痕跡
不安を抱えながら眠り半分起きているような状態で朝、目を冷ますとカイも同じだったのかいつも眠る場所よりもずっと広い部屋で起き上がる。
「……どうしようか」
「…朝のおはようよりもまずそれか」
「だってさ…」
「とりあえず、何か食べよう」
顔を洗い身支度を整えるとリュックの中を探り朝食を食べようとすると扉から音がする。そしてこちらが返事をする前に扉が開かれて今日は灰色のワンピースを着たマリィが顔を覗かせた。
「おはよう」
「…おはよう」
「眠れた?」
「あんまり…」
「朝食はお食べになりました?」
「これから」
「用意をしたから一緒にどうぞ」
「、え」
それはなんと言うか悪いと断るとマリィは断りも無く中へと入ってきてはもう冷めてしまうからと言って半ば無理矢理背中を押して下の、昨日のお茶菓子を用意されていた場所へと導かれた。
既に椅子に座り自分の分の朝食を半分食べて終わっているレアがマリィに押されるように降りてきた自分達を見て一瞬目を開いて驚き立ち上がる。
「マリィ」
「一緒に朝食を」
「…二人が驚いてる」
「驚いてる?顔を見せて?」
マリィの背中を押す手がようやく止まり振り向き
彼女と顔を合わせると真っ直ぐその金色の目で見つめられて思わず顔を逸らす。
「ごめんな。マリィも少しはしゃいでるんだ」
「はしゃいで…るのか?」
「はしゃいでいますの」
レアに謝られながら昨日と同じくレアとマリィが座るであろう向かいのソファーに座り待っているとマリィがまた昨日と同じ様に盆に乗せて朝食を持ってきた。
温かい、どころか火傷をしそうな程の紅茶と美味しそうな匂いを届けるパンが目の前に差し出された。
「どうぞ」
「…マリィは?」
「マリィは食べ終わった。食べ終わって…どこかに走って行ったと思ったら君達の部屋か」
「ねえ。食べれないよ。二人の食糧でしょ?僕達が食べる訳には」
「そうだ。車に積んである食糧を今日取りに行くからわざわざ食べる訳にはいかない」
「もう用意したんだ。食べてくれ」
冷めてしまうから早くと促され、真っ直ぐ見つめて食べるのを待っているようで視線が逸らされない。このままでは恐らく出された朝食を空にするまで目が逸らされなさそうで熱すぎて手がつけられない紅茶を後にしてパンを手に取る。三日月のような形のパンは持ち上げるとパラパラと表面がこぼれ落ちテーブルと膝の上に落ちてしまう。
「いただきます」
一口小さく齧ると今まで知っているパンとは知らない味がした。
「美味しい?」
「…美味しい」
「クロワッサン、食べたことはある?」
黙って首を振った。
いつも食べているパンよりも中身が少ない気がしたがやけに腹に重く入るような、熱量があった。咀嚼して飲み込みカイに何とも無い事を目で伝えるとカイもゆっくりだが食べ始めてその味に驚いた。
「中身スカスカじゃん」
「スカスカ…あぁそうか。クロワッサン初めてか…今まで食べてきたパンは、中身がこれでもかってぐらいに詰まってたのか?」
「詰まってて固い。焼けば少し柔らかくなるけどこんなパンは初めて」
「こんな保存食あるのか?」
「保存食と言うか…作ってる」
「作ってる?」
「マリィ、二人が食べ終わったら見せてやれ」
「分かりましたわ」
レアはマリィにそう言うと立ち上がり何処かへ行ってしまうようだ。その視線に気付いたのか振り返りこちらを見て「読み途中の本があるんだ」と言ってそれ以上話す事無くマリィと生活しているであろう部屋に戻っていった。
クロワッサンは食べ終わると触れていた手が滑るらしい。バターを使っているらしくそれによって油を塗ったように光る手を元に戻るまでしっかり拭いて食器を片付けるとマリィが料理をしていると言う場所に案内をした。
この建物で一番しっかり残った台所らしく何人でも入れそうなその空間には様々な料理に使う材料があった。
大きな袋に入った白い粉、小麦粉。
冷蔵庫に保存されているバター。
冷たい入れ物に保管された砂糖と塩、これもまた大量。
これらを組み合わせて正しい量と正しい順番で捏ねて発酵して熱を加えて…とすると今朝食べたパンが出来上がるらしい。
「これが料理か」
「これが料理です」
今まで見てきた料理は既に完成されたそれを温めたり食器に移す事で完成した。保存食は基本そう言った物ばかりなため料理という物を知っていてもいざ何をどうすれば出来上がるのかまで実際に行ったり見る事は無かった。
