第五章-1 社会人スタート
会社員としての日々を歩み始める。すぐに忙しい毎日が始まると思っていたら、一ヶ月もの長い集合研修が続く。ビジネスマナーから会社のルールや制度の説明、システムの使い方などを詰め込まれた後は、幅広い業務内容の様々な部署の人が交代で講師を務める日が続く。アート職採用枠の私たちの配属先はクリエーティブセクションと決まっているが、約百名の一般採用の同期たちは、自分がどの分野のエキスパートになるべきかと真剣だ。講師の人たちの誰が話しても、マーケティング用語なのか、やたらと英語が多い。『パーパス』や『リザルト』は、そのままズバリなので通じたが、『ペルソナ』『マーケティングファネル』『カスタマージャーニー』などは意味がわからず、ネットで検索しながら聴いている。一般採用の多くは、大学時代にマーケティングを学んだり、広告やコンサル研究会の経験があり理解しているようだが、アートだけをやってきた私は頭上に『?マーク』を浮かべている。サラブレッドの岡倉に、講師が話している内容が理解できないと伝えると、『俺も』と言われたので安心したりする。
その岡倉は、私が寮を出て借りた月島のマンションの2フロア上の部屋に引っ越して来てしまった。物件探しの時から、立地や間取り、セキュリティ面にやけに介入して、内覧にも付いて来た。雨露が凌げれば良い程度に考えていた私も、持ち帰り仕事が多いのでデスクを置くスペースが必要とか、生活が不規則なので寝室は窓のない別室にした方が良いなどのアドバイスにはどれも納得したので、言われた通りの条件の部屋にした。その結果、まさか事前の断りもなく同じマンションを契約されるとは。聞いた時には『ええっ?!』と咎める声を出してしまった。
「だって、会社の偉い人と同じ家ってビミョーじゃん。それに、男がいつまでも実家に居てもね。就職したら出ようって決めてたんだ」
そう言って笑っているが、私と同じマンションを選んだことはビミョーではないのか。会社だけではなく自宅まで同じ場所とは、相変わらず頭がおかしくて呆れてしまう。だが、帰宅した後にお互いの部屋を行き来することはなく、見方を変えれば、同じ寮から通っているようなものだ。そう思うと一気に気が楽になって、別に良いかと思い直した。
ひと月続いた集合研修の後、一般採用の人たちは配属が発表されて、東京・大阪・名古屋に分かれて旅立って行った。だが、私たちアート職の十五人と、一般採用の中でクリエーティブ試験に受かった三十人には、まだ広告制作にまつわる研修が続いたのだ。集合研修中は着ていた慣れないスーツはもう必要ないと言われ、私も学生時代同様の黒の上下に戻る。集合研修中から一度もメイクというものはしなかったが、誰からも何も言われなかったので大丈夫ということなのだろう。
だが、女性特有の姿を作らなくても、会社に入ってから性別を間違われることはなくなった。新しい環境に入って女子トイレを使おうとすると、ギョッとされたり注意されることが恒例行事だったのに、そんなことは一度もない。初対面の人も、最初から私を女性社員として扱う。あれは私が未成熟だったから起こった現象だったのだろうか。人より遅れて、私も大人の外見になったのだと思った。
クリエーティブ研修が終わると、やっと仕事の現場に入らせてもらえた。私たちは二人とも東京勤務だった。同じ美大出身は分かれるだろうとの岡倉の予想通り、六つあるクリエーティブ局の中で、彼は第二に、私は第四だ。六つの局はフロアも異なりセキュリティも切られ、私のIDカードでは岡倉の局には入室できない。逆もまたしかりで、仕事をしている間は全くの別行動となった。
第四には岡倉父も居て、彼はエグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクターという長い名前の肩書きで、クリエーターの中では最高位の偉い人だった。そして私は、彼のチームに配属されてしまった。
「馨ちゃんは同じく新入社員で入ったうちの息子の同級生で、高校生の時から知ってるんだよね。俺の娘みたいなものだから、お前らよろしくな」
初めて合流した日、岡倉父はチーム内で私をそう紹介した。余計なことは言わなくて良いのにと思ったし、今まで一度も下の名前で呼ばれたことなどなかったので、一体何事かと驚いたが、岡倉父はチーム全員を下の名前で呼び、本人はオカケンと愛称で呼ばれている。随分とカジュアルな人間関係なのだなと、私が想像していた会社のイメージとは全く違った。
