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翼の心音  作者: 松岡織


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第三章-3 高三の夏休み


 予備校の夏期講習が始まった。浪人生の方が圧倒的多数という過酷なクラスだったが、私は今までになく善戦した。ほぼ毎日、上位1/3に入ることができたし、三位を二回、四位を五回獲ることもできた。まだまだ気が抜けないとは言え、現役合格という狭すぎる門の扉が、少しだけ開いてくれたと手応えを感じている。

 冷たい性格が幸いしてか、倫の温もりから離れたことは、私に影響を与えなかった。それでもやはりふとした時に、彼女の心音と温かさを恋しがっている自分に気づく。そんな日は、予備校の課題にもその感覚を乗せて描いた。温もりを求める心の中を漂いながらデザインした作品は、結果も常に良かった。

 帰宅してからインスタにアップすると、いつも明け方近くに倫の新作が載る。私への返しとなる作品は、決まって私をモデルにした青年キャラが水の中に居る絵だ。有名な絵画のオフィーリアのように池に仰向けになっていたり、深海を連想させる海色の中に立位(りつい)で漂っていたりと毎回シーンは異なるが、どのイラストでもキャラに表情はなく、双眸は閉じられている。生きているとも死んでいるともつかないその姿は、彼女が仕事で描くイラストとは全く異なる強い色彩で描かれた、新境地の表現だ。まるで魂を叩きつけたような作品に私は圧倒されたし、倫が返し絵に込めた念の強さに身震いする。その震えは恐怖ではなく、興奮だった。


 私が一定の成果を挙げた一方で、岡倉は一度も浪人生の壁を越えられないまま夏期講習は終わってしまった。迷いが見て取れるキレのない作品が多かったし、集中力も取り戻せていない。このままズルズルと行ってしまいそうな、良くない流れだった。

「今日さ、ちょっと話したいことがあるんだけど」

 やはり私と離れて集中した方が良いと考え、最終日の予備校を出た路上で声を掛ける。岡倉は無言でじっと私の顔を見た。

「……俺も話したいことがある。落ち着いて話せる、静かな所に行かない?」

 どこかで聞いたことがあるセリフだなと思いながらついて行くと、どう見てもラブホテルの前で岡倉はその足を止めた。本気で入るつもりなのだろうかと、問う表情で彼を見上げる。岡倉にはいつもの人懐こい笑みはなく、明らかに顔が強張っていた。

「受験が終わるまで、こういう場所には誘わないんじゃなかったっけ?」

 随分昔に聞いた彼自身の言葉で指摘すると、やっと笑みが浮かんだのが見える。

「よく覚えてるね。確かにそんなことも言いました」

 岡倉は視線を落として足元のアスファルトを見ている。そして力を抜くためか、勢いよく息を吐いてから、もう一度私に顔を向けた。

「本当に落ち着いて話したいだけなんで、何もしないからここにしない? 公園は落ち着かないし、カラオケボックスだとうるさいじゃん。それに俺、みっともなく取り乱すかもしれない。このタイミングで木暮さんとの関係を壊したくないから、絶対にバカなことはしないって約束する。だからお願いします」

 どう判断すればいいのか。何もしないと騙してホテルに連れ込むなんて、定番中の定番ではないか。だが、この二年間を一緒に過ごした岡倉の性格はよくわかっているし、過剰に警戒して断るのも、彼との信頼関係を壊してしまう気もしている。迷った末に渋々承諾すると、私とは対照的に岡倉には安堵の表情が浮かんだ。

 初めて入ったラブホテルは、普通にダブルベッドがあるだけの部屋だった。ただ唯一、なぜかバスルームとの境が壁ではなくガラスで、風呂に入る様子が丸見えなのが、意味がわからない。

「木暮さんはベッドに座って。俺は離れてこっちに座るから」

 一人掛けのソファをベッドの近くに運んで来て、岡倉は腰を下ろす。

「えっと……どっちから話す?」

 やわらかい声で誘導されたが、岡倉は祈る形で両手を固く結んでいる。私よりも緊張しているように見えた。

 言い出した責任上、先に口火を切る。集中力が切れているように見えること、私の面倒を見ているのが原因ではないか、自分の作品だけに集中してほしいので、私が原因ならバディを解消すべきではないかと提案する。岡倉はずっと黙って聞いていたが、私が話し終えると、大きな溜息をついて、頭をソファの背もたれに倒して喉を晒した。

