Bell 凛目線
年末に久しぶりにパパとママに会ったが、やはり私たちの変化に気づくことはなかった。
おばあちゃんは事前に、必死で作戦を立てていたけれど、私は「絶対に大丈夫」と確信していた。
だから驚きも落胆もなく、ただ「やっぱりな」と思っただけだった。
元々、よくも悪くもそういう人たちなのだから。
私がそう割り切れるようになったのは、間違いなくおばあちゃんのおかげだろう。
小さい頃からたっぷりの愛情を注いでくれたから、両親が無関心でも、友達がいなくても、ちっとも寂しくなんてなかった。
今回の両親の帰省は、そのことを改めて気づかせてくれた。
そして同時に、おばあちゃんの大切さを、強く再認識する出来事にもなった。
おばあちゃんは私に謝った後も、まだ何か悩んでいると思っているみたいだけどそうではない。
私は、優真君に読んでもらうための小説を真剣に考えているのだ。
彼の作品を読んで以来、どうしても自分でも書いてみたくなってしまった。
時間がある今なら、なにかしら書ける気がした。
上手くいけば、新人賞に応募して、ネットで話題になって、書籍化……さらに映像化なんて事もゼロじゃないかもしれない。
その際に、私の作曲した曲を使うのだ。
なんて夢がある趣味何だろう?
しかし、小説なんて1度も書いたことがないし、どうやって物語を紡げばいいかなんて、さっぱり分からなかった。
思い切って優真君に相談してみると、彼は笑って言った。
「小説は無理やり捻り出すものじゃないですよ。題名や書きたい事だけ頭の隅に置いていればある日、突然降ってくるんです」
「適当に少しだけ書いて寝かせておくのもオススメですよ」
その言葉に救われた。焦らなくてもいい。ゆっくり、自分の物語を見つければいいんだ。
私も優真君のように、現実の中にほんの少しだけファンタジーを混ぜ込んだ物語を書いてみたい。
その「降ってくる瞬間」を待つには、まずリラックスするのが一番だと思った。
マリーと遊んだり、散歩したり、お風呂に入ったり、ピアノを弾いたり、本を読んだり、strawberryで世界の誰かとおしゃべりしたり、興味ある事を調べたり…。
そんな時間を大切に過ごしていると、心がどんどん穏やかになっていった。
小説を書く事=リラックスする事なんだ。
だから、実はめちゃくちゃ楽しい趣味なのかももしれない。
まだ、1作も書いていないけれど…。
おばあちゃんは運転免許を持っているけど、長いあいだ運転していないペーパードライバーだ。
だから法律上は、入れ替わった私が運転できることになっている。
でも反応が鈍いこの身体では、せいぜい近所のスーパーへ行くくらいが精一杯。
だから私は、よく空想をする。
自分の身体に戻って、クラシックカーのローバー・ミニでどこか遠くへ旅に出る空想を…。
もし小説を書くなら、処女作は絶対に愛車のローバー・ミニが登場する物語にしたい。
少し不思議で、最初はほんのり怖くて、それでいて最後には思いっきり美しく、ハッピーエンドで終わるようなラブストーリー。
そんな夢を抱きながら過ごしていたある日。
ついに、私のもとにも「物語」が降ってきたのだ。
思いついたら、文章にするのは簡単だった。
「文体なんてどうでもいいんです。重要なのは内容ですよ。文章なんて後で直せばいいんです。とにかく思いついたら、勢いと情熱で一気に書き上げることです」
そう優真君が言っていたからだ。
だから私は、その言葉を信じて、わずか2時間で書き上げてしまった。
私は完全に理系の人間なので、文章を書くことは得意ではない。そもそも活字自体が苦手だったりする。
それでも、書いている時間は楽しかった。
本当に幸せだった。
* * *
デイサービスで、私はその小説を優真君に読んでもらう事にした。
ここは他の施設とは違い、おだやかであたたかな空気が流れている。
だから、こんな無茶も自然と許されてしまうのだ。
当初は嫌だった、この雰囲気にも慣れると、居心地の良さまで感じる様になったのだ。
題名は「Bell」。
原稿を手にした優真君の顔がほころんだ。
Bell
私の名前は美樹、25歳。趣味はドライブ。乗っている車はローバー・ミニ。イギリス製の30年前のクラシックカーだけど、磨きあげられたネイビーのボディは美しく、眺めているだけでもうっとりとしてしまう程だ。
先日ドライブの途中で、偶然見つけて立ち寄ったアンティークショップ「時の結晶」で、とても可愛らしいフランス製の古い目覚まし時計に出会った。
ショップの一角にひっそりと佇んでいたその時計は、クリーム色の優しいボディがなんとも言えず愛らしく、まるで時代を超えてここへ来たかのような不思議な感覚を覚えた。
「わぁ、これ…素敵…」
その瞬間、他のアイテムには目もくれず、自然とその時計に手を伸ばしていた。
古びた文字盤にはギリシャ数字が刻まれ、金属のベルは少し錆びついていたが、それがまたアンティークらしい風情を漂わせていた。
