家の話 凛目線
最近おばあちゃんから教わっている料理や手芸は、本当に楽しい。包丁の持ち方ひとつ、煮物の火加減ひとつにも、長年の経験がにじんでいて、見ているだけで勉強になる。
おばあちゃんは和洋中どんな料理も作れてしまう。
しかも、レシピを見なくても、冷蔵庫にあるもので自然と献立を立ててしまうのだ。調味料も目分量で、作るのも早い。
ふと、神谷颯太さんのYouTubeを思い出した。キャンプの回で、彼も見事な料理の腕を披露していた。あの姿に少し胸が高鳴ったけれど――私も負けないくらい上手くなりたいと思った。目標があると料理も楽しいものだ。
今まで料理が苦手だった理由を分析してみる。
これまで1人暮らしをしたことがないのが最たる原因だろう。その理由は3つある。
1つ目は大好きなおばあちゃんと一緒にいたかったこと。
2つ目は家事が面倒な事。
3つ目は貯金が容易にできる事だ。
両親に「手伝いをしろ」と言われたことは1度もなく、生活に直結するようなことは何ひとつ教えてくれなかった。ちなみに私は綺麗好きで、家事は掃除だけは得意だ。
ママは勉強に関してうるさかった。
ピアノ、そろばん、英会話も「脳にいいから」と言って習わせ、気づけば“脳にいい習い事”ばかり詰め込まれていた。
自宅には「脳」のが大量にあり今思うと脳マニアだったのだろう。私の教育にその成果が出たとはあまり思えないが…。
勉強以外は、かなり優しかったと思う。怒鳴られた記憶なんて1回もない。でもママも料理は全然ダメ。作るとしても冷凍食品ばかりで、家庭の食卓をきちんと整えていたのは、全部おばあちゃんだった。
脳を鍛えたいのなら、料理や針仕事の方が有効だと今となっては思う。そんな感じで、ママは少し変わった人間だ。
パパは婿養子だ。ママが「一条」という苗字をとても気に入っていて、どうしても変えたくなかった。それが主な理由らしい。
とはいえ、“婿養子”といっても、実際にママの実家で暮らしていたわけではない。
家から歩いて30秒ほどのマンションの1階を借りて住んでいた。いわゆる「スープが冷めない距離」と言うやつだ。
私はというと、ほとんどの時間をママの実家。つまりおばあちゃんの家で過ごしていた。
ママとパパは、食事の時間になるとおばあちゃんの家に来て一緒にご飯を食べ、食後はまた自分たちの家に帰っていく。
一方の私は、おばあちゃんの家に泊まり続けた。
今使っているこの部屋は、もともとママが若いころに使っていた部屋だ。
小学校1年生のときに「もう、凛に譲るわ」と言われ、私の部屋になった。
パパは私にはそんなに関心がなかった気がするけど、性格は穏やかで優しい人だ。関心がなかったと言うより、おばあちゃんが面倒を見てくれて安心していたのかも知れない。
2人とも研究職で忙しく、私のことは完全におばあちゃんに任せきりだった。かくして私は筋金入りのおばあちゃんっ子になったのだ。
だから私はずっと「料理ができないのはママのせい」だと思ってきたけれど、結局はおばあちゃんが全部完璧にやってくれていたから、ママも私も大して料理を覚えないまま大人になってしまったんだ。
……そう考えると、私の不器用さも、元をたどればおばあちゃんのせいかもしれない。
…って全部おばあちゃんのせいにしてしまった。
おじいちゃんは、私が小5の頃に50代で肝臓癌で亡くなった。遠洋漁業の船の機関士で、一旦航海に出ると数ヶ月は家に帰らなかった。海外の港に寄港する事も多く、英語もスペイン語もうまかったらしい。
家にいる時は、お酒ばかり飲んでいた。性格は寡黙だが、気に入らない事があると怒鳴り散らし、かなり怖かった。
特にうるさくしていると激しく怒鳴られた。しかし、単発で終わる為、そこまで嫌な気分にはなかった。今思うと私が静かな理由もそこからきているというのも、多少あるだろう。
どこかに連れて行ってくれた事も、優しくされた記憶も全くない。それはおばあちゃんも同じだったみたい。
しかし、筋肉質で背が高く、顔がめちゃくちゃ格好良かった。特に縁側でタバコをふかす姿は渋くてサマになっていて、密かに見とれていた記憶がある。
若い時の写真を見たことがあるが、私にそっくりだったので、実は内心結構好きだったのだ。
港町の酒場で、タバコを吹かしながら流暢な英語で会話する姿を想像すると、怖いだけの祖父ではなく、ひとりの「海の男」として格好よく見えてしまうのだ。




