病院【変化】
ジンが話し終えた時、診察室の窓から差し込む光はすっかり落ちていた。まだ明るい内に話し始めたその彼等の外に出るまでの経緯は外にいた人間達とはまた別の辛さがあった。
本来ならば十代でまだ親の加護のもと、大人に守られるはずの存在なのに長年蓄積された負の歴史によって彼等は早くも自分達の足で立つしかなかったのだ。
「…よく話してくれた」
「うん。誰かに家族の事話すの初めてだった」
「キリヤは」
「お父さんは?」
「ジンとカイにとって、良い父親だったか?」
ハイザキさんがジンに尋ねる。今の話を聞けば国を捨てたとも見えるが自分の家族を守るために命を惜しまなかった父親のように聞こえた。
(まあ…近親相姦の話はどうかと思うが)
ハイザキさんの言葉にジンは無言で首を縦に振る。
「そうか…」
「俺は両親の事もカイの事も愛してるよ」
「…ジンはそう言うのも照れずに言えるもんだな」
「本心だ。それに言わないと伝わらないからな」
「言わないと伝わらないか…」
はっきりとジンはそう言い切った。その言葉にハイザキさんは難しい表情をしており、それを見つめてジンは言った。
「察しろ考えろと言うのも本で読んだ事がある…でも相手の事を読み解くのは難しいんだ。もしかしたらその“察する”が自分にとって都合の良い考えで結局間違って相手を傷付けるかもしれないし。ならいっそ思った事をそのまま伝えれば間違いは生まれない」
「そのまま伝えたら相手が傷付く事もあるかもしれないぞ?」
ハイザキさんがそう言う。
ジンの率直な物言いは初対面の頃から気にはなっていたが話にあった父親譲りの話し方と自分なりの考えが合わさった話し方なのだろうか。
ハイザキさんはその物言いがやはり気に入らない部分があるらしい、敬語が使えない事や少々上から目線に聞こえる事に加えて私的な…かつての恋敵を思い出させる事もあるのだろう。
「俺の言葉で傷付けていたなら謝る。その時出た言葉はもう言わない」
「そこは素直なんだよな…」
「…生きてる内に伝えないと変わらないだろ。死んだ人間にいくら伝えても言葉は返ってこない」
「…」
「生きてた人間の姿を思い出したり痕跡を辿るのはいくらでも出来るけど…死んだ後にその相手に言葉を投げ掛けても返ってこない。きっとこう返してくれるだろう…それは全部自分の妄想だ」
「…厳しい事を言うな」
「疲れるんだよ。死んだ人間に囚われるの」
両親が亡くなった後に何度も夢に見てシェルターに戻りそうになった日もあったが死んだ事実はいくら日が経っても変わらないとジンは言う。
「生きてる事実に目を向けて前に進んだ方が健康的だ。両親は十分俺達を愛してくれた」
思い出をたまに話し両親の存在を確認しながら生きてる自分達の今を謳歌する。そうするとずっと楽しいと気付いたのだと言う。
「洗濯物」
「え?」
「この話はお仕舞いだ。洗濯物、取り込んで来る」
「あぁ…頼む」
自分達の話を終えるとジンは立ち上がり診察室から出て行く。洗濯物が干してある屋上へと向かう足音が遠くなりハイザキさんと二人きりになる。
大きな息を吐いてハイザキさんと目を合わせると疲れたように目を閉じた。
「ジンは…」
「はい」
目を閉じたままハイザキさんは呟く。
「学校に行っていれば…きっと成績優秀だったろう」
「でしょうね…俺も教えて思います。あの子はきっと優秀な成績で難関大学に合格出来る」
「そしたら…何になれると思う?」
「…医者でも…教育関係は…あの物言いは問題になりそうか…医者か、研究者でも…もしかしたらお父さんと同じ政治の世界か」
「駄目だ。父親と同じであの率直な喋り方は敵を作る」
「そうですね」
「…でも、何にでもなれる事が出来たろう」
教育の場も、教えてくれる大人ももう殆どいない。若く何にでもなれる可能性があったのにその何にでもなれる可能性は彼等より早く生まれた大人達によって絶たれてしまった。
「こんな時代に生まれてこなけりゃな…可哀想に」
「そんな風に…言わないで下さいよ。二人は二人の幸せや可能性を見つけてるんですから」
自分達、大人の見え方で彼等の人生を不幸だとは思わさせたくはない。
「まあ…そうだな。うん。よく生き延びた」
「そうですよ」
「…カイは?」
「カイ?」
「カイは何になれると思う?」
ハイザキさんの言葉に考える。ジンと比べてはカイは特別優秀な成績を修めるようには見えない。自分がカイの授業には関わっていないためはっきりとは分からないが、コンノさんの授業の際に退屈そうにしていたりカナエちゃんに教えてもらっているのを見ている。
