交換授業 絹代目線
颯太さんとの最初のデートは、凛にも喜んでもらえたし、成功だったと言えるだろう。
ただ、頂いたあの大きな花束…。
花瓶の数には限りがあって、とても全部は飾れない。できれば一輪残らず眺めていたいのに、場所がないのだ。
翌日は休みだったので、数本だけを花瓶に生けた。
両親とあの人の仏壇にも生けてみた。
これは……果たしていいのだろうか…?
…倫理的に…。
でも、花束をもらったのは凛(身体)だ。
正確には私ではない。
…まあいいか…。
不謹慎ながら思わず笑ってしまった。
残りは凛と一緒に近所へお裾分けして回った。
玄関先で「まあ綺麗!」と目を輝かせて受け取ってくれる人たちの顔を見ていると、胸が温かくなる。
花束というのは、もらった瞬間が一番のピークなのかもしれない。
でもこれって何かに似ているな…。
でも“それ”がなんなのかは考えてもよくわからなかった。
その日も颯太さんからは、何回もLINEでメッセージを貰った。
決して負担になる様な内容ではなく、自分がランチで何を食べたとか、空の写真や道端で咲いていた花の写真とか、仕事の話とか些細な事だ。
そう言うところは本当にマメで感心する。
私も簡単な言葉を添えて返信した。
あの人と出会った頃は、もちろんそんな便利な文面の利器などなかったけど、彼はそういうところがゼロだった。
お見合い結婚で、男尊女卑が色濃く残っていた時代。私が何を思っているか、どんな気持ちで日々を過ごしているかなんて、考えもしなかったに違いない。
長期間航海へ出ても、寄港先で電話や手紙すらまともによこさないし、お土産なんて買ってきた事もなかった。
もちろん、記念日や誕生日に花束をもらったことなんて1度もなかったし、怒鳴られた事は多くあるけど、褒められた記憶はなかった。
だから、颯太さんのように何気ない言葉を惜しまず、毎日の小さな発見を共有してくれる姿勢が新鮮でたまらなかった。
スマホの画面に並ぶ短いメッセージを眺めながら、私は胸の奥にじんわりと広がるものを抑えられなかった。
しかし、私はその感情をすぐさま否定した。
これは孫の凛のために、未来をつなぐための一歩であって、私自身の感情にしてはいけないのだ。そう自分に強く言い聞かせた。
* * *
最近、凛にはスマホやパソコンなどの基本操作を教わっている。職場でも、簡単な入力作業もある。
今は、若者として生きているのだから、無知だと本当に恥ずかしいのだ。
特に力を入れているのは、ブラインドタッチだ。
「ホームポジションを覚えるのよ。FとJのところに小さな突起があるでしょ?」
凛が隣で優しく教えてくれる。恐る恐る指を置いて、カチャカチャとキーを叩いてみる。
最初は「あれ?」とすぐに位置を見失って、ついキーボードをのぞき込んでしまう。
でも凛に「見ちゃダメ!」と笑いながら手元を覆われてしまう。
正しく打てた時の、カタカタカタッと軽快に並ぶ音が心地よい。
1ヶ月くらい根気よく練習していると、だいぶ上達した。
「できた!」と声をあげると、凛が「ほらね、すぐ慣れるって言ったでしょ?」と誇らしげに笑った。
年齢なんて関係なく、新しいことを学べるのはこんなにも楽しいのだと、今さら気づかされた。
その代わりに凛には、料理や手芸を教えている。
今は時間がいくらでもあるのだから、女なら料理や手芸は絶対に覚えるべきだ。凛は勉強もでき、器用なくせに、料理も手芸も驚くほど下手なのだ。
けれど、最近はやる気になったらしく、私と一緒に台所に立ち、夕食を作り終えた後は、針と糸を手に練習をしている。
飲み込みは早く、手際もどんどん良くなってきた。
「結構楽しい!どうして今までやらなかったんだろう?」
そう無邪気に笑う凛を見ているのは、本当には可愛い、と言いたいところだが、目に映るその姿は私、絹代なのだ。
この事実に慣れる事は、今後あるのだろうか?
多分ないだろう。
でもこの世代を超えた“交換授業”は身体が元に戻った後も大いに役に立つだろう。
入れ替わっていなければ、こんな時間を持つこともなかったに違いない。
「お互いにとって、有意義な1年になりますように!」
そんな願いを胸に、私はまたブラインドタッチの練習を始めた。




