孫の為に 絹代目線
1カ月が経ち、仕事にもだいぶ慣れ、客室の清掃を1人で任されるようになった。
客室清掃は「滞在中のお客様が外出しているとき」か「宿泊を終えたお客様が退室し、新しいお客様が到着するまでの間」に行われる。
そのため、常に時間に追われているような感覚だ。だからといってミスは絶対に許されない。
高級ホテルの為、何かのやり忘れは即クレームに繋がる緊張感のある仕事だ。
今は凛の若い身体だから、疲れ知らずでテキパキ動ける。その事が楽しくてしょうがないのだが、基本は1人で黙々と作業をすることが多い。
そんな中でも、常連のお客様と顔を合わせる機会が増え、自然と挨拶や立ち話を交わすようになった。
おもてなしの一環として、お客様と軽く話す事は推奨されているので、話好きの私としては嬉しい。
しかし、時間がタイトなので手短に切り上げる必要がある。
高級ホテルだけあって客層は申し分なく、礼儀正しい人ばかり。中にはLINEの交換を求めてきたり、食事に誘ってくる方もいた。もちろん、凛の身体を預かっている身として全て丁重にお断りしている。
最近、私は考え始めたのだ。凛の為に。
「もし、ほんとうに良さそうな人が現れたら……連絡先くらい交換してもいいのじゃないか」と。
ひょっとすると、凛の“理想のスペックの男性”にぴったりな相手が現れるかもしれない。
身体を返すときに、そのまま自然にバトンタッチできたら――凛だってきっと悪くないはずだ。
「今日はそのことを、凛に相談してみよう」
そう心に決めた私は、凛の部屋をノックした。
トントン。
「凛、入るわよ」
「は〜い」
部屋の中では、マリーを抱っこしながら、凛がパソコンで動画を見ていた。
「ねえ凛、私が今勤めているグラン・カールトンはね、清掃の仕事でもお客様と立ち話をすることがあるの」
「へえ、おばあちゃんはニコニコしてて人当たりがいいからね。楽しい?」
「ええ、とっても。人と話すのは大好きだからね」
「まあ言い方は悪いけど、普通清掃員が挨拶しても中々会話には発展しないと思うよ。私がやっていたら絶対そう。そういうオーラ出してるの、自分でもわかってるし」
「そうかしら?」
「うん、そうだよ。おばあちゃんは特別」
「まあ、それはいいとしてね……凛は元の身体に戻ったら、結婚願望はあるのよね?」
「えっ、何?嫌だ、またその話?」
「そうよ。気を悪くしないでね。凛の為を思って言っているの」
「うん。前にも言ったけど、私理想めっちゃ高いからね。年齢は32歳くらいまで。年収は最低1000万以上、身長180センチ以上。体型、顔、性格、学歴、服のセンスも重要。これがクリアできなかったら、ずっと独身でもいいの」
「…凛…なかなかね…。グラン・カールトンはね、安い部屋でも1泊8万円以上するのよ。だから、来るお客様はお金に余裕のあるエリートばかり」
「だろうね。で?」
「凛の容姿で、中身がおばあちゃんの私だと、これが意外とウケがいいのよ」
「……まあ、そうかもね」
「本題はここからよ。実はLINEを交換したいとか、お食事に誘われることもあるの」
「えっ!?」
「ナンパじゃないのよ。私から話しかけて、簡単な世間話して、それからの流れだから。もちろん全部断っているけどね」
「清掃員なのに食事に誘われる?」
「そうよ?」
「……いや、違うよ、馬鹿にしてるわけじゃなくて。一般的には考えにくいから。それにしてもすごいね?」
「うんうん。その中には、凛の条件をクリアできそうな人もいると思うの。そういう人が現れたら、連絡先の交換や食事の誘い、受けちゃってもいいかしら?身体が戻ったら、そのまま凛にバトンタッチできるように」
「なるほど……今は全然そんな気分じゃないけど、それも悪くないかもね。連絡先を交換するなら、私も直接会ってチェックしたいけど」
「いずれそうできるようにするわ。早く凛にいい人を見つけてもらいたいもの…」
「ありがとう、おばあちゃん。楽しみにしてる!」
凛がそう言ったとき、私は少し寂しさを覚えた。
ステータスばかりで人を見てほしくない――そう思う気持ちが胸をよぎったのだ。
でも凛の考えも理解できる。
結婚すればこの家を出て、マンションか一軒家を買うだろう。
物価高の昨今、住宅価格は昔とは比べ物にならないくらい高いのだ。
その上、子どもが生まれたら仕事を辞めざるを得ないかもしれない。そうなると、旦那の年収が高くなければ生活は成り立たないだろう。
私が若かった頃とは、時代が大きく変わっているのだ。
私が夫と結婚した頃は3世代同居も当たり前で、そこまで子育てやお金の負担はなかった。
みんなで子育てに協力的で、子供に習い事、塾、スマホや部屋を与えるなんて事もなかった。お金がなくてもなんとかなった時代だったのだ。
今の時代は大変だな。
昔がよかったなんて全く思わないけど思わないけど、経済が右肩上がりだったので人々の目には希望が宿り、表情は明るかった。
常日頃から、そう思うのは私が歳をとり過ぎただろうか……と若い凛の身体で思っている事がおかしくて、つい笑ってしまった。