私のメンターになってくれたのは、七年目の吉田と言う男性社員で、金沢美術工芸大の出身だ。出身大学のカラー同様にとても丁寧な仕事をする職人気質な人で、歯に衣着せぬ乱暴な物言いをする。感情的な人かと最初は警戒したが、実態はそうではなく、『オカケンの娘同然でも、そんなの関係なくビシビシ行くからな』とスパルタだ。すぐに裏表がない人だと理解し、むしろやりやすさを感じる。岡倉父のように下の名前では呼ばず、『木暮』と呼び捨てにしてくれるところにも好感を持った。
トップが有名クリエーターだからか、このチームは大型案件をいくつも抱えている。吉田も常時複数の仕事を並行してこなし、社内の会議室、クライアント、プロダクションと席を温める間もなく飛び回っている。手取り足取り教えてくれるタイプではなかったので、許可された範囲で付いて回り、師匠の背中を見ながら仕事のやり方を学ぶ。新入社員の深夜時間帯勤務はまだ解禁されていないので、どんなに遅くても二十二時で強制的に帰らされたが、彼はそれを超えて働いていることも多い。それなのに翌日朝一番の企画会議には必ず複数案を持って来て、この人は一体いつ寝ているのだと驚いてしまった。
師匠を差し置いて新人の企画が採用されることなどなくても、『企画会議に手ぶらで来るな』『会議で提案ができないなら来なくていい』とシゴかれて、帰宅した後を企画の時間に充てている。岡倉のアドバイスに従って自宅にもデスクを入れて本当に良かった。人事からはサビ残厳禁と指導が入っているが、修行中の私の、本番で使われることがない企画時間など、業務とは言えないと勝手に解釈している。これはただの自習だし、師匠が隣に居てくれる一年目にしかできない修行は絶対にあるハズだ。それを逃したくなかった。
常に吉田に勝つ意気込みで、精一杯頭を絞った企画を考えて行ったが、勝てたと思えたことなど一度もなく、惨敗続きだ。彼が私の企画を評価するダメ出しも、これまたかなり辛辣だが、忙しいのにダメ出ししてくれることがそもそも有難い。キツいことを言うと二度と帰って来ないと私たち世代は括られているらしいが、私にはこの環境はむしろ居心地が良かった。
岡倉も似たような状況なので、平日は完全別行動になった。勤務体系は完全フレックス制で、その日一番早い時間に入っているスケジュールの時間と場所から仕事を始める。岡倉が入ったチームは朝の会議が多く、逆にこちらの師匠は完全夜型だ。部屋に着いたタイミングで『帰宅しました』とラインを送り合う習慣が出来上がった。
私たちは今も、お互いの部屋への行き来はしない。週末になると、仕事上観ておくべき話題の映画に行ったり、散歩がてら食事をしたりしているが、会う時はいつも外だ。そして岡倉は、私と二人の時にはアルコールを呑まなくなった。
どちらの行動も彼なりの矜持なのだろうか。時々壊れて頭がおかしい人になったりもするが、彼の本質は真面目だと思うし、負担は自らが被ろうとするやさしさもある。もっと非道い性格ならとっくに縁は切れただろうし、コスパやタイパを重視した判断ができるドライな人なら、私たちはただの友達になれただろう。このままでいいのかなぁと思いながらも、きっといつか岡倉は我に返って、また人としての幸せを求め始めるのではないかと予想もしている。大学一年の時とは異なり、今の私は、岡倉がアート以外の幸せを求めることを止めようなんて考えない。私たちは地に足を着けて生きていくべきだと改めて自分を戒めた。
夏が来る頃には一通り仕事が一巡して、アートディレクターの仕事がどんなものなのか理解してきた。大学時代は『アーティスト様』と茶化しながらもどこか本気で、自分たちはスゴイ作品を創っていると思い込んでいたが、この仕事に求められるのはそんな自己陶酔ではない。現場は想像していたより遥かに職人仕事だし、自分が主役ではない受注業務だ。デザイン的には変えない方が良いと思っていても、クライアントからの要望で変更を加えることもあるし、タレント事務所からの注文で、納得できない妥協をする時もある。先輩たちの落とし所の作り方を見ていても、これはやはりアートではなくビジネスなのだ。
中でも師匠である吉田は、何事においてもバランスの取り方が上手い。この仕事は突発的な事件も頻発し、ヤバいと青ざめることもあったが、吉田のメンタルはタフで、一生使える呪文だと言う彼の奥義を伝授してくれた。それは、ヤバいことが起きた時にはまず、『よぉし、盛り上がって来たっ!』と叫んで拳を振り上げる技だ。聞いた時には正直、なんじゃそりゃと思ったが、実際にやってみると確かに一旦落ち着けるし、前向きに考えられるようになる。結果、私はこの技がいたく気に入って、その日のうちに岡倉にラインで共有する。『何その頭の悪そうな体育会系指導』と返ってきたので、ウケなかったかと落胆したら、『まさに今その状態だから、すぐやるわ』と続いて来たので笑ってしまった。彼も社運を賭けた新商品のローンチが迫っていて、私以上に疲弊している。
