表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/41

1夜明けて… 凛目線

ベッドサイドのチェストに置かれたおばあちゃんのメガネを手に取り、そっとかけた。


ぼやけていた景色が、くっきりと輪郭を取り戻す。


ホテルの部屋は、やはり“夢”のように美しかった。


カーテンを開けると、外の世界も朝の光に満ちている。


空はどこまでも高く、庭の木々は朝日を浴びて、葉の1枚1枚がきらめいていた。


ふと視線を部屋に戻すと、ベッドに眠る私、凛の寝顔が、差し込む陽に照らされていた。


他人の目を通して初めて見る、自分の寝顔は想像以上に綺麗だった。


その事に一気に気分が明るくなる。


「ああ…世界ってなんて美しいのだろう」


思わずそんな言葉が口に出た。


……けれど、その瞬間に小さな疑問が頭をよぎった。


これは、本当に夢なのだろうか?


夢だと分かっているのに、なぜ目が覚めないのだろう?


夢だと確信しているはずなのに、視界に映る風景、部屋の匂い、メガネの重みさえ、あまりにもリアルだ。


考えた途端、背筋にひやりとしたものが走った。


ほっぺたをつねってみた。


肌に全く弾力がない。


いや、そんな事はどうでもいい。


痛かったのだ。


痛みがある事なんて、さっきからわかっているではないか?起きた時に既に、腰も膝も痛かったではないか?


おばあちゃんは腰と膝が悪く、週に2回デイサービスに通っていた。


……やばい……辻褄が合っている。


夢って普通はもっと支離滅裂なものだ。


おそらく、これは現実なのだ。


そんな不安が胸をよぎる。


彫刻が施されたシルバーの姿見の前に立ってみる。


そこに映っていたのは、紛れもなく絹代おばあちゃんの姿だった。


自分の身体のおばあちゃんを起こそう。

(以下おばあちゃん)


