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翼の心音  作者: 松岡織


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第五章-2 突然の知らせ


 クリスマスが近づいた頃、倫からメールが届いた。自宅のデスクで持ち帰った仕事をしていた私は、寝不足のせいで幻覚でも見ているのかと思ってしまった。なぜメール。そして一体何の用がと驚きながら開くと、それは『お世話になっている皆さまへ Bccで失礼します』から始まる、私だけに送ったのではない一斉メールだった。

 初めての作品集が出版されることになり、今までお世話になった方々に進呈したい。ついてはURLの先にあるフォームに、送付先を入力してほしいと続く。これは仕事関係の人たちに送った連絡で、その中に潜り込ませてくれたのだろう。

 倫の存在を思い出すのは、随分と久しぶりだ。卒制で気持ちの整理をつけてからと言うもの、私の意識は一度も倫を記憶の中から掘り起こさなかった。そう言えばインスタやクリエーターSNSは、社会人になってから起動すらしていない。作品集を贈るリストに私を入れてくれたことに、驚きを感じているほどだ。

 まだ私を覚えていてくれたことを嬉しく思うべきか、それともBccという手段でしかコンタクトがない今の関係を寂しがるべきなのか。どちらも私の中に存在している感情だ。貰う立場にないのでは辞退しようかと迷ったが、結局私はURLをタップして、入力フォームに送付先を綴る。彼女が持っていてくれと求めるのなら、本棚に並べておこう。将来『この有名人と友達だったんだなぁ』と、懐かしがりながらページを捲る日が来るかもしれない。連絡をもらったことで、却って遠くなった今の距離を噛み締めた。

 その作品集は、年が改まってから宅急便で届いた。送り主は倫ではなく出版社名だ。てっきり一冊だと思っていたら、三冊も同時に出版されていて、その作品数の多さに驚く。アニメ化された作品関連だけで一冊、それ以外は中学高校時代とそれ以降でそれぞれ一冊だ。

 広告賞の発注を終わらせてからじっくり見ようと思ったのに、本棚に入れる前に我慢できずに中を覗いてしまう。仕事で描いた作品だけではなく、インスタのみで発表していた鴎馨シリーズや、夏休みに想いを送り合った絵もちゃんと入っている。だから、私にも贈ってくれたのだろう。

「懐かしいなぁ……」

 思わず呟いた言葉で、倫を過ぎ去った過去として認識しているのだと気づく。誰も代わりはできない天才の倫は、これからも人々を魅了し、作品集は冊数を積み上げていくのだろう。そして天才にもアーティスト様にもなれなかった私たちは、違う道を歩むのだ。

 作品集をパタンと閉じて本棚へと収める。自室に帰って来たからと言って、今日もまだ閉店ではないのだ。私は私で、自分のやるべきことをやろうと、パソコンの前に戻って意識を切り替えた。


 三月中旬締切の広告賞応募になんとか間に合った。最後は二徹で、本当にもうふらふらだ。コピーライターにも手伝ってもらって、パネル貼りした作品を新聞社に持ち込んで応募受付を終わらせる。吉田に報告を入れると『直帰して寝ろ』と乱暴な言い方の、いつもと変わらぬやさしい返事が来る。お言葉に甘えて、まだ陽が出ている内から三日ぶりの風呂に入り、窓がない寝室のベッドに倒れ込んだ瞬間、眠りに落ちた。

 せっかく深い眠りを貪っていたのに、枕元に投げ出したスマホが何度か鳴って、少しずつ私を起こし始める。音が鳴るように設定しているのは吉田と岡倉だけなので、どちらかからの連絡だ。今は眠らせてほしいと無視していると、通話の着信音が追い掛けて来る。何か起きているのかとさすがに気になり、ベッドサイドの小さな灯りをつけてアラームに視線を向けると、二十一時を少し回った時間だ。鳴り続けているスマホの画面には、岡倉の名前が表示されていた。

「やっと通じたっ! 今、どこ?」

 安堵がはっきりと伝わる声だ。強引に起こされた私は、まだぼやけている頭を振って、ベッドから起き上がった。

「自分の部屋。応募が終わって寝てた。何かあったの?」

「もうすぐ着く。下から直行するから部屋に入れて」

 寝てたと伝えたのになぜ来るのか。反射的に断ろうとしたのに通話は切れてしまった。何がなんだかわからないが、とりあえず急いで顔を洗って目を覚まし、服を着替える。あまりにも忙しかったので部屋の中はひどい有様なのに、それを取り繕う間もなくインターフォンが鳴ってしまった。

「どうしたの、何事?」

 出迎えた私の顔を見ながら、岡倉は初めて靴を脱いで中まで入って来る。バッグを廊下に置くと、正面から真っ直ぐに、厳しい表情で私を見下ろした。

「寝てたのならまだ知らないと思うけど、高校のグループラインによると、渡会が飛び降り自殺して亡くなったって」

「えっ?」

 もしかして私はまだ眠っていて、これは悪夢の中なのだろうか。だって倫は、未来を見ていたのではなかったのか。今このタイミングで自死するなんてありえないと思っても、岡倉がそんな嘘を言うはずがないことも知っている。混乱している脳裏に四季展の作品が浮かび、あの絵に描かれていた暴力的な力に私も引きずり込まれて、落下する感覚に襲われた。

