作曲 凛目線
おばあちゃんが神谷颯太さんと“正式に交際を始めた”と聞いた。
「……おばあちゃんが……」
見た目は若い私、凛だけど、言葉にすると、どうしても違和感が拭えない。
正直に言えば、気持ち悪さすら感じる……。
私のためにやってくれているのに、そんな風に感じてしまう自分がひどいとも思う。
けれど、この感覚に慣れることは、きっとこれからもないだろう。
それは、おばあちゃんだって同じはずだ。
大切に可愛がってきた孫が“おばあちゃん”になってしまったのだから…。
しかも、その孫の結婚相手を探すために、一肌脱いで協力しているのだ。
……そう、一肌脱ぐ……。
もちろん本来の意味とは全然違うが、この状況には妙にしっくりきてしまう。
颯太さんとの交際が続けば、早かれ遅かれ肉体関係に発展するのは避けられない。
そう、文字通り“脱ぐ”のだ。
子供じゃないんだから、断り続ければ関係が終わるのは確実だろう。
じゃあ、おばあちゃんは、その時どう思うのだろうのか?
私としては、もう割り切っている。
でも、おばあちゃんにそんなことを背負わせていいのか。
それとも――おばあちゃん自身も、颯太さんと一夜を共にすることを、喜びとして受け入れるのだろうか。
その答えは、考えてもまったく見えてこない。
……言いづらい。
死ぬほど言いづらい。
でも、近いうち1度ちゃんと話してみようと思う。
お互いの為にも。
* * *
今日は東野さんが、再びピアノを聴きに来てくれる日だ。
私は小学生の頃から名門のピアノ教室、“アルティス音楽院”に通っていたから腕には自信がある。けれど、プロになれるほどの実力はなかった。
同じ音楽教室内に、絶対に敵わなかった美亜ちゃんがいたからだ。
しかも、その子でさえ、本戦へ出場してもそこ止まりだった。
私くらいの演奏力の人間はごまんといるし、結局は同じような曲を同じように弾くだけ。
ショパンコンクールを聴いていても、みんな似たり寄ったりで、大した違いなんて感じられなかった。
審査員は一体何を基準に優劣をつけているのだろうか?
ブラインドで本当に奏者を聞き分けられるのだろうか?本当に謎だ。
それより私が夢中になったのは作曲のほうだった。
音楽ソフトを使って作ったピアノ曲を作曲してはYouTubeにアップしているである。
しかし、再生回数は200回に満たないし、感想のコメントなんて1度もついたことはない。顔出しをすればもう少し伸びたのかもしれないけど、その勇気は私にはなかった。
要は素人が作ったピアノ曲に需要など全くないのだろう。それでも、今日は東野さんにその曲を披露するつもりだ。もちろんYouTubeのことは言わない。
実際にちゃんと聴いてくれる人から、生の感想を聞きたいからだ。
* * *
ピンポンが鳴り、私は東野さんを部屋に通した。
今日は業務外で、ジーンズにネルシャツというラフな服装だ。
テーブルの上には紅茶とケーキを用意してある。
理由はただひとつ。私の作曲した曲を、できる限り上質な環境で聴いてもらいたいからだ。
それ以上でも、それ以下でもない……。
そう自分に言い聞かせた。
軽く世間話をすると1人だけのコンサートの始まりだ。
私(絹代)が作曲したと、嘘をつく。
今は凛は関係ないから…。
最初に弾いた曲は「月あかり」
哀愁をまとった月夜をイメージして書いた曲だ。
東野さんを横目で見て、鍵盤に手を置き、深呼吸を1つ。
凛の身体で弾くのと違って、指の動きは滑らかではない。でもそれが、意図しない“ゆらぎ”となり、悪くない感じ。
自分で作曲した曲なのに弾いていて、すごく切ない気持ちになる。
…理由はわからない…。
弾き終わると、東野さんは静かに拍手をしてくれた。
続けて、同じ様な曲調の曲を続けて弾いた。
相変わらず、うっとりとした表情で聴いてくれているが、ものすごい感動している訳ではない。
私の曲はこんなものじゃないのに…。
次に選んだのは「蝶々」。
長い冬が終わり、咲き乱れる花の中を舞う蝶々。
懐かしい、友人にようやく会えたような…。
そんな光景を思い浮かべて作曲した曲だ。
冒頭は軽やかで可憐な旋律。
だが、進むにつれてテンポが加速し、華やかさと難しさを兼ね備えた展開へとなだれ込んでいく。
指先が鍵盤を駆け抜けるたび、抑えていた何かが少しずつ外れていくのを感じた。
はっきり言って、おばあちゃんが弾ける曲ではない。
凛の身体で、ぎりぎりなんとか弾き切れる難曲だ。
おばあちゃんの手の大きさや反応の遅さでは多分無理だ。
それでも、私はめちゃくちゃながら、なんとか最後まで弾き切った。
でも、そのめちゃくちゃなのが、不規則な蝶々の動きを表している様で、こちらも悪くなかった気がする。
今気がついたけど、凛の身体で弾くより、この身体で弾く方がいい味が出るかもしれないな…。
「…………」
東野さんは呆然としたまま、言葉を失っていた。
「……えっと……どうでした?」
恐る恐る声をかけると、彼は小さく息を吐いて立ち上がった。
「いや……正直、なんて言ったらいいか……。本当に感動すると、人間って言葉が出なくなるんですね。今でも感情がまとまらない。……もう少し余韻に浸っていたかったかな?そんな感じです」
そう言うと、彼はニコリと笑った。
余韻を壊してしまったのかもしれない――。
その言葉が私にとって最高の賛辞だった。
「ありがとうございます」
「一条さん……こんなに速い曲も弾けるんですね。全然知らなかった…」
「…はい…。それよりなぜ、東野さんはピアノを聴く事が好きなのですか?」
少し間があって、東野さんは穏やかに笑った。
「実は僕、子どもの頃、姉にピアノを勧められたことがあったんです。でもその時、自分から『男なので』って断ってしまって……。やらなかったことを、今になってかなり後悔しています」
彼はカップを手に取り、ひと呼吸おいて続けた。
「医療や介護の仕事って、人の命や心に寄り添うものじゃないですか?だからなのか、音楽――特にピアノの音色には、気持ち穏やかにしてくれる力を感じるんです。聴いているだけで、心の奥のざわつきが静かになっていくような」
「ええ、よくわかります」
「本当はね、僕も弾けたらよかったんです。自分の手で奏でた音で、誰かを少しでも癒すことができたら…。それが今の夢みたいなものなんです」
「素晴らし夢ですね。今からでも全然間に合いますよ?ピアノ、私でよければ少し教えますけど?」
咄嗟に出た言葉だった。
「えっ!? 本当にいいんですか?」
「はい、私も誰かに教えてみたいのです」
「嬉しい、ありがとうございます」
やった……東野さんが定期的に私の部屋に来てくれる…。
…えっ…?
なに思っているんだろう…私…。
その“想い”は、すぐに無理矢理かき消した。
こうして、週に1度、私の部屋で東野さんにピアノを教えることになった。
人に教えるなんて初めてだけれど、不思議と楽しみで仕方がない。
私の教えたピアノで、東野さんが誰かを癒す。
時には、私が作曲した曲で。
そう思うだけで、胸の高鳴りが抑えられなかった。




