気持ちで最後まで走ることができました。楽しんでいただけたとしたら、とても嬉しく思います。


書き始めた当初は、私自身が高校生の時の出会った少女をモチーフにストーリーを進めていたのですが(モデルではなく、モチーフです)、途中から気持ちとしては創造する全ての皆さまへの応援歌的要素も追加されていきました。『創造する人への応援歌』なんて書いてしまうと、結構ありきたりで、それこそツマラナイことを言うなだよなと思ったりもします。それでも、プロ/アマ問わず、アウトプットの形態も問わず、何もないところから作品にまで仕上げる労力は並大抵なものではないと知っているので、全てのクリエーターさんたちに敬意を表しつつ、あとがきとさせていただきます。


励みになりますので、リアクションや感想などをいただけると嬉しいです。

また、こっちの名前で公開予定の別作品のストックもありますので、ご興味がある方は、松岡織のアカウントの方もお気に入り設定をお願いします。

ありがとうございました。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