知識?の本棚
昼食の後にレアの持つ知らない国の言葉で書かれた本に視線を向けていると彼は一冊差し出した。
「読めるか?」
「読めない」
「だろうな。他国の言葉は教える事は無かったから」
分厚く黒と金色の表紙の本は試しに一ページ開いてみると端から端まで勿論知らない言葉が並んでいる。両親はこの国の言葉や成り立ちを教えてはくれたが他国の言語は触れてこなかった。
「…確かに他国の言語は教えられてない…けど、レアは外国語の先生だったんだろう」
「ほんの少しだけな。大学で…将来的に他国との交流を必要とする職業に就く若者に教えた」
「他国との交流」
「国が定めた貿易会社に勤める人間や、国同士のいざこざをどうにすかするために派遣される人間。後は通訳」
他国との交流を殆ど遮断していたため自国の言葉以外を操る人間はそれはそれは貴重であったらしい。ただ下手に、過去に争い事などを起こした国の言葉を使うのは敵意を向けられる事もあると言う。そのため他国の言葉を話せるにしてもその時代の情勢やらもきちんと頭に入れておかないといけない。
「そしたら…レアが教える人間って少数なんだろうな」
「少数だよ。しかも国の若者の中でも優秀な人間」
誰も彼も教えてもらえる訳ではない。
読めない本の表紙を指でなぞりながら複雑な世界の作りを想像する。
「…この本を読める人は、レアとマリィぐらいか?」
「いや。マリィは読めない」
「?同じ国だろう?」
「マリィはもう、生まれた頃からこの国の教育のみで生きてきたから読めないんだ」
「レアは教えたりしなかったの?」
「無理だった」
レアは幼い頃から父親の国の言葉と母親の国の言葉を両方浴びていたから不自由なく二つの言語を操れるが、マリィは生まれた頃には既に両親共にこの国の言葉に染まり、言語を忘れて今日まで喋れるのはこの国の言葉だけ。
「教える先生だったのに…マリィには教えるのは無理だったのか?」
「生まれた頃にはもう教育機関が崩壊してたし十分に教えられる教材も無かった。必要最低限の常識と生まれた国の言語で精一杯だ」
それ以上の知識を詰め込める頭は無い。
「……今何か言ったか」
「いや。何でもない」
読めないとは思うけどもこう言う字で作る言語もあると言う事を知ってくれと、レアは会話を終わらせてマリィの言う。世界平和のための研究に戻ろうとした。
「ねえ。研究してるの見ても良い?」
背中を向けて歩き出すレアに向かってカイが少し大きめの声で聞いた。足を止めて背中を向けたままでいるレアはゆっくり振り返り答えた。
「どうぞ」
マリィは昼食の片付けをするからと、男三人でレアがしている研究の部屋に入ると中には緑があった。大中小、様々な大きさの箱から伸びた緑はまだ生きている土から育った正真正銘の植物らしい。
広い机の上にはこの国の言葉と他国の言葉で書かれた本が何冊も広げられており見たことの無い道具がいくつもある。
「マリィが言ってた資源を再生するって…」
「まずは食糧の確保だな。十分な食糧が確保出来るように」
「これは、本物の植物か?」
「何になるの?」
「放っておいても育つ植物」
「何それ?」
「ニラ」
「…知らない食べ物だ」
まだまだたくさん育つ気配は無いとレアは苦笑いする。世界の平和、資源の再生。枯れた大地に水を与えて根を生やし再び緑が甦る事があれば今は僅かにしかいない生き残りが長く生きて彼らが子孫を育ててそれが何十、何百ともなるだろうとレアは喋る。
ただそれは良いとしてたが、それ以前の課題がある。
「再生は良いんだが…兵器の体への影響は知ってるだろう?」
「知ってる」
「俺達が今まで見てきた人達は多くは兵器の影響を受けてる。看取った人もいる。資源の再生が叶ったとしても…兵器の影響からは逃れられないからまずは兵器による体の影響をどうにかするほうが…」
「無理だ」
「無理なのか?こんなたくさん道具があって」
「…なんと言うか…身体中に根が張ってるようなもんなんだ」
「根が?」
レアが兵器の影響を受けた人間を見た最中に彼等を診た医師がそう言ったらしい。
「兵器は身体に入り込み侵食して機能を奪う。手が動かないから手を切り落とした人間もいたが治らない。足に影響が出た人間の足を切り落としても治らない。身体中の隅から隅まで影響を及ぼして…手の施しようが無い」
医者が匙を投げた。
