病院【涙】
建物が揺れたと思った。その後にすぐまた大きな音がして揺れて何が起こったのかと理解するために窓の外を覗くとそこには真っ青な空から幾つのもの飛行船が見えた。その後すぐにあれは飛行船ではなく戦闘機だと分かりこの国の全ての命を刈り取る物を落としたのだ。
人と人との対立はその人同士が勝手にやっていれば何て事はないがそれが国同士の対立となると何も知らない国民が、ただ遊びに出掛けていた者が、退屈な授業に欠伸をしていた学生が、まだ生まれて数年の小さな子どもが、人の手無しに生きられない赤ん坊が。
この病院の中で外でどんどん死んでいった。火葬しようにも追い付かず土葬に切り替えていくがそれも間に合わず安置所を作り遺体をそこに並べて数日するとバグを起こしたお掃除ロボットがその遺体を物のように掃除し始める姿を無言で眺めていた。
この世界は。
この国も攻撃してきた国にやり返し同じ光景が向こうで作られているだろう。
この世界は。
人が数えられる程に少なくなってからようやく眠る時間が出来た。
この世界は。
両手で数えられる程になってからようやく感情がきちんと思い出せた。
この世界は。
この世界はもうじき終わりなのだ。
「ノグチ先生!カナエちゃんが!」
「分かったすぐに行く!」
そんな終わりを迎える世界なのにそれでも命はまだ生きている。それどころか希望を持ち生きる若者までまだ存在しているのだ。
貝殻のネックレスを着けて笑う可愛らしい少女を生かしてやりたかった。もう無理だろうと心の中では思っていた矢先に現れた若い少年が彼女と手の手を取り体温を与え食べる気力を与えて病院内でしかなかった世界を広げた。
手を動かし車椅子を動かし笑い歌を聴きながら何日も生きた彼女にもしかしたら快復するのではないかと半ば諦めていた希望を見せてくれた。
「カナエちゃん。目を開けてね」
「カナエちゃん。大丈夫大丈夫よ」
「ほらきっと大丈夫…目を開けて」
「カナエ。お兄さんだ」
「カナエ、カナエ、カナエ」
一つのベッドに集まり声をかけている。カナエちゃんの目が開かない。呼吸は何とかしている状態だ。小さく細く、細くなっていく。
兵器の与えた体の異常は体の生きる機能をどんどん弱くしていく。眠るように亡くなった患者を何百と見た。何百と見て設備も無くなり治すために何が必要か分からないままに薬も設備も何もかも失われていき後はもう、出来るのは。
「カナエちゃん。ノグチだ」
「……」
「カナエちゃん…皆いるよ」
「……」
「大丈夫。皆、皆いるから」
せめて最期は見守りながら送る事だ。
「やだ!」
何度もそうしていた中で思わぬ声が聞こえる。
「やだ!やだ!やだ!」
「カイ…!」
「やだ!カナエ!」
大きな目にこれまた大きな涙を浮かべながらカナエちゃんに大声で声をかける。
あぁそうだった。カイは、彼はカナエの恋人だった。結ばれたのはほんの数日前で幸せそうに二人一緒にいた姿にそれはもう和んで嬉しい事だった。
「カイ…分かってただろ…カナエは」
「分かってたけどだからって冷静でいられる訳無いじゃん!」
「カイ君!」
若い恋人の叫び声が響く。それでもベッドの上で目を閉じるカナエちゃんは小さく細く呼吸を何とか繰り返すだけで目を開けない。ウメノに肩を掴まれてしっかりなさいと激を飛ばされている。
「カイ君!深呼吸!」
「はぁ!?」
「深呼吸!!」
「深呼吸って…!?」
「深呼吸!!!」
ウメノに詰められて泣いたままに大きく息を吸って吐いている。そしてそのまま顔を掴まれて目を強制的に合わせられて言われる。
「しっからしなさい!彼氏でしょ!狼狽えて叫んでないで手を握って甘く囁け!」
「…甘く?」
様子を見ていたジンが混乱していた。
「え?」
「…カナエちゃんの目が開いた時に泣いた顔見せるの?」
「…それは」
「泣いてたら…何も言えないでしょ?カナエちゃんに…何も言えないまま泣いてお別れになってもいいの?」
ウメノの言葉にカイは泣いて赤くなっていた顔から気付いたように目を見開いて乱暴に涙を拭うとカナエちゃんの手を握り締める。
「ノグチ先生…」
ハイザキさんが自分を見つめる。この状態になったらもう出来る事が無いんですよ。
「カナエちゃん。カナエちゃん…しっかり」