「木暮さんっ!」

 耳元で岡倉の鋭い声がする。なぜか時間が飛んでいて、私は廊下に膝をついて、彼の両腕に支えられている。ノイズがうるさいと思ったら、私の呼吸音だった。

「落ち着いて。大丈夫だから。ゆっくり呼吸して」

 倫が本当に死んでしまったのなら、もうそれだけで大丈夫なんて言えないと心が即座に反発したが、それでも誘導に従って呼吸を鎮めようと試みる。岡倉はその様子を注視しながら、『立てる?』と私の身体を引き上げる。それに助けられてなんとか立ち上がった。

 さっきまで寝ていたベッドに移動して、並んで座る。岡倉はずっと私の手を握ったままだ。最初の衝撃が収まると、次に襲って来たのは虚無感だった。

「黙ってちゃだめだよ。こういう時は、支離滅裂でも良いから、思ってることを全部俺に吐き出して」

 思っていること? 今私は何を感じているのだろうと心の中を覗いてみたが、何も見つけられない。倫が逝ってしまったと言うのに、悲しいとすら感じていないのだ。それでも何かを話さないとこの時間はきっと終わってくれないので、ぽつぽつと言葉を拾う。

「倫は高校の時から、ううん、多分もっと前から、こうやって人生を終わらせるって決めてたみたいなんだよね。大人になる前に空に還るんだって話してた」

「……そうなんだ」

 意外そうな声が答える。あれだけ活躍を続けていた裏で終焉を願っていたとは、俄かには信じられないのだろう。私だってそうだった。

「大人になる前って言うから、高校生の間に死んじゃうのかなって怖くて、毎日隣の教室を覗いて、倫の生存を確認してた。でも無事に卒業したし、その後も次々と大きな仕事をしてたし、恋人がいるって噂も聞いたから、本気で死ぬつもりなんてなかったんだ、私は揶揄(からか)われたんだろうって楽観的に考えてた。……でもあれは……本気だったんだね。わかってなかったな」

 繋がった手が強く握られる。そして隣から重い息を吐く音が聞こえた。

「例えわかっていたとしても、あなたは何の責任も感じるべきじゃないし、わかってなかったんなら尚更だ。そもそも、そんなストレスを掛けられていたなんて、あなたの方が被害者じゃないか」

 そうなのだろうか。確かに倫の生存を確認していた毎日はストレスだった。頭がおかしい、壊れてると何度も思ったし、関係を絶った時期もあった。それでも倫は確かに、私を救ってくれたのだ。

 自らの死について話す、あの愛らしかった笑顔が思い出される。生と死。同時には存在できない相反するものを心に抱いていたから、彼女の笑顔はあんなに輝いていたのだろうか。

「うん、やっぱりそうなっちゃったのかって、納得することにする。倫が死を望んだのなら、私はその結末を受け入れることしかできないから」

 心はまだ全く動かないが、大丈夫なフリをする。どうして私は悲しいと感じないのだろう。人は誰でもいつかは死ぬのだから、好きなタイミングを選ぶ自由があっても良いとすら考えている。あの『ツバメ』と題された絵と同じように、彼女は望んで飛んだだけではないか。

 私の状態を見極めようとしている視線を感じて、そちらに顔を向ける。岡倉だって昨夜は完徹だったハズだ。感情は止まったままでも、それには気づくことができる。いつまでもここに引き留めていないで、早く帰して休ませよう。

「大丈夫だから。岡倉くんも休んで。来てくれてありがとう」

 笑い掛けようとしたが、あまり上手くできなかった。岡倉は判断に迷う時間を取った後、ようやくその提案を受け入れる。

「後からショックが来たら、何時でも良いから連絡して。すぐに降りて来るから。あと、明日は何時にどこスタート?」

「十時から会社で打ち合わせ」

「そう。俺も会社スタートだから、八時に迎えに来る。どこかでモーニングを一緒に食べよう」

 もう一度強く握られて、手が離れていく。岡倉を見送って、玄関の鍵を掛ける。このマンションは遮音性能が優秀で、一人残された私を静寂が包む。いつもはこの静かな環境を気に入っているのに、今夜は命の営みの生活音を恋しく思う。明日の朝、迎えに来てもらうまで、私はこの静寂の中に独りで居るのだろうか。もう少し一緒に居てほしいと頼むべきか。それとも夜の街にでも出て、朝まで人の輪の中に入っているべきか。その方が岡倉にも迷惑を掛けずに済むと思ったが、重いタールに沈んでしまったように、身体が言うことを聞かない。ベッドに戻ることすらできずに、玄関の廊下に座り込んだ。