人当たりは良さそうだが、そうなると人に関わる仕事、ジンとは逆に教師や福祉が向いていそうな気がする。
「あんなころころ表情変わる子は、どこでもやっていけそうですけどね」
「あの二人、顔つきはまあ兄弟だから似てるけど…目付きや感情表現は正反対なんだよな」
整っているが鋭い目付きで一見冷たそうに見えるジンとは反対に同じ様に整っているが大きな目をしたカイは素直な感情表現に変わる様子は人を惹き付ける。
「カイはアイドルなんかやったりしてね。あの人当たりの良さや愛嬌があれば」
「はは、出来るかもな。なんて…」
そうハイザキさんと冗談交じりに話していると歌が聞こえた。
「…?」
気のせいかと思ったが再び聞こえて来る。今度ははっきりと病院内に流れるように歌が聞こえる。過去に音楽を流す機器はあったが壊れてしまいとっくに使えなくなっている。それなのに歌が聞こえて来るのだ。男性の声で響くそれは二十年以上前に流行ったバラードだ。
女性歌手が歌い流行曲になり誰もが知っているその歌を男性が透き通るような声で、それなのに力強さも感じる。
「…歌?」
「誰か…歌ってる?」
屋上に行くと部屋で寝ていたと思ったカイが先にいた。もう殆ど洗濯物は取り込んでしまったらしく後は部屋に持って行って畳むだけだった。
「遅いよ」
「ごめん。籠一つ持つぞ」
「うん…ねえ何か話してた?」
「あー、うん」
「診察室の前通ったら、三人の話し声聞こえたよ」
「昔のな、シェルターで暮らしてた頃の話をヒデタカとジュンにしてたんだ」
「何で?」
「ジュンがな」
「うん」
「ジュンはお父さんとお母さんの事知ってたんだよ。それで二人の話を聞きたいってなってシェルターでの事を話したんだ」
「え?知ってた?」
「ジュンはお父さんと同じ場所で仕事してたんだって」
「え?ジュンが?同じ場所で?パパと?」
カイにジュンが父と同じ職場で働いており、そこで父は外交官と言う国の代表として立派に働いていた事を教える。今まで両親は過去に何をしていたかはぐらかして来たがここでようやく自分もカイも両親が自分達が生まれる前はどんな役目を果たしていたか知る事が出来た。
「すごい事してたんだね」
「うん。なかなか嫌われてたみたいだけどな」
「ジュンも嫌ってたの?」
「嫌ってた…あのな、ジュンはお母さんの事好きだったんだって」
「へ?」
「お母さんの事、ジュンが先に知ってて好きだったみたいだけどお母さんはお父さんを好きになって…ジュンはえーっと…だから」
「それって“失恋”?」
「そうだ。それ。ジュンは失恋したんだな」
「えー…今度からジュンの顔…どう見ればいいんだろう」
「普通に見ればいいだろ?」
「いや…この人ママの事好きでパパの恋敵だったんだなーって思っちゃうから…」
「うん?」
「ジンには難しいかな…この感情…」
「え?どう言う事だ?」
時間かけて覚えてね。そんな風にカイは呆れたように笑い籠を持ち部屋に戻ろうとしたため並んで屋上から出て歩きながらまだ話していない新たに知った事をカイに話す。
自分達の名字がトバリと言う事。
父がかつて国を助けるために周囲に訴えていたが理解が得られずそれどころか周囲から敵と見なされていた事。
実は殆ど話されていなかったお祖父様が百貨店と言う大きな店を持っていた事。
母が歌手であった事。
「ママ歌手だったんだ」
「確かに今思えばすごく綺麗な歌聞かせてくれたもんな」
「ジンは聞くばっかりで歌う事はしなかったねえ」
「聞いてる方が好きなんだ。…そうだカイこの頃歌ってないな」
「何だかんだ色々やってたからねえ」
「何か聞かさせてくれよ。何でもいい」
「んー…じゃあとりあえず…」
洗濯物が沢山入った籠を持ったままカイは大きく息を吸い歌い始めた。母がよく聞かせてくれた歌だ。カイの歌声は両親がよく褒めていた。童謡から歌い始めて徐々に母が歌う曲も覚えていき母にもっと上手くなりたいと言って習っていた。たまに自分も誘われるが聞いている方がずっと好きだったため首を振って断り母とカイの歌声を聴きながら本を読んでいた事を思い出す。
カイが歌うその横で皆がいる部屋に戻ると視線が一気に集められる。
「どうした?」
「いや…今歌が…」
「音楽機器は無いし…どこからって…」
「歌?」