「びっくりするだろうな」と思うと気が進まない。


「やれやれ…どうやって起こそうか?」


私はベッドの脇に腰を下ろし、しばらくその顔を見つめながら考えた。


どんなに考えてもいい言葉が思い浮かばない。


「おはよう」


散々考えて出たその一言は当然おばあちゃんの声だ。


違和感に背筋がぞわりとする。


まつ毛がわずかに震え、おばあちゃんの瞼がゆっくりと開く。


「……え?」


おばあちゃんは、目をぱちくりとさせながら、私を見た。


そして、次の瞬間、はっと表情を強張らせた。


「……凛……? え、これって、どういうこと?」


おばあちゃんも、状況が飲み込めていない様だ。


「どうしよう…?身体が入れ替わっちゃったみたい」


「????」


おそらく私と同じで、完全に夢だと思っているのだろう。


ベッドから立ち上がり、姿見の前に立つと屈伸運動を始めた。


「ああ…膝も腰も痛くないって素晴らしい」


屈伸だけでは飽き足らず、軽く跳ねたり、腕を大きく振ったりしてみせる。


「ちょっと! ホテルの部屋で飛び跳ねないでよ!」


思わず強い口調で注意したけれど、やはり、おばあちゃんの声だ。相変わらず違和感がすごい。


「すごいわ凛!身体ってこんなに軽いものなのね」


おばあちゃんは頬を紅潮させ、鏡に映る若い自分の姿を嬉しそうにじっと見つめいた。


「おばあちゃん!?」


夢だと気がついているのか、いないのか。のんきな様子に少し苛立つ。


「なに?」


「これ夢じゃないよ?」


「確かに…あまりにもリアルすぎるわね?どうしましょ?」


おばあちゃんは腕を組んで考え込んだが、その顔は深刻さに欠けている。


身体が入れ替わっても、性格はおばあちゃんのままなのだ。いつも通り落ち着いていて、楽観的なのはいつもと変わらない。


「とりあえず、もう朝ごはんの時間でしょ?凛もお化粧してその時にフロントに行って聞いてみましょ?」


「…うん…」


私はドレッサーの前に腰を下ろし、ホテルのファンデーションを指先に取った。当然いつもの様にうまくいかない。


「うーん、化粧のりが悪いってこういうこと?」


苦笑しながら、何度かやり直し、ようやく形を整えた。


一方でおばあちゃんの化粧する姿はどこか楽しそうに見えた。


身支度を整えると、私たちは部屋を出てフロントへと向かった。


身体が入れ替わった事は、この不思議なホテルに秘密がある可能性が高いだろう。その事を聞いてみるのだ。


もし違っていたら“頭がおかしい”と思われるだろう。なんて切り出せばいいのかさっぱりわからない。こう言う時はおばあちゃんに任せるしかない。


「おばあちゃんがフロントで聞いてよ」


「わかったわ。聞いてみる」


私たちは階段を降りた。


ランプの灯りが朝の光と混ざり合い、廊下の石壁にやわらかな陰影をつくっている。


ロビーに入ると、昨夜と同じコンシェルジュが、フロントの奥に控えていた。


背筋をぴんと伸ばし、相変わらず整った所作でこちらに視線を向ける。


おばあちゃんは、カウンターに近づき、にっこりと微笑んだ。


その笑顔は、外見は私なのに、「おばあちゃん」のものだった。


朗らかで優しい。私はもっと感じが悪い。その事は自分でもよくわかっているつもりだ。


「おはようございます」


「お客様、おはようございます」


おばあちゃんは、まるで天気の話でもするかのように軽やかな声で聞き始めた。


「お尋ねしたい事がありましてね。実は、不思議なことがあって…。こちらのホテルで、体が入れ替わるような出来事って、過去にありませんでした?」


おばあちゃん、すごい…。


「その件でしたら、昨夜サインして頂いた宿泊約款にございます」


な、な、なんだって!?


コンシェルジュは昨日の約款を取り出し、さらりと1行を指差した。


『当館にご宿泊の際、ご同室のお客様同士の身体が入れ替わります。元に戻るには再宿泊が必要です』


「えっ!?そんな…馬鹿な…」


私は思わず声が出てしまった。明日は仕事なのだ。


おばあちゃんの姿のまま仕事に行くなんて事はできない。


もう1泊して、無事に身体が元に戻ったとしても、ここから仕事に行かなくてはならない。ここから職場までは2時間半はかかるだろう。


となると、明日仕事へ行く事は難しいだろう。


同僚に迷惑もかかるし、かなりの反感も買うのは間違いない。考えただけで、気が滅入る。


でも起きてしまった出来事は仕方がない。


今日はおばあちゃんに若い私の身体を1日楽しんでもらおう。そう思う事にした。


しかし、次に放たれた一言が私を地獄へと突き落とした。


「契約上、次の再宿泊のご予約は、規約上1年間できません。そちらも昨日のサインして頂いた約款にございます」


そう言うと再び約款を取り出し、その部分を指をさした。


その後、どんなに食い下がっても、コンシェルジュは穏やかな笑みを崩さなかった。


結局私たちは来年の9月22日に予約を入れ、その予約票を手にし、その場を離れる事になった。



          --------



ご宿泊予約票


ご宿泊者名 一条絹代様 凛様


ご宿泊日:2024年9月22日(日)~2024年9月23日(月)


ご宿泊施設:星屑のホテル


夕食 朝食付きプラン 


ジュニアスイート


※ご注意事項


本予約票は、ご宿泊当日に必ずご提示ください。


本予約票を紛失された場合、予約は無効となります。


尚、本予約をもちまして、お客様の当館でのご宿泊は最終とさせていただきます。


再発行はいたしかねますので、大切に保管してください。


本予約票の譲渡・転売は禁止されております。


チェックインは15時以降、チェックアウトは12時までにお願いいたします。


発行日:2024年9月22日


発行元:星屑のホテル


         ---------



予約票も、よく読むとやはりおかしな事がたくさん書いてあった。“この予約で最終だ”とか“予約票が再発行できないから絶対に失くすな”とか、普通はそんな事はありえない。


宿泊約款をきちんと読まずにサインした私たちの落ち度。


そう言われてしまえば、返す言葉もなかった。


いつも、笑顔で楽観的なおばあちゃんも、さすがに動揺の色を隠せない。


「凛、ごめんね。ここに来ようなんて言い出して、約款も目を通さずにサインしてしまったばかりに…」


「…………」


胸の奥に絶望がじわりと広がり、私は何も言葉を発することができなかった。


「とりあえず朝ごはん食べましょ?」


おばあちゃんは、そっと私の肩に手を置いて言った。


この状況でよく食べる気するよな…。


「…いい…何も食べたくない…」


私は小さく首を振った。


「おばあちゃん1人で食べてて。私部屋に戻っているから…」


「…凛…」


結局おばあちゃんは、1人で朝食を食べにレストラン「アンドロメダ」へと向かった。


この状況下で普通に朝ごはんを食べれる神経を見習いたいものだ。


その間、1人部屋で「星屑のホテル」の事をネットで調べたが、何も出てこなかった。Google マップにも載っていないし、航空写真の現在地も、ただの山地になっていた。


あえて載らない様にGoogleに手を打ってあるのだろうか?


手にした予約票をみて不安になる。


おばあちゃんは運転免許こそ持っているものの、長いことハンドルを握っていない。だから免許の返納もしていないまま、ペーパードライバーだ。


運転免許証は所持しているので、幸い自宅まで私の運転で帰る事ができた。


しかし、中身は私でも、おばあちゃんの身体と脳だと反応が鈍く、危険を感じる。


きついのがローバー・ミニはパワステがついていない事だ。その上にレザー製の小径ステアリグは老婆には本当にきつい。洒落なんか言っている場合ではない。


これから1年間、私が絹代おばあちゃんの身体で、おばあちゃんが孫の凛の身体なのだ。


窓を開けると、少し冷たい風が頬を撫でた。


ふぅ…まったく…。


これから私達にいったいどんな1年が待ち構えているのだろうか?
























評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