心に嘘はつけない 凛目線
東京駅の新幹線の改札に着くと、おばあちゃんが私の送った服を着て立っていた。ネイビーのワンピースに黒いヒールサンダルが本当によく似合ってる。
「わー!おばあちゃん、かっこいい!」
「ありがとう、凛も素敵なお洋服ね。この前はいらないなんて言ってごめんね。気に入って着ているわよ」
「うん、ありがとう」
今まではブランド物を買うのにも、かなり計画的に買っていたけど、最近頭が混乱してストレスが溜まり、だいぶ散財してしまった。
今でも精神的に不安定だけど、今日は颯太さんの暮らしを見て、しっかり自分の中の覚悟を決める為に来たのだ。颯太さんと一緒になり、再び働かなくてはいけないのだから。
「腰や膝はどう?」
おばあちゃんが尋ねる
「うん、見ての通りかなりいいよ。リハビリも食事療法も頑張っているんだけどね。とりあえず筋肉だけは弱らない様に頑張っているよ」
「ありがとうね」
そう言うとおばあちゃんは、慣れた感じで、丸の内の北口まで私を案内すると、東雲のタワーマンションへ行くためにタクシーに乗り込んだ。
側から見ると、完全に東京の若者で、中身がおあばちゃんだとは誰も思わないだろう。
でも、私から見ると仕草や話し方、雰囲気などから“絹代おばあちゃん”を感じとってしまうのだ。それがおかしくてタクシーの中でついニヤニヤしてしまう。
颯太さんは今日は出張で明日の土曜日に帰ってくるそうだ。自宅で早めの夕食を3人で食べた後、例のランボルギーニで東京駅まで送り届けてくれる予定となっている。
タクシーの中の会話って、全て運転手さんに聞かれている様で苦手だ。こう言う第三者がいる場合は私がおばあちゃんの事を「おばあちゃん」って言うのは禁止だ。「絹ちゃん」と呼ぶ事になっている。
両親や颯太さんの場合は私がおばあちゃんで、おばあちゃんが凛だ。
ややこしいけど、2人で話すときにまで、名前まで完全に交換してしまうと、完全に入れ替わってしまって、2度と戻れない様な恐怖感がお互いにある為だ。
私がこのような場面で、あまり話をしたがらないのは知っているので、おばあちゃんはタクシーの運転手さんと1対1の会話に夢中だ。
40歳くらいの男性の運転さんも、相手が若く綺麗な女性と言う事で、どこか楽しそうだ。
気になってルームミラーで顔をチラチラ見ている気もする。会話なんて本当にどうでもいい事で、今日の天気やお昼に食べた物の事だ。
誰にでも“おばあちゃんのノリで”話しかけてしまう、若い女性なんていないのだから「モテるのも無理はないなって」再認識した。
世の若い女性はコレを真似すればモテモテになるのは間違いないと思う。私には無理だけどね…。
ちなみに、今働いているスーパーマーケットでも、お客さんから大人気だそうだ。仕事もすぐに慣れ、同年代の若い友達もできたと言う。同年代とは若いって言う意味だ。
颯太さんのタワーマンションに着くと、おばあちゃんは以前教えたスマホ決済で支払いを終えタクシーを降りた。
「ありがとう。気をつけてね」とおばあちゃんが優しい声で言うと運転手さんの目は明らかにハートマークになっていた。
身体が戻ったら、こう言うのは真似できるものなのだろうか?
優真君に使ってみたい…。
いやいや、私何を言っているのだろう。今日は颯太さんのマンションに来ているのだ。
タワーマンションのエントランスに入ると、高い天井の空間に、モダンなソファが並び、奥には品のいい女性のコンシェルジュが控えていた。
磨かれた床に、おばあちゃんのヒールの音が響く。
エレベーターに乗り込み、38階のボタンを押す。
静かな加速ながら速い。身体がふわりと浮く感覚。
耳の奥がキーンと鳴り、思わず唾をのみこんだ。
部屋に入ると、大きな窓一面に東京湾の景色が広がった。
その迫力に思わず息をのむ――はずだったが、おばあちゃんのLINEで何度も写真を見ていたせいか、思ったほどの感動はなかった。夜景も同じなのかも知れない。
バルコニーに出てみる。春の風が頬を撫で、潮の匂いがかすかに漂う。心地よいはずなのに、なぜか胸の奥は静まり返っていた。
楽しみだったタワーマンションなのに、心がどこか落ち着かない。他人の家だからだろうか?
