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初対面 凛目線

3月も中旬になりユキヤナギ、コブシ、モクレン、梅などの花が咲き始めた。桜も、もうすぐ咲き始めるだろう。


今日は、おばあちゃんが颯太さんと同棲を始めるにあたって、私に挨拶をしに来る日だ。


……と言っても、最近はもうすっかり、この身体に慣れてしまって、自分のことではないような気がしている……。


おばあちゃんは、今ごろ駅まで颯太さんを迎えに行っている。


私はこの部屋で、その帰りを待っているところだ。


けれど、胸の中はワクワクというより――むしろ、複雑な感情でいっぱいだった。


恐怖——なぜか、そんな感情まで湧き上がってくる始末だ。


おばあちゃんが同棲して、私の身体で毎日颯太さんと一緒に眠るから……そういうことではない。


なぜだかわからないけれど、もうそう言った感情の段階はとっくに過ぎ去ってしまったようだ。


以前の私は、ブランド物が大好きで、男性を見るときも全てステータスで測っていた。


けれど“おばあちゃん”として生きるうちに、もっと身近で、静かな幸せの方がずっと大切だと気づいた。


そのきっかけは、仕事を辞め、この身体になった事だろう。


申し訳ないけど、この身体では、高価な服もバッグも全く似合わない。見栄も、競争も、必要がなくなったのだ。


そして、なくしてみて初めてわかった。


人は、何かを手放した時にこそ、本当の自由を知るのだと。


たとえるなら、以前はきれいなマンションに住んでいたけれど、落ちぶれて四畳半のアパートに引っ越す事になった。


しかし、高価な家具は入らず、必要なものだけで質素に生きるミニマリストの生活の方が快適になってしまった…。


そんな感じだろうか…。


でも、そんなことばかり言ってはいられない。


もう、歯車は回り始めているのだ。


あと半年もすれば、私は元の身体に戻る。


そして嫌でも、見栄や競争の社会に再び組み込まれていくのだ。


牙を抜かれている場合じゃない。


そう思っているのに、どうにも気合いが入らない。


この静けさが心地よすぎて、前に進むための熱が完全に鈍っている……。


今日、颯太さんに会えば、再び私の中に火を灯してくれるだろうか?


