年明け 絹代目線
「ごめんね…私…素直になれなくて…」
口を聞いてくれなくなった凛は、1日で見違える様に明るくなり、私に謝ってきた。
何かいいことでもあったのだろうか?
それでも、常に何か考え事をしている様で心配な事には変わりないが。
私も凛の気持ちを考えず、浮かれて調子に乗り過ぎたと深く反省している。
大晦日には娘夫婦がシンガポールから帰省する予定だ。
身体が入れ替わっている事なんてとても言えない。
娘の美香は、生まれたときから地頭が良かった。
それに比べて私は、自分があまり賢くないことをずっと自覚していた。
彼女は誰に似たのかといえば――あの人(亡くなった旦那)だろう。
彼は学歴こそなかったが、頭の回転は異常なまでに早かった。
寄港地でも現地の人と交流するうちに、英語だけでなく、スペイン語や中国語まで身につけてしまったのだから。
仕事ぶりは見たことないので分からないけれど、機関士としてもきっと優秀だったのだと思う。
ただ、寄港先で“女を買い漁っている”と聞いてからは、触れられることさえ嫌悪感を感じる様になってしまった。だから子どもは美香ひとりで終わった。
当時は3人以上産むのが当たり前だったから、かなり珍しいことだったと思う。
美香は、たまにしか帰ってこない、あの人に懐いていた。
気に入らないことがあると、あの人は美香に対しても容赦なく怒鳴ったが、それが一過性で済むせいか、とにかく彼を尊敬しているように見えた。
2人の会話は半分以上英語で、あの人と話す美香の目はいつも輝いていた。
一方で、私のことはどこか軽く見ているようだった。家事を手伝うことは一切なく、お風呂や洗濯、ご飯をただ待っている様子はあの人にそっくりだった。
美香は「勉強しろ」と一度も言われなくても、成績は常に優秀。得意科目は体育も含めて全教科と言っていいほどだった。
ただし友達はおらず、いつもひとりで勉強していたように思う。
そのあたりは、どこか凛にも似ていた。
けれど凛には、可愛げがあった。
やがて美香は、同じ製薬会社の直樹さんと結婚した。美香が「一条」という苗字を変えたくなかったため、直樹さんが婿に入る形となった。
直樹さんは、穏やかで優しい人だが、完全に美香の尻に敷かれていた。
しかし、私とあの人とは違い、2人の相性は良好だった。
きっとバランスがいいのだろう。
そして凛が生まれると、私のすぐ近くに マンションの1階に部屋を借りた。
凛の世話を私に頼むために。
しかし、あの時は本当に嬉しかった。
凛と一緒に過ごせる時間が、何よりの喜びだったからだ。
仕事が忙しかった美香は、子育てのほとんどを私に任せきりにしていた。この家の自分の部屋まで凛に与えたほどだ。
けれど、それは私にとって、むしろ好都合だった。
懐いてくれる凛が可愛くて、可愛くて――まるで人生のご褒美をもらったような気持ちだった。
あの人は海に出ると、数ヶ月は帰らなかったし、凛もマンションには殆ど帰らず、この家の自室で寝泊まりした。
なので私たち2人は親子以上に濃密な時間を過ごしたと言えるだろう。
* * *
美香と直樹さんは年が明けたらあっという間に帰って行った。
私たちの身体が入れ替わっている事が気づかれるなんて全くの杞憂だった。
私と凛が協力して家事をしていても、持参したノートパソコンに熱中していて気にもしていないのだ。
後半は私もその事に気を取られず、普通に振る舞っていた。私たちの2人の事を、娘の美香にどこかで気がついてほしい気持ちもあったのかもしれない。
「凛、料理上手くなったね」とか「お母さん、なんか雰囲気変わったね」とか、本当になんでもよかったのだ。
正月早々、胸の奥にぽっかりと穴が空いたように寂しくて仕方がなかった。
こういう時はstrawberryで世界の誰かと会話するに限る。
今日はブラジルの少年と繋がり、サッカーの話題で盛り上がった。
正直、サッカーなんてほとんど知らない。けれど、彼が語る言葉はどれも熱を帯びていて、不思議と引き込まれてしまった。
「僕はサンパウロの郊外に住んでるんだ。“ファベーラ”って言ってスラム街みたいなところ。
貧しくて、治安も悪く、道端も穴だらけなんだ。でも、ボールひとつあれば毎日が楽しいよ」
その言葉だけで、異国の街角の情景が目の前に浮かぶ。
「将来はプロになるんだ。ブラジル代表のユニフォームを着て、ワールドカップのピッチに立つ。それが僕の夢なんだよ」
彼の言葉からは、遠く離れた場所にいながらも生きるエネルギーがまっすぐに伝わってきた。
「サッカーしかないんだ。勉強は苦手だし、家も超貧乏でね。父さんも母さんも働き詰め。でも、僕が成功すれば、家族をもっと楽にさせてあげられるんだ。だから、毎日欠かさず練習してるよ。超上手いんだよ。見せてあげられないのが残念だけどね」
彼の言葉は、まるで自分自身に言い聞かせているようでもあった。
その姿に、胸が熱くなる。
「絶対に夢を叶えてね!ファイト!」
そう返信してアプリを閉じると、胸の奥に小さな炎が宿り、私まで勇気をもらえた気がした。
隣でマリーを抱っこしながらスマホをいじっている凛の画面にもstrawberryの画面が映っているのが目に入り、思わず笑ってしまった。
「ふふっ、おばあちゃん…なに笑っているの?」
凛も声も嬉しそうだ。
世界の誰かと面白いやり取りをしたのだろう。
こんな素晴らしいアプリを作った颯太さんに、早く会いたい。




