山へ 凛目線
本日は9月22日、身体が入れ替わってからちょうど1年が経つ。
星屑のホテルで、順調に目が覚めれば、明日の朝は、お互いに自分の身体に戻っている事だろう。
それは、あくまで順調にいけばの話だ。
私は今までの人生で、期待して待っていると、高確率で肩透かしを食らってきた。
楽しみにしていた旅行が、大雨だったり、大事なピアノのコンクールの日に熱を出したり、インターハイの前日は、一睡もできずに惨敗したりと、枚挙にいとまがない。
その為、知らず知らずのうちに、心の中に予防線を張る癖ができていた。
今日だって、星屑のホテルがなかったら…。
もしくは、あって宿泊しても、身体の入れ替えが上手くいかなかったら…。
いや、行くまでに交通事故にあったら…。
自然災害が起きたら…。
この前ハマった“仮想現実説”で上位世界の人間の悪いイタズラだったら…。
そんな悪い可能性などは、いくらでも思いついた。
もし、このままの身体だったら、前向きに生きていけばいいだけだ。私は今現在、ごく普通のおばあちゃんだ。
いや、普通ではない。私には今現在プログラマーとしてそれなりの経験値がある。そんな80近いおばあちゃんは中々いないだろう?
そんなおばあちゃんとして生きるのも悪くはないかもしれない。そんな自分を想像したら、なぜか笑えてきた。
更に頭の中に、NHKみんなのうたの「コンピュータおばあちゃん」のメロディが突然流れ出した。
思わず口ずさみ、更に可笑しくなる。
前回宿泊した時にgoogleマップで現在地を調べた際にピンで場所を記録しているので、場所はわかっている。
そこへは車でないと行けないので、私のローバー・ミニでそこへ向かう予定だ。
おばあちゃんの身体は、反応があまりよろしくないので、普段は近所だけしか運転しない。
片道2時間以上の山道ドライブは、今の私にとってかなりの冒険だ。
そして、せっかくだから、今日は思いっきり楽しもうと2人で決めた。
おばあちゃんのファッションも、私が楽しんでコーディネートした。
自分の身体を“外から眺める”なんて、今日が最後になるかもしれないのだから。
タイトなデザインのグレーの袖なしのサマーニット、ブラックのミディ丈のプリーツスカート。
同じくブラックののヒールサンダルで足元を引き締める。
ハンドバックは颯太さんから貰ったブラックのエルメス。
仕上げに、オーバルフレームのべっ甲のサングラスのサングラスをかけたおばあちゃんは、どこから見ても映画の女優のようだった。
「おばあちゃん、かっこよすぎるって!!!」
鏡の前でポーズを取ったおばあちゃんは、
「悪くないわね」と笑いながら、ほんの少しだけ腰に手を当て、モデルみたいにくるりと回った。
最後の仕上げは、クロエの香水〈ラブストーリー〉。
ひと吹きした瞬間、柔らかな花の香りが部屋に広がる。
そんな私の方は———
クローゼットを開けると、奥の方にひっそりと眠っていた1着のワンピースが目に入った。
それは、少しおかしくなって散財していた時期に絹代おばあちゃんの身体の為に買ったもの。
タグをつけたまま、1度も袖を通したことがなかった。
深いネイビーの生地に、銀色の小さなドットが散りばめられている。まるで夜空に星が降り積もったみたいなワンピース。星屑のホテルに宿泊するのにぴったりだ。
そのブランド名を見て、思わず苦笑した。
「ドルチェ&ガッバーナ」なんて、今のおばあちゃんの身体の私には少し背伸びしすぎだ。
けれど、今日はこれしかない!
鏡の前に立ち、そっと裾を整える。
「うん、悪くない!」
星々を纏うようなそのドレスが、ほんの少しだけ私を強くしてくれる気がした。
私も香水をつける。
シャネルの〈ガブリエル〉。
これが今の私にはにぴったりだと思ったからだ。
“星屑のホテル”へ行く日の服として、これほどふさわしいものはない。
きっと、この1年の締めくくりにぴったりだ!
山の上は夜は寒いだろうから、衣類は多めにキャリーバッグに詰めて持っていく。
大切な予約票も中のポケットに入れたのを確認して、フタを閉めた。
「じゃあ、行こうか」
車に乗り込み、エンジンキーを回すと、ローバー・ミニの小気味いいエンジン音が車内に響きわたる。
BGMはモーツァルトの交響曲第40番。
「うわぁ、私たち香水つけすぎた!車の中やばい!」
「本当、凛つけすぎよ」
「でも後で温泉に行くからね。そこで落ちるよ?」
「そうね。ふふっ」
おばあちゃんが少し笑って少し窓を開けた。
こうして私たちは、星屑のホテルへ向けて走り出した。
ランチは途中のスターバックスで軽く済ませた。
2人でハム&マリボーチーズ石窯フィローネ、チョコレートスコーンとサラダラップを半分ずつ分け合い、ブラックコーヒーをゆっくり味わう。
この店は、おばあちゃんのチョイスだった。
颯太さんとのドライブデートで訪れた思い出の場所らしい。
大きな窓から射しこむ午後の光が、カップの縁をきらりと照らしていた。
おばあちゃんはカップを両手で包みながら、少し照れくさそうにうつむいた。
ここでどんな思い出があるのか聞こうと思ったけど、やめた。
閉じた瞳に、涙が光っていたからだ。
* * *
ローバー・ミニは快調に山を登って行く。心配していた山道の運転も意外と平気だった。
前を走る、海上コンテナを積んだ40フィートの青いヘッドのトレラーが、重い荷物を運んでいるらしく、遅くて少しじれったかったくらいだ。
空は澄み渡り、山の上から風が走る。
道端のススキが陽を受けて黄金色に光り、その中をエンジン音が心地よく響いていく。
温泉は事前に調べた“びろうどの湯”に立ち寄った。
小さな山あいにある、いい感じにひなびた1軒宿の温泉だ。
駐車場に車を停めると、硫黄の香りが風に混じってきた。
独特の匂い――決して良い香りとは言えないのに、
それが旅情を掻き立ててくれる。
古びた木造の宿は、歩くたびに床が小さくきしむのでゆっくり歩く。
番台で料金を払うと、私達は脱衣所へ向かった。
私の身体のおばあちゃんが鏡の前で下着を脱ぐと、鏡では見慣れたはずの、自分の身体があらわになった。
思えば、自分の裸を“外から”見たことなんてなかった。
胸も、お尻も、いい形に引き締まっていて、脚は輝く様に伸びている。
その美しさに少し息をのんだ。
けれど、股間に目をやると、恥ずかしくなり思わず目をそらしてしまった。
……って言うか人の身体なんだから隠してよ……。
露天の岩風呂に身を沈めると、白い湯けむりが立ちのぼり、秋の青空にゆっくりと溶けていく。
それを見ているうちに、胸の奥の緊張がふっと緩んでいった。
ああ、なんて静かで、優しい時間なのだろう。
星屑のホテルが存在するのか?なんて心配が湯煙とともに雲散霧消していく。
温泉から出ると私たちはバッチリ化粧をした。
再び車に乗り込むとつけすぎた香水の代わりに、ほのかな硫黄の香りがした。
ここからホテルはそう遠くない。
「おばあちゃん、行くよ!!」
「うん!」
今度のBGMはビゼーの「アルルの女・ファランドール」をチョイスした。