「本当にそれが理由?」

「え? うん、そうだけど?」

 理由に納得できない様子で、頭が起きて視線が戻ってくる。苦しそうな表情が見えたが、私は彼が一体どんな心境なのか、全く想像がついていない。

「俺さ、さっき話があるって言われた時に、今日あなたにフラれて、俺たちの関係は終わるんだろうなって思ってたんだ」

 始まってもいないのに、一体何が終わるのだろうか。頭の中にはツッコミが浮かんでいたが、岡倉は真剣なので、とりあえず聞いていると伝えるために頷いて先を待った。

「それが本当の理由かって聞いたのは、ちょっと前から、木暮さんに俺はもう必要ないって感じてて。順位だって今やあなたの方が上だよね。それにさ……それに、あなたに影響を与えてる他の誰かが居るよね? 俺と組んだから伸びたんじゃなくて、その誰かのおかげであなたの表現力は上がったんじゃないの?」

 驚いた。絵が変化したのは、第三者の介入があったからだと岡倉は断定している。作品を見ただけでわかるものなのかと、絶句してしまった。

「それは、一体どこの誰? 学校も予備校も俺がガードしてたのに、どこで知り合った男? 外の大人? あんなに絵が変化するってことは、あなたもその男のことが好きだから、そこまでの影響を受け入れてるんだよね?」

 なぜか恋愛前提で問い詰められているが、勘違いも甚だしい。そんなバカな妄想に心を奪われているから、あんなヌルい作品しか描けなくなっていたのかと思うと、呆れを通り越して私の中には怒りが芽生えている。まだ続きそうな妄想話を遮るために、手を掲げて岡倉を睨みつけた。

「なんか勝手に断定されてるけど、まず、そんな男は居ない。それから、ありもしない疑惑に振り回されて作品がガタガタになるって、一体どういうことだよ。それでも二年間私たちの学年を引っ張ってきた絶対的エースなのか? エースならエースらしく、私がいくら頑張っても追いつけない背中を見せて欲しかった」

 不甲斐なさへの怒りから、私はいつになく乱暴な言葉を叩きつける。岡倉は最初驚いていたが、徐々にその表情はやわらかさを取り戻す。

「え、待って。好きな男ができたから俺と離れたいんじゃないのっ?」

「だから、恋愛に興味はないって最初から言ってるよね? そもそも、ガードってなんなんだ。そんな無駄なことをしている時間があったら、デザインを考えろっ!」

 まだ怒りが収まらずに攻撃を続ける私を見て、岡倉は泣きたいのか笑いたいのかわからない表情で、ソファから立ち上がる。そしていきなり、叫び声を上げて倒れ込んで来た。抱きつかれるのかと驚いて思わず身体を(すく)めたが、彼はベッドの空いた空間にダイブして動かなくなってしまった。

「……良かった。他の男に取られたんじゃなかった」

 シーツに顔を押し付けているからか、くぐもった声が聞こえてくる。その声の調子から、もしかしなくても泣いているようだ。うちのエースはなぜこんなにも恋愛脳でアホの子なのかと、溜息が出る。倫は『普通の子』と評してバカにしたが、十分壊れたヘンタイにしか見えないし、彼の乱れやすいメンタルが織りなす画風は、決してツマラナイ作品ではないと思っている。ただ、そんなにも恋愛脳なら、応えてくれる相手を好きになれよと、友人としての私は呆れている。

 涙が収まったのか、岡倉はやっと起き上がり、力が抜けた様子で並んでベッドに腰掛ける。離れた場所に居てくれるんじゃなかったのかと思ったが、戻れとは言わず、そのままにしておく。

「ごめんね、みっともない所を見せて。縄張りに他の雄が侵入して来ないか神経を尖らせるのは、男の本能なんで許してください」

 赤く染まってしまった目で岡倉は照れたように笑い、ベッドの枕元に置かれたティッシュを取って鼻をかんでいる。それをゴミ箱に捨てた後、改めて隣に座る私に身体を開いて座り直した。

「でも、じゃあ……どうしてあなたの表現は変わったの? 前にも聞いたけど、もう一度説明してほしい」

 邪魔されたくないので倫と照明室で会っていることは黙っていたが、やはり伝えた方が良いのだろうなと、私は初めて話す気になる。反対されたとしても、従う義理はないので突っぱねれば良いだけだ。

