病院【勉強】
エリカの要望に応じて彼女の車椅子と言う車輪が付いた椅子を押して外に出る。エリカはカナエとジュンに比べてだが体をきちんと動かす事が出来、調子が良い日は歩く事も可能だと言う。
病院の廊下を進んで扉を開けて外に出る。車輪が付いているのならば楽に進むかと思ったがそうでもないらしい、人間一人の体重に加えて車椅子の重さもありそれなりに力を入れながら進まないといけない。
「段差あるよ。平気なの?」
扉を開けて待つカイが僅かな段差に車輪が引っ掛からないか心配するとエリカは首を振ってそれぐらいなら大丈夫だと言った。その言葉を信じて車椅子を進めると少し車椅子が引っ掛かったが進むのには支障が無い程度だ。外の少し冷たい風が自分達と車椅子のエリカの頬を撫でた。
「寒くないか?」
「ブランケットがあるし平気」
「寒かったら言ってね。毛布取って来るよ」
「ありがとう」
「散歩…どこに行くんだ?」
「もう少し病院から離れて…そう」
今日の天気は快晴で雲一つ無い青空が広がっている。このまま夜を迎えれば、あの部屋の窓から星や月が見えるだろう。
「この辺りでいいよ。ありがとう」
「うん。散歩って…録に散歩してないけど?」
「確かに病院の外に出ただけだな」
「それでいいの。ウメちゃん先生やノグチ先生は私達を診たり世話したり…忙しいのに散歩したいなんて頼めないもの」
「そっか…あの病院で、動けるのあの二人だけだもんな」
昼食が終わった後も二人は自分達に食器の片付けを頼んでベッドの上のカナエとジュンの溢した食事の始末や世話をしていた。
「色々聞いても良いか?」
「うん。あたしもあなた達の事を聞きたい」
「いいよ。何でも答えてあげちゃう」
「あら?何でも良いの?」
「答えられる範囲でな」
「それじゃあまずジン君からどうぞ?」
「まずは…」
ここの病院についての事を聞かせてもらう。
自分達が今いるこの街ではこの病院はそこまで大きな病院ではなかったらしい。もっと大きな病院や設備が充実した病院があったが今分かる限り残っているのはこの病院だけらしい。
「大きな病院って分かりやすいから、人が助からないように真っ先に攻撃されたのね」
「ここは分かりにくいのか?」
「街の外れにあったの。しかも自然に囲まれた環境にしようって、大きな木々を植えて…木に囲まれて分かりにくかったのかもね」
「だからか…」
それでも街の住人にはきちんと病院がここにあると把握されており、十七年前の攻撃から逃れて来た人間が押し寄せてヒデタカの言う通りあまりの多さにトリアージを行いとにかく助かる見込みのある人間を優先して助かる見込みの無い人間は治療出来ないとして亡くなったらしい。
「エリカのその時トリアージされたのか?」
「あたしは違うよ。あの日はいつも通りに学校で勤務してたら学校が揺れて壊れて燃えてね」
「あぁ、エリカは学校の先生だっけ?」
「そう。現国のね」
「学校の…行ったこと無い所だ」
「大変だよ。君達と同じぐらいの若い子がたくさんいて…その子達を一つの部屋に押し込んで絶対興味が無いであろう勉強を教えて」
「退屈なのか?」
「退屈な時もあるでしょうね。でも、学校の行事で力を合わせたり友達と楽しんだり…笑ったり泣いたり」
もうどこにもいなくなっちゃったけどねと、エリカは笑った。攻撃を受けて気を失っていると学校は崩壊しており意識のある子ども、生きている誰かを探し回って他の生存者と何とか一緒に手を取り合いながら助けようとしたらしい。
「やれる事やってね。亡くなった生徒の学生証を集めてこの生徒が亡くなりましたって分かるようにして、何日も何日も誰かを探して助けようとして看取ってね」
「……」
「その内学校に居続けるのに限界が来て動ける人達でこの病院に着いて助けてもらったの」
「エリカだけじゃなくて他にもいたのか?」
「同じ学校の先生と、生徒が四人」
「…皆死んだの?」
「うん。着いてすぐにね」
偶然物陰に居たため大した傷も負わずに生きた自分を残して彼等と死に別れて今日までこの病院で生きてきた。シェルターに守られて両親に抱き締められながら生きた自分達には想像もつかないような経験だった。この世界では自分達と同じぐらいの人間が生きていた事は分かるが今の自分達と同じぐらいの頃に死んでしまった事実は恐ろしいと感じる。学ぶ事や経験する事が無限にあるのにそれを学ぶ前に経験する前に何も出来なくなってしまうのは凄まじく悔しい人生だろう。
「その人達の事、覚えてる?」
「覚えてるよ。忘れられない」