「マリィがいつも料理をしているのか?」
「料理は私の仕事ですの」
「レアは何をしてるの?」
「旦那様は研究を」
「研究を?」
「旦那様?」
自分は研究の言葉にカイは旦那様の言葉に反応する。研究とは何のための研究なのかの疑問と夫婦であるため妻と旦那と言う言葉を使うのは分かるが旦那に様を付ける呼び方に少し違和感があった。
「まず俺から…研究って?」
「この国がまだどこか再生出来るのでは調べているの。世界を平和にするために」
「……世界を平和に?」
「まだこの国、もしかしたら国外からと生存者がこの国に流れ着くかもしれない。その時に奪い合いが起きず平和に暮らしておけるように再び資源の再生を研究しているの」
「なるほど…?」
半信半疑であるがあまりにもマリィが真っ直ぐな目で見るため頷いてしまった。
世界の平和、この世界の再生。
この国を見て回る事だけをしていた自分にはそこから何か更に生み出すと言う行動をしているのに信じられなかった。
この世界はいつかは再生する、とは思ってはいるがただそのための行動は何なのかと問われれば口を噤んでしまう。
再生はする、きっと必ず。
これは未来に向けた願いであるのだ。
「ねえマリィ」
カイの声に声を上げる。
「マリィはレアを旦那様って呼んでるの?」
「そう。旦那様」
「名前とかで呼び合わないの?」
「呼びませんわ」
「…マリィは呼び捨てでレアは様付けなのが不思議だね。対等じゃないみたい」
「何もおかしくありませんわ」
だって旦那様は旦那様はだもの。
そうマリィは言う。
自分達の知る夫婦の姿が両親であるためどうしても比べてしまう。しかしこれに口を出していいものかと思った瞬間、マリィの視線が自分とカイを捉えてぎこちなく笑った。
思った事をそのまま言い過ぎるとあまり良くないということを教わった。注意された。マリィの視線から目を逸らして喉元まで来た“変な関係”の言葉を飲み込んで別の言葉を喉から滑り出す。
「ここ以外に…見てもいい場所があるなら案内をお願いしたいが」
「お待ちになって、旦那様に聞いてきますわ」
真っ白な汚れの無い手のひらをこちらに見せてマリィはまた部屋から出ていき階段を、音も立てる事無く静かに降りていった。
「…不思議な人だね」
「確かにな、不思議だけど…随分丁寧だ…」
「レアも不思議だけどね」
「あそこまで好意的に受け入れてくるのが初めてだからな…」
あの青い目を思い出しながら少しまた怖くなる。
「お待たせいたしました。ご案内しますわ」
「…早いな」
また足音も無くマリィは部屋へと顔を覗かせる。今は元々の所有者ではないとは言えレアとマリィの家と言う事にしているためレアに案内をする許可を貰いに行ったら快く了承してくれたらしい。
「どうぞ、私に着いてきらして」
マリィは独特な喋り方をするものだ。
滞在している部屋から出てまずはこの階層から案内される。集合住宅なだけあって入ることが出来る部屋の内部は同じだった。ただやはり住んでいた人間は一人一人違うものであって、中の残された家具や生活を支えるための家電は違う。
「…小さなベッドだな」
「ベビーベッド。赤ん坊専用のベッドですわ」
「へぇ…そしたらこの部屋には赤ちゃんがいたんだね」
「そのようで」
自分達が眠っていた大きなベッドの半分もないその小さなベッドはもぬけの殻でかつてここに住んでいた家族の痕跡だけを残し寂しさを感じられた。
マリィはベビーベッドの柵に手を触れながら誰も眠らないベッドの中身を静かに見つめている。
「マリィは」
「私?」
「…いや、何でもない」
「それでは次に参りましょうか」
「よろしく頼む」
一つ下の階層には何に使うか分からない器具が部屋にいくつも並べられていた。一目でこの部屋は生活に使われる部屋ではないと想像出来るがそれでは何のために使われる部屋なのかと聞かれると説明が出来ない。
「この部屋は?」
「住民専用のトレーニングルームでございますね」
「トレーニングルーム?」
「筋力や体力、体を鍛えるためのお部屋ですわ」
「体を鍛えるため、だけの部屋か?」
「何に使うか分からない物ばっかりあるねえ」
「カイ君、こちらに乗ってみて下さいな」
「え?」