「確かにあなたに話してなかったことはある。そのせいで疑心暗鬼にさせたのなら、申し訳なかったです」

 口調が変わった私の声に呼ばれ、岡倉の表情には再び緊張が浮かぶ。何を聞かされるのかと、身構えているのが伝わった。

「前に絵が変わった理由を聞かれた時に、感覚を作品に乗せられるようになったって言ったけど、そのキッカケになったのは、また倫と話すようになったからなんだ」

 その名前を聞いた瞬間、岡倉の表情は固まり、空気が変わった。

「えっ、渡会? なんで? もしかして、まだロックオンされてたの? もう終わったんじゃなかったの?」

 矢継ぎ早に質問が投げ掛けられる。なぜそんなに食いつくのかわからなかったが、体調不良だった朝に助けてもらい、その時からつきあいが戻ったことを伝える。照明室で抱き合っていることは、きっと理解してもらえないだろうし、話すことであの世界が壊れてしまうと思ったので触れない。そこは私もズルかった。

 岡倉は難しい顔をして私の話を聞き終える。そして考えをまとめる時間を取った後に、やっと口を開いた。

「女の子同士の友達関係に、男の俺が口を挟むのは良くないってわかった上で敢えて言うけど、渡会倫とは関わらないでほしい」

「なんで? あ、理由を聞くと、中学時代の噂話を聞かないといけないのかな。だったら言わないで」

 受け流そうとした私の腕を岡倉が掴む。今まで一度だって肉体的接触などなかったのに、いきなりの行動だ。その手の大きさと力の強さに驚いてしまい、私は固まった。

「いいから。今度こそ聞いてくれ。中学時代の渡会は次々とトラブルを起こして、影ではクラッシャーって呼ばれてた。トラブルの流れはいつも同じで、特定の女子に目をつけて、やさしくしたりイラストのモデルにするんだ。そして相手が心を許した頃に、あなたじゃなかったって突然捨てるって話だった。渡会はもうイラスト界のスターだったから、どの子もちやほやされて嬉しくなってるところで、理由(わけ)もわからずいきなり全否定されたんだよ。まだ不安定な中学生だったせいもあるけど、相手の子たちはみんな立ち直るのが大変で、一番酷かった子は不登校になって、高校受験もできなかった。全員があなたと同じ、ショートカットで背が高いボーイッシュな子だよ。度会はあなたにも同じことをしようとしてるんじゃないの?」

 反応できずにいる間に、聞くつもりがなかった中学時代の悪評が一気に捲し立てられる。だが私は、そのエピソードに全く驚きを感じなかった。不登校になるまで壊したことは確かに大問題だが、それでも『倫らしい』としか思えない。相手を傷つける目的で捨てたのか、それとも命を託す相手として不合格だと見切ったのかはわからない。後者ならきっと、躊躇(ためら)わずにバッサリと切るだろう。

「あんな地雷女とつきあうなんて危ないって。ねぇ、お願いだから渡会とは縁を切ってほしい」

 岡倉は真剣な表情で説得することに一生懸命だが、私の腕を掴む力が増している。

「あのさ、腕が、痛い」

「えっ……あっ! ごめんっ!」

 無意識だった様子でパッと手が離れていく。腕に残った痛みをやわらげるために撫でる時間を取ったが、その間にじわじわと、何か形容し難い嬉しさが湧き上がってきている。自然と笑みが浮かんでしまった。

「その話を聞いた感想を言うと、切り捨てられる日が愉しみだなって思ったよ」

「はぁっ?」

 何を言っているのかわからないと言いたげに岡倉は眉間に皺を寄せたが、これは強がりではなく私の本心だ。それに、心ない否定を食らうことなど、慣れ過ぎていて今更だ。

「人格を否定されたり傷つけられることなんて、子どもの頃から日常茶飯事すぎて、きっと私は全くショックを受けないと思う。それよりさ、その時に見える景色で、また新しい絵が描けるんじゃないかな。むしろやってくれって思った」

 隣に座る岡倉の双眸が大きく開いたのが見える。私の家庭環境を推し量っているのか、困惑の表情が浮かんでいる。だがやがて、両手で頭を抱えて深い溜息をついた。

「芸術至上主義のアーティスト様はこれだから……」

 迷った末に発したであろう言い方が面白かったので、声をあげて笑ってしまう。私の答が、芸術とかアーティストとどう結びつくのかわからなかったが、倫と私の関係が今のままで居られるのは、どうせ卒業までなのだ。どのみちもう終わりは近いのだから放っておいてほしい。

 まだ大人ではなく、かと言ってもう子どもでもない。この曖昧な境界線上の今しか入ることができない楽園で、私たちは戯れているのだ。終焉に向かうセツナサという新しい感覚が浮かんで、早く帰って絵が描きたいと思っていた。


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