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翼の心音  作者: 松岡織


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第四章-2 亀裂


 学業とバイトが無事に軌道に乗った頃、予想していた通り、岡倉との関係に亀裂が走った。暦は七月を迎えてもうすぐ夏休み。夏期集中講義もあるし、藝祭の準備もしなくてはならないとは言え、高校よりひと月長い二ヶ月半もの夏休みだ。休みに入る少し前に話があると、カラオケボックスに連れて行かれた。

 ボックスはうるさいと以前は否定していたのに今日はここなんだと、心の中でツッコミを入れる。正直、大学生になってからの岡倉は、髪の長さだけではなく、他にも何かが急に変わってしまったように感じられ、もう密室で二人きりになりたくなかった。

「自制心に自信がないので、ここにしました」

 私の心を読んだかのように、岡倉は話し始める。そんな話から切り出されても萎えた気分になるし、どう答えれば良いのかもわからない。夏休み前と言うタイミングを思えば、何の話なのか察しはついていた。頼むから切り出さないでくれと願っていたが、残念ながら、正式に付き合ってほしいと申し込まれた。

「俺に恋愛感情を持っていないのは承知の上で、それでも付き合ってほしい。あなたが興味を持つまで待つつもりだったけど、いい加減限界になって来た。俺のことは友達としては好きなんだよね? 最初は友情の延長線上で良いから」

 長い付き合いだけあって、私の逃げ道を最初から封じた説得が来る。まずは落ち着こうと息を吐いたが、やはりそれは重かった。

「友達としては……きっと岡倉くんが想像しているよりもずっと好きだと思うよ。あなたの人柄も、メンタルの弱さも、繊細なデザインも全部。バディを組んで一緒にここまで来た仲間だし、信頼してる。戦場で背中を預ける人を選べって言われたら、私は迷わずあなたを選ぶし、今も選んでるつもり。それでも……恋愛相手として付き合うことは、私には無理です。その感情が理解できないんだよ」

 言葉を選びながら伝える間、岡倉は眉間に皺を寄せながら、それでも口元には小さな笑みを浮かべた複雑な表情を見せる。私が断ることは、彼だってわかっていたのだろう。話を終えると、息だけで笑った。

「木暮さんはいつも、男同士の友情みたいな言い方をするよね。しかも戦場って、一体どういう例え? あなたは何と戦ってるんだよ」

「え? 岡倉くんは戦ってないの?」

 むしろ彼が戦場に居ないことに驚いて、問い返してしまった。岡倉は私が何を言っているのか探る様子を見せた後に、納得したのか、力を抜いて背もたれに身体を預ける。そして、天井を見上げた。

「つまり結局のところ、高校の時からずっと、俺のライバルは人じゃなくてアートってことなんだね? 去年の夏も、恋愛してるヒマがあったらデザインを考えろって怒られたけど、あなたはあの時と同じで、受験とか関係なく、今もデザインのこと以外は興味がないってことか」

 天井に顔を向けたまま、呟くような静かな声がする。動かなくなってしまった彼の様子を、私は無言で眺めている。考えることの最上位は今ももちろんデザインであり、それをわざわざ確認すると言うことは、岡倉は違うのかと裏切られた気分になっている。私が黙っていると、彼は唐突に背もたれから身体を起こし、真っ直ぐな視線でこっちを見た。

「俺ね、他の大学のバイト仲間に告白された。初めて女の子から、男として選んでもらえたって思った時に、あなたのことが好きなはずなのに、ものすごく嬉しかった。ねぇ、この話を聞いてどう感じてる? 本音を聞かせてほしい」

 私の本音は『なるほど』だ。こっちの話こそが、今日の主題なのだろう。自分で決める勇気もなく、私に選ばせるつもりなのか。この弱さが本当に岡倉らしいし、彼が聞きたい答も知っている。少しでもそれに相応しい感情はあるのかと心を覗いても、嫉妬や独占欲は欠片も見つけることができない。私の答は一つしかなかった。

