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翼の心音  作者: 松岡織


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第四章-5 就活


 三年生になった途端、大学生活は一気に就活モードに切り替わる。あれだけ苦労して入った大学も、作品創りだけに没頭できたのは僅か二年かと寂しく思う。まず何はともあれ、夏休みに三年生を対象に開催されるサマーインターンシップへの応募の話で、デザイン学科はもちきりだった。

 広告のアートディレクターを目指すなら、まず最初に狙うのは上位三社のアート職採用だ。サマーインターンシップが一番の近道だが、希望すれば誰でも参加できるわけではなく、ここでも作品選考の(ふるい)に掛けられる。しかも全国の美大生が申し込むのだから、倍率はかなり厳しい。三社の内のどこか一つでも受かれば儲け物というレベルなので、会社を選ばず全てに応募する。授業と掛け持ちで、お題が異なる三社のエントリー課題作品も作らなくてはならず、皆が寝不足でふらふらだった。

 岡倉父がまた一緒に見てくれると言うので、久しぶりに岡倉家を訪れる。高二の夏に見てもらった時とは異なり、今回は『この作品にしよう』『ここをこう変えて』と、かなり具体的なディレクションを受けた。

 プロのアドバイスを受けての応募はズルではないかと思って聞いてみたが、コネがある人は誰でもやっているし、むしろ程度の差はあれど、やらない人の方が少ない。就職活動は自己評価より他己評価だと一蹴され、一応は納得する。岡倉父はその一回に留まらず、修正したものも見るからメールで送ってと、連絡先も交換して、実の子どもでもない私の面倒まで見てくれた。

 そのおかげもあって、彼が所属する会社のインターンシップに合格した。岡倉は別の会社に受かり、共に大手の枠を手に入れる。

「ちょっ! 会社が分かれちゃったんだけどっ!」

 結果を連絡し合った時、岡倉は不満気な声を上げる。インターンシップまで二人セットで参加しなくても良いではないかと、さすがに呆れてしまう。募集人数が圧倒的に少ないのは岡倉が受かった会社の方で、その先の内内定へと続く早期選考に選ばれる可能性だって高い。ワガママを言わずに参加してくれと背中を押す。もし三年生の内に内内定が取れれば、それに越したことはないのだ。

 私が参加した会社の定員は五十名で、藝大のグラフィック学科からは他にも三人が通過していた。大型校の武蔵美と多摩美からの参加がやはり多く、両校共に十名を超えている。遠方の金沢美術工芸大(かなび)や京都市立芸大(いちげい)などから来ている学生も含めて、皆が高いレベルで優秀だ。就活も難易度が高いなぁと気を引き締めながらも、他校の人からは新鮮な刺激を受け、時々環境を変えるのも悪くないと、久しぶりのソロ活動にどこか伸び伸びと羽を伸ばした気分になった。

 インターンシップの合間を縫って、夏休みに封切られた倫がキャラデザをした劇場版アニメも観に行った。宣伝にもかなり力が入っているようで、街を歩けばOOH、電車に乗れば車内広告と、至るところで倫の絵を見掛ける毎日だ。その甲斐あってか、映画館は夏休みのファミリーで賑わっていた。

 アニメ映画を観るのは初めてだし、ファンタジーの知識もないので、時々ストーリーが良く理解できなかったが、映画館の大きなスクリーンの中で倫のデザインしたキャラたちが生き生きと躍動している様を観るのは感動的だった。倫の描くものは、それ単体でも充分に魅力的だが、映画は監督やアニメーター、そして声優やミュージシャンなど、他のクリエーターの才能も集結して、より広い世界を創造している。これこそ大人のビジネスだから実現したスケールなのだろう。ほら、大人になるのも悪くないじゃないかと、心の中で倫にツッコミを入れる。

 直接のコンタクトを取らない決意に変化はないが、初めての映画化を祝う気持ちと、観たことだけは伝えたいと思い、映画館の入り口で撮ったポスターの写真をインスタにアップする。するとすぐに、倫からの『いいね』が届く。これが今の私たちの距離だった。


 十月の終わりに、インターンシップに参加した会社から連絡が来て、驚いたことに、私に早期選考の声が掛かった。就活サイトの情報によると、例年呼ばれるのは十人前後らしい。インターンシップの場ではプレゼンまでで終了し、順位の発表はなかったため、自分がどの位置に居たのかは知らされないままだった。他の人の作品も完成度が高かったので、上位十人に入っていたとはとても意外だ。それとも、早期選考に呼ぶ呼ばないは、順位とは基準が違うのだろうか。まだ社会に出る実感が湧かず、喜びよりも困惑を強く感じてしまう。その気持ちを引きずったまま、講義が終わるのを待って岡倉に報告した。