初めて聞くトレーニングルームと言う異質な部屋に並ぶ一つの器具、カイはマリィに促されるままに見たことの無い機械の上に乗るとマリィは何やら操作をしてカイの足元が動き出す。
「え?え?何か後ろに下がるんだけど?」
「立ったままではいけない。後ろに下がる前に足を動かして」
マリィに言われるままにカイは後ろに下がる前に足を前へ前へと走り出す。初めはゆっくりだった速度が段々と早くなりカイが慌て始める。
「何これ?何これ!?」
「これがランニングマシン。外に出なくても走ることが出来る優れものですわ」
「へぇ。わざわざ外に出る面倒もなく体力をつけれるのか」
「その通り」
「ねえ!喋ってないで止めてくれない!?」
「ここか?」
「そこですわ」
初めて見る機械に感心をしていると説明するために走る事になったカイの怒りが混じった声によってようやくそのランニングマシンの機械を止める事にした。
急激に止まる事無く緩やかに止まりカイの足も走る事をようやく止める事が出来たらしく息を切らせながら座り込んだ。
「いかがでしたか?」
「…マリィ、動かす前に説明してくれない?」
「動かした方が分かりやすいかと」
「確かに分かりやすかったな」
ランニングマシンの動きと用途を口で説明するのは確かになかなか難しいかもしれない。マリィはならカイに実際に動いてもらって説明した方が早くて分かりやすいと結論付けたのだ。その効率の良さは素晴らしい。
「他にもございますわ。例えばこちらのダンベルを」
「分かった。分かった。体を鍛えるのは分かったから…」
他にも案内してくれるかも伝えるとマリィが案内をしたのは更に一つ下の階層にあるあの、映画館を思わせるような空間があった。
「シアタールームでございますわ」
「シアター…」
「この大画面で映像を映し出し映画や動画をご覧になれます」
「今は」
「今は見れません」
機械が故障してしまい何も映し出さないただの空間となってしまいましたわと、マリィはその何も映さない空間を見つめて喋る。あの映画館よりも狭いが椅子の座り心地の良さはこちらの方が良く、ほどよく暗い空間は気持ちを穏やかにするのに最適だった。
「…ここで」
「はい」
「ここでいつからマリィはレアと二人きりなんだ?」
「私と旦那様は十五年ほど二人きりですわ」
「それまでは他に住人がいたのか」
「いいえ。来た頃から二人きりですわ」
「そっか…でも一人じゃないのは良かったね」
プラネタリウムのステラが過去の記憶と共におるように水族館でミナモと共にムギがいたように病院でヒデタカ先生、ウメノ、カナエとエリカにジュンがいたようにこの世界に取り残されないように傍らにいるのは…心強い事だと思う。
「…でも、レアと二人きりはちょっと怖くない?」
「カイ」
「レアが少し怖い。やっぱり怖い…目の色が違うからかな?」
「カイ君。肌や目の色でそう判断するのは悲しいですわ」
「ごめん…でも何だか、怖いの」
「怖いか…レアが」
「怖いのも無理はありませんわ」
「え?」
夫をそう言われて否定せずにマリィは話し始める。
「旦那様はこうなってしまってからもこうなる前からも差別を受けて来ました。時には人種が違うと言う理由だけで暴力も受けましたわ」
「暴力…人種が違うだけで」
「人は自分と違うものを淘汰したがるものですわ。それも、自分達を脅かすかもしれないと言う存在ならば尚更ですもの」
「俺達が、想像する差別って無視をされたり暴言を吐かれたり…そう想像するが…もっとひどいのか」
「ひどいものですわ」
仲間や家族を守るために必死になり差別を受けて暴言を暴力を受けてどんなに止めてほしいと言ってもそれを嘲笑うような返事が返ってくれば心も荒む。
今でこそ、穏やかに見えるが自分を差別してきた国の人間が目の前に現れたのならそれは過去を思い出され怖いと思わせる雰囲気を出してしまったのかもしれないとマリィは言った。
「それでも過去は過去です。旦那様があなた達を助けたいと言うのは本心ですわ」
どうか信じていただけますか?
熱い手のひらで包み込まれて真っ直ぐそう言われる。マリィの金色の目が僅かに潤みその目に自分とカイは黙って頷いた。
「ありがとう」
「いや、こちらこそ…」
ぎこちなくマリィの手に包まれた自分の手を離し今度はその手を自分のもう片方の手で握る。
「さあ、まだまだ案内させて下さいな」
灰色のワンピースを揺らしながらマリィは金色の目を細めて笑った。




