あなたはいない
祖父母の家から静かに出るとまだレアとマリィは部屋に籠っているらしい。カイと目を合わせてゆっくり歩き自分達の部屋へと帰る。
そこでようやく息を吐き力が抜けたようにベッドに倒れ込む。今後の事を整理しよう。
「色々考えないとね…」
「だな…」
まずここから出れなくなっている事。
レアが自分達に危害を加える可能性がある事。
何故かレアとマリィそっくりの夫婦の写真があり何故かマリィと今と変わらず若いまま…まあそれは考え始めると頭が痛くなるので置いておく。
レアに直接出たいと言えば表面上は笑顔で出口を開けてくれそうだが出た瞬間に背中から撃たれるのでは、もしくは部屋にあった毒の研究の成果でも披露してくるかもしれない。
刺激を与えず何とか扉を開ける鍵を盗み出す事でも出来ればいいが、彼等の部屋にこっそり入るのは容易では無さそうだ。
「…下にいる時にこっそり入るのは…」
「…鍵をかけてるだろうな…きっと…俺ならそうする」
「だよねえ…」
閉じ込めているのにすぐに鍵を持ち出せるような状態にしていないだろう。鍵をかけて部屋に隠しているかレアかマリィが持っているかだろうが二人はいつも手には何も持っておらず服のポケットが膨らんでいる様子も無かった。
そうするとやはり、部屋の中。
「正面突破する?」
「しないよ…」
「堂々と入れてって言ったら意外と…」
「むしろ堂々とか…」
二人でどうするか悩んでいると扉が開く音がして一瞬体が固まるが不自然に思われないようにこちらも顔を出す。
レアが疲れた顔で階段を下りようとしていた。
「……レア!」
「…ん?…ああ二人とも…」
「マリィは?」
「もう大丈夫だ。夕飯は遅くなるけど」
「夕飯は遅くなる?」
「治って夕飯作るのは遅くなりそうだ。でももう顔色も良くなってきたし」
「……俺達が夕飯作るよ」
「いいよ。マリィに作らせるから」
「作るよ」
「僕達が、作るよ」
レアに向かってそう言うと、彼は一瞬視線を逸らしたがすぐに笑顔で顔を向ける。
「…悪いな」
「レアは?」
「え?」
「レアは作れないのか?」
「私が?」
「作れないのか?」
「…マリィに任せきりでな…恥ずかしい事に」
「…ふうん」
「そんな顔するなよ」
分かってる。家事を任せきりなのはと言ってレアは階段を下りていった。世界平和のための研究をしている部屋に入ったのを確認すると二人の部屋のドアノブに手をかけるとやはり予想通りに鍵は締まっていた。
カイと顔を合わせて何も無かったかのように下に降りるといつも食べている時間よりも遅くなりそうだが夕飯の準備を始めた。
「…なに作る?」
「…保存食温める…」
「うん…それしか無いよねえ」
リュックの中身から食糧を持ってくるためにもう一度部屋に行きレアとマリィの部屋の前を通り過ぎる時に扉を見つめるが向こうからは何の音もしていない。
四人分の食糧を持って部屋からまた下に戻ろうする時にそのまま通り過ぎようとしたが扉の前で立ち止まる。
「ジン?」
「……」
「早く行こう」
「…マリィ」
起きているかどうかは分からないが扉の向こうのマリィに話しかける。当たり前だが返事はない。
「マリィ。夕飯は俺達が作るからゆっくり休んで」
「…そうだね。マリィはゆっくりしてて」
「そうだ。カイ、歌を頼む」
「マリィが元気になる歌?」
「そうだな。頼む」
扉の向こうのマリィにカイが歌う。
どこまで聞こえるか分からないが聞こえているなら元気になれるだろうか。この歌で、起きて来ないだろうか。
自分達の味方になってくれないだろうか。
カイが一曲歌い終わっても特に扉から返事が聞こえたりマリィが顔を出してくれるような事は特に無かった。
仕方無いと顔を合わせてそのまま下に向かうとレアが立っている。研究の部屋から出てきたのか相変わらず疲れたような表情でこちらを見ている。
「…今のは?」
「今の?」
「…歌」
「カイが歌ってたけど…」
「…うるさかった?」
レアに警戒しているカイは少し怖がりながら聞いた。
その言葉にレアは無言で首を振る。
「……歌なんて…久々だから」
「久々?」
「楽しい歌とか…そう言うのは」
「自分でこう…歌ったりしないの?」
「俺が知ってる歌は楽しくない」
「楽しくない?」
「…楽しくない歌なんだよ…」
「楽しくない歌って何だ?」
「……何だろうな」
「…答えになってないが…」