 翌朝、迎えに来てくれた岡倉と途中のカフェでモーニングを食べる。何も考えずに、目の前に出された食べ物をただ口に入れるだけだ。『大丈夫だね、ちゃんと食べられてるね』と向かい合う岡倉は安心した表情を浮かべ、私はそれに頷いてみせる。

 朝の打ち合わせも問題なく参加できたし、今日も怒涛の勢いで押し寄せて来るメールを次々と読んで、必要な返事を打ちまくる。吉田師匠にデザインを見てもらい、ディレクションを受けて修正し、OKを貰えたものから担当営業に送る。吉田と一緒に別のクライアントに出向いて打ち合わせをし、そこからプロダクションに直行だ。昼を食べる時間が取れなかったので、移動中の駅のホームでコンビニおにぎりを立ったまま食べる。いつもと何ら変わることがない、息つく間もなく忙しい一日が過ぎていく。倫が命を絶ったと聞いても、私は何の問題もなく働いている。それだけ縁が離れていたのだ。

 プロダクションでの作業が終わると、外はもう暗くなり始めている。春の気配を感じては、また冬に戻るこの季節。首に纏わりつく冷気に気づいて、今日はマフラーをしてくるべき気温だったんだと、一日が終わりに近づいたこの時間になってようやく知った。そこで吉田からお役御免を言い渡されたが、仕事が終わってまた静寂が訪れてしまうことをイヤだと感じてしまう。勉強のために一緒に行きたいと申し出たが、まだ一年目の私は許可されている残業時間の上限が低く、それを理由に断られた。

 岡倉からは二十時頃に帰れるとメッセージが入っていて、それはあと二時間後だ。独りで居る時間をなるべく短くしたいと、地下鉄には乗らずに地上を歩き出す。ここからなら歩きで一時間ほど掛かるから、時間を埋めるにはちょうどいい。行き交う車や人の流れが、生きている人々の息吹を感じさせてくれる。今、私が欲しているのはそれだった。

 マンションに着き、エレベーターに乗る前に郵便ポストを確認する。私に届く郵便は公共料金の領収書くらいで、あとはほとんどがポスティングされたチラシだ。入居した頃は面倒なので放っていたら、岡倉に溢れてると叱られて、それからは数日に一度はチェックしている。少し溜まっていたチラシを、マンションが設置している専用のゴミ箱に仕分けして捨てていた時、私の手はピクッと止まった。

 なかなか目にすることもなくなった個人宛の手紙が、チラシの間に紛れ込んでいた。薄いピンクの封筒の表には、読みづらいほど小さな文字で、私の住所と名前が書いてある。その特徴のある筆跡が、テスト勉強でノートに書かれていたものと同一だと気づいた時、私を取り巻く世界が一変する。震える手で封筒を返して裏面を確認したが、差出人の名前は書かれていない。言いようのない恐怖が、ゆっくりと私の全身を包み込んだ。

 これは倫からの最期のメッセージなのだろうか。そうだとしたら、なぜ私の手元に届くのか。高校を出てから一度も話す機会もなく、もう二度と会わないと言われた私が、どうして倫の最期の言葉を受け取る役目を負うのか。照明室を出た時に完結したと思い込んでいた倫の作品はまだ続いていて、本当のエンディングはここだとでも言うのか。

 読まれることもなく破棄される何枚ものチラシと共に、ゴミ箱に捨ててしまいたい衝動と戦いながら、それでも私は封筒を持って部屋へと上がる。コートを脱ぐことも忘れて、デスクに行ってハサミで封を切る。手の震えが止まらず、真っ直ぐ切ることすら難しい。やっと取り出した便箋には、宛名と同じく、私には書けないほど小さな文字たちが並んでいる。読みづらくて顔に近づけると、彼女と同じ甘いバニラの香りが漂って、私の記憶を刺激する。一気に現実感が薄れていくのを感じた。



 馨くんへ

 私の翼を貴女に贈ります。


 今もまだ、涙の流し方は知らないままですか?

 もしかしたらツマラナイ大人になっちゃったのかなと思って

 贈るのはやめようかと考えたりもしました。

 それを確かめたくて、藝大の卒制展を観に行ったんだよ。

 感情剥き出しの粗削りさがあって

 受け取る方にも才能が必要で

 とても好きだと思いました。

 何も変わっていないことが嬉しくて

 やっぱり貴女に贈ることにしたよ。


 貴女に託す命がちゃんと届きますように。

 


 すぐ読み終わってしまう短い手紙。私に向かって飛んだのだと突きつけられても、そんな現実はとても受け入れられない。倫が直接触れ、倫と同じ香りがするこの紙に、触っていることすら無理だと、大きく手を振ってデスクの上に放り投げる。

 激しい拒絶が噴き出している。私が感じることができる一番大きな感情である『拒絶』。実家を出てから感じることもなくなっていたのに、それが濁流のような勢いで私を飲み込んでいく。

 この手紙と同じ空間に居ることに耐えられなくなって、玄関へと走る。廊下に置いたままだったバックパックを抱えて外へと飛び出した。


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