メーターを振り切るほど素敵な男性であってほしい。


私を、元の世界へ連れ戻してくれるくらいの力をどうか———持っていてほしい。


約束の時間になっても、なかなか現れない。


胸の奥のそわそわした気分が抑えられず、私は玄関先に出て、思い立った様に鉢植えにジョウロで水をあげはじめた。


静かな午後、シャワー状になった水が光をうけ、小さな虹を作っている。


7色を数えていたら水がなくなった。


ふと顔を上げると、道の向こうから2人が歩いてくるのが見えた。


颯太さんと、おばあちゃんの姿だ。


社長だから、てっきりタクシーやハイヤーで来ると思っていたのに、まるでデートのように並んで歩いている。


しかも、2人はさりげなく手をつないでいた。


それだけで、きっと世界のすべてが美しく見えるのだろう。


ああ…なんて微笑ましのだろう。


って私…めっちゃ、他人事の様だ…。


近づいてくる颯太さんは、チャコールグレーのスーツを纏っていた。光沢を抑えた上質な生地が、冬の陽射しを柔らかく反射し、長身のシルエットをさらに際立たせている。


白いシャツの襟元には、深いワインレッドのネクタイ。どこか映画俳優のような風格があった。


隣を歩くおばあちゃん———凛の身体は、以前、私が買ったクロエのワンピースを着ている。


淡いグレーの生地に、細やかな花柄の刺繍が散りばめられ、風に揺れるたびに上品な光沢を放っていた。


私は思わず息を呑んだ。


…2人とも超かっこいいじゃん…。


凛の身長は170cm、颯太さんは183cm。


並んで歩くその姿は、まるで雑誌の1ページから抜け出したようだった。


胸の奥がじんわりと熱くなり、気づけば私も笑っていた。


昔の自分を、少しだけ取り戻せた気がした。


「こんにちは。初めまして」


颯太さんを玄関で迎えてから家に上がると、私とおばあちゃんはエプロンをつけ、食事の準備を始めた。


テーブルの上には、あっという間に色鮮やかな中華料理が並んでいく。


青椒肉絲、麻婆豆腐、海老のチリソース、そしてメインの油淋鶏――湯気が立ちのぼり、香ばしい香りが部屋いっぱいに広がっていた。


おばあちゃんの手際は驚くほど早い。


長年の経験に、凛の身体の若さと反応速度が加わることで、信じられないほど効率的に動けてしまうのだ。まるで2人の“融合体”がキッチンに立っているみたいだった。


「さあ、準備完了よ。食べましょ」


おばあちゃんが笑顔で言うと、颯太さんが少し驚いたように目を丸くした。


「僕のために、こんなにたくさん……ありがとうございます」


手を合わせる仕草まで、どこか上品で自然体。


この人は、たとえ小さな所作ひとつでも誠実さがにじみ出てしまうタイプなのだろう。


「美味しい!この油淋鶏はどなたが作られたんですか?」


箸を止めて颯太さんが尋ねる。


「今日の料理は全部、凛よ」


私が答える。


おばあちゃんが誇らしげに作り方から材料まで細かく紹介している。


颯太さんは感心したように笑い、「いや〜凛さんの料理がこんなに美味しいとは」ともう一口頬張る。


その笑顔を見て、胸の奥にぽっと温かいものが広がった。


でも身体が戻ったら、この料理と味を再現しなくてはいけないのだ。


最近、料理の修行はサボり気味なので、また気合い入れて再開しなくては……。


それにしてもおばあちゃん、ハードル上げるなぁ。


料理上手過ぎだよ。これで和食や洋食も同じクオリティーでできちゃうんだから。


颯太さんは「眠れなくて突然死するんじゃないか?」と言う恐怖を抱えていて、夜におばあちゃんと一緒だと深く眠れる事も、ユーモアを交えて話してくれた。


他にも、自分の失敗談を中心に、颯太さんは次々と面白い話を披露してくれる。


自慢話などもなくはなかったが、1ミリも気にならない話し方だ。


おそらく、こういう“ネタ”を何十、何百とストックしているのだろう。


さすが1流のビジネスマン、という感じだった。


気がついたら“自然に”IT業界の話題に移っていた。


私も元プログラマーだから、ITの話になるとつい夢中になってしまう。


最初は「最近のAIってすごいですよね」なんて軽い話だったのに、気づけば——


「ディープラーニングの学習率の調整って、結局は勘なんですよね?」


「トランスフォーマー構造って、汎用的すぎて逆にオーバーフィットしません?」


……なんて、かなり専門的な話題にまで踏み込んでしまっていた。


颯太さんは一瞬、目を丸くして、すぐに吹き出した。


「おばあ様、ずいぶん詳しいんですね? まるでITのエンジニアみたいだ!」


その瞬間、私のイタズラ心と、颯太さんの楽しそうな反応が面白すぎて、思わず2人で大爆笑してしまった。


「2人とも、まるで姉妹みたいに仲がいいですね?」


そう言われて、思わず顔を見合わて笑ってしまった。


こうして初めての会食は大成功に終わった。


颯太さんは、想像以上に話しやすく、エネルギーの塊のような人だった。


その笑顔、その語り口、その仕草のひとつひとつが、人を惹きつける力に満ちている。


けれど、あのクラスの話術があるのなら、きっと私でなくても同じように盛り上がったのだろうけど…。


ふと、そんな不安が胸をかすめる。


見た目だって、もう“完璧”としか言いようがない。


イケメンで健康的、鍛え上げられた体つきは、スーツを着ていても十分すぎるほど伝わってくる。


正直、息をのむほどだ。


そして、私は気づく。


無意識に、優真君と比べてしまっている自分に。


ピアノを教えているときは、身体の年齢差のこともあって、師匠と弟子みたいな距離感があった。


でも、小説のことを語り合うようになってからは、不思議とその壁がすっと消えて、ただの“仲間”になれた気がするのだ。


書き方の“心構え”こそ教わったが、書き上げるのは自分1人の作業。


そこに師弟関係は存在しない。むしろ、友達のように、同じテーブルで同じ夢を話せるようになった気がしている。


見た目に関しても優真君は悪くはない。


むしろ、いい。髪の毛はサラサラで、肌は透き通る様に白く、笑顔も可愛らしい。


でも、今は颯太さんだ。


私は元の身体に戻らなくてはいけないし、もう歯車も回り始めている。


颯太さんに心を戻さなくてはいけないはずなのに、胸の奥で別の気持ちが静かに芽を出しているのがどうしても抑えられない。



         * * *



その後、2人は両親の住むシンガポールへ行き無事に挨拶を済ませたそうだ。


同棲相手が高スペックの颯太さんと言う事でたいそう喜んでいたそうだ。


もし、相手が優真君だったどんな反応だったのだろうか?


少し考えたが、パパもママも私の相手が誰だろうと、さして気にはしないだろう。


よくも悪くもそういう人達なのだ。


きっと喜んでくれるだろうな。


……って、私何を考えているのだろう?


もう、私の相手はもう颯太さんで決定なんだ。



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