「いい。楽しくないから教える必要も無いんだよ」
そう言うと背中を見せて研究の部屋へと入っていく。あの毒まみれの研究の部屋でもカイの歌声は響くらしい。
「…変なの…楽しくない歌があるわけないのに」
歌は楽しいものだと、人を楽しませて喜ばせるものだと自分達の中では認識されている。レアの中ではどう認識されているのか、理解出来ないままに夕飯の、保存食の容器を開ける。
まるで料理をしているかのように鍋にスープを入れて温める。固いパンを皿に並べてみるがマリィが用意した料理を食べていた最近は食器にただ乾いた音を立てて盛り付けられる保存食に物足りなさを感じてしまった。
「何か加える?」
「何を?」
「全然使ってないトマトソース」
「…ぬいぐるみ取った日に見つけたやつ?」
「それ」
「車の中だよ…」
「あー…」
「お手伝いしますわ」
「あ、」
マリィの料理を思い出していると本人がまた音も無く立っていた。昼食の時まで着ていた服から着替えて今度は水色のワンピースを着ている。
「マリィ…体調は?」
「何ともありませんわ」
「そう?本当に…?」
「何ともありませんわ」
「…ならいいけど」
「お手伝いしますわ」
隣に立ち鍋の中身と食器に盛り付けられた固いパンを見つめて考えているようだ。
無言で棚からいくつか食材と調味料を出して見せる。
「こちらのスープに一品加えましょう。パンは固いので砕いてこちらの材料と混ぜてアレンジ致しましょう」
「砕くのか?」
「ええ、粉々にしますわ」
「全然違うのになるねえ」
「そうですわ」
マリィの代わりに夕飯を作る予定が結局マリィが主導で動き自分達は手伝いをするだけのような形になってしまった。彼女に言われるままにいつも食べているスープに材料が加わる。昼に食べたパスタと同じ材料で作られる食べ物らしい。
固いパンはとにかく砕いて粉々にして甘い、砂糖を加え油を入れて混ぜて形を整えて焼くと元の形が分からない程に別の食べ物になっていた。
「…全然違うな」
「元の形は分からないねえ」
「ええ。でも、間違い無くこの固い保存食であったのですわ」
台所に甘い匂いとスープの匂いが広がる。着々と夕飯が出来上がり四人分の食器を出そうとしたところでマリィが止める。
「私は結構ですわ」
「食べないのか?」
「まだ具合が悪いのですわ」
「さっきもう何ともないって」
「お腹に入りませんの」
「…少しでもか?」
「少しでも、ですわ」
「……」
「駄目ですわ」
「…分かった」
食器を一つ減らす。
「マリィ」
「何か?」
「食べられそうなら食べて」
カイが取り出したのはまだ僅かに残っている飴だった。ただ口に入れて舐めるだけなら出来るだろうと差し出した飴を見つめてマリィはゆっくり受け取った。
「感謝致しますわ」
金色の目を細めて笑った。
「結局マリィに手伝ってもらったよ」
「そうか」
「でもマリィはまだ食べられる程元気じゃなかった」
「…無理してあいつ…」
マリィを抜きにして夕飯を囲う。
レアは焼き菓子を一つ取り食べるとマリィが料理の後片付けをしているであろう台所を見た。
「片付けるって言ったんだけどな…」
「聞かないねえ。頑固だねえ」
「まあ…そう言う役割だしな」
「役割?」
「これ、甘いな上手だな」
「…砂糖入れたからな」
疲れた顔で台所を時折見つめ、思い出したように笑い料理を褒めながらレアは夕飯を終えた。
「ところで」
「ん?」
「何か進展はあったか?」
「無いよ。教えてくれよ」
「私には無理だな」
「…何とかするよ」
「協力は必要か?」
「何か車が直せそうな物知ってるの?」
「無いな。あったら言ってるな」
「だろうな…頑張るよ」
「頑張れよ」
空になった食器を運びマリィに渡す。彼女に並んで食器を洗う。冷たい水が手に直接かかると凍るような感覚に麻痺しそうになり手を引っ込める。カイも何度と手を引っ込めながら洗うのにマリィは平気な顔をしていた。
洗い終えて元の位置に食器を戻すマリィの手を取り体温を確かめる。
「冷た…」
「水で洗っていますので」
「平気なのか?」
「平気ですわ」
触れているマリィの手が冷たい温度から人の体温へと戻っていく。ゆっくりマリィの手が自分から離れて行くもマリィは目の前で平気なことを証明するように手をひらひらとさせながら笑っていた。
「…マリィは」
「私は?」
「……レアと結婚して、幸せか?」
自分の質問にカイが驚く。