コンノさん。何人も見てきたあなたならここからもう助からないと分かるはずです。
「カナエちゃん。諦めたら駄目だからね!」
ウメノ。君もそれを分かっていながらそれでもカナエちゃんに戻って来てほしいんだな。
「…そうだよな…」
「え?」
誰だって死にたくて死んだ訳じゃないんだよ。
それを引き留める事が出来ない光景は何回見てもこちらも死にそうになる。若い、若い命を。
「ヒデタカ先生?」
カナエちゃんに声をかけ続ける最中、取り憑かれたように離れていく。向こうから教え子の声が聞こえた。
「ヒデタカ先生?」
カナエの側にいなくていいのかと音もなく離れていったヒデタカ先生の後ろ姿を見つめる。
「……」
周りがカナエの名前を呼び続ける中、その消えていった後ろ姿にあの話が甦る。
一目散に走って行く。診察室のベッドの下、まだそこにあれはあるはずだ。
カナエが今にも何処かに消えていく光景、何度も助けようとしたが助けられなかった命達。ただそれはヒデタカ先生の責任ではない。
診察室の扉を勢い良く開けると部屋の中でヒデタカ先生が銃を持ち自らに銃口を向けていた。
「…!!」
引き金が引かれる指が偉く遅く見えた。だからか分からないが今まで生きてきた中で一番早く足を動かす事が出来、ヒデタカ先生の体に体当たりする事が出来た。
「ヒデタカ!」
「…ジン」
ヒデタカ先生を下にして倒れた状態で声を上げる。引き金は引かれなかったのか銃声は鳴らなかった。
「何考えてるんだよ!」
「…嫌になるな」
「カナエを助けられない事がか…?」
「そうだよ…カナエちゃんも…今までも…助けられない医者がいる必要あるか…」
「必要ある!」
「断言するなぁ…」
「必要あるんだよ!ヒデタカとウメノがいなかったらあの三人は今もいたか!?」
「……」
「いなかったろうが!絶対にいなかった!ここまで生きなかった!助けられた!」
「ジン、怒ると顔怖いな…」
「ふざけるなよ!聞け!ヒデタカが助けたんだ!ウメノが助けたんだ!今まで生きるのを助けて来た人間がいるのに…そうしたあんたが投げ出して無意味な事だと言うな!」
「…無意味…」
「そうだよ…医者だろうが」
「医者だったなぁ…」
長いこと助けられた命が無いから忘れそうになっていたと冗談のようにヒデタカ先生は言った。
診察室に倒れたままに銃は床に転がり大声を上げた自分は息が切れていた。
「…最期まで…側にいるぞ」
「カナエちゃんの側に」
「ヒデタカ…ヒデタカ先生がずっと生きる手伝いをしたカナエの側に」
「…ジン…」
「何…?」
「医者って言うのは…しんどいものだよ」
「……」
「それでも存在しなきゃいけないんだよな」
「…人を助けられる存在だからな」
「だから…俺は今も生きてるんだな」
これが俺の存在意義なんだろうかとヒデタカ先生はようやく体を起こした。
「…カナエの側に」
「…あ、」
開けっ放しになった診察室の扉の向こうからカイの歌が響く。泣いていて歌える状態ではなかったのに涙を止めてカナエに向かって歌っていた。
(これは)
子守唄だ。
皆が声をかけるのを止めてカイの歌声だけが響いていた。カイの歌が聞こえるとカナエは目を覚まし聞き入ってくれるのだ。
泣くのを我慢しているカイがカナエのベッドの側でひたすら歌を歌っている。母がよく歌っていた子守唄がカイの歌声によってこの部屋中に響き渡っていた。
「…カナエちゃんは」
カイの歌を邪魔しないように静かに部屋に入りヒデタカ先生がウメノに尋ねる。
「まだ、生きてます」
ところで何処に行ってたんですか?とウメノは席を外していた事に少し怒っていた。
「…ジンに説教された」
「ヒデタカ先生が馬鹿な事をしようとして」
「はぁ?」
心底何を言っているのかと言う表情をされた。
「まあ…戻って来たならいいですよ…」
ヒデタカ先生がカナエの顔を覗き込む。自分も同じ様にして覗き込むと僅かに開いた目がこちらを見ている。
「…カナエ」
「…ジン…お兄さん」
「何だ。そう呼んでくれるのか?」
酔って言ったその言葉を今もそう言ってくれるのか。それならカナエは殆ど妹みたいなものだ。長い黒髪を撫でながら安心させるように静かに言う。
「怖いことは無いから…カナエ、カナエは何も心配しなくていいからな」