思わずおばあちゃんの手を握る。
おばあちゃんも心情を知ってか、私の手を握り返す。
おばあちゃんはトライアスロンのトレーニングの為、マンションに併設されているジムとプールに出かけた。
トライアスロン、一体何が楽しいのだろうか?
私…引き継ぎたくない。
長距離走は好きではない。
そのうえ、水泳に自転車まで加わるなんて…。
そんなことより、今はピアノを弾いたり、小説を書いていたい。
マリーがそばにいないのも、どうにも落ち着つかない。
おばあちゃんは中々帰ってこなかった。
日が暮れたこの部屋からみる風景は宇宙船の中の様に静かだった。
無機質な東京の夜景が私を一層不安にさせる。
おばあちゃんがこのタワーマンションに馴染んでいるのが不思議でならなかった。
理由を考えてみたけど、やはり颯太さんに恋をしているからなのだろう。おじいちゃんには愛されてる様子はなかったから…。
もしかしたら、今が人生で初めての恋なのかもしれない。その“恋の魔法”が、おばあちゃんを変えているのだ。私も、その魔法にかかった方が私も楽になれるのに…。
この日の夜はおばあちゃんの手料理を食べて、ゲストルームの清潔なベッドで眠った。
* * *
疲れていたので、よく眠れたが、朝日が差し込む東京湾の絶景にも私の心は晴れなかった。
おばあちゃんは心配して優しく話しかてくれる。ありがたいけど、今は1人でいたい気分……と言うか正直早く帰りたい。
夕方、予定通り颯太さんが帰ってきた。おばあちゃんが作った豪華な料理を皆で食べる。
今日は和食で、テーブルにはご飯、味噌汁、金目鯛の煮付け、ぬか漬け、きんぴらごぼう、ポテトサラダ、ビールが並ぶ。
たまにここで、颯太さんの仕事仲間招いてホームパーティーを開く事もあると言う。
ひと通り教わったけど、そんなにたくさんの料理、私には作れないし、作りたくもなかった。
颯太さんの話の中で、特に胸に残ったのは「出張先でも、最近はぐっすり眠れるようになったんだ」
という一言だった。
おばあちゃんと過ごすうちに、仕事への緊張や、常に何かに追われるような脅迫観念から、少しずつ解き放たれていったのだという。
その穏やかな笑顔を見た瞬間、私の胸の奥にも、静かな安堵が広がっていった。
そんな中、颯太さんの横にいる、おばあちゃんは終始笑顔で幸せそうだった。でも今日はその笑顔を見ることがとても辛かった。いずれにしろこの恋にはリミットがあるのだから…。
夕食が終わると、颯太さんのランボルギーニで東京駅まで送ってもらった。2シーターなので、2人っきりだけど、ランボルギーニにも颯太さんにも今日は全く心がときめかなかった。なぜだかわからないけど、恐怖心まで感じてしまった。
その間、颯太さんは仕事の話を聞かせてくれた。AIのプログラムの話や今後の展望など。
車のエンジン音はうるさかったけど、仕事の話はすごく面白かった。ずっとしていたいくらい…。
やっぱり私は根っからのITエンジニアなのだ。
仕事に復帰するなら絶対にプログラマーだと強く実感した。
帰りの新幹線で窓に映る、絹代おばあちゃんの顔を眺めながらはっきりと自覚した。
この生活を私は引き継ぐ事を望んでいないのだと。
自分に嘘はつけない。
そして、私がずっと一緒にいたいのは、優真君なのだと。