何を聞いているのかと目で伝えてくるがそれに気付かない振りをしてマリィの目を見つめる。彼女は目を逸らさずにまた、笑って答える。
「幸せですわ」
「本当に?」
「心から」
「レアと夫婦で?」
「とても愛しています」
「…嘘は無い?」
「ありませんわ」
私は旦那様がいて私が存在しています。旦那様の隣にいる事が幸せなのですわ。
「……何あの質問」
部屋に戻り怪訝そうな表情でカイに聞かれる。
「……」
「ねえ。変な質問しないでよ驚いたよ」
「…驚いた、か」
「マリィも驚いたと思うよ」
本当に驚いただろうか。
確かに協力し合っていた自分達の両親に比べてレアとマリィの夫婦はどこか、関係性が歪なような気がするのだ。それとは別の疑問もありマリィを驚かせるような質問をしてしまった。
「…カイ。鍵しっかり閉めておいてくれ」
「ここの部屋鍵かからないじゃん」
「開かないようにするのは簡単だよ」
ドアの前に家具を置く。重く放置されているソファーをなるべく引きずらないようにドアの前に置いておく。
「ねえ不自然に思われるよ」
「マリィよりも早く起きて退かせば不自然に思われる事無いだろう」
「マリィすごく早いじゃん」
「…だな…」
「…何か考えてる?」
相変わらす怪訝な表情のカイを呼んで小声で話す。
「…え?」
「…予想だよ…」
「……」
「…でも、そうじゃないか」
はっきりとそう分かった訳ではない。ただ今までの行動と分かった情報を見て、そうなのではないかと言う考えが頭に浮かび離れないのだ。
その考えを抱え込みながらベッドに沈み込むと眠れずに何度も寝返りうっているとカイも同じなのかこちらを見つめて少し表情は暗かった。お互いに暗い気持ちを抱えながらようやく眠りについた。
翌朝、彼女は足音も無くやって来る。静かに静かに歩きながらノックもしないで扉を開ける。今日はその扉が開かない。扉とソファーがぶつかる音で扉の前に行く。
コツ、コツと扉とソファーが当たる音を規則的に立てながら何度も扉を開けていた。その様子を少し眺めて無言でカイを呼ぶとソファーを退かしようやく開いた扉からマリィが顔を見せた。
「おはようございます」
「おはよう」
「朝食が出来ていますわ」
「マリィ。体調は大丈夫か?」
「何ともありませんわ」
「そうか」
「さあ今日はとても良い天気ですわ」
マリィの後を追ってカイと共に部屋を出る。確かに天気が良い。ここから見える遠い空は雲一つ無かった。青い、レアの目と同じ色の空がどこまでも続いている。
「本当に…良い天気」
「うん。良い天気」
「良い天気ですわ」
マリィは今日は黒いワンピースを着ている。初めて会った日と同じワンピースだ。足元は相変わらず歩きにくそうなヒールのある靴を履いている。自分達が履いている平らな歩きやすさを重視した靴とは正反対の歩く事を拒んでいそうな靴だ。
その靴でマリィは今日も自分達よりも早く朝食の出来上がった下の階に辿り着いた。
「おはよう」
レアは既に食べ終わっているらしく空になった食器を片付けていた。二人分の朝食が並べられたテーブルが目の前にある。
「…二人はもう食べ終わったのか」
「今日は早く起きたからな」
「それなら俺達も起こしてくれれば良かったのに」
「早起きに付き合わせるの悪いだろ」
「そうですわ」
「…そんなの気にしないのに」
「僕も気にしないよ」
「私達が気になるんだよ」
食器を持ち台所へと二人はいなくなる。テーブルに並べられた朝食。マリィが作ってくれたであろうスープにパン。湯気が立っていていつでも食べてどうぞと言わんばかりに誘っている。
スプーンでスープを掬い舌で舐める。
「……」
「…ジン?」
「いや、何でもない」
首を振ってスプーンをそこに置いて息を吐きカイを見る。そしてもう一度首を振って見せる。
それを見たカイの表情が悲しそうに歪んだ。
そうだよな。分かるよ。俺もこんなの初めてだからな。
「ご馳走さま」
「ごちそうさまー」
「食器はそちらに置いておいて下さいな」
「分かった」
空になった食器を下げる。マリィがすぐに水に浸けて洗いだしこちらが手伝う隙など無かった。レアもまだ台所におりマリィを手伝う訳でもなくコーヒーを淹れていた。
「それじゃ…また色々見てるから」
「ええ。分かりましたわ」
「気を付けてな」
食器を洗ったまま、コーヒーを淹れたままでこちらを見ずに二人は返す。少しだけその姿を見つめたままこちらも背中を向けて歩き出す。