近付く別れが怖くないようにそう声をかける。カナエはゆっくり瞬きをした。
「カナエちゃん。カナエちゃんよく頑張ったね」
ヒデタカ先生がそう言ってカナエの手を握る。震えていないかと確認したがヒデタカ先生の大きな手はカナエの細く小さな手を包んでいた。
「本当に頑張った…本当に…」
「先生も…」
「いいや。先生は手助けしただけ、ここまで頑張ったのはカナエちゃんだよ」
「先生、ありがとうね」
カナエが小さく消え入る声で呟いた。
ウメノがカナエの頬を撫でながら優しく笑って言う。
「強い子だねカナエちゃん。あなたなら何処に行っても大丈夫」
「本当に?」
「本当よ。それでも道を迷ったらまたおいで?どんな姿になっても必ず分かるから」
「…心強いなぁ」
エリカが泣くのをこらえながらカナエに言う。
「あぁまだ教えたい事が山程あるの」
「ごめんね」
「だから、また私は先生になるからカナエちゃんも私の生徒になってほしい」
それが何百年後か何千年か何億先の約束でも、今結ばなければこの先会える約束が出来ない。
ジュンはカナエの顔を見つめて何も言わない。ただ両親が自分達に向けたような表情で優しく優しく笑っていた。何も心配が無いように。
「……」
「カイ」
「…うん」
カイがカナエの側に立つ。静かに目を開けるカナエの視線に合わせて何も言わずに。
「……」
カナエの手を握り締めて自分の手を絡めるようにして離れないように握り、ひたすらカナエを見つめていた。
「…カイ」
カナエが静かに口を開く。
「…うん」
「会えて良かった」
「…僕もそうだよ」
「今会わなきゃ…もっと人が一杯いる時に会ったらきっと…カイを好きになる人がたくさんいたと思う」
「そんな事無いよ。絶対に無い」
「たくさんいても私が好き?」
「うん、カナエが」
「本当に本当に?」
「うん。本当に本当」
「…我が儘聞ける?」
「我が儘言って…」
歌ってよ。カイの歌がずっと聞きたい。
カナエが消え入りそうな声でそう言うと、カイはカナエの手を握り締めたままに大きく息を吐き歌を歌った。
「……っ」
カイの歌声は何度も聞いたはずなのに鳥肌が立つと歌の始まりに皆が驚いた。この部屋をまるで支配するかのように隅々まで響く歌声はこの部屋の人々の感情を支配して揺さぶるようにカイの歌声は生まれていく。
誰も声をかけられない、かけてはいけない。
今はカイとカナエの二人きりしかいないのだと言わんばかりに世界も閉じているようだ。
「…カイ、カナエ…」
これは。
カイがカナエに贈る最後の歌声なのだ。
送り出すように優しく背中を擦るようにして、別れはではあるが決して一人にさせはしない。
(そう…)
叫んでるみたいだ。
「ありがとう」
カナエの声がカイの歌声の中にはっきりと聞こえた。カイの歌が歌い終わるとウメノが目を閉じたカナエの手首を触れて首を触れる。そしてカナエが死んだ事が分かると耐えていた涙を皆が流し始めた。
「……」
「カイ…」
「…うん」
カナエの手からゆっくり自分の手を離してカナエの両手を合わせる。深く目を閉じたカナエはもう動く事無く冷たくなっていく。カイにどんな言葉をかけようかと頭の中で様々な慰めや励ましの言葉を浮かべてもどれが最適なのか分からない。
「ジン」
「…え?」
「何も言わなくていいよ」
「……」
「でもちょっと肩貸して」
「…どうぞ」
そう答えるとカイは肩に顔を埋めてほんの少し鼻を啜り自分の体を痛いぐらいに抱き締めながら恋人として愛した人の別れを経験した。
カイを受け止めながらふと天井の空が暗くなり星が輝き始めたのを見つけた。
あの空の星も生きているらしい、カナエの死を星達も見ていたのだろうか。
その日カナエの側で泣きに泣いた皆は目を腫らしながら今度は思い出話に笑いながらまた途中で何度も泣いて次の日なかなかひどい顔になりながら病院の外にカナエを埋葬する事になった。
「棺があるのか」
「作れそうな材料がある時にな…作っておいたんだ」
「愛用の食器と…あと服も」
「ネックレスは勿論だね」
「教科書とノート入れても?」
「大丈夫でしょう。…天国でも勉強させるのって怒りそうですけどね」
「そうだね」
でも入れさせてもらうよ。ウメノがエリカからカナエの教科書とノートを受け取り棺に入れる。後は蓋を閉めてしまうためカナエの顔を見るのはこれが最後になる。