「忘れたい?」
「忘れるもんですか。絶対に」
「うん。その方が良いと思う」
「忘れたらもう、この世界から本当に消えて無くなるもんな」
亡くなった両親の顔を思い浮かべながらそう呟く。
「それじゃ次は、あたしが聞いても?」
「どうぞ」
「シェルターにいた間、読み書きや勉強はご両親から教えてもらったの?」
「そう。まずは俺が七歳の頃に一人だけ教わってその後カイと七歳になったら教わり始めた」
「あぁ小学校に入る年齢だもんね」
教わり始めた頃はまずは読み書きと簡単な計算方法。教えるのは自分が父に、カイが母に教わった。
「教科書とか無かったんじゃない?」
「両親が白紙に問題を書いてそれを解説しながら教わった」
「なるほど…読み書きに計算、それ以外に何を教わったの?」
「化学や歴史。後は国の政治に関する事」
「そんなの習ったっけ?」
「カイは興味無かったら聞いてなかったんだろ」
「国の政治?」
「法を決める人間や各国との関わり方とかどうやったら法律が決まってそれを破ったらどんな罰があるのかのか」
「今だともうあんまり役に立たないんじゃない?」
法律も国を作る人間も裁く人間もいなくなった今なら確かに無意味かもしれないが両親は教え続けた。それはまだこの世界が再興して法律や裁く人間、国を導く人間が存在しているように願ったのかもしれない。
人を殺してはいけません。
そんな当たり前の法律も教える事が無ければ悪い事だとは思わないかもしれない。
「あなたのご両親はあなた達がこの世界を再興させるように教えたの?」
「……違う」
「そうなの」
「絶対に違う」
「?ふーん…?」
「ねえエリカ」
「ん?」
エリカの車椅子の側で地面に絵を描いていたカイが話しかける。
「エリカって先生なんでしょ?」
「そうだよ」
「現国って何?」
「現代文を学ぶの。古典も入るけど…」
「現代文?」
「言葉の成り立ちとか文章構成を学んだり…文字で文で自分を表現するの」
「今も教えられる?」
「出来るよ?」
「教えてって言ったら教えられる?」
「教えられるけど…お手伝いの合間に出来る?カナエちゃんに教えてもいるから時間合わせてほしいかもね」
「え?カナエと一緒に?」
「一人一人教えるのは体力的にちょっと…二人まとめてならいっぺんに済むもの」
「え?あ…そうかぁ」
「それどういう表情だ?カイ」
「放っておいてよ…」
エリカへ教えて欲しいと言ったのは少し驚いたが学校と言うのを知らないカイや自分にとっては学校の先生であったエリカの教えは魅力的に思える。ほんの少しではあるが経験する事の無かった“学生”と言う者になれるかもしれない。
「ジンも教わるよね?いいよね?」
「戻ってヒデタカとウメノに相談してからな」
「生徒が増えるのは歓迎だよ」
戻ろう。早く戻ろうと急かすカイに呆れながらエリカに視線を向けると頷いてくれた。車椅子を押しながらゆっくり散歩を終えて病院へと戻る。
「本当はね」
「本当は?」
カイが前を歩き病院に戻って行く。その最中、車椅子を押す自分にしか聞こえないぐらいの声でエリカが話す。
「カイ君にカナエちゃんの事を聞こうとしたの」
「カイに?」
「仲良くしたがってるように見えたから…カナエちゃんの事をどう思ってるのかなって」
「同い年の女の子、初めてだからな」
「カイ君がカナエちゃんの事を聞いて来るとも思ってた。聞かれたら答えてたかも」
「それは…カナエに失礼だろ」
「そうだね。でも、聞いてこなかった」
「何かあれば、本人に聞くさ」
「そうだね。それが良い…ところでジン君は?」
「俺?」
「カナエちゃんの事どう思ってる?」
「…細くて弱々しそうだなって思ってる」
「…あぁそう」
何か安心したわ。
思った事をそのまま答えたが安堵したような表情をしたエリカの車椅子を押して病院へと戻る。出る時と同じ様に少し段差に引っ掛かりその時だけ少し強く押して中に入る。病院に戻ったカイは皆がいる部屋に駆け込んで行く。
「ヒデタカーウメノー!」
「病院では走らない」
「ごめんなさい!」
「それで?どうした?」
駆け込んで来たカイをウメノが注意してヒデタカが駆け込んで来た理由を尋ねる。
「エリカに先生になってほしい!」
「先生?」
突拍子の無い事を言ったカイに二人は首を傾げているとカイより少し遅れて部屋に入った来た自分とエリカが説明する。
「散歩で外に出た時にお喋りしてね。それで私が先生やってる事を言ったら教わりたいって」
「カナエちゃんと同じ様に?」
