空へ 絹代目線
5ヶ月ぶりの自分の家での暮らしだ。
久しぶりの凛と愛猫マリーとの生活。
身体が入れ替わった当初と置かれている状況なんて、大して変わっていないのに、世界がやけに優しく見えた。
それは多分、私は颯太さんから一生分の愛をもらい、凛も優真さんとの新しい未来を夢見ているからだろう。
凛は星屑のホテルが本当にあるのかとか、仮想現実がどうとかよくわからない事を言っていて、不安になっていたけど、とりあえず考えるのをやめたらしい。
「どうせその日が来たら、また頭の中がぐるぐるし始めるのだろうから」だって。
以前のようにウジウジ悩まなくなったのは、立派な成長だと感じる。
身体が戻ったら、凛は颯太さんの会社「フラワーリンク」夕霧支社で働く予定だ。
送られてきた勉強の為の資料を読み込んでは、「難しい〜」と苦笑いしているけれど、どこか嬉しそうでもある
優真さんとのピアノのレッスンは、いったんお休みしている。
「孫の凛を紹介する」と約束していたので、身体が戻る前に“凛の姿をした私”を会わせたくなかったのだろう。
身体が戻ってから、正式に紹介し、そのあとで自分から積極的にいく予定らしい。
私は必要であれば、そっと後ろで支えるつもりだ。
凛に「最後に、私の身体でやりたいことはない?」と聞かれた。
仕事も、恋愛も、トライアスロンも、若い身体で思いつくことはほとんどやり尽くした。
けれど、ひとつだけ心残りがある。
1度でいいから、大空をパラグライダーで飛んでみたかったのだ。
以前、颯太さんを誘ってみたことがある。
けれど彼は、あっさりと首を横に振った。
「僕、高いところダメなんですよ」
その言葉を聞いて、思わず笑ってしまった。
タワーマンションの38階に住んでいるのに高所恐怖症?どういうことなのだろう?
聞けば、颯太さんいわく――
「自分で立っている場所が“動かない”なら大丈夫なんです」
なるほど、絶対に安全な場所なら平気というわけだ。彼らしい理屈っぽい答えに、ついまた笑ってしまった。
実はパラグライダーで空を飛びたい理由はもう1つあった。
颯太さんの事は今でも頭から離れる事はない。
はっきり言ってかなり辛い。
人生初めての恋と失恋。
最高にかっこよくて、最高に優しかった颯太さんはもういない。
その事実を心に抱き、私は颯太さんから飛び立つのだ。
* * *
パラグライダーの予約は凛がしてくれた。
そして、なんとプレゼントという事で凛がお金を払ってくれた。
「おばあちゃん、きっと気に入ると思うよ。
一緒に飛ぶインストラクターは女性だからね。
おじさんは嫌でしょ?私は家でお留守番だけど、思い切り楽しんでね!」
その言葉に背中を押され、私は翌朝、山の上の離陸場に立っていた。
風はひんやりと心地よく、秋の気配を感じさせてくれた。
空を飛ぶという事なので緊張感が増してくる。
担当してくれたインストラクターは、妙齢の優しい女性だった。
落ち着いた声でハーネスの留め具を確認し、「大丈夫ですよ、風は完璧です。怖くなったら私の膝を軽く叩いてくださいね」と微笑んだ。
その笑顔に、不思議と緊張が溶けていった。
* * *
気流に乗った数秒後、私は鳥になっていた。
山肌がみるみる遠ざかる。
町並みはまるでジオラマのように広がり、緑が太陽の光を受けてきらめいていた。
山の稜線の向こうには、どこまでも続く青。
そこに、真っ白い絵の具を溶かしたような、巨大な入道雲が、天に向かいそびえたっている。
歳を重ねるたび、世界は小さくなっていくと思っていた。
けれど今、私の前には果てしない世界が広がっている。
ああ、世界は、なんて美しいのだろう!
ありがとう、凛と凛の身体。そして颯太さん…。
「本当に最高の1年だったよ!」
心の中でそう呟いた。