特にクリーム色のボディは、部屋のインテリアにぴったりだと思った。私の頭の中で、この時計を自分の部屋に置いた姿がすぐに思い浮かんだ。
店主に尋ねると、ゼンマイ式の時計で、どうやらゼンマイが壊れているらしい。実際に時を刻むことはできず、オブジェとしての扱いで3,000円というお手頃価格だった。
私は迷わず購入を決意した。動かなくても可愛ければそれでいいし、スマホの目覚ましもあるから実用性は求めていなかった。
家に帰り、さっそくベッドの横の白いチェストにその時計を置いた。
……かわいい……。
その姿を見て、私は思わず微笑んでしまった。時計が持つその独特の存在感が、部屋にちょっとした古びたエッセンスを加えてくれたのだ。
それからの毎日、目覚ましの音が鳴ることはなく、ただのインテリアとして私の生活の一部になっていった。
スマホのアラームが日々の目覚めを支えてくれている。特に何の変哲もない日常が続いていた。
その日までは——。
* * *
ある早朝、突然、耳元で響き渡るベルのけたたましい音に飛び起きた。
心臓がドキッとするほど大きな音だった。
慌てて音の主を探すと、それはベッドサイドに置かれていたアンティークの目覚まし時計だった。
「えっ、どうして…?」
呆然としながらも、目覚ましのベルを止め、時計をまじまじと見つめる。
壊れていたはずの時計が、まるで何事もなかったかのようにカチカチと小さな音を立てて動いている。
ベルの音も初めて聞いたものだった。おそらくなんらかの原因でゼンマイが動き出したのだろう。
ふと柱時計に目をやった。
時刻は6時ちょうど。
今日は普通に仕事がある日だし、起きなければならない時間だ。
でも、もっと驚くことがあった。
慌ててスマホを手に取り確認すると、目覚ましアラームのセットをすっかり忘れていたことに気づいた。
「嘘でしょ!?私、アラームかけ忘れてたんだ…」
そう呟いた瞬間、アンティークの目覚まし時計が私を救ってくれたのだと悟った。
「この子が…私を起こしてくれたってこと…?遅刻しないで済んだわ、ありがとう…」
私は時計をそっと撫で、感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。
不思議なこの時計が更に愛おしく思えた。
まるで自分のために、時を超えて助けに来てくれたかのような、特別な存在に感じたのだ。
私は時計に「リリー」と名づけた。
ベルの音が「リリリリー」と聞こえたからだ。
それからの、私はスマホのアラームのセットし忘れによる寝坊に、リリーに3度も助けられた。
もはや、リリーの信頼は絶大だった
でも、3度って、ちょっと多すぎだけどね…笑…。
* * *
梅雨入りして1週間、その日も朝からしとしとと雨が降り続いていた。
窓を打つ雨粒の音が心地よく、穏やかなリズムを刻むように響いている。
私はソファに身を預け、雨音に耳を傾けていた。
外は薄暗く、空には灰色の雲が広がり、雨が遠くの森を優しく優しく濡らしている。
「こんな日は、ゆっくり過ごすのが一番…」
薄暗い部屋を、ランプの灯りだけにして、ブランケットを軽くかけ、まどろむように目を閉じた。
雨はリズムを変えることなく降り続け、窓に当たる雨音が、静けさと自然の美しさを伝えてくれる。
時間が雨に溶けていく様な、不思議な感覚に身を委ねていると、いつしか夢の世界に誘われていくのを感じた。
* * *
その時、突然耳元で「リリリリー!」とベルの音が鳴り響いた。
突然の事に、心臓がバクバクと鳴るのを感じた。
この日は何も予定がないのに、リリーが鳴る理由が
全く思い当たらなかったからだ。
えっ、何?
どうして鳴ったの?
頭が混乱し、パニックになりかける。
もしかして、何かの警告?
地震?火事?それとも強盗?
いや、飛行機がこの家に墜落する?
次々と不安な想像が脳裏をよぎる。
私はリリーが教えてくれている「何か」があるはずだと確信した。
深呼吸をして落ち着こうとしたが、心の中で「早く逃げなきゃ!」という思いが強まるばかりだった。
車でどこか遠くに逃げよう!
とりあえず、何か起きる前にこの場所を離れるべきだ。
何も考えず、大急ぎで動き出した。
とにかく安全な場所に向かおうと、貴重品とリリーを抱えて玄関へ走った。
傘をさして外に出ると、更に激しい豪雨が降り注いぎ、風も強く吹き荒れていた。
車のワイパーも追いつかないほどの激しい雨に、躊躇したが、私はリリーをしっかり抱えたまま車を走らせた。
空は真っ暗で雷までも鳴り始め、何か尋常じゃない事が起き始めている事は確かだった。
とにかく、何もない場所に行かなきゃ…。
道路は水で溢れ、通行人の姿はなく、雷雨は激しさを増していた。
心臓の鼓動が高鳴る中、私は無意識に郊外を目指していた。
自然とハンドルを握る手にも力が入る。
リリー、私に何を知らせてくれるの?
何か悪いことが起こるの?