「カイ君。顔見てあげて」
「うん」
ウメノに呼ばれてカナエの顔を見つめているカイの表情はうまく見えないが、昨日のカナエの側で叫んで名前を言っていたのが嘘のように静かだ。
「…また」
「うん。また会おうね」
「……」
棺の蓋が閉められて男手であるヒデタカ先生とカイと自分で掘った穴に棺を埋めて土をかける。両親の同じ土葬だ。ここにカナエが眠っていると証を立てて名前を刻む。皆で手を合わせてこれで本当に別れだ。
「…あのね」
「ん?」
「僕はね。生まれ変わりとかは信じてないよ」
「…俺もだよ」
カナエの別れに手を合わせた後にカイがそう呟く。その言葉に周りも少し振り返ったが誰もその言葉に否定をしなかった。
「この時代に、カナエのお母さんから生まれて…この病院で育ったからカナエになった」
「これからカナエそっくりな女の子がいたとしてもそれは…」
「うん。カナエじゃない。僕がすきになったのはここで眠ってるカナエ」
仮に生まれ変わりがあったとしても今生で両親がいるような環境で暮らしてきたカナエそっくりな人がいたとしても、自分の今持っている死んだカナエへの気持ちを向けるのは失礼だしおかしい。
「一回きりでいいよ。こんな気持ちになるの」
「自分がこれから死んで…まったく同じ存在に生まれ変わった後に新しいカナエに会ったらどうする?」
「それはもう…今の僕とは違うし…でもそうなったら生まれ変わるかもしれない僕に生まれ変わったカナエをまた好きになってもらえるようにまあ頑張ってって事かな?」
「それってもう…今の俺達からしてみたら姿形がそっくりな他人の恋愛だろうな」
「でしょう?そんなの見えないし分からないしそうなる保証も無い。だから生まれ変わりは信じてない。今を生きるだけ、カナエが好きな気持ちを持って…ずーっとずーっと」
「生きるしかないな」
少し大きな声でそう言う。その声にヒデタカ先生が振り返り何とも気まずそうな顔をして笑うためこちらも笑い返してやった。
それじゃそろそろ次の場所へ行こうか。
今までで一番長く滞在しており半分家のようになっていたここから離れるのは寂しい気もする。
「本当に出るの?本当に?」
「うん。本当に…エリカありがとうね。たくさん教えてくれて」
「またいつでも来てね」
「ジン、カイ。ちゃんと食べて元気でやりな」
「ジュンもな」
「二人とも…」
「ウメノ」
一人一人に別れを告げている。いつもなら建物に告げる別れが今日は人にたくさんお世話になった大人達に。
「…もしね」
「うん」
「これからあなた達がまた誰かに会う時は」
「会う時は?」
「その人達に今生きてる人を…生きてた人の事を少しでいいから話してあげて?」
「…そしたら一人でも多く覚えてもらえるもんな」
「皆も僕達がしたステラやミナモ…ムギの事を忘れないでね」
「顔は分からないけどなあの絵じゃ」
ヒデタカ先生が笑いながらそう言う。水族館も美術館もそのままにしてここにいる彼等に楽しんでもらう事になった。解説出来る自分はもういなくなるがそれでも何度も聞かせる内に覚えてもらった箇所もある。そしたらもしこれから誰かがここを見つけた時にその誰かに聞かせてくれるだろう。
「ジン、カイ」
「ヒデタカ。ありがとうね。元気でね」
「あぁ。元気でな」
「ヒデタカ先生」
「ジン。今度は助けられる側になれ」
「大丈夫。覚えてる」
何もかもここでの事は覚えている。
車は荷物を積み、いくらか食料を貰ってしまった。断ろうとしたが一人分減ってからと言って無理矢理押し込まれてしまい受け取る事になった。
久しぶりに車のエンジンをかけて動かす。
「…それじゃまた!」
「またねー!」
再び会えると彼等に手を振り病院が遠ざかる。
見えなくなるまで手を振っている姿がミラーで確認出来て何度か振り返り見えなくなってしまうと改めて前を向いた。
「…またねか」
「生きてるからねえ」
「そうだな」
「会えて良かったね」
「そうだな」
「……少し、寂しいね」
「泣いてもいいぞ。窓を開けてたら涙もすぐに乾く」
「そんな泣いてられないよ。前向いてよ」
「前向きます」
「そのままこっち見ないでね」
「見ないよ」
大丈夫だよ。涙も見ない振りしておくから。