部屋にはいつの間にか皆が戻っており落ち着かないように話していた。歌が聞こえたと。自分達もずっとこの院内にいて歌が聞こえたとなると発生源は横にいるカイしか考えられらない。皆がどこから聞こえたのか話している最中、カイに視線を向ける。
「…カイじゃないか?」
「僕かな…?」
その言葉にまた皆が一斉に視線を向ける。その視線に驚きカイは視線をあちらこちらに向けるがとりあえず洗濯物を置く事にした。
「カイの歌?」
エリカが驚いた表情でカイを見つめる。
「俺もいたけど…歌ってなるとカイの歌しか聞いてないぞ」
「うるさかった?」
迷惑だったろうかと不安になるカイに皆は慌てて否定した。
「違う!違うの…えっと…すごく綺麗だったから…」
「え?そうなの?」
「うん。プロみたいと言うか…プロだと思って…だから音楽機器が急に直って流れ出したのかと思って驚いたの」
「へ、へ~ほ~…へへ」
「照れてるのか」
「照れるよ」
思わぬ言葉にカイは上手く返せず妙な笑い方で洗濯物を畳もうとしたが畳むどころか皺を増やすが如く滅茶苦茶になり手に持っていた洗濯物がどうにかなる前に取り上げた。
「カイ。俺が畳んでおく」
「え?何でさ」
「その代わりにもう一曲聞かせてくれ」
「え?皆いるじゃん!恥ずかしいよ!」
「ムギには歌ってたろ」
「ムギはいいの!」
「カイ君」
「…う」
「カイ君聞かせてよ」
母に教えられたカイの歌は世界で一番だと思っている。それを自分だけが聞くのは少し勿体ないと感じる事も時々あるのだ。
だから水族館でムギに聞かせていた歌が流れてミナモに届いた時、綺麗だと言っていたのは自分の事のように誇らしかった。
「…分かったよ…それじゃあ」
再び息を吸ってカイの歌声が部屋中に響く。先程と同じ曲をもう一度歌い始めていくと部屋の雰囲気が一気に変わっていく。音が踊りこの部屋を支配していくようだった。
部屋にいる皆の顔が変わっていく。
驚きただただカイの歌う姿を見つめるのもあれば、聴く事だけに集中するかのように目を閉じている姿も見える。
視覚的には何も変わらないはずなのに色づいていくように部屋の雰囲気が変わっていくのだ。
「…え?」
「おはよう」
「おはよう…?」
眠っていたカナエが目を覚まし部屋に響く歌声に驚いていた。その声の主がカイだと分かるとますます驚いていた。
「歌…カイが」
「うん。上手いんだよずっと」
「上手いとか…そう言うレベルじゃないよ」
「どう言うレベル?」
「……神様?」
「え?」
「歌の…?」
「…カナエ、カイは人間だよ」
目の前にいて歌ってるのが人智を越えた存在な訳が無いと言う。
「そうか、そうだよね…でも…綺麗」
「うん。綺麗だよな」
カイの歌声に包まれていた部屋は段々と終わりに向かう歌によっていつもの静寂な雰囲気が戻って来ていた。最後まで歌い終わると聴いていた皆は無言でカイを見つめていて何とも居心地が悪そうにカイは視線を彷徨わせていた。
「……上手」
その静寂を打ち破るために拍手をすると周りも気付いたように拍手をし始めて歌に包まれ静寂に落ちた部屋は今度は拍手で包まれる事になった。
「うん…!上手!びっくりした!」
エリカがそう言って興奮したように拍手を続ける。
「こんな歌えるなんて…何で今まで歌ってくれなかったの?」
ウメノもエリカに続くようにそう言って拍手を続ける。
「だって、歌う機会なんて無かったじゃん」
恥ずかしいしと言ってカイは照れながら自分とカナエの側に歩み寄る。拍手され褒められて何をどう返せばいいのか分からずに視線をあちらこちらに向けながら自分が畳んでいた洗濯物を奪って折角畳んでいたのに滅茶苦茶にしながら感情の整理をしていた。
「カイ」
「カナエ…起きてたの?」
「うん。起きたら綺麗な歌が聞こえて驚いたらカイだった…びっくりした…」
「あー…あー…ありがとう…」
言葉の最後が小さく消え入りそうになりながらカイは返事をする。
「歌は自分で練習したの?」
「いや。カイはお母さんに習った」
「お母さんに?」
「うん。俺達も知らなかったけど…お母さんは歌手だったらしいんだ」
「そうなの?」
「そうだよな?ジュン」
「そう…そうだよ。ナギさんは歌手だった」
「え?ハイザキさん知ってるの?」
「二人の両親と…俺は古い知り合いだったんだよ」
「えぇ!?」
ここにいた皆も知らない事実を知らされて自分とカイ、そしてヒデタカ以外が驚いていた。ジュンはあっという間に質問責めにされてベッドに寝たままに答えていた。その内容に驚きながらもカイの歌の上手さに納得したような様子で騒がしかった部屋は落ち着いていく。