まるでリリーに語りかけるかのように、私は声に出していた。
何かを守ってくれようとしている気がしてならなかったからだ。
郊外に向かう道はどんどん狭くなり、車の振動が伝わってくる。
どうやら、変な道に入ってしまったようだ。
……やばい……ここ…どこなの……。
視界もどんどん悪くなる中、不安とともに車を走らせ続けた。
郊外の畑が広がる場所にたどり着く頃、激しい雨はピタリと止んだ。
「…ふぅ…」
車を停め、ひとまず深呼吸をして気持ちを落ち着けた。
ちょうどその時、雲間から柔らかい日差しが差し込んできた
「え…?」
少し驚いて外に出てみた。
空気はまだ湿っているが、雨が止み光がさしたことで清々しい気持ちに包まれていた。
雨に濡れた愛車のローバー・ミニも畑も森も畑も全てが輝いていて見える。
太陽と反対側の、まだ薄暗い空をふと見上げると、そこには信じられない光景が広がっていた。
なんと、大きな二重の虹がかかっていたのだ。
わぁ、すごい!こんなに綺麗な虹…。
上にかかっている少し薄い虹の方は、色のグラデーションが逆になっているのがはっきりとわかる。
私は思わずその美しさに見入ってしまった。
空いっぱいに広がり、その鮮やかな色が私の心を温かく包み込んでいるように感じた。
思わずリリーを見つめ、にっこりと微笑む。
「もしかして、この景色を見せるためにリリーが鳴ってくれたのかな?」
そんな風に考えると、気分が一気に高まった。
テンションが上がり、夢中になって虹を見ていたその時、ふと近くに誰かがいることに気づいた。
振り向くと、メガネをかけた若い男性が一眼レフカメラを手に、一心不乱に虹の写真を撮っているところだった。
テンションが上がっていた私は思わず声をかけた。
「すごい綺麗な虹ですね!」
「ええ」
一言そう言うと男性はにこりと笑った。
真面目そうな好青年だなと思った。
「すいません!私のスマホでこの目覚まし時計と車と私、一緒に写真を撮ってくれませんか?」
彼は一瞬、驚いたように不思議そうな表情を浮かべたが、私は微笑みながら「リリー」とのこれまでのことを話し始めた。
話を聞き終えた男性は優しく微笑み、スマホのカメラを構えた。
そして、虹を背景に、私とリリーの写真を撮ってくれた。
「よかったら…このカメラでも」
今度は一眼レフカメラでも写真を撮ってくれた。
やや下からのアングルの撮り方が、少しプロっぽいなと感じた。
「この時計は本当に素敵なアイテムですね」
撮り終わると男性は感心した様子で言った。
男性に話を聞くと、雨雲レーダーを見て虹が出るタイミングを予測し、この場所に来たという。
「すごい作戦ですね!私なんて危険を察知してガムシャラでこの場所まで来ちゃっただけですけど…」
「…それは…ガムシャラ作戦ですね」
「そんなのは作戦とは言えません」
「…確かに…アハハハ」
「ふふふっ」
その後、虹が消えても、私達は一緒に空を見上げ、いろんな話をして過ごした。
車、クラシック音楽、演劇、映画の事など…。
話は弾み、空が暗くなるまで一緒にいても飽き足らず、連絡先を交換して私達は別れた。
* * *
一眼レフで撮ってもらった、私とリリーの写真は
再び訪れた「時の結晶」で買ったフォトフレームに入れた。
飾ってある場所はベッドサイドチェストの上。リリーの隣だ。
虹の下で笑う私は、今まで撮ってもらった写真の中で1番輝いている様に感じた。
カメラマンの腕もいいのはもちろんだけど、リリーや虹、恋の予感を感じていた事など、全てが詰まっていたからだろう。
そして現在
ちなみに、この時出会った男性が私の旦那さん「健太」です。
この物語は、私とリリーと健太のちょっと不思議な出会いの物語です。
完
優真君は読み終えると、目を丸くして驚いていた。
その表情すら可愛らしくて、胸がくすぐったくなる。
「一条さん、これは素晴らしいですよ。臨場感があって、ラストが本当に秀逸です。それに……内容がすごくかわいいですね」
その「かわいい」という言葉が、なぜか胸の奥にじんわりと広がった。誉められたことよりも、その一言がとても嬉しかった。
……というか……あきらかに、おばあちゃんが書く物語じゃないよなぁ…。
「優真君の言う通りにやったわよ。冒頭なんて、どう書いていいかわからなくて…作文みたいになっちゃったけど…」
「ははは! 確かに『私の名前は美樹です』から始まりますからね。でも、わかりやすくて良かったですよ。情景描写ばかりの長ったらしい文章より、よっぽど読みたくなります。でもショートショートの1人称の場合は、主人公の名前は必ずしも必要じゃないんですよ?」
「えっ?」
「その方が読者さんが感情移入しやすかったりするんです」
「……なるほど…ふふっ」
「ハハハ」
何がおかしいのか2人で顔を見合わせて笑った。
「また何か書いたら、ぜひ読ませてくださいね?」
「うん。優真君のもね?」
「はい」
1作書いただけなのに、まるで本当に作家仲間になったみたいで、胸が高鳴った。