今よりも治療に関する道具が揃っていても出た答えは結局治らないの一言だ。ヒデタカ先生やウメノがそうしていたように結局のところ生活を介助しながら一日でも長く過ごせるようにしか出来ないらしい。
ならばもう、兵器の影響を受けなかった人間のために資源の再生。未来を託そう。レアはそのために僅かに残った生きてる大地で食糧になりそうな植物を育て、驚く事にクローン技術を研究し今ある物を増やそうとしているらしい。
「クローン?」
「まったく同じ物を作る事だな」
「そう。なかなか難しいけどな」
「過去に成功例は?」
「滅亡する前にどこかの牧場で牛や豚をこの技術で増やしたらしい」
「へえそれなら希望があるな」
「でも、そのクローンに使ってた道具はあんまり残ってなくてな」
「足りないのはどうしてる?」
「何とか自力で作成してる。失敗しかしてないが」
「…すごいな」
レアなりに考えて一人で研究を続けていたのだろうか。
「すごいか?」
「すごい、とは思う」
「必死に踠いてるだけだ」
「いや。すごいよ」
諦める事の方が多そうなこの世界で前に進もうとしているのは立派な事だと言うとレアは特に言葉を返す事もなく研究をするのにいつも座っている椅子なのか、少々くたびれた雰囲気の椅子に座り顔を隠した。
「…真っ直ぐに言われると照れるな」
「そうか。悪いことか?」
「いや…褒められ慣れてないだけだ」
少し恥ずかしいからそろそろ研究に戻らせてかれと言われ黒と金色の表紙の本を抱えたままに部屋を出る。
与えられた部屋に戻り黒と金色の本を開く。やはり読めない、どう見ても読めない。初めて見る言語は何を表して何を伝えようとしているのか見当がつかずただただページを捲る事しか出来ずにいた。
「…カイ。俺、あの本がある部屋に行くけど来るか?」
「行く」
「…珍しいな。あんまり好きな部屋じゃなさそうなのに」
「何か一人でいるの嫌だ」
「そうか…」
カイを連れてあの読み途中のままにしていた本の部屋に戻り、自分が読める言語で書かれた本を開き読み始める。
「何の本?」
「ん?ここにあるのは…」
本の部屋にあったのは聞いたことのある作家の本もあればまったく知らない名前の本もある。そして大量にあるのが何故か歴史に関する資料とその時代の生活スタイルなどが詳しく書かれた資料のような本がたくさんある。
「何だか…本棚と言うか資料館みたいだな」
「物語が書かれたのは少ないねえ」
「しかも同じ名前の人ばっかり…」
本と資料を読み漁り気付く。
この本棚に並べられた資料と本は同じ事態背景と資料に記された物がよく物語の中に出てくる。この資料を参考にしながは書かれた物語だろうか。
「わざわざ本読んでこの本の時代背景まで詳しく調べたのか?」
「違うかも」
本を読まずに部屋を探索していたカイが言う。
「違うって?」
「これ見てよ」
カイが持って来たのは一つの透明な硝子で作られたのだろうか。硝子の置物だった。三角形でも四角形でもない歪な形で作られたそれは下の台座の部分に“第○回書店賞受賞”と掘られていた。
「この部屋の人、本書いてた人じゃない?」
「…だからこんな資料館みたいなのか」
本を読む者ではなく書く側であったらしい。確かに台座には並べられた本の作者と同じ名前が刻まれている。こんな立派そうな賞を受賞しこんな部屋に住んでいると言う事はさぞ著名な作家だったのだろう。
この部屋の作家が書いた本は確かに文章は今まで読んできた中で一番堅苦しいような気がするが一度読み始めると引き込まれるような掴んで離さない話が展開されていく。
「…ん?」
「ん?もう読み終わったの?」
「読み終わった」
「早いねえ」
「読み終わったけど…すごいなこれ…後ろにいつ出来たか日付が書いてあるんだけど」
「うん…?え?」
「な?かなり前なんだ」
この引き込まれる本は五十年以上前の本らしい。自分達の影の形も無い頃に出来上がった本らしく今も生きていればかなりの高齢である。
「同じぐらいの時期に何冊も出したんだね」
本の中身は読まずに後ろのいつ出来たかの部分だけをカイは確認している。確かにその後、あまり間を空けずに本を出していたらしい。しかしその後途切れており書くのをやめてしまったのかと思い探してみるとまた見つかった。日付は二十年ほど前の本だ。
「どんな話?」
「えっと…」