「お父さんが外交官でお母さんはデビューする前とは言え歌手だったって…すごい一家だわ」
「まだ国が機能してた時は若くてあんまり政治に興味無かったけどトバリ外交官の名前は聞いた事あるかも」
「ニュースで顔が映って騒ぐ人がいたからね。イケメンだったから」
「まさか子どもが生き残ってるとは思ってなかったけどな」
「…それで言ったらもしかしてまだ若い子が生き残ってる可能性はある?」
裕福な家庭であれば自分達と同様にシェルターを作り密かに生き残っている可能性もあるのではとウメノとエリカが話し始める。しかしそれをジュンが別の可能性を言う。
「いや。どうだろうな。国外に脱出してる可能性の方が高いと思う」
「それって飛行機とかで?」
空港で見たようにあの空を飛ぶ鉄の塊でもしかしたらいるかもしれない。
「自家用機持ってる家はそうかもしれない」
「でも他の国が住める程機能してるか?」
「信じてない人間もいるんだよ。何百と国はあったんだ。どれか一つ再び住めるようになってるかもしれないって」
ジュンがそう言って他の若い生き残りがいる可能性も低いと否定した。その言葉に少し沈んだようにしてエリカは呟く。
「じゃあやっぱり…ジンとカイは特別か」
「そうか?特別も何も守られてただけだよ」
“特別”の言葉を否定する。
何も特別ではない。この世界で生きてる事は当たり前であってほしい。死ぬ事が普通なように捉えたくはなかった。
カイが滅茶苦茶にした洗濯物を取って綺麗に畳み直しこれで洗濯は終わりだ。それぞれ持ち主に返して後はもう自由時間となる。夕飯の準備があるまでまた本でも読んでおこうとヒデタカに声をかけて部屋から出る。
診察室に入り途中まで読んでいた医学書を取り出して続きを読むためにまた部屋に戻ろうするとウメノが部屋の前で待っていた。
「どうかしたか?」
「その…二人は」
「うん」
「いつここを出ていく?」
「…そう言えば初めから決めてないな」
「何日経つ?」
「七日だな」
「食糧は…大丈夫?」
「まだある。平気だ」
「…もし、良かったら私の分をあげるから…」
もうしばらくここにいてくれない?
「もうしばらく?」
ウメノがそう言って目の前で手を合わせる。自分の食糧を渡しても構わないからここにまだいてくれと頼まれるのは初めてだ。確かにここに来て仕事を手伝い授業を受けたりと頃合いを見て出て行く予定がその頃合いがいつになるか分からなくなってしまった。
「俺は…カイも構わないと思うが急にどうした?」
「賑やかだと楽しいじゃない?」
「止める理由になってない」
「まあ、そうだよね」
「カナエのためか?」
「……ちょっと声小さくして?」
部屋から離れるように肩を押されて移動する。そこまで大声で話していた訳ではないから聞こえていないと思うが念のためと言われて小声で話す。
「カイ君は、カナエちゃんと仲が良いでしょ?」
「カナエはカイをどう思ってる?」
「さぁ…でも少なくとも楽しそうで、水族館であんなにはしゃいだカナエちゃん初めて見たから」
カイに貝殻のネックレスを着けてもらい声を上げて喜んでいたのを思い出す。
「カイ君に、カナエちゃんの最期看取ってくれてほしいって言ったら…出来る?」
「出来ると思う。伝えておく」
「ごめんね。ありがとう」
「構わない。謝らなくていい」
少し気が重いがカイには今夜にでも伝えておこう。そう思いこの話は終わりだと本を持って部屋に戻ろうとするとウメノが話し始める。
「ねえ。ここに来たのは夜にここが光ってたからって言ってたね」
「そうだな。向こうの建物から光が見えて」
「その明かりがあった日、ここに入院してた人が亡くなった日だと思う」
「そうなのか?」
「うん。呼吸が小さくなって夜まで頑張ったけど亡くなってね…普段は明かりを消してる時間だけどその人を助けるために明かりが必要だったの」
結局亡くなってしまったけどその明かりに導かれてあなた達が来たって言うのは不思議な話ね。
そう言ってウメノは笑った。
「変な話、ジンとカイはここに来るべくして来たんじゃないかって…そんな事を思うの」
「人が人を呼んだのか?」
「かもね。こんな数える程しかいなくなったのに、まだ人は人を呼んでくれるの」
この世界にはまだまだ結ばれる人の縁があるのかもしれないと不可思議な、それでも間違い無くその明かりが無ければここに来れなかった事実を知りながらウメノと部屋に戻ると、再び眠るカナエの側にいたカイは小さく子守唄を歌っていた。