こんなにも忙しい仕事だったのかと毎日奔走しながらも、アーティスト様ではなくなった私たちは、新しい世界に居場所を探している。そろそろ単独で仕事がしたいと言い出す同期も増えてきた。コピーライターの中には、キャッチコピーが採用になって、自分の作品が世に出て行った者も出てきているし、岡倉はついている師匠の方針もあって、リーフレットやキャラクターグッズなど、マス媒体以外の仕事を既に任されている。世に出た作品を見せてもらったが、彼らしく丁寧に計算されていて、新入社員にありがちな自分勝手さはない。かつてのようなクオリティの不安定さは消え去り、仕事としての作品作りになってから一気に安定した。きっとこのまま順調に独り立ちして行くのだろう。
一方の私は、まだ全て師匠の下で修行をしている。吉田が考えたデザインが決まった後、抱えている件数が多い彼は主軸を別の仕事に移して行くので、私がその後を引き継ぐ。このサポート的な立場に同期の皆は不満なのだろうが、私は急いでいなかった。
それに一年目の冬には、新聞社主催の広告賞に応募するという一大イベントが控えている。多くの広告賞は世に出た実績があることが応募の条件となるが、この賞はまだ実際の広告を作らせて貰えない私たちひよっこが、架空の新聞広告を制作して応募することができるのだ。この先あらゆる広告賞に応募を続けることになるだろうが、これはその最初の一歩だ。
新聞広告はコピーライターとアートディレクターがコンビを組んで作る。私が所属している局の新人コピーは五人。アートは私だけだ。つまり私は五人全員と最低ひとつの作品を作らなくてはならない計算になる。この先もクリエーターとして働くことが約束されているアート職採用とは異なり、一般採用のコピーライターたちは篩に掛けられて、結果を出せない人から他の職種に異動になってしまう。毎年入ってくる新入社員と同数程度の人たちが、クリエーターを廃業させられることになるのだから、生き残りを懸けて同期だって必死だ。
課題が出揃った十一月の半ばから、広告賞作業に時間を割けるよう吉田が仕事量を調整してくれたので、コピーライターたちと打ち合わせを重ねる。五人分の企画を一人で考えるには時間が足りず、自宅に帰ってからもずっとアイデアを絞っている。気がつくとデスクに突っ伏して寝落ちしている日が増えてきた。
土日も休んでいては追いつかないので、岡倉と私は週末も会わずに各々の部屋に籠っている。お互いの部屋には入らないことにしている私たちだが、土曜の深夜にコンビニスイーツのお裾分けをするために、岡倉が初めて玄関まで来た。
「ありがとう! 企画してると甘い物が欲しくなるから、私もコンビニに行きたいと思ってたんだ」
「こんな深夜に一人で出歩いたら、俺が激怒するっていい加減覚えてね。今、寝不足だから沸点低いよ。でね、四種類買ってきた。好きなのを二つ選んでいいよ」
また過保護な制限を掛けられると面倒なので、行く時は黙って行こうと心のメモに記す。岡倉は靴は脱がずに玄関にしゃがみ込んで、廊下にスイーツを並べている。私もそれに倣って膝をつき、コーヒーゼリーとシュークリームを貰うことにする。私より一人多い六人のコピーライターの作品を担当している上に、任されている実務もある岡倉は、随分と疲れて眠そうな顔をしているし、寝癖も跳ねて無精髭まで生えている。いつもキチンとしている彼がこんなにヘロっているのは初めてで、相当シンドイのだろう。
「大丈夫? かなり疲れてるよね」
「まぁ、それはお互いさま。あなたも顔色が真っ白だし、クマができてるよ。ところで、年末年始はいつも通り家には帰らずにここに居るの?」
初めて入った私の部屋の玄関で、二人揃ってしゃがみ込んで会話をしている。こんな所で話すなら、中まで入ってもらうべきなのかもしれないが、私たちはここまでなのだ。
「うん。ここで広告賞の企画を考えるよ。一月中旬には内容を固めて、プロダクションさんに渡さないとじゃん。ギリギリまで粘りたいしね」
「だよね。俺も残ることにしたから、休み中くらいは、毎日食事に行こうよ」
私の顔を見ながら、岡倉は誘う笑みを浮かべる。岡倉家は毎年、温泉で年越しを迎えていたはずだ。今年はもうそのイベントはないのだろうか。
「温泉は? 行かなくていいの?」
「親と姉貴は今年も行くけど、俺は甘やかしてくれる実家はもう卒業。よしっ、それを楽しみにもう少し頑張ろう。久しぶりにあなたの顔を見てリフレッシュできた」
残り二つのスイーツをエコバッグに戻して、岡倉は立ち上がる。差し入れのお礼を伝え、去って行く背中を見送る。あんなに不安定だったのに、彼は今、自ら進んで自立しようとしているように感じる。私が背中を追い続けたエースが戻ってきたなと、嬉しく思えた。