「あなたがアートより他の幸せを求めるのなら、笑顔で送り出すよ。そしてもう二度と、デザインを優先しろとは言わないことにする」

 岡倉は目線を下げ、まるで固まってしまったかのように俯いている。かなり長い時間を置いて、息を吐く音が聞こえた。

「……そうか。俺たちはトコトン噛み合わないね。それがよくわかったよ。今日はこのまま先に出てくれる? 俺は残って、この後一人で取り乱すから」

「ん」

 たった一音だけの了解を伝え、私はバックパックを担いでドアへと向かう。せめてもう少し何か言葉を掛けるべきなのかも知れない。今まで一緒に居てくれたことへの感謝とか、希望に沿えなかった謝罪など。だがそのどれもが、今の心境とはかけ離れている。結局そのまま振り返りもしないで廊下に出た私の心に陣取っているのは、落胆と怒りだ。藝大に合格しただけで、もう満足してしまったのか。受験のためだけのアートなのか。デザイン以外のくだらないことをぐだぐだと悩むために、一体どれだけ無駄な時間を費やしたのか。

(藝大に入ったらもう満足なのかよっ、がっかりさせんなっ!)

 勝手に期待して裏切られた気になっているのは、自分でもわかっている。岡倉が恋愛脳なのは今に始まったことではなく、ずっとそうだった。やっと受験の重圧から解放された大学生が恋をしたがったって、何一つおかしなことではない。

 ロジックではそう理解しているのに、感情が反発している。『あの子って普通の子だよね?』と馬鹿にした倫の声が、私の脳内で再生される。そんなことはないと擁護したいし、岡倉にはもっと上に行く才能があるはずだ。彼にしか創り出せない世界をこれからも追い求めて行くと信じていたのに、その戦いから勝手に降りていたことに、怒りが収まらない。もう庇う気は失せ、沸々と沸騰している怒りを抱えながら、窮屈な東京の雑踏を大股で歩く。ここから早く離れたいと、逃げるように駅の改札を通った。


 決定的な価値観の相違からもう友達づきあいも止めるのかと思ったら、岡倉は翌日の講義で、今までと同じように私の隣の席にわざわざ座った。なぜと理解に苦しむ視線を向けると、少し腫れた瞼で力無く微笑んでいる。

「好きな人と戦友を同時に失うのは、さすがに耐えられないって思ったから、これからあなたのことは男友達だと思うことにする。友達付き合いは続けてください」

 とっくに戦線から離脱していたくせに、なにが戦友だと心の中で悪態をつく。だが口には出さなかった。岡倉が単独で挑めない性格なのは、高一の時から何も変わっていない。今も大学の厳しいカリキュラムと、その先に待つ就活に対応する仲間を必要としているのだろう。

 どこまでも弱い性格だが、この脆さがあるからこそ、彼はあの絵が描けるのだと思う。彼の創り出す作品が好きな私は、呆れた気持ちが滲む笑顔だけを向け、彼の妥協案を受け入れた。


 長い夏休みを持て余すかと思ったら全くそんなことはなく、大学に通う日の方が多かった。夏の集中講義の申し込みは四月に終わっていたため、結局全てのカリキュラムでまた岡倉と一緒だ。私たちは多少ギクシャクしていたが、お互いに努力してなんとか関係を保っている。協力体制を維持しながら、写真技法に関する三つのクラスを受講する。アナログとデジタルの両方を学ぶことができる有意義なクラスで楽しかった。

 そして藝祭の準備が想像以上にヘビーだ。協調性のないアーティスト様が寄り集まった集団は、すぐに意見の対立が勃発して、何を決めるにも、やたらと時間が掛かる。藝祭にそこまで熱心になれない私は、一歩退いた立ち位置からの参加を保っていて、岡倉も同様のスタンスだ。