「そう言うこと。でも二人はここにいる間病院の仕事手伝ってもらうでしょ?カナエちゃんに教えるのと同じ時間に教えるからその間のお仕事休ませてくれないかって」
「なるほど…それは構わないけど、病院の事を手伝ってほしい時はそっちを優先させてくれ」
「分かった。ありがとう」
「コンノさん。生徒が増えたね」
「教科書あるかな?」
「多分二人分はあるよ」
駄目かと言われる可能性もあったが思っていたよりも要望はあっさり通り、一日の予定が追加された。昼食が終わったら授業。その後に掃除と洗濯物を取り込む事になった。
授業は明日からと言う事になり、今日はひたすら病院の仕事を手伝う事になり部屋の掃き掃除と乾いた洗濯物を取り込み畳む。
途中でヒデタカに呼ばれて行くと明日からの授業で使うテーブルと椅子を物置にしている部屋から持って来るから手伝えと言われた。
名前の通り物置だ。埃の被ったテーブルと椅子。段ボールには割れた食器や破れた服やタオルが入っていた。その中で比較的綺麗なテーブルと椅子を選び拭き掃除をして使えるようにすると部屋に運ぶ。
「カナエちゃんと一緒に勉強するのか」
「そうなるな」
「二人共、学力どれぐらいなんだ?」
「…さあ?」
「調べた事が無いから分かんない」
「そりゃそうか…」
部屋にテーブルと椅子を運ぶとどこに置くのか尋ねると、カナエのベッドの側に置く事になった。長時間座る事がカナエには難しくベッドを移動する訳にはいかないため必然的にカナエの隣にテーブルと椅子を並べる事になる。
「…同級生になるの?」
「そうだよ。カナエちゃん、同級生だね」
「同級生って同い年だろ?俺は違うよ」
「ジンは先輩だね」
「俺が先輩…?」
「僕はカナエと同級生だよ」
「…よろしくね」
「よろしく!」
カイがカナエと目線と合わせて声をかける。自分から見なくてもカイがはしゃいでいるのが感じ取れた。ただカナエにはカイにどんな感情を持っているのか感じ取る事が出来なかった。カナエはカイが側に寄ると楽しそうな表情と考えるような表情をさせる。その考えるような表情はどんな感情の表情なのか感じ取る事は出来ない。
同い年のカナエとカイ。
人はどんな状況になっても色恋には興味があり話の種にして花を咲かせる。自分達の青春時代や若かった頃はすっかり世界が変わった事によって奪われて若い者も生き延びる事があったが攻撃や兵器によって短命で亡くなる者が殆どだった。
運良く今日まで生き延びる事が出来たのは攻撃を逃れて尚且つ兵器の影響が少なかった者だけ。コンノさんのように物陰にいた事で攻撃を逃れその後建物の中から出ないように努めた者。国にとっての重要な人物であったために守られた者。また、まだその時に生まれていなかった者。
母親の胎内で守られていた者。
この例は非常に少なかった。腹に子がいても母体が弱り母体が腹の子どもと共に亡くなるのが殆どで運良く生まれても生まれたばかりの子どもを生かせる環境が整っておらず亡くなった。
腕の中で冷たくなった我が子を抱いて外に出たきり戻らなかった母親もいる。
もう生まれる命は無いだろう。
そんな状況の中で十七歳になるまで生きた輝かしい命は病院内でのまさに光だった。可愛らしく笑い車椅子を走らせて怒られて頬を膨らます少女。彼女の側にいるウメノが言う。
「手足の動きが弱って来てます」
「食事の量が減っています」
「寝ている事が増えましたね」
「……ぎこちなく、笑うようになりましたね」
成長するにつれてカナエの体は動かなくなっていった。カナエもそうなった人々を何人も見てきたため驚く事無く言う。
「次は私の番なんだ」
そう言って病院内を駆け回っていた少女の笑顔はすっかり別人になっていた。
そんな最中だ。彼等が来たのは。
驚く程に健康体で奇跡のように存在する若者。ジンは周囲全体に興味があるようだがカイはカナエの存在を認識するとすっかり興味を持ったようだった。忙しく表情が変わるカイに驚く姿も見られるが彼といる時話す時、以前のような笑顔を見せるのが一瞬あるのだ。
共通の絵本を持っていたと話題が出来た時。
日常の挨拶を交わした時。
部屋の中で一瞬目が合った時。
コンノさんがまるで少女のようにはしゃいで二人の姿を見ているのが分かる。ハイザキさんはまだまだカイの事を信用していない。
私とウメノは何も言わない。
横から大人の私達が若い二人の関係に何を話すのか。出来るのは少し離れて見守るだけだ。
そして少し願う。
彼等の出会いが悲劇で終わらないようにと。