テーブルの下に隠した水筒を持ち平常心を保ちながら部屋に向かい扉を閉める。そしてそのまま大きく息を吐いて落ち着いてからまた立ち上がり部屋のトイレに向かう。
そして水筒の中身に無理矢理詰め込まれた今日の朝食をトイレに向かって捨てていく。
「…僕、食べ物捨てたの初めてだよ」
「俺もだよ…」
頭の中にあるサスペンス小説やミステリー小説は様々な面倒臭い方法で人を殺してきた。その中で毒を使った人の殺し方の中に料理の中に毒を混ぜて恨んでいた人物を苦しめて殺したが、それを暴いた主人公はその毒物が料理に混じると僅かに味が変わると、それをどんな変化なのか事細かく説明してくれていた。
今朝のスープの味の変化はその通りだった。飲み込まず吐き出して空の水筒に無理矢理詰め込んで食器を空にした。
「…本当に殺すんだ。僕達の事」
「そうだと思う」
「やだなあ」
「そうだな」
「悲しいね」
「…そうだな」
何故か妙に冷静だった。恐怖が一周回り平常心に戻ったのだろうか。
トイレに流れていく折角作られた毒入りの料理が無くなるとベッドに座り込み気を落ち着かせる。すると少ししてからまた、マリィが音も無く部屋に入り込みベッドに座る自分達と目が合った。お互い顔を見合わせて特に何か表情を変化させるような事は無い。
「ジン君。カイ君」
先に口を開いたのはマリィだ。
「何」
それに不自然でないように返す。
「今日はどうされる予定で」
「さっきも言ったよ。色々見るよ」
「お手伝いしますわ」
「助かるよ」
ベッドから起き上がりマリィに近付く。いつもと変わり無い金色の目が自分を映している。
「なあマリィ」
「どうされました?」
「レアとマリィの部屋には俺達を助けられそうな物は無いのか?」
「ありませんわ」
「本当に無いか、見せてもらってもいいか?」
「駄目ですわ。プライベートです」
マリィはいつも自分達のプライベートに侵入して来るじゃないか。
「レアに見せてもらっていいか聞いても?」
「旦那様はお休み中ですわ」
「お休み中?」
「昨日とても遅く寝られましたの」
「そうか」
初めは何の疑問も無かった。目の色が違うそれぐらいの違いでいつも早起きで疲れる事も無く食べる事が殆ど無い。
「こっそり見るのは?」
「駄目ですわ。鍵もかけてますの」
「鍵はレアが?」
「私も持っていますわ」
「マリィも持ってるのか」
「旦那様に何かあった時私が部屋に入れないと困ってしまいますの」
あの写真なマリィから変わらない姿のままでいる事にもしかしてと、言う答えが浮かんだ。かつて会った事のある存在とは姿は違うが中身はそうかもしれない。
「マリィ」
「どうされました」
「今朝、部屋が開かなかったろう?」
「ええ」
「あれはな。時間稼ぎなんだ」
「時間稼ぎ」
「水筒を空にして今日の朝食に何か違和感があれば食べた振りをして水筒に全部詰め込んでやろうって」
「何故」
「マリィが俺達が起きるよりも早く部屋に入ってさっさと朝食の場所に連れていくと水筒持っていく時間が無いと思ったから、入れないようにしたんだ」
「ジン君。言っている意味が理解出来ませんわ」
「…マリィ」
「カイ君。私に説明をしてくれませんか」
朝食の席で上手く誤魔化せるようにカイと二人きりになれるかどうかは賭けだったが、もしレアもいつものように同席していたら決して口を付けずにそのまま今の話をしていただろう。
そしてそのまま、今のようにマリィに銃を向けただろう。
カイから受け取った空になった水筒を被せた銃をマリィの胸元に押し付ける。
「ジン君」
「…マリィ」
「やめて下さい」
「…ごめん」
引き金を引いた。
可能な限り銃声を消してマリィの胸元に穴が開いた。金色の目が開いたまま彼女は後ろによろめきながら下がり倒れた。
倒れた体からは血は一滴も流れない。
疲れる事の無い体。
ヒールに痛むことが無い体。
食べ物を受け付ける事が出来ない体。
あの日、不自然に思われないように無理矢理その体に食べ物を取り込んだためか、レアはその除去にどれだけ時間を費やしたのだろう。
いつからそうかは分からない。
少なくともあの写真に移っていた頃は人間だったのだろう。
マリィのぽっかり開いた胸元から覗くのは人の中身ではなく機械だった。
「…ロボットだったんだな…やっぱり」
マリィは人間ではなくロボットだった。