「えっ、マジでっ!?」

 岡倉からも驚きの声が上がる。そして私が差し出したスマホのメール画面をマジマジと見つめた。

「そっちは? 早期選考の連絡あった?」

「こっちは参加者全員がエントリーできる形式だったけど、今のところ連絡はない。でも、俺は多分呼ばれないと思う。自分で見ても、上位に入れる完成度じゃなかった」

 岡倉はそこで、溜息とも苦笑とも取れる息を吐いて、私にスマホを返却する。

「あなたはここぞって試験に強いね。普段はそこまで上位じゃないのに、大学受験の時と言い、本番では他を抜き去って行くもんね。電広は早期に呼ばれたら、面接で余程のヘマをしない限り内内定が出るから、決まったようなものだよ」

「そうなの? もし早く受かったら、後は全面的にあなたのバックアップに回るよ。三社全部受けるよね?」

 揃って内内定を取るまでは、戦友として一人だけ降りるわけにはいかない。ヘルプできることは全てやるつもりだ。だが岡倉は不愉快そうに眉間を皺を寄せた。

「まだそんなこと言ってんの? あなたが電広に決まったら、俺はそこしか受けられないでしょ? 親父と同じ会社は避けたかったけど、仕方ないね」

「えっ。……いや、さすがに就職はさ、人生が掛かってるんだから、同じ会社に限定しない方がいいんじゃない? 会社が違っても会えるんだから」

 三社のうちの一社でも受かればラッキーな倍率だ。岡倉は大学も一本勝負だったが、就活まで一本なんて、いくらなんでもあり得ない。それなのに岡倉はここでなぜか、ニコッと微笑んだ。

「一人でインターンシップに参加した時にも思ったけど、重度の依存症の俺は、ソロだとまた企画もデザインもできなくなった。だからアートを続ける間は、あなたがイヤだと言っても付いて行くんでよろしく。背中を預けられる戦友は俺しか居ないんでしょ? だったらそれで問題ないよね?」

 笑顔を崩さず、岡倉はさも当然と言いたげだ。だが……顔は笑っていても、内心は怒っているのではないか。少なくとも私にはそうとしか見えない。

「そんなことして、落ちたらどうするの? 倍率知ってるでしょ?」

「その時は受かるまで留年するしかないよね。幸い、美大は在籍可能年数ギリギリまで意図的に留年を繰り返す人も珍しくないから、就活で不利にならないしね。でさ、さっきからあなたの顔が引き攣っててウケるんだけど。会社まで追って来られるのは怖いの?」

 怖さを感じないと言えばもちろん嘘になるが、それ以上に心配している。岡倉は私の認識よりも遥かに壊れているのではないか。いくら最優先すべきはアートで、作品のためなら常識を踏み外しても問題ないと思ってはいても、さすがにこれは行き過ぎだろう。自分のことなら自己責任で済むが、私のせいで岡倉の人生が狂ってしまうことは、あまりにも重いプレッシャーだ。そこに恐怖を感じて絶句してしまった。


 早期選考に呼ばれた連絡を岡倉父に入れると、銀座のカフェに私一人が呼び出された。祝ってくれた後に、面接で気を付けるポイントや定番の質問なども教えてくれる。年によって変わる内容もあるだろうが、方向性を事前に把握できたのはとてもありがたい。

 面接対策の話題が一通り終わると、岡倉父はコーヒーのおかわりを頼む。まだ話があるのだろうと待っていると、テーブルの上に身を乗り出してきた。

「ところで、うちの晃司のことなんだけど。木暮さんが電広に決まったら、自分も電広しか受けない。落ちたら受かるまで留年させてくれ。留年分の学費は働いてから返すって言い出したんだよね。これってどういうこと? そもそも君たちの関係って、今どういうステイタスなの? 我が家では君は晃司の嫁みたいな認識になってるけど、それで合ってる?」

 面接対応はメールでも済む話だったので、わざわざ呼び出す理由はやはりそれかと、私は天井を見上げる。嫁認定には困ってしまうが、そう思っているから親身になって私の面倒まで見てくれるのだろう。銀座のカフェは天井まで豪華だなぁと、心が逃避していた。

「あー……えーっと、本人が話してないことを私がぶっちゃけるって、どうなんでしょうか」

 相談したいのは山々だが、勝手に親に話されたら岡倉だって良い気はしないだろう。言葉を濁していると、岡倉父はすぐに畳み掛けた。

「あいつに聞いても、話さないんだよ。状況がわからないままじゃ、こっちも返事のしようがなくてさ。晃司には黙ってるから。あと、高校の時は晃司の片思いだったよね? もしかしてあいつは、嫌がってる君にストーカーしたりしてない? どうなの?」

 有名クリエーターも、子どものこととなるとただの心配性な親になるんだなと思いながら、結局求めに応じて、幸せになったらデザインができなくなった経緯(いきさつ)や、アートを諦めたくないと言って、隣に戻ってきた話を伝える。岡倉自身もストーカーと言う単語を使ったことはあるが、決してそんな一方的な関係ではなく、私も戦友として好きだし、支えて貰っている面も多いと伝える。岡倉父は腕を組み、頷きながら聞いてくれた。