何だか今までの本の内容とは違う。重い雰囲気の文章ではあったがこの話から目を背けられないような魅力があった五十年前の本とは違い、何かこの本の作者が叫んでいるような雰囲気がある。
「ねえ。ジン。どんな本」
「え、えっと…その」
この国は神に選ばれた国である。
この国に生まれし我等は神の申し子。
「ジン?」
「…ちょっとこれは…」
国に侵略せし悪魔に罰を。
奴等はこの世界を破滅へ導く大罪人である。
「……何て書いてあるの」
無言で本を閉じる。
この本を書いた頃はこの作者に何が起こったのだろうか。あの目を背けられない物語を執筆していた頃と変わりつまり、なんと言うか。
「…陰謀論」
「…え?」
「何だかこの国は神の国だとか他国はこの神の国に侵略する悪しき存在だとか…陰謀論が何だかって…」
「……」
「意味が分からない」
「その人おかしくなったの?」
「そうかもしれない」
年齢を重ねて本をこの本棚を見る限りはまったく書いていない頃もあったためその間におかしくなってしまったのかと頭を抱える。
この訳の分からない神やら悪やら陰謀論やら書いていた人物とあのページを捲るのを止められない本を書いた人物が同一人物だとはとても思えなかった。
「本当だ。意味が分からない」
「何でこんなの…」
「おかしくなっちゃったねえ」
この本を真面目に読んだ人はいるのだろうか。そう疑う程にこの本の内容はひどかった。どこを読んでも理解が追い付かず同じ言語のはずなのに大声で捲し立てられているような感覚で本を閉じた。
「人は変わるんだな」
「環境とかで変わるんだろうねー」
「環境…二十年前だとそうか…もう不穏な空気が流れてたんだろうな」
この国を攻撃した国を悪魔だ何だと読んでおり彼なりに自国にたいして警鐘を鳴らしていたのかもしれない。ただ伝わったかどうかは分からないが。
「そう言えばさ」
「ん?」
「レアとマリィはこの国と争った国の血が入ってるんだよね」
「言ってたな」
「青い目と金色の目がその国の人の特徴?」
「存在してた三つの国の中では…青い目や金色の目は……そうだろうな」
「一番最初に滅んだ国はどんな人だっけ」
「この国と大差無いと思う。肌がやや浅黒ぐらいで」
差別を受けたと言ったがこの本が広く読まれていたならさぞ生きづらい時代だろう。言葉や直接殴られるような暴力もあったと話す彼等はよくもまあ生き延びる事が出来たものだ。
「その陰謀論の本持っていくの?」
「あまりに衝撃だから読んでみるよ」
「頭痛くなりそう」
「遠くから眺める感じで読んでみる」
「入り込むと面倒になりそうだもんね」
「そうだな…入り込むと…」
そこでふと、父の話した他国の話を思い出す。
極限状態に陥った国で偶像崇拝された少女の話。あり得ないと思ったその話は事実であり罪もない少女が死んでしまった亡国の国の話。
本に綴られたそれがこの国に出たのは二十年ほど前。国同士の争いが起こり残っていた国の一つが沈んだ。そして二つになった国も初めこそは友好関係にあってもそれがいつ崩れるか分からない。結果、崩れた。
どんどんと悪くなっていく状況でもしこの本が読まれたら、どうなるか。
きっと自国にいる他国の人間に攻撃する。どんなにその人達が自分達は敵じゃないと訴えてもどんなに自分達はもうこの国の人間だと喉が裂ける程に叫んでもきっと刃を振り下ろす。
「ジン」
「…うん?」
「何か顔色悪いね」
「…少し、嫌な想像をした」
そう。嫌な想像。
生き残った彼等からの証言や残された記憶と記録では確かにいつも通りに生きていた日常が突然壊されたと分かる。ただもしかするとそれより前に静かに静かにこの国は滅亡に向かって行ったのではと嫌な想像をする。
両親が国を守るのを止めてシェルターに籠ったのは他にも何か見たのではないか。自国が他国の血が流れている人間に何かしたのではないか。
「あ、」
「え?」
「何か落ちた」
「…帯?」
陰謀論の本の間から滑り落ちた一枚の紙切れ。そこにはこの本を宣伝するためにか“今読むべきベスト1”と書かれると共にあるのが。
「……は?十万部?」
「え?十万部?」
「この本…十万冊もあったんだよ」
「え?こんな本が?」
「そう。こんな本が」
このあり得ない内容の本はあまりにも多過ぎる人間の情報に入り込んでしまった。
その事実に冷たい汗が背中を伝う。