 その岡倉は告られた人と付き合い始めたのだろう。藝祭の準備から抜ける時の理由に『バイトだから』だけではなく『約束があるから』というパターンが追加された。なぜわざわざ言うのか疑問だったが、それを聞いても私の心には何の変化も起きなかったので、いつも手を振って送り出す。岡倉の恋愛事情には相変わらず興味がなかった。

 私は私で、集中講義で触れた写真という表現方法が気に入ってしまい、スマホで写真を撮っては、パソコンで加工して作品に仕上げる遊びを始めた。本格的にやるならちゃんとしたカメラを買うべきなのだろうが、そんなお金はないのでスマホだ。その作品を載せるために、クリエーター専用のSNSにアカウントも作った。

 インスタに載せることも考えたが、高校時代に授業で使っていたので、知り合いにフォローされている。ただの写真初心者の遊びに徹したかったので、SNSごと違う場所にした。

 登録名を何にしようかと考えた時、何も思い浮かばずに、倫が私をモデルにしたキャラクターと同じ名前を選んだ。この鴎馨と言う名前を思い出したのは、一体いつ以来だろうか。倫はもう鴎馨シリーズは描いていない。勝手に使ったと知れば、不愉快に感じるかもしれないと変更も考えたが、結局私はそのまま懐かしい名を残した。

 クリエーター専用のSNSは純粋な世界で、私はすっかり気に入ってしまった。毎晩寝る前に、見ず知らずの人の作品を眺めて回る。藝大生の作品ばかり観ている毎日だったので、多種多様な作り手たちが織り成す作品は、また違った良い刺激になる。そこから発想のキッカケを得ることもあった。

 夏休み中のある日、朝からずっと直射日光に晒されながら窓掃除をしていたので、寮に戻った時にはもう眠かった。なんとかシャワーを浴びて、スマホに充電ケーブルを挿す前にSNSだけはチェックしようとアプリを起動する。通知欄を見た瞬間、あれだけ強かった眠気が吹っ飛んだ。

 新規フォロワーとして表示されているのは、どう見ても倫のアカウントだ。このSNSを始めた最初に倫がいるかと検索したが、その時には登録はなかった。急いでプロフィール画面に飛ぶと、登録されたのはつい一週間前で、まだ作品は投稿されていない。そしてフォローだけではなく、十にも満たない私の写真作品全てに『いいね』が打たれている。

 鴎馨で検索して見つけたのだろうか。いや、それ以外考えられない。そしてきっと倫ならば、写真という新しい表現方法でも、私の作品だとわかるのだろう。見つかってしまうのなら、このアカウント名にはしなかったのにと、後悔しながらそっと唇を噛む。恥ずかしかった。

 彼女は今どうしているのだろうかと、大学に入ってからほぼ放置していたインスタに移動する。久しぶりに倫の投稿を辿ると、今までと変わらず、高いレベルのイラストたちが画面を彩っている。藝大生になった今の視点で見ても、彼女は間違いなく日本を代表するイラストレーターの一人だと改めて思う。高校時代から挿絵を担当していたラノベが劇場版アニメになるらしく、仕事も充実して忙しそうだ。アトリエを借りた投稿があり、そこでは今後、デジタルだけではなくアナログ作品にも挑戦すると、新境地への意気込みも綴られている。どの投稿にも自殺願望などカケラも見当たらず、倫の視線は未来しか見ていない。あれはやっぱり、それほど本気で言っていたわけではなかったのだなと、また安心した気持ちになれた。

 卒業と同時に一切の関係を断つのだろうと判断していたので、SNSでのリアクションが続くのは正直意外だ。この繋がりを前向きに受け入れるのなら、私も倫の投稿にいいねをするべきだが、心が決まらずそのままスマホを消す。

 倫を思い出す時にいつも思うのは、私たち二人はもう完結した作品だということだ。名残惜しさから引き延ばしても、完成度が落ちるだけではないか。改めてそのスタンスを確認すると、さっきから小波(さざなみ)のように揺れていた感情がスッと静まった。


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