心が… 凛目線
最近は、デイサービスにも完全に馴染み、行くのが楽しみな程だ。
その1番の理由は、優真くんが“自腹”で電子ピアノを置いてくれたことだ。
メルカリで3000円で買ったと言うCASIOのキーボード。
最初は「施設にキーボードなんて」と職員たちが戸惑っていたけれど、今ではすっかり人気者だ。
私は本物志向がないので、これでも十分だ。
みんな、私の弾くピアノを喜んで聴いてくれる。
それどころか、「今日は『青い山脈』がいいわ」とか「『上を向いて歩こう』頼むね」とリクエストまでしてくれるのだ。
知らない曲も多いけれど、数回聴けばなんとなく弾けてしまう。それぐらいの腕は持ち合わせていた。手が覚えているというより、音に導かれて指が自然に動く感じだ。
そして、みんなが私のピアノに合わせて口ずさみ、笑顔を見せてくれる。私も一緒に歌ってしまう。
ここの“主”の佐藤さんもすっかりご満悦だ。
その瞬間、胸の奥が温かくなる。
涙が出そうになるのを、必死でこらえる。
——こんなにもピアノで誰かを幸せにできるなんて。
身体が戻ったら、おばあちゃんはこんなにピアノを弾く事ができないので、そのへんは“歳で指が急に動かなくなった”とか適当に言い訳をしてもらおう。
あまり細かい事は考えたくなかった。
今この瞬間をめいっぱい楽しみたいのだ。
おばあちゃんだって、私が大して料理ができないのに、颯太さんに対して、ご馳走を作っているに違いない。お互い様だ。
他に最近はトライアスロンを始めたのだと言う。最も過酷なスポーツと言うイメージがあるので正直憂鬱だ。こちらも、身体を戻した際に引き継がなきゃいけないからだ。
しかし、ハイスペの颯太さんと一緒になると言う事は、そう言う事なのだ。
おばあちゃんは「楽しい」と言っていたが私はトライアスロンには全く興味がもてなかった。とりあえず今度色々調べてみようと思う。
元の身体に戻った時にプログラマーに復帰するのではなく、優真君みたいに理学療法士になるのもいいかもしれない。誰かを“癒す”って素晴らしいな。
颯太さんに初めて会ってからは、数日間はテンションが上がり、おばあちゃんとバトンタッチしても一緒になりたいと言う気持ちが強かったのだが、どうも気持ちが長続きしない様だ。
もし、身体が戻ったら、颯太さんではなく、優真君を選ぶと言う選択肢も、少しだけど真剣に考え始めている。
もちろん優真君に告白して成功しなければならないけど。彼女がいた事ないっぽいし、その辺は大丈夫だと言う謎の自信があった。
でも、その一方でおばあちゃんの気持ちは絶対に裏切れないとも思っている。おばあちゃんは今身体を張って私の為に奮闘してくれているのだ。
“奮闘してくれている”という言い方は間違っているだろう。おばあちゃんはあきらかに颯太さんに恋をしているのだから。
そんな感じで、私は行き場のない気持ちが完全に空回りしている。
そんな自分を落ち着かせたくて、最近はおばあちゃんに私の好きなクロエの服を贈った。
「いらないのに」と言われたけど、私の身体を着飾ってもらうための服なんだから当然だ。
おばあちゃんは、何を勘違いしているんだろう?
それと同時に、ローバー・ミニも少しずつドレスアップすることにした。
10インチのホイールに変え、メッキのバンパーを磨き、ステアリングをウッドのナルディに交換した。
小さなボディが光を受けてきらりと輝くたびに、
心の奥の混乱が少しだけ整理されていく気がする。
——今の私は、どこに向かって走ろうとしているんだろう。
ああ、心が不安定だ。
頑張って貯めてきた貯金も、使いまくっている。
まるで糸の切れた凧の様に…。
ミニのエンジンをかけるたびに、そんな思いが、胸の奥で静かに鳴り続けていた。