「でも、そのために就活まで一本に絞るのは違うんじゃないかと思うんです。それに、岡倉く……晃司くんは、もう私のことを好きと言うわけでもなくて、むしろ嫌いなんじゃないかと感じることもあるんです。社会人になれば、もっと沢山の出会いがあると思うので、私とは別の会社に行った方が良くないですか?」

 岡倉も仲の良い父親のアドバイスなら聞くかもしれない。そちらに誘導して貰えないかと提案すると、岡倉父は『はっは』と楽しそうな笑い声を上げた。

「ストーカーは嫌いになってからが本番だからね。うちの末息子、ヤバイなぁ」

 なぜそんなセリフを吐きながら笑うのか。意味を問う表情を浮かべても、岡倉父はそれには答えず、コーヒーに口をつける()を取った。

「苦しんで依存症に罹りながら描くなんて、いつからお前はそんな芸術家になったんだ、そこまでの作品を創れてるのかって言ってやりたいね。まぁ、息子の生き方が芸術家だったことは、俺としては嬉しい気持ちもあるんだけど、問題は君がどうしたいのかだよ。この先も晃司と一緒で良いのかどうか。良いなら、うちの新卒採用基準に合わせたディレクションを入れてフォローする。離れたいなら、アドバイスはしないことにする。うちの基準と晃司の作品は、あまり相性が良くない。フォローしなければ、多分受からない」

 岡倉父は決定権を私に委ねてくる。空になったコーヒーカップに視線を落として、しばらく考える時間を取る。どうしたいのかと問われても、私の頭の中は混沌としている。岡倉と離れたいと望むなら、この就職は最後のチャンスだろう。だがここで突き放してしまったら、彼の将来の芽を私が摘み取るのと同じだし、就職浪人を重ねる間に、きっと彼の脆い心は今より酷く壊れてしまうだろう。

 岡倉をここまで追い詰めたのは、やはり私なのだと思っている。離れたいと願うなら、もっと早くそうすべきだった。それなのに、壊れ具合を最高だと褒め、『普通の子』にはなってほしくないと戦場に連れ戻し、人としての幸せよりもアートを優先してほしいと願った。私が隣に居なかったら、彼はこんな状態になっていなかったはずだ。弱い性格だと知っていたのに、私と同じ生き方を強いたのは、それこそ、私の弱さではないか。

 かつての私なら、他人のために何かを決めることなどあり得なかったが、ここまで一緒に歩いてきた関係性が示す答は一つしかない。

「可能な限りのフォローをしてください。就職浪人なんてさせたら、晃司くんは潰れます。私は戦友を守りたいです」

 返事を聞いた岡倉父は何か言いたげに口を開き掛けたが、声を発する前に止め、考えた後に改めて唇を動かした。

「それは晃司のための選択だよね。ありがとう」

 その言い方から彼はまだ迷っているように見える。返事を翻すなら今しかないだろう。他者に依存せず独りで生きると決めていた過去の私から見れば、この選択は、一番波風を立てない代わりに、無難でツマラナイ妥協の産物と映ることだろう。それがわかっていても、結論を変えようとは思わなかった。

「晃司くんが求めるものを私は返せないので、一緒に居ても苦しいままだと思いますが、それでもよければ」

 私が重ねた返答を聞いて、眉間に皺を寄せていた岡倉父は、やっと息子と良く似た笑みを浮かべる。

「あいつの愛情に義務で応えようとしなくていいんだよ。本人が覚悟して選んだのなら、苦しさも幸せのうちだと思うよ?」

 彼が話す人間の業は私には難解だ。曖昧に微笑む返事をしながらも、愛とは呪いだと倫が定義したことを思い出す。二人揃ってなぜ、そんなネガティブで強烈な想いを心に抱いて、作品を描く原動力にするのか。心の闇を覗く能力がない私には、彼ら二人を本当に理解することは難しいと思えた。


 早期選考の面接は三回行われた。部長と局長クラスが二回。その二回目の面接官の一人に岡倉父が居た時にはギョッとしたが、私たちはお互いに初対面のフリをする。最終面接は役員で、その翌日にはもう、本当に内内定の返事が来るスピード感だ。あっけないほどアッサリと私の就活は終わりを迎えた。

 これで自分の力だけでこの先も生きていくことができそうだ。目指した職業に就ける喜びもさることながら、もしかしたらそれ以上に、これで誰にも……とりわけ実家に頼らずに、完全に自立する目処が立ったことが、私を安心させている。それに気づいた時、あれだけ最優先に掲げていた、アートのためだけに生きると言う願いなど、ただの理想に過ぎなかったと思い知る。この就活は、私を取り巻く様々な現実を突きつけ、そして、社会という輪の中で生きる不自由さを浮き彫りにした。


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